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■リング誌が身売り/ゴールデン・ボーイによる時世は17年で幕

リング誌オフィシャルサイトトップページのスクリーンショット:2024年11月10日現在工事中

ちょうど3日前のことだった。P4Pランキングを確認しようと思い、ブックマークからリンクを開くと「404エラー(Page Not Found)」になる。キャッシュの強制クリアをやり、何度かやり直したが駄目で、トップページにアクセスすると上のページが・・・。

気が付いたのが7日だったというだけで、何時工事中になったのかはわからない。すぐに公式Xを確認すると、「New Era Coming Soon(新時代の幕開け・近日公開)」の文字が目に飛び込んできた。

◎リング誌公式X
https://x.com/ringmagazine


11月7日付けで、「Today marks a new era for the Ring Magazine. Stay tuned!(本日より、リング誌は新しい時代を迎える。乞うご期待!)」と書かれた短いポストもあり、さらにその下には、まったく同じ内容のポストが続く。

何と、リヤド・シーズンを牽引するトゥルキ・アルシャイフ長官(サウジ政府エンテーテイメント庁)の公式Xではないか。



「えっ!? サウジの国家プロジェクトに身売り・・・?」

流石に驚いた。英語版のWikiは(10日現在)更新されておらず、Boxrecのリング誌に関する記事にも加筆・変更は無し。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ring_(magazine)
https://boxrec.com/wiki/index.php/The_Ring_Magazine

早速ググってみると、以下に挙げる記事が見つかる。

<1>Brunch Boxing
Brunch Boxing Exclusive: Oscar De La Hoya Sells The Ring To Turki Alalshikh
2024年11月6日/マシュー・ブラウン(Matthew Brown)
https://www.brunchboxing.com/post/brunch-boxing-exclusive-oscar-de-la-hoya-sells-the-ring-to-turki-alalshikh

<2>THE BOXING TRIBUNE
2024年11月6日/ポール・マグノ(Paul Magno)
https://theboxingtribune.com/ring-magazine-is-sold-to-saudi-arabia-why-this-happened-and-why-it-matters/

<3>BOXING NEWS 24/7
Turki Alalshikh Buys Ring Magazine
2024年11月7日/ジェームズ・スレーター(James Slater)
https://www.boxing247.com/boxing-news/turki-alalshikh-buys-ring-magazine/283759
Turki Alalshikh Buys Ring Magazine

<4>Bad Left Hook
Turki Alalshikh reportedly purchases Ring Magazine
2024年11月7日/パトリック・スタムバーグ(Patrick Stumberg)
https://www.badlefthook.com/2024/11/7/24290348/turki-alalshikh-reportedly-purchases-ring-magazine-boxing-news-2024


やはりと言うべきか、悲観(否定)的な論調が目に付く。

ボクシング興行を手掛ける「Pro Box TV」が「Boxing Scene」を買収した時(今年2月)も、「ボクシング・ジャーナリズムの危機」を煽る記事が散見されたが、それほど大きなハレーションは起きていない。

リング誌とは歴史と権威がまるで違うし、「Pro Box TV」はフロリダにオフィスがあり、経営者のゲイリー・ジョーンズもアメリカ人だ。

しかし、王国アメリカが誇るリング誌は、「Bible of Boxing」を自他共に認める老舗の専門誌(2022年12月以降:印刷媒体の発刊終了/オンライン販売のみ)で、アメリカのボクシング・ファンに取って、ランキング(階級別)と言えば、何は無くともまずはリング誌。

”ミスター・ボクシング”と呼ばれた創始者ナット・フライシャーが言い出しっぺのパウンド・フォー・パウンド・ランキングは勿論、ファイター・オブ・ジ・イヤー等の年間表彰に至るまで、在米ファンと関係者がリング誌に寄せる信頼は深く厚い。

もはやランキング(世界タイトルへの挑戦資格=優先順込みの実力評価)の体を為さない、主要4団体の目に余る堕落ぶりが、リング誌ランキングの重要性と権威にさらなる箔を与え続けてきた。

そのリング誌が、中東サウジのオイル・マネーに買われてしまったのである。


かつてバブル華やかなりし80年代末、「ジャパン・バッシング」なる造語が世の中を席巻した。インフレによる景気の後退に苦しみ、徐々に追い詰められて行く70年代を経たアメリカの国家と人々は、高度経済成長を背景に世界第2位の経済大国にのし上り、巨額の対米貿易黒字を上げ続ける日本を心の底から憎み始めたかに見えた。

