Naoya The Great - Chapter 1 夢のまた夢・・・リング誌ファイター・オブ・ジ・イヤーに選出 Part 4 -1 -
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- Naoya The Great
Ring Magazine Fighter of the year - Multiple Time Winner
”ザ・グレーテスト” と ”ブラウン・ボンバー” は別格■最多受賞:6回「モハメッド・アリ」
世界ヘビー級王者(1960年ローマ五輪L・ヘビー級金メダル)
生涯戦績:61戦56勝(37KO)5敗
通算19回防衛
第1期:連続9回/在位:3年3ヶ月(1964年2月~1967年5月・はく奪)
第2期:連続10回/在位:3年4ヶ月(1974年10月~1978年2月)
第3期:防衛無し/在位:1年(1978年9月~1979年9月・返上)
◎受賞年:1963年・1966年(※)・1972年・1974年・1975年・1978年
※1974~75年:2年連続受賞
※1990年国際ボクシング殿堂入り
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<1>1963年:世界ランカー3名を三連破(出生名のカシアス・クレイ時代/21歳)
欧州最強のH・クーパー(英国遠征)と次期王者候補の1人ダグ・ジョーンズを含む
(1)D・ジョーンズ戦(米):ファイト・オブ・ジ・イヤーW受賞
3月13日MSG。N.Y./10回3-0判定勝ち/ヘビー級10回戦
初回にいきなり右を効かされてグラつくアリ。懸命の連打で反撃するも、タフで勇敢なジョーンズは1歩も退かずに応戦。一進一退の打ち合いは後半に入っても変わらず、スタミナが切れかかりながらも渾身の攻勢でアリが僅かに押し切った。
※オフィシャル・スコア:5-4-1×2名(副審),8-1-1×1名(主審)/採点:ラウンドの数を振り分ける方式(N.Y.州を筆頭に多くの州で採用されていた)
(2)H・クーパー第1戦:5回TKO勝ち
6月18日ウェンブリー・スタジアム,ロンドン(英)/ヘビー級10回戦
第4ラウンドに喫したノックダウンは、デビュー時から指摘され続けた左フックとの相性の悪さを露呈したもので、”スモーキン”・ジョー・フレイジャーとの激闘を予感させる。かなり効いていたが、驚異的な心身のタフネスで回復(後に諸刃の剣となって深刻な健康被害をもたらす)。キレまくる左ジャブで挽回すると、あっという間にクーパーの瞼を切り裂き、大流血に追い込んでの逆転TKO勝ち。
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<2>1966年:年間5度の防衛成功(4KO)
<当時は該当者無し=逝去した2016年にあらためて表彰>
※Ali retroactively named Fighter of the Year for 1966
2016年12月8日/リング誌公式
https://www.ringtv.com/476547-ali-retroactively-named-fighter-year-1966/
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(1)ジョージ・シュバロ(WBA6位)第1戦:15回3-0判定勝ち
3月29日/メープルリーフ・ガーデン/トロント(カナダ)
WBC(+NYSAC)世界ヘビー級タイトルマッチ15回戦(※)/V3
1)フル映像(モノクロ)
https://www.youtube.com/watch?v=tyWDrmViwAk
2)2003年5月に公開されたシュバロ第1戦のドキュメンタリー映画
製作:カナダ国立映画制作庁(National Film Board of Canada)
(2004年8月30日にカナダの公共放送CBCが全国放送)
The LAST ROUND - CHUVALO vs ALI
https://www.youtube.com/watch?v=9O_9ANas7NQ
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(2)H・クーパー(WBA9位)第2戦:6回TKO勝ち
5月21日/アーセナル・スタジアム/ハイベリー(英/ロンドン)
WBC(+NYSAC)世界ヘビー級タイトルマッチ15回戦(※)/V4
1)フル映像(モノクロ)
2)カラー化:約50分(試合前の公開練習・インタビューを含む)
https://www.youtube.com/watch?v=Y1-n9pwcJ_s
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(3)ブライアン・ロンドン戦:3回KO勝ち
8月6日/アールズ・コート・アリーナ,ケンジントン(英/ロンドン)
WBC(+NYSAC)世界ヘビー級タイトルマッチ15回戦(※)/V5
1)フル映像(モノクロ)
https://www.youtube.com/watch?v=zxBHfuzZaHw
2)B・ロンドン戦/フィニッシュシーン(70万回超再生)
挑戦者ロンドンをコーナーに詰めてし止める凄まじい連打が、海外のファンを中心に、リアルタイムでアリを見ていない世代のファンの間で話題になり、若く充実したアリが発揮した驚嘆すべきスピードとキレ,高い精度について、再認識されるきっかけとなった。
