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■2024年12月24日⇒2025年1月24日/有明アリーナ/4団体統一世界S・バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) vs IBF・WBO1位 サム・グッドマン(豪)

左瞼のカットを示すアップ写真

■詐病の疑い?

グッドマンのカットは明らかに不可抗力で、世界中のあらゆるボクサーに共通するアクシデント、ボクサーなら何時どこの誰にでも起こり得る事象であり、必要以上に責任を追及されたり、非難の滅多打ちで責められるような類の話ではない。

しかしそうした一方で、「やれたんじゃないのか?」と噛み付きたくなる人たちの気持ちもわからなくはない。前章で述べた通り、東京ドームでの一件を経ての契約締結だったことが、悪い方向に影響もしている。

無論、興行面での損失はデカい。そこに議論の余地はなく、こちらも南半球のアルゼンチンから来日したS・フライ級のWBA王者がインフルエンザに罹患してしまい、大晦日興行のメインが吹っ飛ぶ第2弾が重なり、「プロ失格。ノンタイトルや前座の違いに関係なく、本来あってはならない事態。しかも興行の成否を握る世界戦で、そもそもトレーニングとコンディションの管理がなっていない。延期や中止を簡単に言い出し過ぎる」と、海外のマネージメントに対して苦言を呈する会長さんたちもいらっしゃるようだ。

「現実問題として、モンスターの代わりが務まる選手はいない。X'masイブの興行をすべて取り止めたのは当然と見るのが筋ではあるが、(帝拳とタメを張る国内最大手に成長した)大橋会長だからできたこと。」

井岡一翔の志成ジムとABEMAは、止む無くセミの堤駿斗(WBA S・フェザー級挑戦者決定戦)をメインに繰り上げ。そのまま興行を打ったが、それでもチケットの払い戻しに応じなくてはならない。オオトリのメイン消滅は、まさに取り返しがつかない最悪のトラブルなのだ。

「(運転資金に余裕が無く)実際は払い戻しに応じられず、関係者への謝罪はともかく、スポンサーの再設定も目処が立たず、イベントを強行するしかないジムの方が圧倒的に多い。」


そうした指摘には、「確かに仰るとおり」と申し上げるしかないけれど、試合を強行すれば、モンスターが狙う狙わないに関わらず、被弾やバッティングによる再発(それも早い時間帯)を前提にした対策の練り直しが不可避となる。

あっという間に傷が開き、同じ箇所を集中的に攻め込まれずとも、さらなる着弾で見る見る傷口の深さと拡さが増して、止血が追いつかず早々にドクターストップ・・・誰でも容易に想像がつく。パンチによるカットで続行不能になれば、負傷判定の適用は無い。即座にTKO負け。

癒えない左瞼が再び裂ける不安を抱えたまま、「モンスターと対峙しろ」と命令できるプロモーターやマネージャーが居るとしたら、それは日本国内のジム,会長さんたちに限られる。

また、「トレーナーが世界戦のドタキャンを言ってくるって、有り得ないだろそんなの・・・」との声も漏れ聞こえて来る。「プロモーターが直接頭を下げて、侘びを入れるのが当然」という意味だと解するが、流行中のインフルエンザで高熱を出した遠来のS・フライ級王者とその陣営を指すのであれば、的を外した筋違いの話だと思う。


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◎制度と仕組みの内外格差・・・世界に例を見ない日本独自のクラブ制度

日本国内のプロボクシングは、JPBA(日本プロボクシング協会)に加盟するジムを通じて、選手,トレーナー,マネージャーのプロ・ライセンスを、JBC(日本プロボクシング・コミッション)に対して申請・更新する。すなわち、協会加盟ジムに入門・所属しないと、そもそもプロになることができない。

そしてこれが一番大きな特徴なのだが、ジムの会長がプロモーターを兼ねる。規定では「クラブオーナー・ライセンス」と呼ばれる資格をJBCから認可されるが、同時に「プロモーター・ライセンス」も取得して興行を主催する。

ライセンスの更新は1年1回と決まっており、ジムが取りまとめて行う。この更新が手続きされないと、ライセンスの返上とみなされ引退扱いとなる。ジムと選手,トレーナー,マネージャーの契約期間は3年で、双方もしくはいずれかから異議が出ない限り、こちらは自動更新が基本。

通常マッチメイクはマネージャーが交渉役となって担当するが、完全に分業化されているジムとそうでないジムとが混在しており、構成比が高い小規模のジムは会長がマネージャーとトレーナーも兼ねるのが一般的。規模の大きなジムで分業化されている場合でも、決定権はあくまで会長にある。

