命あるうちに - 静岡地裁が袴田さんに無罪判決 -
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- Boxing Scene
■検察は控訴の断念を - Chapter 5
早ければ、今日明日にも検察が態度を明らかにするかもしれない。控訴をするにしてもしないにしても、キリの良いところまで記事のアップを続けようと思う。
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◎「袴田事件」とボクシング界の主な動き - 波紋を呼んだドキュメンタリー
1992年2月3日、「袴田事件」に関する、初と言っていい本格的なTVドキュメンタリーが放送される。製作したのは日本テレビで、1970年から続く「NNNドキュメント」という番組で採り上げられた。
「プロボクサーは本当に四人を殺したのか ~袴田事件の謎を追う~」
メインとサブどちらのタイトルも、詩的な表現を排して、直截で分かり易い簡潔な言葉だけでまとめたのは、「袴田事件」は世間の関心事では無かった為だと推察するが、真夜中の放送(確か0時丁度だったと思う)だったことも、まったく無関係ではないのかもしれない。
高杉の丁寧な取材風景をメインに、郡司と金平も登場する。「救う会」が全面的に協力したと言うべきか、それとも高杉の方から企画を持ち込んだのか。いずれにしても、この放送をきっかけに、日テレはニュースの特集枠と報道関係の幾つかの番組で、継続的に何本か放送を行い、テレビ朝日も1本だけだったが後に続く。
そして何よりも、高杉の取材と弁護団(と支援団体)による検証を収録して、裁判の中でも問題視され続けた警察の捜査が抱える著しい矛盾を、あらためて明らかにしたという点で、大いに意味と意義のある放送だった。
動画配信サービスの「Hulu」で、過去の放送分も含めて「NNNドキュメント」の視聴が可能になっているが、残念ながらこの回は含まれていない。もしかしたら、ビデオではなくフィルム収録で、再利用されて既に元の映像が無くなっているのかもしれないが、可能ならば今こそ再放送して欲しい番組である。
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◎高杉のインタビュー
<1>医師:山下英秋
※被害者橋本専務一家4名のうち専務夫人と長男2名のご遺体を検案
凶器とされたくり小刀(木工用の小型ナイフ)も、弁護団は捏造された証拠だと主張している。そもそも人を4人も刺殺することは不可能だとする弁護団と、間違いなく凶器だとする検察側が激しく対立した。
小刀のサイズと傷口の大きさが一致しないことや、次女の肋骨を切断して肺と心臓を貫通した上、背骨にまで達した致命傷を与えることの可否等々、ご遺体を検案した医師には確認したいことがヤマほどある。
次女の傷の深さに関する疑念について、「鍛え上げたプロボクサーだからやれた。確かに大人の男であっても、常人には難しい犯行だったかもしれない。そうであるからこそ、くり小刀は袴田の犯人性を裏付けしている」と、検察と警察は袴田さんの犯行だと強弁した。
ところが映像では、供述調書と遺体検案書の矛盾点を問うだけに止まっている。被害者となった一家4人の遺体に残された刺し傷の総数47ヶ所に対して、致命傷とされる深い傷が5ヶ所と少なく、残りの42ヶ所は、胸と腕を中心に軽く小突いたような浅く小さい傷ばかりだった。
「激しく抵抗する家族4人を、逆上した袴田が力尽くで滅多刺しにした」とする供述内容と、実際のご遺体の状況が著しく矛盾するのではないかと、その一点しか聞いていない。
時間も1分程度なので、会話の大半は編集でカットされたと思われるが、取材に応じた山下医師は、議論の主体となる次女の検案を行っておらず、高杉が期待していた言質を取ることがそもそも難しいと、事前に判断していたとも考えられる。
