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■2023 Fighter of the year - リング誌が井上尚弥を選出



クロフォードは昨年1試合しか戦っておらず、それがスペンスとの4団体統一戦だった。両選手ともP4Pのトップ10入りを果たしており、対戦時はクロフォードが3位(井上:2位)で、スペンスは4位。

すなわちウェルター級の4団体統一戦は、P4Pトップ5以内に入る者同士の激突であり、戦前の予想も50-50の互角との見方が大勢を占めていた。米国の識者や関係者から高い評価を得ているスペンスをクロフォードはまったく問題にせず、一方的になぶり続けて後半のストップに追い込んでいる。

◎PBCオフィシャル・ハイライト



井上も過去最大の難敵と見られたフルトンをワンサイドの8回TKOに下しているが、2団体を統一したとは言え、世界王者としての実績が浅いフルトンはP4Pランク外で、アフマダリエフを超特大の番狂わせで破ったタパレスも同様。しかも、タパレスの勝利を予想する者は誰もいなかった。

制圧したウェイトを比較すると、クロフォードの3階級に対して井上は4階級。ただし、これにも当然異論はある。王国アメリカでは「正統8階級(Original 8)」への信奉が未だに厚く、ジュニア・クラスを認めたがらない人たちが何時の時代にもそれなりにいる。
※正統8階級:ヘビー,L・ヘビー,ミドル,ウェルター,ライト,フェザー,バンタム,フライの8つ

歴史が長いJ・ウェルター(S・ライト)とJ・ライト(S・フェザー)2階級と、1960年代初頭に創設されたS・ウェルター(J・ミドル)級は別にしても、1970年代半ば以降に増えたジュニア・クラスを軽視する傾向は根強く残っていて、とりわけ3階級⇒7階級に倍増したフェザー級以下の軽量級は、強い風当たりを受ける場面が少なくない。


1975年にWBCがJ・フライ(L・フライ)級を作った時、「フライ級で通用しない小柄な男たちの集まり」だと、辛らつかつあからさまな批判、否定的な言葉が聞かれた。

事実WBCの初代王者フランコ・ウデラ(伊)は、ミラノで行われたバレンティン・マルティネス(メキシコ)との決定戦で、反則勝ちを拾いに行った行為が疑問視されたことも相まって、母国のファンにも歓迎されず強いショックを受けたと公言。即座にベルトの返上とフライ級への出戻りを表明。翌月には欧州王座(EBU)に挑戦している(2回NC)。


ウデラは五輪2大会連続出場(1968年メキシコ:L・フライ/1972年ミュンヘン:フライ)の戦果を引っさげ、大きな期待を受けてプロに転じたエリート選手だったが、公称152センチの小兵で体格差に苦しんだ。

転向してから2年半後に実現した初挑戦(WBCフライ級)でも、大場政夫(王者のまま23歳の若さで交通事故死/2015年に殿堂入り)と五分の勝負を繰り広げ、小熊正二と4度も戦ったベネズエラの実力者ベツリオ・ゴンサレスに10回TKO負け。ゴンサレス戦までに18戦をこなしているが、3度の敗北を喫している。

メキシコ五輪で初めて採用された108ポンド(アマの呼称:L・フライ級)の新設は、ウデラに限らず160センチ未満の選手にとって大きな福音となった。決定戦に推挙されたウデラは、「自分の為の階級だ」と喜び勇んで参戦。しかし、「プロの108ポンドは、同胞のファンでさえ世界チャンピオンと認めてくれない」と失望を露にした。


続く1976年、多くの批判や忠告を意に介すことなく、またもやWBCがJ・フェザー(S・バンタム)級を立ち上げると、J・フライ級と同じ状況に陥る。曰く、「Original 8」のフェザーでトップになれない連中のお助け場・・・。

そしてこの否定的な意見は、1920年代に王者の承認が始まったJ・ライト級とJ・ウェルター級も同様で、世界タイトルとしての権威をまったく認められず、1950年代後半に再始動するまで、四半世紀に渡る長い休止が続いた。