すなわち、日本国内では一度プロになると、ジムの会長が支配下選手の生殺与奪の権限を一手に掌握する。選手やトレーナーは別のジムへの移籍は勿論、引退するにも会長の承諾が必須となる。


とりわけ目立ったのが移籍を巡るトラブルで、所属ジムから支払い不能な高額な移籍金を要求されたり、移籍は認められず試合も組まれず飼い殺しにされるなど、悪しき慣習として絶えず繰り返されてきた。

中村信一会長との関係悪化により、正式決定した世界挑戦を目前に引退会見を強行した矢尾板貞男(昭和のフライ級を代表する名選手/白井義男の後継者と目された)のように、所属ジムからの離反は引退・廃業とイコール。それが昭和のボクシング界における鉄の掟、岩盤のごとき不文律だった。

矢尾板貞男 引退会見
※引退会見を行う矢尾板(1962年6月/左が中村会長)

現役世界王者のジム移籍(国内史上初)として大きな話題になった長谷川穂積の場合、所属していた千里馬ジムの千里馬啓徳会長が、2007年9月18日に開いた会見で「移籍金は発生しない」と説明。長谷川は同席していない。

その後、10月4日に移籍先となる真正ジムを開設した山下会長兼トレーナーとともに会見に臨んだ長谷川は、「真正ジムから千里馬ジムに払う移籍金は無いが、”自由交渉金”と言う名目で、(9月18日に長谷川個人が)支払った」と苦しい説明を行い、実際には譲渡金が必要だったことを自ら認めている。
※具体的な金額は伏せられたが、後に「千万単位」だったことが判明。

◎10月4日の移籍会見



2019年6月、それぞれの競技を統括する組織・団体が独自に定める「移籍制限ルール」について、公正取引委員会が独占禁止法抵触に関わる警告(注意喚起)を行ったことがきっかけとなり、ボクシング界も是正に動かざるを得なくなる。

同年10月1日付けで、3年間のマネージメント契約満了時の移籍の自由を認めるルール改訂をJBCが公表。ジム(会長)の許可・承諾が不要となり、長年の懸案だった移籍金無しでの移動が可能となった。

しかし、ギャランティの現物支給(チケット払い)にはメスが入り切っていない。多めにチケットを配分して、規定の報酬を超えた額については、33%のマネージメントフィーを引かずに全額選手に渡すジムもあるが、苦労して手売りした代金を全額ジムに入れさせ、33%きっちり引いて支払う上納制度には手が着けられていない。


一方の海外だが、国と地域による違いや濃淡が様々あるのは当然にしても、プロモーターとマネージャーの分業が原則。興行師は選手を直接マネージメントできない、してはいけないという考え方に立つ。

最も分かり易く比較し易い具体例として、王国アメリカの例を引く。ご存知の通り、スポーツ競技を統括する各国の組織・団体は、プロであれアマであれ「1国・1統括機関」の原理原則で成り立っている。

国ごとの統括機関が複数存在して、国際的な統括機関に加盟登録が許されてしまった場合、例えばアマチュアの国際大会に代表選手を派遣する際、その複数ある組織間で選考競技会を開催して、国内代表をスムーズに決められる状況ならまだいいが、大概は近親憎悪をぶつけ合い、加盟選手同士の交流を全面禁止にするなど、収拾がつかない混乱した状況が容易に想像できてしまう。

二分した国内の組織(プロと社会人)を一本化することができず、国際統括機関から資格停止処分を受け、代表チームが国際大会から排除されたまま、迫り来るリオ五輪予選の開始を目前に、大慌てでサッカーの川淵三郎キャプテンを担ぎ出し、分裂した協会の統合を依頼せざるを得なくなった、男子バスケットボールのお粗末極まる顛末をご記憶の方も多いと思う。


※左から:河内敏光Bリーグ(B.LEAGUE:日本プロバスケットボールリーグ/旧称:bjリーグ)コミッショナー,川淵三郎JBA(日本バスケットボール協会)会長,堀井幹也NBL(バスケットボール日本リーグ/旧称:JBL)副理事長/2015年7月当時


