命あるうちに - 静岡地裁が袴田さんに無罪判決 1 -
■検察は控訴の断念を - Chapter 1
「袴田さんと姉のひで子さんが、天に召されるのを待ってたんだろう?」
検察の本音を明け透けにぶっちゃけてしまえば、そういうことにならざるを得ない。この事件を一度でも耳目にした者なら、大半がそう思い当たった筈である。
88歳の米寿を迎えた袴田さんと、血を分けた弟の無罪を信じて支え続ける91歳の姉ひで子さんのお二人がご存命で本当に良かったと、ただただ天に感謝を申し上げるのみ。
この際検察は、ご姉弟が元気でおられることを天恵(啓)と悟るべきだ。無益な控訴をさらに重ねて、お二人に残された時間を奪い続けてはならない。これ以上、人の道を踏み外し続けてどうするのか。
足利事件(1990年5月に発生した幼女殺人死体遺棄事件)の再審では、審理の開始前に宇都宮地検トップの幕田英雄(まくた・ひでお)検事正が、冤罪の被害を受けた菅家利和氏(2010年3月無罪判決)に直接謝罪したが、静岡地検と東京高検によるお二人への謝罪を期待する者はおそらくいない。「控訴を諦めてギブアップしろ」と、言いたいことはそれだけだ。
自らの手で検察に対する国民の信頼を裏切り続け、傷つけ続けてきたことをいい加減に直視し、首の皮一枚残っているかどうかもわからない自浄作用への僅かな可能性を示す、正真正銘最後のチャンスなのだと、検察という組織全体が胸の奥深くに刻み込む必要が絶対にある。
無罪の判決を言い渡した静岡地裁の國井恒志(くにい・こうし)裁判長は、
(1)自白(供述)調書(警察の取調べ)
(2)有罪の決め手となった「5点の衣類」
(3)ズボンの共布(袴田さんの自宅から発見された証拠衣類のズボンの切れ端)
の3つについて、いずれも捜査官による捏造と断定しただけでなく、気が遠くなるような裁判の長期化と、判決が無罪を確定するものではないこと(検察による控訴が可能:期限は2週間)とを謝罪した。
検察との全面的な対立に発展しかねない「証拠の捏造を断定」したことについて、袴田さんの弁護団は驚きを隠さなかったが、メディアに登場する法曹関係者らも、口を揃えて「異例中の異例」だと積極的な評価を口にする。
昨年3月13日に再審開始を認めた東京高裁においても、大善文男(だいぜん・ふみお)裁判長が、「5点の衣類」について「捏造の可能性が極めて高い」と言及。大善裁判長は、2022年11月1日に静岡地裁を訪れ、東京高検が1年2ヶ月かけて行った「5点の衣類に関する味噌漬け実験」の結果確認に立ち会い、昨年12月5日には袴田さんとの面会も行った上で再審開始を決定した。
大善裁判長のこうした行動を、弁護団は「熱意の表れ」だと歓迎したのは言うまでもなく、振り返ってみれば、2014年に再審開始の決定を下した静岡地裁の村山浩昭(むらやま・ひろあき)裁判長も、問題の「5点の衣類」について「捏造の可能性」を指摘している。
2021年に定年を迎えて退官した村山氏(現在は弁護士として活動)は、東京高裁によって自身の決定が取り消された(2018年6月)ことを今も悔やみ、昨年10月の再審決定まで要した9年の月日について、「長過ぎた。あえて言うなら無駄だった」とSBS(静岡放送・新聞)のインタビューで述べており、「本当に申し訳ない」と袴田さんとひで子さんへの思いを吐露。
◎「あえて言えば9年間は無駄だったんじゃないか」語り始めた「元裁判長」 袴田事件“再審決定”“釈放” 9年前の判断の裏側【単独インタビュー】【袴田事件再審】
2023年11月15日/SBSnews6
◎元裁判長「救済の遅れ」を懸念 問われる再審のあり方【袴田事件再審公判・結審】
2024年5月22日/SBSnews6
再審開始が決定された時点で、刑の執行は一時的に停止される。しかし、拘留は無罪の確定まで延々続く。村山氏は、袴田さんの「拘置の停止」も同時に決定した。「証拠捏造の可能性」を指摘された上に、有罪が確定した死刑囚を釈放する。静岡地検と東京高検を見舞った衝撃は、いかばかりであったことか。
◎「もうこれ以上長引かせるのは本当にやめてほしい」村山浩昭元裁判長 “袴田事件”再審決定から公判開始まで長すぎた9年…いまも後悔
2023年11月20日 LIFE SBS(静岡新聞)
https://www.at-s.com/life/article/ats/1359851.html
◎前例ない死刑囚の釈放 認めた元裁判長が語る「再審」
2023年10月30日 NHK事件記者/取材note
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote65-2/
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◎検察による控訴阻止を目的としたWEB署名:Change.org
【再審 冤罪袴田事件】検察は有罪立証方針を撤回して速やかな無罪判決のために審理に協力してください!!