共に殿堂入りを果たし、ライバルでもあったバーニー・ロス(ライト,J・ウェルター,ウェルター)とトニー・カンゾネリ(フェザー,ライト,J・ウェルター)の2王者は、現役時代はもとより、1930年代末に引退してから20世紀を終えるまでの60余年、王国アメリカのヒストリアンたちに「2階級制覇王者」として扱われ続け、「3階級制覇」を認められるようになったのは、21世紀を迎えて以降、ここ十数年のことである。


フィリピンの英雄フラッシュ・エロルデがJ・ライト級の王座に就き、ライト級の東洋王座と同時並行で連続10度の防衛を果たし、N.Y.の殿堂MSGを満杯にしたプエルトリコの人気者,カルロス・オルティスがJ・ウェルター級のベルトを巻いたお陰で、両階級は2度目の休止を免れた。

それでもなお、1962年に新設されたJ・ミドル(S・ウェルター)級を含めて、「ジュニア・クラス」と一括りにされ、「正統8階級」より一段も二段も低く見られた上、「稼げない不人気クラス」に甘んじ続ける。


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1960~70年代にかけて、人気と実力を兼ね備えた中量級のボクサーと、それらの人気選手を預かるプロモーターとマネージャーが「ジュニア・クラス」を敬遠してくれていたから、東洋圏のトップレベルが割って入ることができた。逆説的ではあるが、これもまた事実。

ライト級,ウェルター級,ミドル級でトップに君臨する東洋のボクサーは、いざ世界を狙う段になると、それぞれJ・ライト級,J・ウェルター級,J・ミドル級へと階級を下げるのが常だった。

状況が変わり始めたのは、70年代後半~80年代初頭にかけてのこと。

史上最年少王者(17歳6ヶ月)として国際的な注目を集めた早熟の天才,ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ/J・ウェルター,ウェルター,J・ミドル獲得/ミドル級挑戦は失敗)と、アレクシス・アルゲリョ(ニカラグァ/フェザー,J・ライト,ライト級を獲得/J・ウェルター級奪取は成らず)が、「ジュニア・クラス」であるにも関わらず米本土で人気を博し、相次いで3階級制覇を達成(1981年5月~6月)。

正統8階級しか認められていなかった時代に、8つしかないベルトのうち3つを同時に獲ったヘンリー・アームストロングの快挙(1937年10月~1938年8月にかけて達成)以来、半世紀近く途絶えていた大記録が、3つ同時ではないけれども1ヶ月の短い間隔で達成され、「ジュニア・クラス」への蔑視・軽視が徐々に解消し出す。

とりわけアルゲリョの果たした役割は大きく、今やベスト・ウェイトの評価も高いJ・ライト級で連続8回の防衛に成功(7KO)。地味で目立たなかった130ポンドに在米ファンと関係者の熱視線を集め、当時誰も考えすらしなかった4階級制覇を目指し、J・ウェルター級最強のアーロン・プライアー(米)と2度戦い、力及ばず敗れはしたものの、200万ドル超のビッグマネーファイトを実現(PPVはスタートしたばかりのヨチヨチ歩き)した。

N.Y.の殿堂MSGで高評価を得たベニテスとアルゲリョの偉業と人気に触発されたボブ・アラムが、シュガー・レイ・レナード,トーマス・ハーンズ,ロベルト・デュランの3王者を参入させたことで、特別に地味だったJ・ミドル級も一気に活性化。


さらにアラムは、ミドル級の覇王マーヴィン・ハグラーを巻き込み、レナードを軸にした「中量級ウォーズ」を大いに喧伝。稀代のスーパースター,モハメッド・アリという巨大な太陽を失った(1981年に引退)ボクシング界を停滞から救い出し、マイク・タイソンの出現までつなぐ。

”石の拳”デュランの4階級制覇、レナードとハーンズによる(不毛な)「5階級制覇合戦」が、1つの階級で長くベルトを守り、安定政権を築いて無敵の存在を自他共に認められることから、矢継ぎ早に体重を上げて、より多くの階級を獲る「複数(多)階級制覇」へと、スーパースターの評価基準を一変させる。