ボクシングもまったく同じで、プロもアマも「1国・1コミッション」が必須条件として求められる。ところが、世界最大のマーケットを誇る王国アメリカだけは、プロボクシングの合法化を定めた「ウォーカー法(Walker Law:ニューヨーク州法)」の制定に伴い、1920年にニューヨーク州アスレチック・コミッションが正式にスタートして以来、「1州・1コミッション」を押し通し続け、揺ぎ無い既得権として定着(アマは全米を統括する組織が存在)。

この根本的な違いをご理解いただいた上で、概略以下のような制度・仕組みを整備し、永らく運用されてきた。

<1>各州コミッション:州政府の役人によって構成され、一般的にコミッショナーは法律家に委嘱されることが多い(かつては引退した地元出身の元世界王者や著名な元スター選手が名誉職として就任するケースも見受けられた)。選考基準と任期は州ごとの規定による。

<2>選手,トレーナー,プロモーター,マネージャー,マッチメイカー等は、すべて個別に個人として、活動拠点の州コミッションに申請してプロライセンスの認可を受ける。

<3>プロモーターに対する審査は厳しく、会社の財務状況(預金残高の確認を含む)や犯罪組織とのつながりの有無等々、非常に細かいチェックを受ける。

<4>選手のライセンス認可は、ドラッグテスト(血液検査有り)を含むメディカル・チェックのパスが絶対条件。ルールと基本的な知識・適性を確認する為の筆記試験や、スパーリングで競技レベルを見る実技試験を実施しているのは、おそらく日本(と以前の韓国:今現在の状況は未確認)だけと思われる。

<5>ライセンスの更新時期:州ごとの規定による。

こうした基本的な組織形態に加えて、1999年~2000年にかけて制定された「モハメッド・アリ法」によって、プロモーターとマネージャーの兼業禁止が法律として明文化された。

ただし、各州コミッション(もしくはプロの格闘競技を統括する部門)による興行の許認可について、州が独自に行う判断の余地は残されていて、州内の人口の少ない群や市町村で行われる小規模の興行の中には、マネージャーのプロモートによる興行が散見される。


ライセンスの許認可はあくまで個人・事業者単位なので、例えばフレディ・ローチのような著名なトレーナーが、トップランク傘下のマニー・パッキャオと、ゴールデン・ボーイ・プロモーションズと契約したアミル・カーン(フランク・ウォーレンとの関係を清算)を、同時に指導・サポートすることが可能となる。

左から:パッキャオ,フレディ・ローチ,アミル・カーン
※左から:ワイルドカードジムで取材を受けるパッキャオ,フレディ・ローチ,アミル・カーン(2010年頃)

「情報が漏れるんじゃないの?」と心配する方がおられるかもしれないが、指導者としての力量と実績だけでなく、プロフェッショナルとしての信頼・信用も含めた評価を常に受け続けて、それに耐え得る者だけがトップレベルの地位と収入を確立できる。

英国のマッチルームとトニー・シムズや、ドイツのウニヴェルズムとミヒャエル・ティム、ザウアーラントとユーリ・ヴェーグナーのように、地位と評価を確立した著名なトレーナーと専属契約を結び、ヘッドとして招いて、傘下の看板選手や期待値の高い新人アマ・エリートの育成を託すケースもあるが、海外のトレーナーは独立独歩が原則。

そして同一プロモーターの支配下選手同士の対戦は問題ないが、同じマネージャーと契約する選手同士の対戦は、八百長等の不正行為防止の観点から認められない。


インフルエンザにかかってしまったWBA S・フライ級王者の場合、昨年7月7日に行われた第1戦(WBA・IBF2団体統一戦)時には、プロモーターのマルコス・マイダナ(元ウェルター,S・ライト2階級制覇王者)がチームに随行していた。

しかし今回は姿を見せておらず、チームの代表として矢面に立つのは、アマチュア時代からの長い師弟関係にあり、マネージャーを兼務するロドリゴ・カラブレーセ(カラブレッセ)にならざるを得ない。

発熱から医師の診断を経て試合中止に至る間、カラブレーセはあくまでチームを率いるマネージャーとしてその責任を果たしたのであって、「トレーナーが連絡してきた」訳ではない。

team_martinez
※左から:ロドリゴ・カラブレーセ(マネージャー兼トレーナー)/マルティネス/マルコス・マイダナ(プロモーター/元2階級制覇王者)

マイダナが来日しなかったのは、単純に年末年始の休暇を優先しただけと推察する。第1戦の試合内容から、「簡単には行かないだろうが、負ける心配まで要らない」との手応えと確信を得ていたのも確かだとは思うが。


