This is "Divino" Time ! /”神の顔”が圧勝V1 - R・エスピノサ vs S・チリノ レビュー 3 -
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■6月21日/フォンテンブロウ(フォンテーヌブロー)・ラスベガス/WBO世界フェザー級タイトルマッチ12回戦
王者 ラファエル・エスピノサ(メキシコ) TKO4R WBO2位 セルヒオ・チリノ・サンチェス(メキシコ)
王者 ラファエル・エスピノサ(メキシコ) TKO4R WBO2位 セルヒオ・チリノ・サンチェス(メキシコ)

前章でエスピノサをバックアップするチームについて少し触れた。メキシコ国内でキャリアを共に歩んできたトレーナーと、最初にして最後かもしれない世界挑戦がまとまり、必勝を期して向かえたワールドクラスを熟知する新しいヘッド・コーチ,マニー・ロブレスの存在。
そしてもう1人、無名のローカル・ファイターに過ぎなかったエスピノサの載冠に貢献した人物,それも日本人がいる。ラミレス vs エスピノサ戦を観戦中、この人の姿を発見して「えっ」と驚いた。
90年代~2000年代初めにかけて軽量級のトップに君臨したマルコ・アントニオ・バレラのコーナーに加わり、大スターを発掘育成した名コーチ,ルディ・ペレスとともに、ホール・オブ・フェイマーを陰で支え続けた田中繊大トレーナーである。
県立の宮城水産高校でアマチュアの競技選手となり、新日本仙台ジムからプロ転向。1991年~94年までプロのリングで戦い(途中八戸帝拳ジムへ移籍)、そこで教えていたメキシコ人トレーナーの知遇を得て、現役生活に見切りをつけ単身メキシコに渡り指導者に転進した。
2002年の暮れから2003年にかけて、本田会長の要請を受けて帰国。バレラとの仕事は継続しており、メキシコと往復しながら教え始め(帝拳との正式な契約は2003年5月)、三顧の礼を持ってベネズエラから招いた天才少年ホルヘ・リナレスや、鳴り物入りでプロに進んだ高校6冠,粟生隆寛らを任されている。
ファイト・スタイルに迷っていた村田諒太をイスマエル・サラスから引継ぎリフレッシュ。そのままチーフに就任して、世界王座獲得と返り咲きをバックアップ。ゴロフキンとのビッグマッチを終えた金メダリストが現役を退いて以降、S・フェザー級で王座奪還に燃える尾川堅一を担当していた。

エスピノサをハンドリングするフェルナンド・ベルトランは、「パッキャオ vs マルケス4部作」を筆頭に、「パックマン vs エリック・モラレス(3戦)」、「バレラ vs モラレス(3戦)」など、新世紀の幕開けを飾る軽量級屈指のライバル・ストーリーを作り出し、盟友と呼べるくらいアラムとの関係が深い。
そして、村田諒太と井上尚弥をセットでアラムに託したことでも分かるが、本田会長もアラムとは長いビジネス・パートナーで、米国内での活動はトップランクとの協調をベースにする。
モンスターのフェザー級進出を前提に、IBF王者ルイス・アルベルト・ペレスに次いでエスピノサにも食指を伸ばす、齢90を越えてなお表舞台に君臨し続けるアラムを中心にした本田会長とベルトランの連携(トライアングル)、第二の故郷と呼んでも差し支えがないメキシコと田中トレーナーの深い縁(えにし)を思えば、「なるほど」と膝を叩いてもおかしくはない。
近い将来の来日を睨みつつ、日本でのサポート体制をより円滑に運ぶ効果も期待できる。もっと単純に、メキシコで名を上げた田中トレーナーをエスピノサ陣営が指名(プロポーザル)しただけかもしれないが。
この辺りの事情は、そのうちはっきりする時期が来ると思う。ラミレス戦ではサブに撤して目立たないように振舞っていたが、チリノ戦ではチームの仲間に促されて、勝ち名乗りの栄誉に浴していた。

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ニックネームの”エル・ディヴィーノ(El Divino)”は、スペイン語の直訳で「神の顔」を意味する。すなわち、スペイン統治時代からメキシコに伝わるイエス・キリストの肖像画、「El Divino Rostro(エル・ディヴィーノ・ロストロ)」を指す。
これらの肖像画に描かれたキリストの風貌に、エスピノサの細面(最近まで髭を生やしていた)が良く似ていることから、こう呼ばれるようになったらしい。