80年代前半から後半にかけて、J・ライト(V9)とライト(A・C統一/V1)を獲った後、90年代に入ってすぐJ・ウェルターも獲得。連続12回の防衛に成功(通算V16)した3つ目の140ポンドでキャリアのピークを築き、押しも押されもしない不動の地位を確立したフリオ・セサール・チャベスは、脅威の100連勝を目指して驀進。

そして変幻自在のアクロバティックなディフェンスを操り、ライト級~J・ミドル級の4階級を制覇したパーネル・ウィテカーは、ウェルター級王者として挑戦を受けたチャベスに事実上の初黒星を与えた他(1-0のマジョリティ・ドロー)、147ポンドのWBC王座を譲ったオスカー・デラ・ホーヤ戦でも、ゴールデン・ボーイを支持した判定を巡り、ハグラー vs レナード戦(1987年)と並んで未だにマニアの議論を呼ぶ。

デラ・ホーヤの6階級制覇(プロ入りに際して7階級制覇を目標に掲げる)と、メイウェザーの5階級制覇は勿論、まさかのウェルター級進出を成功させ、8階級制覇(リング誌王座を含む/主要4団体:6階級)と同時に、未曾有のアメリカン・ドリームを手にしたパッキャオの奇跡も、80年代を沸かせた「中量級BIG4」の延長線上に成し得たものに違いない。


大場と一緒に殿堂入りの栄誉に浴した具志堅用高(3代目WBA王者/V13=未だに更新されない国内最多防衛記録)と、17連続KO防衛(ゴロフキンに並ばれたがこれも容易に破られない大記録)の離れ業をやってのけたウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ/WBC王者)の大活躍があったればこそ、J・フライ級とJ・フェザー級は一度も消滅や休止することなく今日まで歩みを続けられた。

その後も、WBCが独断専行してWBAが後追いする構図の中、クルーザー級(1979年/スタート時の呼称はJ・ヘビー級)、J・バンタム(S・フライ)級(1980年)、S・ミドル級(1984年/新興マイナー団体だったIBFが強行/WBAとWBCは1987~88年に遅れて追随)、ミニマム(ストロー)級(1987年)と続く階級大増設の礎となる。

WBCがストロー(ミニマム)級の新設に踏み切った時も、露骨に否定的だった米英を初めとして、「リアルな水増し。存在意義を一切見出せない」と酷い言われようだったが、そもそもフェザー級以下の軽量級は、1940年代以降、主要な選手層をメキシコを中心とした中南米諸国と東洋圏(日・比・タイ・韓)に頼る状況が常態化していたこともあり、中~重量級中心の欧米(特にアメリカ)では、文字通り”軽く”見られ続けた。


1990年~99年までの9年間、恐ろしいまでの強さと巧さで無人の野を突き進んだ”ミスター・パーフェクト”ことリカルド・ロペス(メキシコ/V22)が現れなかったら、105ポンドは本当に消滅の危機に瀕していたかもしれない。

誰もが驚嘆・賞賛するしかなかったあのロペスでさえ、米本土の興行に呼ばれる時は前座扱いで、客もまばらなラスベガスの大会場で早い時間帯にリングに上げられ、安い報酬を強いられている。

具志堅用高の栄えある殿堂入りも、軽量級で史上初の「100万ドルファイト」を実現したマイケル・カルバハル(米)とチキータ・ゴンサレス(メキシコ)のライバル・ストーリー(1993年~1994年/2戦1勝1敗)が、全米のファンを熱狂させたからこそに他ならない。

チキータとカルバハルが一緒に顔を揃え、キャナストゥータに招かれたのは2006年。80年代に隆盛を誇った韓国を代表するJ・フライ級の2大スターの1人,張正九(WBC/V15)が2010年、もう1人の柳明佑(WBA/連続V17・通算V18)も2013年に殿堂入りを果たし、昭和~平成(+令和)を生きた日本のオールド・ファンは、「具志堅が先だろう!」と悔し涙に暮れた(?)ことをまざまざと思い出す。