対戦時のロンドンはノーランク(10位外)でなおかつ無冠ではあったが、英国(BBBofC)と英連邦(Commonwealth Boxing Council)のタイトルを保持していた他、フロイド・パターソンへの挑戦経験(1959年5月/11回TKO負け)を持つ。上記2つと欧州(EBU)王座の3つを独占するH・クーパーに善戦(15回判定負け)するなど、英国ヘビー級を代表する実力者の1人として認知され、アリの王座を承認していたWBCとNYSC(※)が挑戦を容認。
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(4)カール・ミルデンバーガー(WBA3位/欧州王者)戦
9月10日/ヴァルトシュタディオン,フランクフルト(独)
WBC(+NYSAC)世界ヘビー級タイトルマッチ15回戦(※)/V6
1)フル映像(モノクロ)
https://www.youtube.com/watch?v=-lhLfLIOk3g
2)フル映像(カラー)
https://www.youtube.com/watch?v=u0bbw5J4fjU
※ヴァルトシュタディオンは、サッカー・スタジアムを中心に多目的施設を複合したスポーツ・コンプレックスのはしりの1つで、この試合は施設内にある自転車競技場にリングを特設して行われた。
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(5)11月14日:C・ウィリアムズ(WBA4位)戦:3回TKO勝ち
アストロドーム,テキサス州ヒューストン
WBC(+NYSAC)世界ヘビー級タイトルマッチ15回戦(※)/V7
1)フル映像(モノクロ)
https://www.youtube.com/watch?v=v3ZL9cK-JWo
2)ハイライト(カラー)
開催地のヒューストンをホームタウンにしていたクリーヴランド・ウィリアムズは、ソニー・リストンやゾラ・フォーリーと並ぶ強打者で、2メートル超の長いリーチに恵まれていた。アリは左ジャブとともに代名詞となっていた秀麗なフットワークでウィリアムズを翻弄し、芸術的な右カウンター(必殺のファントム・パンチ)を炸裂させ3回TKO勝ち。現在ではおよそ考えられない、年間5度の防衛を成し遂げた。
1970年代以前のチャンピオンは、怪我や病気,リング内外のアクシデントなどが無ければ、年間3回程度の防衛戦は当たり前で、その合間にノンタイトルをこなすことも珍しいことではなく、ランカーや修行中の前座でさえ年間2~3試合の今日とはまるで様子が異なる。
正統8階級しか認められていなかった1937年から1938年にかけて、8つあるうちの3階級を同時に制覇するという、まさに空前絶後の離れ業をやってのけたヘンリー・アームストロングは、約10ヶ月の間にフェザー,ウェルター,ライトの順番にベルトを奪取した。
160センチ代半ば~後半の小兵をカバーする為、素早く相手の内懐に潜り込んで、自分の頭を胸から顎の付近に密着したまま、上下の連打をひたすら叩きまくる。とにかく相手が根負けして嫌になるまで、無尽蔵のスタミナを武器に白兵戦を仕掛けるファイタースタイルで、14年近く(1931年7月/18歳~1945年2月/32歳)戦い続けた。
181戦151勝(101KO)21敗9分け(国際ボクシング殿堂)という、とてつもない生涯戦績を残しており、キャリア晩年はミドル級のトップレベルとも拳を交えているが、ボクサー特有の言語障害や運動機能障害とは無縁。引退後発症した眼疾(網膜はく離と白内障)に、激闘の影響を感じさせるのみ。
※Cyber Boxing Zone:179戦149勝(100KO)21敗9分け/Boxrec:180戦149勝(99KO)21敗10分け
フェザー級を返上した後、135ポンド前後のライト級のまま、6ヶ月(1938年11月~1939年5月)の短期間にウェルター級の王座を7連続防衛。その間にもノンタイトルやエキジビションを消化して稼ぎまくっていた。
ボクシング人気は今とは比較にならないほど盛況で、TVが無かったが故に、人気選手にはエキジビションマッチとノンタイトルの需要が高かったとは言え、常軌を逸した心身のタフネスだけで休み無くリングに上がり続けることはできない。ディフェンスの能力にも長けていたことは明らかで、疑いを差し挟む余地無し。
アームストロングの半年に7回の防衛(年14回/1938年11月~1939年12月)は凄過ぎるけれど、TVやラジオが存在しなかった神代の時代も含めて、動く金額の桁が違うヘビー級は、防衛戦の間隔をやや長めに取る場合があり、ノンタイトルを挟んで休み無くリングに上がり続ける王者はそれなりにいたが、やはり1年に5回の防衛戦は超過密なハードスケジュールには違いない。
今のように駆け引きの応酬のみでフルラウンズを終えるなど有り得ず、プロの一流は決着が着くまで戦い切ることを容赦なく求められた。しかも当日計量で、世界戦は15ラウンズ。カットや拳の怪我が無いことは勿論、ダメージも最小限度に抑えないと、1~2ヶ月のスパンで戦い続けることなど不可能。
どう考えてみても、昔のボクサーの方が基礎体力に優れ、攻防の基本的な技術水準(特にディフェンス)も高いとしか思えない。そう考えないと辻褄が合わない。
プロボクシングの人気が下火になって久しく、長く続く低迷からの脱出が不可能となった今日とは、そもそもファンの数も需要もまるで違う為、単純に比較をしてもせんないことではあるが・・・。
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