「(供述と傷の不整合について)少し異常だと思う。いかがお考えになりますか?」と問う高杉に対して、山下医師は微笑しながら「そう思いますね」と同意したが、すぐに「そういう気がする」と続けて曖昧にぼかす。
※写真上:凶器(?)のくり小刀(刃渡り12センチ/刃の根本部分の幅2.7センチ)
※写真下:犯行当日袴田さんが着ていた合羽のポケットから発見された(?)小刀の鞘(さや)
◎【袴田事件】再審公判2回目 弁護側「警察の証拠は不自然」 雨合羽の写真や凶器と傷口の深さなど
2023年11月10日/テレビ静岡ニュース
さらに高杉は、袴田さんの無傷の拳にも着目している。人を殺傷する為に作られたナイフではないから、小刀には「鍔(つば)」が付いていない。そして証拠写真を見れば一目瞭然だが、小刀のグリップ(柄)部分がむき出しになっている(握る手を保護する為の柄が無い)、
この状態で、4人の人間に47ヶ所の刺し傷を作り、そのうち1人に肋骨を切断して肺と心臓を貫き、背骨まで達する致命傷を負わせたら、犯人の拳や掌が無傷で済むなんてことが有り得るのか。
警察の捜査では、最初に殺害されたことになっている橋本専務(被害者一家の主)は、大柄な体躯の持ち主だったとのことで、供述では、元プロボクサーの袴田さんが思い切り殴ったことになっている。パンチで弱らせてから、くり小刀で殺害したというストーリーなのだが、あらためて述べるまでもなく、力一杯専務を殴りつけた袴田さんの両拳は、素手(ベアナックル)だったと考えるのが妥当だ。
ボクシング・ファンでもあった高杉は、「そんなことをすれば、袴田さんの拳も折れたりするんじゃないのか?」と考え、「救う会」の金平が会長を務める協栄ジムを訪れ、確認する場面が収録されている。
対応したのは、引退してトレーナーに転身していた古口哲(こぐち・さとし/アマ61連勝のトップ・エリート/プロでは大成できずに終わる)で、ボクサーならではの視点から以下の通り答えた。
「バンテージや包帯を巻いていれば(しっかり保護しているならまだしも)、怪我は防げるかもしれないが、ボクサーが素手で力一杯(人の顔や頭部を)殴ったら、間違いなく拳を骨折する。(折らないまでも)ヒビが入る」と、やはり無傷では済まない筈だと述べた。
がしかし、警察が凶器と断定したくり小刀を巡る最大の疑問は、小刀から袴田さんの指紋が発見されていないことだ。しかも、指紋はご遺体(衣服等)と殺害現場からも採取されなかった。一般的に考えられる状況を類推すると、袴田さんが指紋を隠す為に、手袋をして犯行に及んだということになる。
バンデージを巻いて厚手の手袋をすれば、拳の怪我は防止できるのではないかと、そうした推理も不可能ではないが、殺害現場に袴田さんの物と思しき遺留品は皆無で、その後の捜査でも、バンテージと手袋の類は見つかっていない。
無論、有罪を立証する決定打,フィニッシュ・ブローとなった「5点の衣類」にも含まれていなかった。「焼却したのでは?」と、これもまたごく自然な発想が脳裏に浮かぶが、ならば「5点の衣類」もさっさと燃やしている筈である。
味噌を出荷する時期になれば、どうしたってタンクは空になる。遅かれ早かれ発見されることが分かり切っているのに、わざわざタンクの中に決定的な証拠を隠したりするだろうか?。とにかく、限られた物証を巡る諸々は、辻褄の合わないことばかりなのだ。
「救う会」の発起人として、ボクシング界における初期の支援活動をリードした金平と郡司の姿もあるが、ボクシングを取材する側だった郡司と、メイン・イベンターとして袴田さんとともにフィリピンで戦った勝又行雄が、現役時代の袴田さんについて語り、「彼を知る者なら、誰もが無罪を信じているに違いない」と結んでいる。
※金平正紀(協栄ジム会長)と郡司信夫
※写真左:古口哲/写真右:勝又行雄
DNA鑑定が影も形もなかった昭和30~40年代、犯罪捜査における最大の物証だった指紋を発見できなかったことが、かつてない規模の証拠捏造へと特捜本部を暴走させた。そう考えるのは、むしろごく自然な流れではないだろうか。
くり小刀には、まだまだ言及すべきポイントがたくさんあるが、番組に合わせて一旦ここまで。