※ご興味のある方は「袴田事件 web署名 change.org 」でWeb検索を。
署名ページにアクセスできます。
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■「捏造」の余波
裁判官として30件以上の無罪判決を確定させたことで知られ、裁判官の鑑と称されることも多い木谷明(きたに・あきら)氏(86歳の今も現役の弁護士として活動)によると、「警察がここまで大掛かりな捏造に手を染めることは、常識的に考えればまず有り得ない」という。
有罪を裏付ける最大にして唯一の物証となった「5点の衣類」について、公判開始から1年後に、捜査の過程で隈なく調べた筈の味噌タンクの中から、真っ赤な血痕が付いた状態で突然発見されたとしても、袴田さんが身に着けることができないほど小さく、サイズがまるで合っていなくても、履けないほど小さなズボンの切れ端が、これもまた隈なく調べた筈の袴田さんの箪笥から都合良く出てきても、弁護団の鑑定によって「5点の衣類」に残った血痕のDNAが袴田さんと被害者のいずれにも一致していなくても、自白を記した供述調書があり、必要な鑑定との整合がそれなりに取れてさえいれば、それが捜査員の仕業だとは考えない。
「サイズが合わないのは、長期間味噌に浸かった為に縮んだから。」
「丸1年味噌に浸かったからと言って、血痕が必ず黒く変色するとは限らない。」
「事件が発生してから40年以上経っている。劣化が激しい血液由来のDNA鑑定は困難で、科学的な見地からも、無罪の証拠とするには無理がある。」
いたずらを見つかった子供の言い訳かと、呆れるほど稚拙で見え透いた主張だったとしても、「流石にそこまではできないでしょう」と、多くの裁判官がそちらに傾くらしい。
そして「捏造」の強い(過ぎる)表現に気おくれするのは、弁護士も同様だという。
◎【捏造?】「同じブリーフが2枚」矛盾だらけの証拠品 弁護団と検証【袴田事件】|ABEMA的ニュースショー
2023年7月19日/ABEMAニュース【公式】
仮に無罪の心証を得て、冤罪のリスクが脳裏を過ぎったとしても、真っ向から主張することは憚られる。検察を信用するのが裁判所の基本的な在り方だと木谷氏は語り、その一方で「それでは駄目だ」と警鐘を鳴らす。
「警察と検察はそこまでやるものなんだと、裁判所はそういう前提に立つべきです。自分の書いた判決が検察との関係を悪化させ、その裁判に関わった諸先輩や身内を否定することになっても、裁判官は自からの確信に従って判決を出すべきです。」
◎裁判官と判決・決定 木谷明弁護士
2020年8月25日/袴田巖さんに無罪判決を! 【袴田事件】
しかしまた、”ヤメ検弁護士”として長くテレビで活躍した大澤孝征(おおさわ・たかゆき)氏のように、「検察官が証拠と法に基き、死刑が相当と判断したのであれば求刑は当然」だと、検察の強硬な姿勢を容認する意見もあって言葉を失う。
有罪の決め手となった証拠に、重大かつ悪質極まる捏造の可能性が否定できないと、裁判所が一度ならず認めた。なおかつ拷問を含む非人道的な取り調べがまかり通り、自白の信用性にも、当初から大きな疑義が呈されてきたにもかかわらず・・・。
◎「死刑求刑は当然のこと」元検事は理解を示す 弁護団は検察を痛烈に批判 判断の真意【袴田事件再審公判】
2024年5月23日/SBSnews6
メディアの報道姿勢に対する批判として、最近良く耳にする「両論併記」ではないが、検察の立場を説明する者が1人ぐらいはいないと駄目だろうと、半ば炎上覚悟で損な役割を引き受けたのかもしれず、あるいはSBSの編集で前後をバッサリやられて、言葉足らずの「切り取り」になってしまったとも考えられるが、「大澤さん、大丈夫ですか?」と余計な心配をしてしまう。
本来ならば、提出された調書45点中44点について、静岡地裁が自ら証拠不採用にしておきながら、自白を含むただ1点のみを根拠に有罪とした1審の判決のみならず、再審請求を棄却し続けたことも含めてそもそもの第1審まで遡り、取り返しのつかない過ちを認めて頭を下げ、はっきり言葉にして詫びる必要があったのは確かだが、法曹界を支配する旧弊の打破に敢えて挑み、「捏造」を判決文に明記してくれたことは率直に評価したい。