ホワイトハウスの真ん前で、トヨタの車や東芝,ソニーのテレビとラジカセをハンマーで叩き壊す映像と写真が世界中に喧伝され、三菱地所によるロックフェラー・センターの買収(1989年10月)に続き、コロンビア・ピクチャーズがソニーに吸収(1989年11月)されると、アメリカの怒りは頂点に達し、日章旗を燃やす過激なパフォーマンスもまかり通った。

この間、東芝機械の「ココム違反(1987年:ソ連技術機械輸入公団との取引を問題視された)」摘発、「スーパー301条の可決(1988年:日本に対する輸入関税の大幅引き上げ)」等が行われ、環境ロビイストの反捕鯨キャンペーンが一気に激化したのも、確かこの頃だった筈。

日本との貿易摩擦を太平洋戦争になぞらえる経済学者と評論家が現れ、軋轢の対象は車と家電だけで済む筈がなく、当然のように農産物に拡大(アメリカは世界最大規模の農業大国でもある)。当時の反日キャンペーンの凄まじさは、中・韓も真っ青になる勢いだった。

Boxing Insiders
左から:リッチ・マロッタ(著名なキャスター),デラ・ホーヤ,トゥルキ・アルシャイフ,”石の拳”ロベルト・デュラン,エディ・ハーン

オイルマネーへの依存が日々増すばかりの在米ボクシング関係者(とりわけプロモーター)に、サウジと事を構える余裕は無い。「ボクシング版サウジ・バッシング」が巻き起こる恐れは皆無で、大概の要求は呑まざるを得なくなる。

けれども、大切な仕事の幾つかを失うであろう記者と筋金入りのファンは、今後もリング誌が発表を続ける月例ランキングとP4Pランキングを目を皿のようにして凝視し、「ここがおかしい、あそこもおかしい」と突つき出すのではないか。

年間表彰も含めたボード・メンバーの変動、プレビュー&レビューを始めとする記事の書き手や内容にも、容赦のない厳しいチェックが入るに違いない。

リヤド・シーズン(サウジアラビア政府総合エンターテイメント庁)にリング誌の経営権を売り渡したオスカー・デラ・ホーヤは、目の中に入れても痛くない掌中の珠,ヴァージル・オルティズを、凋落傾向が見え始めたテレンス・クロフォードに一刻も早くぶつけたい。オルティズにクロフォードを食わせて、P4Pファイターとしての地位を奪う。その一心が丸見えである。


◎His Excellency Turki Alalshikh On Canelo Position, Crawford vs. Ortiz & More
2024/年8月15日/DAZN Boxing


◎TURKI ALALSHIKH MEETS VERGIL ORTIZ
2024/年8月11日/クリスティーナ・ラミレス(Kristyna Ramirez)


デラ・ホーヤが2007年にリング誌を買い取った時も、年季の入った記者とファンの反発は激しかった。積極果敢な引き抜き工作を展開して、ゴールデン・ボーイ・プロモーションズは急拡大の真っ最中。50名を超えるチャンピオン&ランカー・クラスを従えて、3~4年の短期間で全米最大規模のプロモーションに成長。

リング誌のランキングが、GBPの支配下選手に有利に操作されるのではないか。GBPに忖度した恣意的な記事が増えるに決まっている等々、門外漢の日本の一ファンから見れば、被害妄想か八つ当たりに感じられるほどだった。

「MMAにおけるUFCを目指す。」

寡占化への野心を隠さないデラ・ホーヤは、前人未到の6階級制覇達成に労を尽くしたボブ・アラムを筆頭に、全米各地のプロモーターとも対立。パッキャオとドネアに仕掛けた引き抜き工作をきっかけに、GBPとトップランクは訴訟合戦を繰り返し、両者の関係は「冷戦」と呼ばれるほど悪化した。

そして自身の現役時代を振り返りつつ、統一王座の防衛戦で主要4団体に支払う承認料に頭を悩ませ、コスト削減にまい進するデラ・ホーヤ。

2002年に編集長に復帰したナイジェル・コリンズ(2度目)が、主要4団体の乱脈なチャンピオンシップの運用にモノを申す格好で復活させたリング誌認定王座を、主要4団体の上位に位置づける目論見を手厳しく批判された事もあり、「リング誌の編集方針にはけっして介入しない」と声明を出さざるを得なくなる。

GBPによる買収を契機にコリンズは自ら職を辞して、考えを一にする仲間たちと、新たなランキング・ボード「TBRB(Transnational Boxing Rankings Board)」を立ち上げた。

やはり興行を手掛ける側は、メディアとの距離について常にセンシティブでなければならない。報道された内容と事実に齟齬があり、止むを得ず影響力を行使せざるを得ない場合でも、余程のことがない限り、慎重かつ抑制的であるべきだと思う。

在米ファンと関係者のこうしたハレーションには理由がある。思い出したくもない悪い記憶、悪夢と言い換えてもいい。1977年に勃発した、大規模なボクシング・トーナメントに関わる不正の発覚だった。