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<2>刃物店店主
※女性店主とインタビューを行う高杉
続いて高杉が訪れたのは、袴田さんがくり小刀を買ったとされる刃物店。事件当時、捜査員の聴取に協力した女性店主が、高杉の取材に直接応じている。
聞き込みにやって来た捜査員は、「あなたの店で小刀を買った犯人が書いた地図だ」と言いながら(明らかな誘導)、持参した手書きの地図を店主に見せた。そして、袴田さんを含む十数枚の顔写真を見せられ、袴田さんの顔に見覚えがあると答えている。
指紋という決定的な物証が無い(極めて重要)中、店主の証言は凶器の入手を裏づる決め手となり、有罪の立証に大きな比重を占めることになったが、法廷での証言はかなり曖昧なものだった。
◎検察官の尋問より
(1)店で袴田さんを見たのは捜査員が聞き込みに来た頃より2~3ヶ月前ぐらい(のような記憶)
※検察官が「3~4月頃という感じですか」とあらためて確認・同意
(2)販売の有無について「何か売ったような記憶はある」
(3)販売した商品がくり小刀だったかどうかについて「全然覚えていない」
◎弁護人の尋問より
(1)くり小刀を13本販売(※後述)しているが購入客の(顔の)記憶について「1本(1人)も記憶にない」
(2)くり小刀を捜査員が見せた顔写真の人物が買ったという明確な記憶が「あるわけではない」
(3)弁護側が用意した袴田さんの顔写真を見せても「(明確に小刀の購入客が袴田さんかどうかまでは)わからなかった」
(4)来店客の顔を逐一全部は「覚えていない(写真を見せられても確信を持った照合は難しい)」
(5)袴田さんの場合「(捜査員が持参した)写真を見たら偶然その顔に見覚えがあった」
※捜査員が持参した手書き地図
高杉の問いに対して、「(捜査員が見せた十数枚の顔写真の中に)見覚えのある来店客はいなかった」と店主は回答。1審当時の証言を自ら翻した。
高杉:「十数枚の写真の中に、お母さんが覚えている人物はおられましたか?」
店主:「いなかったです。」
高杉:「どの写真を見ても、まったく見覚えが無かった?」
店主:「見覚えは無かった・・・んですね・・・」
高杉:「見覚えはまったく無かったんですね?」
店主:無言で頷く
「重い口を開いた」とナレーションが入っているが、店主が思わず口ごもったのは、「見覚えが無かったんですね」と認めた時だけで、実際に話したうちのどのくらいがカットされたのかはわからないが、「いなかったです」と答えた場面も含めて、放送された他の会話はスムーズに喋っている。
店主が口ごもった瞬間、偽りの証言をしてしまったことに、ずっと後ろめたさを抱き続けていたことが垣間見えて、視聴しているこちらも辛くなってしまう。
「犯人が書いたんだから間違いなかろうと(捜査員が言った)。私も犯人がそう言うなら間違いないでしょうぐらいで。その時代はねえ・・・」
「今になれば、果たして犯人が書いたもんだか・・。地図は書こうと思えば警察だって書けますからねえ・・。」
「でも、今はそう思ってても、その時点では警察は絶対・・。(高杉が”正しい”と合いの手を入れ,間髪を入れず)正しいと思ってたから・・・。(高杉の相槌に頷きながら)思ってたからねえ、そう(疑いを差し挟む)感じてなかったですね・・。正しいと思ってたから・・。」
虚偽の証言は不可抗力だと、弁明半ばに話す女性店主を、高杉は気持ちのこもった優しい眼差しで見つめ直しながら、「思ってたんですね。なるほど。はい・・。」と、難しい立場を押して事実を述べた店主へのフォローを忘れなかった。
また、以下はインタビューではなくナレーションによる説明だが、捜査員が聞き込みに店を訪問したのは、事件が起きてからおよそ半月後の1966(昭和41)年7月中旬頃。袴田さんが逮捕されるのが8月18日だから、特捜本部による取調べが始まる1ヶ月前になる。