その一方で、地裁が「証拠の捏造を断定」したことに対して、東京高検と静岡地検が過剰反応を繰り返す危険性は低くないと、取材に当たる政治記者と解説を依頼される法曹関係者が目に付く。
後段に簡単なあらましと経緯を記載するが、既に多くの報道が伝えている通り、死刑が確定した事件で再審が認められた先例は4件あり、いずれも無罪が確定している。そして4件目の「島田事件」は、「袴田事件」と同じ静岡で発生した。
すなわち、静岡地検(と県警)にとって2度目の歴史的不祥事になる。どれほどマスコミと世間から叩かれ憎まれようと、静岡地検はあくまで自らの正当性をゴリ押しして、鬼畜に成り下がってでも控訴に踏み切るのではないかと、専門家であればある程危惧せざるを得ないようだ。
がしかし、法律のド素人を百も承知の上で敢えて言わせていただくなら、彼らが金科玉条にする「検察の威信」など戯言に過ぎず、とっくの昔に地に落ちている。「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」の精神に至っては、その欠片を見出すことすら困難と言わざるを得ない。
厚労省の元官僚で、局長や内閣府の政策統括官まで勤めた村木厚子氏を有罪に持ち込む為、大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事が、まさしく証拠の改ざんを行い最高検察庁によって逮捕起訴された大スキャンダル(2010年)は未だ記憶に新しい。
同じ大阪の高検で公安部長の要職にあった三井環(みつい・たまき)が、腐れ縁とも言うべき暴力団と起こした不動産に関わる詐欺事件(2000年代初頭)もあった。
曲折を経て民主党に転じた小沢一郎の秘書3名を、政治資金規正法違反で立件した東京地検特捜部による捜査報告書への虚偽記載が大きな問題になった「陸山会事件(2010年)」では、村木氏の事件で逮捕された前田恒彦が行っていた取調べについて、秘書の1人がICレコーダーで隠し録りをしていた録音から、取調べの違法性(威圧的・小沢不起訴の利益誘導)が明るみになっている。
定番の「秘書に任せていた」をリピートするだけに終始する小沢も、2011年に検察審査会によって強制起訴されたが、2012年4月に東京地裁が無罪判決を出し、小沢を起訴した検察官役の指定弁護士は控訴したものの、2012年11月に東京高裁が棄却。指定弁護士と小沢の弁護団双方が上告せず、小沢の無罪が確定した。
バブル景気がいよいよ絶頂を迎えようかという、80年代半ば過ぎに起きた「高槻選挙違反事件(選挙違反を巡る最大級の冤罪とされる)」も、昭和を生きた者の記憶に辛うじて引っかかっている。
とりわけ影響が大きいのは村木氏の冤罪事件で、逮捕起訴した容疑者を有罪に追い込む為なら、「証拠の捏造も辞さない」恐ろしい組織であることを満天下に知らしめた。なおかつ自浄作用をほとんど期待できない点においても、立法(政治家)と司法(裁判官)に引けを取らないと再認識させてくれた。
※Chapter 2 へ
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◎戦後の死刑囚再審無罪事件
<1>免田事件(祈祷師一家強盗殺人):夫婦2名殺害/10代の娘2名が重傷
■冤罪を認められた死刑囚:免田栄(めんだ・さかえ)
※2020年(令和2年)12月5日没(享年95歳)
※逮捕時:23歳~無罪確定時:57歳(拘束期間:約34年5ヶ月)
(1)1948(昭和23)年12月29~30日:事件発生(熊本県人吉市)
(2)1951(昭和26)年12月25日:最高裁が上告棄却・死刑確定
(3)1952(昭和27)年6月~再審請求開始
(4)1956(昭和31)年8月10日:熊本地裁にて第3次再審請求開始決定
※福岡高裁が取り消し
(5)1972(昭和47)年4月:第6次再審請求申立
(6)1979(昭和54)年9月27日:福岡高裁にて第6次再審請求開始決定
※熊本地裁の請求棄却を覆す決定
(7)1980(昭和55)年12月:再審開始(熊本地検の特別抗告を最高裁が棄却)
(8)1983(昭和58)年7月15日:熊本地裁にて無罪判決
(9)1983(昭和58)年7月28日:検察が控訴断念・無罪確定
※6度目の再審請求が認められて逆転判決を勝ち取る