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◎1977年の一大スキャンダル(Ring Magazine Scandal)

創始者ナット・フライシャーが1972年に亡くなった後、経営を引き継いだ娘婿ナット・ルーべの下で、リング誌は赤字を垂れ流し続けた。建て直しを焦ったルーべは、ドン・キングの姦計にまんまと絡め取られてしまう。

ABCのバックアップを取り付けたキングが、1977年に実施したトーナメント(United States Boxing Championships Series:全米ボクシング選手権シリーズ)において、八百長を含む様々な疑惑が指摘・追求され、記者たちの懸命な取材の過程で、リング誌による一部参加選手の戦績捏造と、同誌のランキング作成・更新に関わる不正な操作が発覚。”Bible of Boxing”はスキャンダルに塗れる。

建国200周年を迎えた1976年、低迷を続ける経済(貿易赤字の拡大+年末にはGNPの実質成長率がマイナスに転じる)とは裏腹に、全米各地で催されたパレードの効用もあって、祝賀気分が盛り上がっていた。

2年前にアフリカのキンシャサで奇跡的な復活を遂げたモハメッド・アリが、衛星中継(商業利用が本格稼動)にクローズド・サーキットを組み合わせた新たなビジネス・モデルの確立に貢献。桁の違う巨額の報酬を実現する。

スポーツの経済的基盤を根底から作り変える一大革命が進む只中、モントリオールで行われた夏季五輪でも、シュガー・レイ・レナードとスピンクス兄弟ら5名が金メダルの栄冠に輝き、映画「ロッキー(第1作)」が大ヒットを飛ばすなど、ボクシング界も活況を呈してはいた。

アリ vs ノートン第3戦のプレス・カンファレンス(1976年9月13日)
※旧ヤンキー・スタジアムで行われたアリ vs ノートン第3戦の会見(1976年9月13日:N.Y.市庁舎前)/トラッシュトークを仕掛けるアリとノートンの間に入って分けているのがニューヨーク市長のエイブラハム・ビーム

映画「ロッキー」

この流れを逃すまいと、機を見るに敏なキングが「全階級でアメリカのチャンピオンを決める大会」を思いつく。

無理と分かり切っている世界王者とトップランカー・クラスの参戦はハナから眼中に無く、大手プロモーションがけっして手を付けようとしない、ローカル・ランクの中~上位の無名選手を中心に声をかけつつ、ラリー・ホームズ(ヘビー級)やフランキー・バルタザール(J・ライト級)といった、支配下に収めたリアルな王者候補に、フロイド・メイウェザー・シニアやソウル・マンビー(後のWBC J・ウェルター級王者)、ミネソタの元ホワイト・ホープ(白人ヘビー級)スコット・ルドーといった、”スターになれない中堅の実力者”を適度にまぶす。

そしてキングは、トーナメントに参加するボクサーをハンドリングするマネージャーのうち2名と結託し、特定の選手(11名が確認されている)に有利な仕掛け、お得意(?)の「判定の操作(審判の買収)」をやらかしただけでなく、リング誌に働きかけて階級別ランキングに押し込み、さらに偽りの戦果をレコードに付け加えさせた。

しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。トーナメント中のある試合の判定に対して、ファンと関係者の猛烈な批判が巻き起こり、「絶対におかしい。何かある。」と感じた何名かの記者が取材を開始。

ニューヨーク在住の売れないライターだったマルコム・ゴードンと、このトーナメントを最初から怪しいと感じていたABCスポーツのプロデューサー,アレックス・ワラウが、疑惑追及の中心的な役割を果たして行く。

実力に見合わない高いゲタを履かそうとしても、物事には自ずと限度がある。無理に無理を重ねた細工は、必ずどこかで露見・破綻してしまう。ジョージ・フォアマン,ドゥウェイン・ボビックらとの対戦経験を持つルドーも、不当な判定で敗退に追い込まれた1人で、禁を破って(?)告発に打って出る。

「キングは特定の選手に勝たせる為に不正を仕組んだ。負けにされることを事前に知らされ、実際その通りになった。立場の弱いマネージャーたちは、キングに報酬のキックバック(リベート)を強要されていた。」

ドン・キングとスコット・ルドー(1980年)
※ドン・キングとスコット・ルドー/写真は1980年にルドーがラリー・ホームズ(WBC王者になっていた)に挑戦した時のもの

不正疑惑がいよいよ真実味を増す中、キングのアイディアに乗って150万ドル(当時のレートでおよそ4億2千万円/1ドル:280円前後)を拠出し、中継を行ったABCがトーナメントからの撤退を表明。その後、プロボクシングの中継そのものから手を引く。