上述した法廷での(偽)証言(袴田さんが店に買いに来た時期=捜査員が来た時から2~3ヶ月前=3~4月頃:検察官尋問)とも一致しているが、取調べを受けて書いたとされる地図には、袴田さんの署名とともに「9月6日」の日付が付されており、時系列が明らかにおかしい。
※写真左:刃物店店主の証言記録
※写真右:手書き地図に記された袴田さんの署名と日付
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◎テレビカメラの前で偽証を告白(2014年)
袴田さんが釈放された2014年、SBSの取材を受けた(元)女性店主は、病床に臥せりながら「本当は見ていないんです」と、偽証したことを告白した。
さらに顔と名前を出したご子息の高橋国明氏は、法廷から帰宅した母が、「証言の仕方を教えて貰った」と話したことを鮮明に記憶していて、「(検察官による)誘導」の可能性を感じたと、重要な事実も明らかにしている。
◎原形のまま残っていることは極めて不自然」検証「袴田事件」(1)疑惑の証拠 9.26再審判決
2024年9月20日/SBSnews6
あらためて唖然としてしまうのは、うろ覚えに近い店主の曖昧な証言を、地裁が証拠認定してしまったことだ。この裁判で左陪席に着いた熊本典道(くまもと・のりみち)元裁判官以外のお二人は、何1つ疑問を感じなかったのだろうか。
これを警察による誘導と言わずして、何と表せばいいのか。手書き地図に記された日付と聞き込みした日付の相違(時系列の食い違い)は、はっきり捏造と言い切れる。1審の裁判長と右陪席は、警察と検察に寄り過ぎていて背筋に怖気が走る。
「Chapter 3」で概要を説明した通り、1950(昭和20~30)年代の静岡県は、「昭和の拷問王(冤罪王)」と呼ばれた県警本部のエース、紅林麻雄(くればやし・あさお)警部補が主導した冤罪事件が続発していた。
なおかつ1954(昭和29)年には、「戦後4大冤罪事件」の「島田事件(幼女誘拐殺人/静岡県島田市)」が発生して、「袴田事件」が起きた1966(昭和41)年当時、無実を訴える弁護団が繰り返し再審請求を行い、静岡県警に対するマスコミの論調は厳しく、辛らつな追求姿勢を取らざるを得ない。
番組のナレーションが言及している通り、指紋を検出できなかった為、自白と状況証拠に頼らざるを得ない弱みに、マスコミからのプレッシャーが特捜本部の焦りを加速させたとの推論には、率直に説得力を感じる。
「島田事件」の概要については、「Chapter 1」の後段をご覧いただけると有り難いが、これらの冤罪事件を引き起こした直接的かつ根源的な原因が、紅林警部補に象徴される警察の傲岸不遜極まる捜査手法と、それを追認するだけの検察にあるのは確かだ。
そして同時に、静岡地裁の酷さも目に余る。
※Chapter 6 へ
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◎女性店主のご子息による新たな証言
今年6月30日の支援者集会に、女性(元)店主のご子息が出席。問題のくり小刀について、新たな事実を証言した。
(1)店舗で取り扱っていたくり小刀は、刃渡り13.5センチ(135ミリ)1種類のみ。
(2)現場で発見された刃渡り12センチ(120ミリ)のくり小刀は、事件当時から一度も取り扱ったことがない。
1審に出廷した女性店主に対して、弁護人が行った尋問の中で、くり小刀を13本販売(期間=何時~何時まで=は不明)したとあるが、ご子息の証言通りなら、13本はすべて刃渡り13.5センチの商品だったことになる。
◎袴田事件で重大証言「その刃物は扱っていない」…凶器のくり小刀を販売したとされる店の元従業員 静岡・清水区
2024年6月30日/静岡朝日テレビニュース
※名前を出しているにも拘らず「元従業員」になっている理由と経緯は不明
昨(2023)年、元店主の母がお亡くなりになって、喪が明けるのを待っていたと考えるのが筋にはなるが、再審が結審した5月22日以降、丁度良い機会がこの日だったのだろう。