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■刑事補償金:9千71万2800円を支払い済み
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■人権救済の申し立て
(1)1998(平成10)年4月:免田氏ご本人が日弁連に人権救済を申立
※長期に渡る拘留により無年金状態となった為
(2)2002(平成14)年1月:日弁連が死刑再審無罪者の年金受給に関する法整備を厚労省に提言・勧告
(3)2009(平成21)年6月:免田氏ご本人が総務省に国民年金受給資格の回復申立(不受理)
※日弁連は引き続き厚労省と与野党に救済措置の立法化を提唱(警告)
(4)2013(平成25)年6月19日:死刑再審無罪者に対する国民年金給付を認める特例法可決(超党派の議員立法)
1)死刑判決確定から再審無罪になるまでの保険料の一括納付により、65歳以降の年金相当額を特別給付金として一括支給
2)その後の年金も支給
(5)免田氏と赤堀政夫氏(島田事件の元死刑囚※後述)が無年金状態から救済された
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■刑事補償
1)金額の規定:刑事補償法
2)無罪が確定した場合:拘束された日数1日あたりにつき1,000円~12,500円(現在)を支払う
2)弁護人や被告人の出頭に要した旅費交通費、日当,宿泊料金,弁護人の報酬を含む
3)弁護費用:国選弁護の規定を適用(原則)
4)実際に支払われる金額:請求申立を受けた裁判所が刑事補償法の規定に基づき決定
5)国家賠償とは異なる
※「松山事件」のように裁判費用を借り入れしていた為,受け取った刑事補償金の大半を返済に充てざるを得ない場合もある
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<2>財田川事件(闇米ブローカー強盗殺人)
■冤罪を認められた死刑囚:谷口繁義(たにぐち・しげよし)
※2005年(平成17)7月26日没(享年74歳)
※逮捕時:19歳~無罪確定:47歳(拘束期間:約28年5ヶ月)
(1)1950(昭和25)年2月28日:事件発生(香川県三豊(みとよ)郡財田村:現在の三豊市財田町)
(2)1950(昭和25)年4月1日:隣町で2人組の農協強盗事件が発生/容疑者の1人として逮捕拘留
※2名を同時逮捕/谷口以外の1名:アリバイの証明により釈放
(3)1957(昭和32)年1月22日;最高裁が上告棄却・死刑確定
(4)1969(昭和44)年4月:第2次再審請求申立
(5)1979(昭和54)年6月7日:高松地裁にて再審開始決定
(6)1981(昭和56)年3月14日:再審開始(高松地検の即時抗告を高松高裁が棄却)
(7)1984(昭和59)年3月12日:高松地裁にて無罪判決
(8)1984(昭和59)年3月24日:検察が控訴断念・無罪確定
※第2次再審請求も地裁と高裁で棄却されたが最高裁が差し戻し
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■刑事補償金:約7500万円を支払い済み
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<3>松山事件(一家4人放火殺人):夫婦2名と10代の四女刺殺/幼い長男焼死
■冤罪を認められた死刑囚:斎藤幸夫(さいとう・ゆきお)
※2006(平成18)年7月4日没(享年75歳)
※逮捕時:24歳~無罪確定:52歳(拘束期間:約28年6ヶ月)
(1)1955(昭和30)年10月18日:事件発生(宮城県志田(しだ)郡松山町:現在の大崎市)
(2)1960(昭和35)年11月1日:最高裁が上告棄却・死刑確定
(3)1969(昭和44)年5月27日:第2次再審請求申立
(4)1979(昭和54)年12月6日:仙台高裁にて再審開始決定
(5)1983(昭和58)年7月12日:仙台地裁にて再審開始
(6)1984(昭和59)年7月11日:仙台地裁にて無罪判決
(7)1984(昭和59)年7月:検察が期限までに控訴断念・無罪確定
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■刑事補償金:7千5百16万8千円を支払い済み