ちなみに、引退した元プロボクサーが雇われのトレーナーとなり、将来性に恵まれた10代の才能に巡り合い、手塩にかけて一流のプロへと育て上げ、マネージャーとマッチメイカーを兼ねて海千山千のプロモーターたちと渡り合いながら、運よくチャンピオンにまで辿りつく。

ともに大きな金額を稼いで経済的にも成功すると、トレーナーは自分のジムを開いて一国一城の主となる。やがて多くの一流選手からサポートを依頼されるようになり、大物プロモーターからの信任も得て一家を成し、抱えるアシスタントを次々と独立させ、ボクサーだけでなく、指導者の育成供給にも大きな役割を担う。

己の拳と勇気を頼りにプロの世界に飛び込み、無名から有名へとのし上がる典型的なサクセス・ストーリーの1つだが、これは近代ボクシングが芽吹いた19世紀末から今日に至るまで、国や地域,時代の別を問わないデファクト・スタンダードである。


マネージャーを兼務する海外のトレーナーが同種のアクシデントに見舞われた場合、例外なく(カラブレーセに限らず)、同様の対応を取ると言うか、マネージメントの責任者としてそうせざるを得ない。

現場の差配を浜田剛史代表に任せて、必要な時以外ジムに顔を出さない帝拳の本田会長は、国内では数少ない「欧米型のプロモーター」と言うこともできなくはないが、多くの会長(プロモーターを兼ねる)は、外出が必要な時以外はジムに居る。

すなわち、欧米の一定規模以上の興行会社を経営するプロモーターは、傘下の選手個々人と常時一緒に居ることがそもそもできない。選手の管理を直接行うのはマネージャーで、トレーナーを兼ねているケースが通常運転。

看板選手のグッドマンをハンドルするノー・リミット・ボクシング(No Limit Boxing)のプロモーター,ジョージ・ローズは、発展途上で所帯が小さいから、常に行動をともにすることができる。

チーム・グッドマン
※左から:ジョエル・キーガン(ヘッド・トレーナー),グッドマン,ジョージ・ローズ(プロモーター)

トレーナーのキーガンとは別に、ピーター・ミトレフスキーというマネージャーもいるが、今回のトラブルを連絡してきたのは、十中八九プロモーターのローズで間違いないと思う。


※Part 3 へ


◎井上(31歳)
戦績:28戦全勝(25KO)
WBA(V2)・WBC(V3)・IBF(V2)・WBO(V3)4団体統一王者
前4団体=WBA(V7)・IBF(V6)・WBC(V1)・WBO(V0)統一バンタム級王者.元WBO J・バンタム級(V7),元WBC L・フライ級(V1)王者
元OPBF(V0),元日本L・フライ級(V0)王者
世界戦通算:23戦全勝(21KO)
アマ通算:81戦75勝(48KO・RSC) 6敗
2012年アジア選手権(アスタナ/ロンドン五輪予選)銀メダル
2011年全日本選手権優勝
2011年世界選手権(バクー)3回戦敗退
2011年インドネシア大統領杯金メダル
2010年全日本選手権準優勝
2010年世界ユース選手権(バクー)ベスト16
2010年アジアユース選手権(テヘラン)銅メダル
身長:164.5センチ,リーチ:171センチ
※ドネア第1戦の予備検診データ
右ボクサーパンチャー(スイッチヒッター)


◎グッドマン(26歳)
世界ランク:IBF・WBO1位/WBA・WBC6位
戦績:19戦全勝(8KO)
アマ戦績:約100戦(詳細不明)
2016年ユース世界選手権(サンクトペテルスブルグ/ロシア)銅メダル(バンタム級/56キロ)
※ベスト8で柔道や総合格闘技で活躍するラマザン・アブドゥラエフ(ロシア/タジキスタン)対戦して5-0のポイント勝ち。準決勝でカザフスタンのサマタリ・トルタイェフに0-5でポイント負け
※トルタイェフを破って優勝したのが、今月7日にプエルトリコでまさかのプロ初黒星を喫したS・フェザー級のプロスペクト,マーク・カストロ(25歳/13勝8KO1敗)。キャリア最重量(137.25ポンド:S・ライト級)のウェイトが災いしたか。
2017年オセアニア選手権(ゴールドコースト/豪州)金メダル(バンタム級/56キロ)
2014年国内選手権(ジュニア):準優勝(フライ級/52キロ)
2013年国内選手権(ジュニア):準優勝(L・フライ級/48キロ)
身長,リーチ:169センチ
右ボクサーファイター