ただし、当事者の辛さや苦しみを直接知る由がない者としては、「もっと早く証言して欲しかった」との思いがどうしても残る。警察と検察、そして司法が犯した罪は本当に重大で、耳にタコではあるけれど、取り返しがつかないことへの哀切に心が痛む。
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◎「袴田事件」とボクシング界の主な動き - 波紋を呼んだドキュメンタリー
1992年2月3日、「袴田事件」に関する、初と言っていい本格的なTVドキュメンタリーが放送される。製作したのは日本テレビで、1970年から続く「NNNドキュメント」という番組で採り上げられた。
「プロボクサーは本当に四人を殺したのか ~袴田事件の謎を追う~」
メインとサブどちらのタイトルも、詩的な表現を排して、直截で分かり易い簡潔な言葉だけでまとめたのは、「袴田事件」は世間の関心事では無かった為だと推察するが、真夜中の放送(確か0時丁度だったと思う)だったことも、まったく無関係ではないのかもしれない。
高杉の丁寧な取材風景をメインに、郡司と金平も登場する。「救う会」が全面的に協力したと言うべきか、それとも高杉の方から企画を持ち込んだのか。いずれにしても、この放送をきっかけに、日テレはニュースの特集枠と報道関係の幾つかの番組で、継続的に何本か放送を行い、テレビ朝日も1本だけだったが後に続く。
そして何よりも、高杉の取材と弁護団(と支援団体)による検証を収録して、裁判の中でも問題視され続けた警察の捜査が抱える著しい矛盾を、あらためて明らかにしたという点で、大いに意味と意義のある放送だった。
動画配信サービスの「Hulu」で、過去の放送分も含めて「NNNドキュメント」の視聴が可能になっているが、残念ながらこの回は含まれていない。もしかしたら、ビデオではなくフィルム収録で、再利用されて既に元の映像が無くなっているのかもしれないが、可能ならば今こそ再放送して欲しい番組である。
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◎高杉のインタビュー
<1>医師:山下英秋
※被害者橋本専務一家4名のうち専務夫人と長男2名のご遺体を検案
凶器とされたくり小刀(木工用の小型ナイフ)も、弁護団は捏造された証拠だと主張している。そもそも人を4人も刺殺することは不可能だとする弁護団と、間違いなく凶器だとする検察側が激しく対立した。
小刀のサイズと傷口の大きさが一致しないことや、次女の肋骨を切断して肺と心臓を貫通した上、背骨にまで達した致命傷を与えることの可否等々、ご遺体を検案した医師には確認したいことがヤマほどある。
次女の傷の深さに関する疑念について、「鍛え上げたプロボクサーだからやれた。確かに大人の男であっても、常人には難しい犯行だったかもしれない。そうであるからこそ、くり小刀は袴田の犯人性を裏付けしている」と、検察と警察は袴田さんの犯行だと強弁した。
ところが映像では、供述調書と遺体検案書の矛盾点を問うだけに止まっている。被害者となった一家4人の遺体に残された刺し傷の総数47ヶ所に対して、致命傷とされる深い傷が5ヶ所と少なく、残りの42ヶ所は、胸と腕を中心に軽く小突いたような浅く小さい傷ばかりだった。
「激しく抵抗する家族4人を、逆上した袴田が力尽くで滅多刺しにした」とする供述内容と、実際のご遺体の状況が著しく矛盾するのではないかと、その一点しか聞いていない。
時間も1分程度なので、会話の大半は編集でカットされたと思われるが、取材に応じた山下医師は、議論の主体となる次女の検案を行っておらず、高杉が期待していた言質を取ることがそもそも難しいと、事前に判断していたとも考えられる。
「(供述と傷の不整合について)少し異常だと思う。いかがお考えになりますか?」と問う高杉に対して、山下医師は微笑しながら「そう思いますね」と同意したが、すぐに「そういう気がする」と続けて曖昧にぼかす。
※写真上:凶器(?)のくり小刀(刃渡り12センチ/刃の根本部分の幅2.7センチ)