※ご紹介するキリストの絵は、画家でもあったアロンソ・ロペス・デ・エレーラというドメニコ会の修道士により、16世紀後半に描かれた。彼の地ではとても有名らしく、メキシコシティ近郊にある国立博物館に所蔵されている。
2013年2月のデビュー時から、ずっとベルトランの興行で戦っていること、年齢も20歳だったことを考慮すると、それ相応のアマキャリアがあって然るべきと推察するが、プロ入り前の詳しい状況はよくわからない(ESPNの中継で「アマ11戦」との紹介有り/英語のインタビュー記事か映像がそのうち出る筈)。
始めの2年間は、122ポンドのS・バンタム級だった。4戦目(2014年7月/カリフォルニア州インディオ/地元プロモーターが主催する小さな興行)で早くも米国デビューを済ませ、7戦目(2015年5月/カリフォルニア州ハリウッド)に、トップランクが手掛けるローカル興行に参戦。
エル・ディヴィーノの将来性,ポテンシャルについて、ベルトランが相応の期待寄せていたことがわかる。ところが、この後エスピノサは長らくメキシコ国内に留まり、ローカル興行で地道な修行を重ねることに。
4回戦と6回戦を行き来しながら全勝を続けて、フェザー級に定住した後、11戦目(2016年10月)にようやく8回戦に上がる。この後も連勝を維持したが、2018年7月の14戦目~2020年6月の15戦目まで、およそ2年に及ぶブランクを作った。理由は判然としない。
2020年6月の復帰戦は、メキシコ国内に武漢ウィルスによる「衛生上の非常事態宣言」が発布(2020年3月)された後に行われたもので、この年はこの1戦のみで終えると、翌2021年も1月(初の10回戦)と9月の2試合のみ。
パンデミックが一息つき始めた2022年、いよいよメイン・イベンターとしての活動を本格化。2月~11月まで4試合をこなしてすべてKO勝ち。そして昨年、3月にシナロアから呼んだ33歳の中堅を一蹴すると、7月にはゴールデン・ボーイ・プロモーションズが仕切るメキシコシティの興行で、4連敗中のタンザニア人,アリー・ムウェランギ(ウェランジ)に2回KO勝ち。
この黒人選手は、同年3月に行われた女子の安定王者ヤミレス・メルカド(WBC S・バンタム級王座防衛戦)のアンダーに招聘され、セルヒオ・チリノ(この時点でWBO5位)に10回判定負けを喫していた。ベルトランの手掛けるイベントに、2試合連続で召集されたという流れ。
2021年9月から続く連続KOを7に伸ばしたエスピノサに、長らく待ち望んだ吉報が届く。昨年9月、ラミレスへの挑戦が正式に通知され、WBOランキングにも名前が載った(11位)。
※Part 4 へ
◎エスピノサ(30歳)/前日計量:125.6ポンド
戦績:25戦全勝(21KO)
アマ経験:戦績も含めて不明
※ESPNの中継で「アマ11戦」との紹介有り
身長.リーチとも185センチ
右ボクサーファイター
◎チリノ・サンチェス(29歳)/前日計量:125.6ポンド
戦績:25戦23勝(12KO)2敗
アマ戦績:不明
2014年中米カリブ大会(ベラクルス/メキシコ)バンタム級銅メダル
※準決勝でロベイシー・ラミレスに0-3ポイント負け
ナショナル・オリンピック(階級不明)
2008年:銅/2010年:銀/2012年:金/2013~14年:銀
プリメーラ・プエルサ全国選手権(Campeonato Nacional de Primera Fuerza/英訳:First Force Championsip)
2013年:金/2014年:銀/2016年:金(階級不明)
※チリとドミニカで開催された国際大会でも銀メダル獲得(大会の正式名称・年度・階級不明)
WSB(World Series of Boxing):8戦
身長.リーチとも175センチ
右ボクサーファイター
◎前日計量
※前日計量(フル映像)
https://www.youtube.com/watch?v=arM4EXmo1zk
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■オフィシャル
主審:ラウル・カイズ・Jr.(米/カリフォルニア州)
副審:
ティム・チーザム(米/ネバダ州)
マックス・デルーカ(米/カリフォルニア州)
スティーブ・ウェイスフィールド(米/ニュージャージー州)
立会人(スーパーバイザー):クレイグ・ハッブル(米/カリフォルニア州/WBO法務顧問:Administrative Advisor)
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■謎に包まれた男フェルナンド・ベルトラン
カリフォルニアと国境を接する街,ティファナにオフィスを構えるベルトランは、謎の多い人物である。何しろ年齢(生年月日)と出身地はもとより、生い立ちやボクシング界に身を投じた動機・経緯など、英文の記事と映像を幾ら探しても個人的な情報が見当たらない。
Boxrecによれば、自身が手掛けた最も古い興行は1993年9月6日。ティファナにあるカジノを会場にして、全5試合を組んだ小規模なローカル興行だった。
※以下写真左から:ベルトラン,J・M・マルケス,J・C・チャベス,ショーン・ギボンズ(パッキャオが興したMPプロモーションズ現代表/当時はベルトランの下でマッチメイクを担当)/後方の人物はアステカTVのお偉いさん