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スーパースターたちが何の違和感も躊躇もなく参入するようになり、J・ウェルター(S・ライト)とJ・ミドル(S・ウェルター)の2階級は、東洋圏のボクサーがおいそれと近づけない高嶺の花になってしまったけれど、「ジュニア・クラスへの偏見」は確実に減少した。

クロフォードが制覇した3階級は、ライト,J・ウェルター(S・ライト),ウェルター。全階級を通じて最も選手層が厚く、最激戦区として認知されている。その上で、140ポンドと147ポンドの4団体をまとめた。

なおかつJ・ライト(S・フェザー)級からミドル級までの6階級は、認定団体が増えたこと以外、1960年代前半から半世紀以上変更されていない。複数階級制覇の難易度が高いのは勿論、4団体に増えてもなお、東洋圏のボクサーにはタイトルへの挑戦機会を得ること自体が難しい。

井上が獲った4階級は、L・フライ(J・フライ),S・フライ(J・バンタム),バンタム,S・バンタム(J・フェザー)。「正統8階級」に含まれているのは、バンタム級の1つのみ。「Original 8」の118ポンドで4団体を統一したのは大きいけれど、フライ級を飛ばしたのは残念。


フェザー級より下にバンタム級とフライ級しか存在しなかった1974年以前なら、井上はバンタム級しか獲っていないことになる。世界タイトルもWBAとWBCの2団体のみ。世界ランキングも10位までしか認められていなかった。とは言え、ボクサーを取り巻く環境は、ボクサー個人の責任ではない。

井上が生を受けた1993年当時、階級は既に17あって、世界タイトル認定団体も4つに増えていた。こればかりはどうしようもない。同じ階級に複数の世界一が、当たり前のように並立する。

根本的な矛盾を指摘されたら返す言葉のない、欺瞞に満ちたこの現実にどう向き合うのか。承認料ビジネスの旨味にはまって抜け出せなくなった老舗のWBAとWBCを筆頭に、主要4団体は有力プロモーターとズブズブで、もはやかけるべき言葉もない。土台から腐り切っている。

繰り返しになるが、こうした惨状もボクサー個人には何の責任もない。ただし、ベルトを保持するすべてのチャンピオン一人一人が、己の誇りと矜持を懸けて、それぞれの答えを明確にしなければ示しがつかない。

その姿勢は容赦なく問われ続けなければならないし、この点に関する井上の立ち居振る舞いはまったく素晴らしいもので、文字通り一点の曇りもない。


その上で、クロフォードと井上の同時受賞は考えられなかったのかとも思う。「Saturday Night Boxing」というサイトを運営するアダム・アブラモヴィッチ(ランキングサイトTBRBの選考委員)が、大晦日に2023年度の年間表彰(独自)を発表しているが、まさしくクロフォードと井上を2人揃って選んでいる。

◎関連記事・サイト
<1>The 2023 Saturday Night Boxing Awards
”Fighter of the Year: (tie) Terence Crawford and Naoya Inoue”
2023年12月31日
http://www.saturdaynightboxing.com/2023/12/the-2023-saturday-night-boxing-awards.html

<2>Members:Transnational Boxing Rankings Board(TBRB)
https://tbrb.org/members


実は、リング誌にも2名同時選出の事例はあり、なんと5回にも及ぶ。直近は2020年。僅か3年前のことだ。

<5>2020年:タイソン・フューリー&テオフィモ・ロペス
<4>1985年:マーヴィン・ハグラー&ドン・カリー
<3>1981年:シュガー・レイ・レナード&サルバドル・サンチェス
<2>1972年:モハメッド・アリ&カルロス・モンソン
<1>1934年:トニー・カンゾネリ&バーニー・ロス

並んだ名前をあらためて見返すと、フューリー&テオフィモを除く4例は「ああ、なるほど・・・」と得心がいく。

リング誌の当該記事に付いたコメントにも、W受賞で良いのではないかとの投稿があり、同じ考えの持ち主がアメリカにもいるのかと、少し嬉しくなった。

また、スペンスの現在の実力に言及するコメントもあり、在米のマニアは良く見ているとも思う。


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