※写真下:犯行当日袴田さんが着ていた合羽のポケットから発見された(?)小刀の鞘(さや)
◎【袴田事件】再審公判2回目 弁護側「警察の証拠は不自然」 雨合羽の写真や凶器と傷口の深さなど
2023年11月10日/テレビ静岡ニュース
さらに高杉は、袴田さんの無傷の拳にも着目している。人を殺傷する為に作られたナイフではないから、小刀には「鍔(つば)」が付いていない。そして証拠写真を見れば一目瞭然だが、小刀のグリップ(柄)部分がむき出しになっている(握る手を保護する為の柄が無い)、
この状態で、4人の人間に47ヶ所の刺し傷を作り、そのうち1人に肋骨を切断して肺と心臓を貫き、背骨まで達する致命傷を負わせたら、犯人の拳や掌が無傷で済むなんてことが有り得るのか。
警察の捜査では、最初に殺害されたことになっている橋本専務(被害者一家の主)は、大柄な体躯の持ち主だったとのことで、供述では、元プロボクサーの袴田さんが思い切り殴ったことになっている。パンチで弱らせてから、くり小刀で殺害したというストーリーなのだが、あらためて述べるまでもなく、力一杯専務を殴りつけた袴田さんの両拳は、素手(ベアナックル)だったと考えるのが妥当だ。
ボクシング・ファンでもあった高杉は、「そんなことをすれば、袴田さんの拳も折れたりするんじゃないのか?」と考え、「救う会」の金平が会長を務める協栄ジムを訪れ、確認する場面が収録されている。
対応したのは、引退してトレーナーに転身していた古口哲(こぐち・さとし/アマ61連勝のトップ・エリート/プロでは大成できずに終わる)で、ボクサーならではの視点から以下の通り答えた。
「バンテージや包帯を巻いていれば(しっかり保護しているならまだしも)、怪我は防げるかもしれないが、ボクサーが素手で力一杯(人の顔や頭部を)殴ったら、間違いなく拳を骨折する。(折らないまでも)ヒビが入る」と、やはり無傷では済まない筈だと述べた。
がしかし、警察が凶器と断定したくり小刀を巡る最大の疑問は、小刀から袴田さんの指紋が発見されていないことだ。しかも、指紋はご遺体(衣服等)と殺害現場からも採取されなかった。一般的に考えられる状況を類推すると、袴田さんが指紋を隠す為に、手袋をして犯行に及んだということになる。
バンデージを巻いて厚手の手袋をすれば、拳の怪我は防止できるのではないかと、そうした推理も不可能ではないが、殺害現場に袴田さんの物と思しき遺留品は皆無で、その後の捜査でも、バンテージと手袋の類は見つかっていない。
無論、有罪を立証する決定打,フィニッシュ・ブローとなった「5点の衣類」にも含まれていなかった。「焼却したのでは?」と、これもまたごく自然な発想が脳裏に浮かぶが、ならば「5点の衣類」もさっさと燃やしている筈である。
味噌を出荷する時期になれば、どうしたってタンクは空になる。遅かれ早かれ発見されることが分かり切っているのに、わざわざタンクの中に決定的な証拠を隠したりするだろうか?。とにかく、限られた物証を巡る諸々は、辻褄の合わないことばかりなのだ。
「救う会」の発起人として、ボクシング界における初期の支援活動をリードした金平と郡司の姿もあるが、ボクシングを取材する側だった郡司と、メイン・イベンターとして袴田さんとともにフィリピンで戦った勝又行雄が、現役時代の袴田さんについて語り、「彼を知る者なら、誰もが無罪を信じているに違いない」と結んでいる。
※金平正紀(協栄ジム会長)と郡司信夫
※写真左:古口哲/写真右:勝又行雄
DNA鑑定が影も形もなかった昭和30~40年代、犯罪捜査における最大の物証だった指紋を発見できなかったことが、かつてない規模の証拠捏造へと特捜本部を暴走させた。そう考えるのは、むしろごく自然な流れではないだろうか。
くり小刀には、まだまだ言及すべきポイントがたくさんあるが、番組に合わせて一旦ここまで。
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<2>刃物店店主
※女性店主とインタビューを行う高杉