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■国家賠償訴訟
(1)斎藤氏ご本人と母親が提訴/補償金:1億4千3百万円を請求
※裁判費用を借り入れしていた為、刑事補償金はその返済に充てられている
(2)1991(平成3)年7月31日:仙台地裁にて請求棄却
(3)2000(平成12)年3月16日:仙台高裁にて控訴棄却
(4)2001(平成13)年12月20日:最高裁が上告棄却
(5)刑事裁判で違法と認定された内容について民事裁判では合法と判断
(6)長い拘束期間の為に無年金となった晩年の斎藤氏は、止むを得ず生活保護を受給
※国家賠償法による補償金請求:「公務員の不法行為」立証が必須となる為勝訴は難しいとされる
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<4>島田事件(幼女誘拐殺人)
■冤罪が認められた死刑囚:赤堀政夫(あかほり・まさお)
※2024(令和6)年2月22日没(享年94歳)
※逮捕時:25歳~無罪確定:59歳(拘束期間:約34年8ヶ月)
(1)1954(昭和29)年3月10日:事件発生(静岡県島田市/遺体発見:13日)
(2)1954(昭和29)年5月24日:岐阜県内で赤堀氏逮捕(※)
(3)1960(昭和35)年12月5日:最高裁が上告棄却・死刑確定
(4)1961(昭和36)年8月17日~再審請求申立
※第1次~第3次請求:すべて棄却
(5)1969(昭和44)年5月9日:第4次再審請求申立
(6)1977(昭和52)年3月11日:静岡地裁にて棄却⇒3月14日即時抗告
(7)1983(昭和58)年5月23日:東京高裁にて静岡地裁の棄却決定を取り消し・差し戻し
(8)1986(昭和61)年5月30日:静岡地裁にて再審開始決定
(9)1987(昭和62)年3月25日:東京高裁にて静岡地検の即時抗告棄却・再審開始確定
(10)1987(昭和62)年10月19日:再審開始
(11)1989(平成元)年1月31日:静岡地裁にて無罪判決
(12)1989(平成元)年2月10日:検察が控訴断念・無罪確定
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■刑事補償金:1億1千9百7万9,200円を支払い済み
赤堀弁護団は、刑事補償法が定める日次の最高額を請求申し立て。静岡地裁もこれを認めて、請求された満額の支払いを決定。4件の死刑囚再審無罪事件中、最高額となった。
1)拘束された日数:12,668日×9,400円(法令で定められた当時の日次最高額/現在:12,500円)
2)拘束された期間:1954(昭和29)年5月28日(別件逮捕拘留)~1989(平成元)年1月31日(無罪判決)まで
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3)恣意的な別件逮捕(※):岐阜県内の検問で2人連れの浮浪者に対する職質が行われ、2名のうち捜査対象リスト(刑余(前科)者・変質者・浮浪者・精神障害者・被差別部落民など2百数十名)に含まれていた赤堀氏を窃盗の別件で逮捕拘留。
4)赤堀氏には軽度の知能障害と精神病歴に加えて、自殺未遂と窃盗の前歴が二回づつあり、捜査陣は「犯人に違いない」との心証を抱く。
※1回目の窃盗:少年院送致,2回目:服役/1953(昭和28)年7月に出所/定職に就かずホームレス状態だった
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■乏しい物証,杜撰な捜査と異常な取調べ
1)逮捕の経緯と濡れ衣を着せられた赤堀氏の経歴も含めて、当初より「赤堀氏の犯行ありき」で捜査が進められた。
2)凶器とされる石以外に物証らしい物証は無く、本件においても殴る蹴るに始まり、捜査陣が作り上げた犯行の流れを、複数の捜査員が演じて見せた上自白を強要。それでも無実を訴え続ける赤堀氏を複数の捜査員が押さえつけて身体の自由を奪い、捜査員の1人が万年筆を握らせ、手首を取って強引に調書を書かせて拇印を押させるなど、もはや取調べとは言えない、常軌を逸した供述調書の作成が行われている。