欧米では、八百長を始めとするスポーツの様々な不正に対して、捜査機関と司法による事実の解明と罰則(刑事罰を含む)を科す法体系が整備されている。各州の独立性を重んじるアメリカの場合、州をまたがる事件にはFBIが出張って捜査を行う。

本件でもFBIが動き、ランキングの水増しと戦績の改ざんを行ったのは、リング誌のランキング・ボードを束ねる副編集長(複数いるうちの1人)のジョニー・オルトだと判明。11人の選手に対して、オルトは1976年の半ば頃から徐々に改ざんを進めていたとされる。

ルーべと他の幹部社員は不正を真っ向から否定したが、「やってもいない試合が戦績に追加され、分不相応なランキングが与えられているのに、ズブの素人じゃないんだから気付かない訳がない」と誰もが考える。

リング誌への見返りは、70,000ドル(約2千万円弱)とABCのネットワークを使った広告だったという。フライシャーが亡くなる10年ほど前(60年代初め頃)から、同誌の発行部数は減少が続き、増え続ける赤字を解消する目処が立つ気配も無し。ABCのアドバタイズに飛びつきたくなる気持ちは、理解の範疇ではある。

だとしても、リスクの大きさに対する認識が甘過ぎた。けっして許されない改ざんではあるが、八百長に直接手を下していた訳ではなく、オルトがリング誌とボクシング界から追放されたのは当然にしても、刑事罰での訴追対象にならずに済んだのは不幸中の幸い。

そしてキングは、いざという時に追及の手が自らに及ばぬよう、周到に計画を練っている。フロリダ沖に停泊する米空母や海軍兵学校のキャンパス、刑務所内にある矯正施設等々、各州アスレチック・コミッションの管轄外となる場所を会場に選び、文書・録音・録画などの証拠は絶対に残さない。

トカゲの尻尾として切られる部下たちへの手当ても、抜かり無く済ませていたらしく、判定に関わる八百長疑惑は立証には至らず、キング自身もごく短期間のサスペンドを受けたのみで、事実上の無罪放免となる。結局、刑事罰で有罪になった関係者は1人もいなかった。


火の手が上がった直後に「不正は無い」と言い切ったルーべと、「トーナメントは正しく運営されている」と断じたニューヨーク州アスレチック・コミッションのジェームズ・ファーリー(コミッショナー)の2人が、道義的責任を取らざるを得なくなって辞任に追い込まれる。

ボクシング業界内とファンの信用を失ったルーべは、記者出身のデイヴ・ドゥビュッシャーのグループに経営権を譲渡。1979年に表舞台から去り、気鋭のジャーナリスト兼ヒストリアンのバート・シュガーが編集長として乗り込み、あの手この手で経営の改善に尽力したが、100万ドルを超える負債をどうすることもできず志半ばで退任。

1989年に4代目の経営者となったスタンレー・ウェストン(2006年殿堂入り)は、リング誌をG.C.(ゴーイング・コンサーン)に指定。1984年にシュガーの後任を託されたランディ・ゴードン(後のニューヨーク州コミッショナー)だけでなく、高給を得ていた役員幹部を一掃し、ナイジェル・コリンズを編集長に据えて経営の刷新に成功。現在に至っている。


スタッフ全員が体制の変更を聞かされたのは9月中だったとされ、トゥルキ氏は2022年の暮れに止めた印刷媒体を復活させる方針らしく、現編集長のダグ・フィッシャーを留任させ、その任に当たらせるという。

ただし、ここまでリング誌を支えてきたベテラン記者陣は解散となり、フィッシャーは新たな予算の枠内で、新たなチーム編成を余儀なくされる。アンソン・ウェインライト、ライアン・ソンガリア、クリフ・ロルド、フランシスコ・サラザールらお馴染みの顔ぶれも、新しいオフィスから姿を消す模様。


天に召されて40余年。雲間から眼光鋭い視線を下界に向けて、ミスター・ボクシングは何を思うのだろう。

左:ナット・フライシャー(1965年)/右:創刊号の表紙(1922年2月)
※左:ナット・フライシャー(1965年)/右:創刊号表紙(1922年2月)


※”シンデレラ・マン”,ジム・ブラドックを破り載冠したジョー・ルイスにベルトを贈呈するフライシャー(1937年)

フライシャーと歴史的名王者たち
※画像左(1957年/左から):ホーガン・”キッド”・バッシー(NBAフェザー級王者/ナイジェリア初の世界王者),フライシャー,シュガー・レイ・ロビンソン(4度目のミドル級王座返り咲き)
※画像右(1941年):チャーキー・ライト(ニューヨーク州公認フェザー級王者)にベルトを贈呈するフライシャー