続いて高杉が訪れたのは、袴田さんがくり小刀を買ったとされる刃物店。事件当時、捜査員の聴取に協力した女性店主が、高杉の取材に直接応じている。
聞き込みにやって来た捜査員は、「あなたの店で小刀を買った犯人が書いた地図だ」と言いながら(明らかな誘導)、持参した手書きの地図を店主に見せた。そして、袴田さんを含む十数枚の顔写真を見せられ、袴田さんの顔に見覚えがあると答えている。
指紋という決定的な物証が無い(極めて重要)中、店主の証言は凶器の入手を裏づる決め手となり、有罪の立証に大きな比重を占めることになったが、法廷での証言はかなり曖昧なものだった。
◎検察官の尋問より
(1)店で袴田さんを見たのは捜査員が聞き込みに来た頃より2~3ヶ月前ぐらい(のような記憶)
※検察官が「3~4月頃という感じですか」とあらためて確認・同意
(2)販売の有無について「何か売ったような記憶はある」
(3)販売した商品がくり小刀だったかどうかについて「全然覚えていない」
◎弁護人の尋問より
(1)くり小刀を13本販売(※後述)しているが購入客の(顔の)記憶について「1本(1人)も記憶にない」
(2)くり小刀を捜査員が見せた顔写真の人物が買ったという明確な記憶が「あるわけではない」
(3)弁護側が用意した袴田さんの顔写真を見せても「(明確に小刀の購入客が袴田さんかどうかまでは)わからなかった」
(4)来店客の顔を逐一全部は「覚えていない(写真を見せられても確信を持った照合は難しい)」
(5)袴田さんの場合「(捜査員が持参した)写真を見たら偶然その顔に見覚えがあった」
※捜査員が持参した手書き地図
高杉の問いに対して、「(捜査員が見せた十数枚の顔写真の中に)見覚えのある来店客はいなかった」と店主は回答。1審当時の証言を自ら翻した。
高杉:「十数枚の写真の中に、お母さんが覚えている人物はおられましたか?」
店主:「いなかったです。」
高杉:「どの写真を見ても、まったく見覚えが無かった?」
店主:「見覚えは無かった・・・んですね・・・」
高杉:「見覚えはまったく無かったんですね?」
店主:無言で頷く
「重い口を開いた」とナレーションが入っているが、店主が思わず口ごもったのは、「見覚えが無かったんですね」と認めた時だけで、実際に話したうちのどのくらいがカットされたのかはわからないが、「いなかったです」と答えた場面も含めて、放送された他の会話はスムーズに喋っている。
店主が口ごもった瞬間、偽りの証言をしてしまったことに、ずっと後ろめたさを抱き続けていたことが垣間見えて、視聴しているこちらも辛くなってしまう。
「犯人が書いたんだから間違いなかろうと(捜査員が言った)。私も犯人がそう言うなら間違いないでしょうぐらいで。その時代はねえ・・・」
「今になれば、果たして犯人が書いたもんだか・・。地図は書こうと思えば警察だって書けますからねえ・・。」
「でも、今はそう思ってても、その時点では警察は絶対・・。(高杉が”正しい”と合いの手を入れ,間髪を入れず)正しいと思ってたから・・・。(高杉の相槌に頷きながら)思ってたからねえ、そう(疑いを差し挟む)感じてなかったですね・・。正しいと思ってたから・・。」
虚偽の証言は不可抗力だと、弁明半ばに話す女性店主を、高杉は気持ちのこもった優しい眼差しで見つめ直しながら、「思ってたんですね。なるほど。はい・・。」と、難しい立場を押して事実を述べた店主へのフォローを忘れなかった。
また、以下はインタビューではなくナレーションによる説明だが、捜査員が聞き込みに店を訪問したのは、事件が起きてからおよそ半月後の1966(昭和41)年7月中旬頃。袴田さんが逮捕されるのが8月18日だから、特捜本部による取調べが始まる1ヶ月前になる。
上述した法廷での(偽)証言(袴田さんが店に買いに来た時期=捜査員が来た時から2~3ヶ月前=3~4月頃:検察官尋問)とも一致しているが、取調べを受けて書いたとされる地図には、袴田さんの署名とともに「9月6日」の日付が付されており、時系列が明らかにおかしい。