多くのプロモーターと同じくマネージャー業から出発した人で、メイウェザーと2試合を戦い、第1戦は事実上の勝利として認知されるホセ・ルイス・カスティーリョ(元WBCライト級王者)、エリック・オルティス(元WBC L・フライ級王者)の2人をハンドリングしながら興行会社(プロモシオネス・サンフェル:Promociones Zanfer/Zanfer Boxing)を起こし、比較的短期間に一家を成している。
後にウリセス・ソリス(元IBF J・フライ級王者)のマネージメントも任されたり、若く無名だったカネロ・アルバレスの売り出しに一役買うなど、90年代半ば以降に登場した数多のメキシカン・スターを手掛けてきた。
正式な契約が何時頃なのか、これもまた判然としないけれど、「テレビサ(Televisa)」と並ぶ最大手の地上波「テレビシオン・アステカ (Television Azteca/アステカTV)」のバックアップを得て、同局の人気番組「ボックス・アステカ(Box-Azteca)」に主要なカードを提供している。
ゲスト解説は、フリオ・セサール・チャベス,マルコ・アントニオ・バレラ,エリック・モラレスのレジェンド3名が陣取る豪華さ。いずれも、ベルトランとは浅からぬ関係にある。
やはり詳しい情報は不明なれど、アステカTVの放映権料が経営の屋台骨になっているのは間違いない。その上で、アラムとの協調関係を機軸にして、トップクラスの人気選手を米本土の興行に送り込み、ムンギアをデラ・ホーヤに預けたり、2019年の丁度今頃だったが、傘下に収めたファン・F・エストラーダ(WBC王座に復活)を、マッチルームUSAと共同プロモート。トム・レフラー(レオフラー)から「SuperFlyシリーズ」を乗っ取り、英国の軽量級トップを多数保有するエディ・ハーンとの共闘にも積極的。
政治的な事情により、入札絡みの指名戦等単発に止まってはいるが、アル・ヘイモン(PBC:Premier Boxing Champions)との協調も原則拒まない。また、アメリカ同様合衆国の体裁を取るメキシコは、各地にそれぞれのシマを仕切るプロモーターがいて、そうした競争相手とも友好的な雰囲気を演出するのが常で、少なくとも表面上は上手く対応している。
「パッキャオ vs マルケス 4(衝撃的かつ歴史的なワンパンチ・フィニッシュ)」に合わせてNHKが製作したドキュメンタリー、「6千万ドルの拳を持つ男(2013年2月15日放送:NHK BS」の終幕に近く、ラスベガスにあるアラムの豪邸に1人で訪れるベルトランをカメラが捉えていた。

アラムは遠来の取材クルーを意識してか、「君が私の後継者だ」とリップサービスしていたが、アラムにはトッド・ドゥボーエフという娘婿がいて、かなり前に社長の肩書きを得ている筈なのに、アラムの存在が大き過ぎて表舞台に立つ機会が少ない。
撮影当時、アラムは満80歳の傘寿だった。永遠の宿敵ドン・キングとともに、今もなお92歳にして意気軒昂の両巨頭ではあるものの、何時お迎えが来ても不思議はなく、トップランクの跡目を託すドゥボーエフではなく、パートナーシップを結ぶメキシコ人に華を持たせている。
当時のベルトランには、それだけの勢いが実際にあったと思う。凄まじい執念で打倒パッキャオを果たしたマルケス兄の引退、チャベス・Jr.の凋落・離反等が重なり、現在はハイメ・ムンギアとエマニュエル・ナバレッテにプロモーションの看板を託すしかなく、発信力と影響力にやや翳りが見える。
※以下写真左から:エリック・モラレス(ムンギアのトレーナーだった),ベルトラン,ムンギア,デラ・ホーヤ

2000年~2015年までの15年間、S・バンタム~フェザー級で活躍したフェルナンド・ベルトラン・Jr.(IBF王座挑失敗/マイナー団体IBO王座獲得)とは、血縁を含む直接的な関係は無いものと思われる。
父親のフェルナンド・シニアがマネージャー兼トレーナーとしてコーナーを守っていたが、こちらのプロモーターとはまったくの同名異人。同じティファナに居住していて紛らわしいけれど、親子鷹の生まれはクリアカン(シナロア州)とのこと。