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3)法医鑑定に基づく遺体検案書が示す殺害の流れ:「頸部絞扼(こうやく:手で首を絞めて圧迫:気を失わせた)⇒陰部への加傷⇒胸の強打」と説明。鑑定を行った鈴木完夫医師(静岡県警司法鑑定医)は、性器の外傷について「性的暴行の証明までは困難」とし、直接的な死因と結論付けた胸の強打についても「凶器は不明」とした。
4)自白調書に基づく殺害手順:「性的暴行⇒胸の強打⇒絞殺」
※不一致
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5)幼女連れ去り時の目撃情報(複数):スーツとネクタイを着用した若い男(髪も7-3分け)を複数の近隣住民が目撃。ホームレス状態の赤堀氏とはまるで違っていたにもかかわらず、上記捜査対象リストの中に合致する者が見当たらず(そもそもの絞り込みが間違い)、赤堀氏の逮捕後、捜査陣は目撃情報を黙殺。
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6)精神鑑定における自白剤の使用:鑑定医同席の下、捜査員(警察)の質問を受ける。赤堀氏は取調べ時と同様無罪を主張。すると催眠・鎮静薬のイソミタール(赤堀氏による)を注射されたという。捜査員は調書を見ながら聴取を継続したが、赤堀氏は「薬のせいで朦朧としていたので、何を喋ったかも判然としない」と述べている。
7)遺体検案書と異なる再鑑定:公判中に行われた再鑑定で、地裁の依頼を受けた古畑種基東大教授(法医学)が、殺害手順について、自白調書と同じ「性的暴行⇒胸の強打⇒頸部絞扼(こうやく)」の鑑定結果を提出。火葬された後でご遺体の検案は不可能=現場写真と供述調書のみによる鑑定だったが、供述調書の正当性を裏付けすることになった。
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8)再審請求時の遺体鑑定書(鈴木医師)と再鑑定(古畑教授)の調査:弁護団はいわゆる「古畑鑑定」の信用性に疑問を抱き続けていたが、第4次再審請求に際して、3名の法医学者に鑑定書の調査をあらためて依頼。3名とも「古畑鑑定」を否定する調査結果を報告したが、静岡地裁は「自白を含む供述調書重視」の姿勢を固持。4度目の再審請求も棄却した。
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■凶器の石を巡る捏造の判明
1)確たる物証が皆無に近い本事件では、「自白によって凶器の石を発見した」とする供述調書が有罪判決の決め手(犯人しか知り得ない秘密の暴露)となり、最高裁が被告側の上告を棄却(死刑確定)する際に依拠したのも、「凶器の石の所在を明らかにした自白」と「古畑鑑定」だった。
2)ところが、第4次再審請求の是非を争う抗告審において、検察が取調請求した新聞記者が、「3月14日頃(遺体発見の翌日)、凶器の石を島田警察署で見た」と供述。
※赤堀氏の逮捕は5月24日。取調べは島田署に移送後実施。
3)調書に記載されたこの供述により、警察による捏造が発覚。「秘密の暴露」が根底から覆り、東京高裁は静岡地裁への差し戻しを決定(1983(昭和58)年5月)。
4)差し戻し審を経て、静岡地裁は再審開始と死刑の執行停止を決定(1986(昭和61)年5月)。
5)有罪立証の最大の拠り所を失ったにもかかわらず、静岡地検は再審開始を不服として即時抗告。
6)東京高裁が検察の抗告を棄却/再審開始確定(1987(昭和62)年3月)。
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■杜撰な捜査と違法な取調べを主導した”県警のエース”
「島田事件」の捜査指揮に当たったのが、300回を超える表彰を受けて名刑事の誉れも高い、県警本部強力犯係の主任だった紅林麻雄(くればやし・あさお)警部補である。詳しくは後述するが、静岡県下で発生した複数の冤罪事件を主導した人物で、「袴田事件」発生時には亡くなっていた(責任を追及され辞職)が、捜査を指揮する県警本部刑事の多くは紅林の部下だった者たちで、暴力的かつ違法な捜査手法が繰り返される原因となった。