※写真左:刃物店店主の証言記録
※写真右:手書き地図に記された袴田さんの署名と日付
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◎テレビカメラの前で偽証を告白(2014年)
袴田さんが釈放された2014年、SBSの取材を受けた(元)女性店主は、病床に臥せりながら「本当は見ていないんです」と、偽証したことを告白した。
さらに顔と名前を出したご子息の高橋国明氏は、法廷から帰宅した母が、「証言の仕方を教えて貰った」と話したことを鮮明に記憶していて、「(検察官による)誘導」の可能性を感じたと、重要な事実も明らかにしている。
◎原形のまま残っていることは極めて不自然」検証「袴田事件」(1)疑惑の証拠 9.26再審判決
2024年9月20日/SBSnews6
あらためて唖然としてしまうのは、うろ覚えに近い店主の曖昧な証言を、地裁が証拠認定してしまったことだ。この裁判で左陪席に着いた熊本典道(くまもと・のりみち)元裁判官以外のお二人は、何1つ疑問を感じなかったのだろうか。
これを警察による誘導と言わずして、何と表せばいいのか。手書き地図に記された日付と聞き込みした日付の相違(時系列の食い違い)は、はっきり捏造と言い切れる。1審の裁判長と右陪席は、警察と検察に寄り過ぎていて背筋に怖気が走る。
「Chapter 3」で概要を説明した通り、1950(昭和20~30)年代の静岡県は、「昭和の拷問王(冤罪王)」と呼ばれた県警本部のエース、紅林麻雄(くればやし・あさお)警部補が主導した冤罪事件が続発していた。
なおかつ1954(昭和29)年には、「戦後4大冤罪事件」の「島田事件(幼女誘拐殺人/静岡県島田市)」が発生して、「袴田事件」が起きた1966(昭和41)年当時、無実を訴える弁護団が繰り返し再審請求を行い、静岡県警に対するマスコミの論調は厳しく、辛らつな追求姿勢を取らざるを得ない。
番組のナレーションが言及している通り、指紋を検出できなかった為、自白と状況証拠に頼らざるを得ない弱みに、マスコミからのプレッシャーが特捜本部の焦りを加速させたとの推論には、率直に説得力を感じる。
「島田事件」の概要については、「Chapter 1」の後段をご覧いただけると有り難いが、これらの冤罪事件を引き起こした直接的かつ根源的な原因が、紅林警部補に象徴される警察の傲岸不遜極まる捜査手法と、それを追認するだけの検察にあるのは確かだ。
そして同時に、静岡地裁の酷さも目に余る。
※Chapter 6 へ
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◎女性店主のご子息による新たな証言
今年6月30日の支援者集会に、女性(元)店主のご子息が出席。問題のくり小刀について、新たな事実を証言した。
(1)店舗で取り扱っていたくり小刀は、刃渡り13.5センチ(135ミリ)1種類のみ。
(2)現場で発見された刃渡り12センチ(120ミリ)のくり小刀は、事件当時から一度も取り扱ったことがない。
1審に出廷した女性店主に対して、弁護人が行った尋問の中で、くり小刀を13本販売(期間=何時~何時まで=は不明)したとあるが、ご子息の証言通りなら、13本はすべて刃渡り13.5センチの商品だったことになる。
◎袴田事件で重大証言「その刃物は扱っていない」…凶器のくり小刀を販売したとされる店の元従業員 静岡・清水区
2024年6月30日/静岡朝日テレビニュース
※名前を出しているにも拘らず「元従業員」になっている理由と経緯は不明
昨(2023)年、元店主の母がお亡くなりになって、喪が明けるのを待っていたと考えるのが筋にはなるが、再審が結審した5月22日以降、丁度良い機会がこの日だったのだろう。
ただし、当事者の辛さや苦しみを直接知る由がない者としては、「もっと早く証言して欲しかった」との思いがどうしても残る。警察と検察、そして司法が犯した罪は本当に重大で、耳にタコではあるけれど、取り返しがつかないことへの哀切に心が痛む。