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■5月21日/パロマ瑞穂アリーナ,名古屋市/52.6キロ(116ポンド)契約10回戦
元3階級制覇王者/WBO3位 田中恒成(畑中) vs WBC13位 パブロ・カリージョ(コロンビア)



◎「階級の壁」は克服できたのか? - 井岡一翔戦を振り返る

2020年の大晦日決戦で井岡一翔に無残なKO負けを喫した田中は、テストマッチ無しで挑んだS・フライ級での手痛い初黒星について、「(4つ目の階級で)初めて”階級の壁”を感じた」とも語っている。

国内引退を経て渡米を敢行した後、115ポンドでワールドクラスを相手に4戦(海外で2試合)をこなしていた井岡は、大幅なリバウンド込みの計画的な調整を自分のものにしつつあり、本番当日の井岡は上半身が一気に厚みを増す。

右ストレートでクリーンヒットを奪い、快調な滑り出しに見えた田中だったが、分厚く膨らんだ井岡の上半身は、高く保持されたガードの効果も相まって容易に崩れず、105~112ポンドで決定的な場面を創出した破壊力を発揮しない。

ジャブとフットワークを増やしながら、最大のストロングポイントとも言うべきスピードを前面に押し出し、長期戦を覚悟した仕切り直しに出るのかと思いきや、短兵急かつ単調な正面突破をリピートするのみ。


じっくりカウンターで待ち構える井岡の術中に、むざむざ自分からハマり込む愚を犯した田中は、ドンピシャのタイミングで左フックを合わせられ、腰から仰向けに崩れ落ちた後も戦術を修正することなく、ひたすら自滅の道をまい進した。

ムキになって振るう田中の左右は井岡の顔面やボディをまともに捉えてはおらず、高いガードをすり抜けて着弾するのは、スピード&タイミングに注力したショートのストレート系なのだが、強引な強振から確実に当たるショートパンチへとシフトする意識,落ち着きと冷静さが、この日の田中には微塵も感じられない。

そしてその田中を上手にコントロールして適切な修正へと迅速に導くコーナーワークを、斉(ひとし)トレーナーと畑中会長も持ち合わせていなかった。力で制圧することしか頭にない田中は、井岡にとっておあつらえ向きの獲物,ネギを背負ったカモと化して行く。


破綻の前兆は第4ラウンド。開始15~16秒を過ぎたところで、ジャブでの駆け引きの最中、田中がリードの左をフワっと緩く遅いフックで振った瞬間、井岡も同じ左フックを、緩いけれども田中よりは素早くシュンと振り返した。

互いに当てる意思はまったくなく、けん制半ばの探り合い。ただ、印象的だったのは、打ち終わりの両者の態勢である。両拳を腰の位置まで下ろし、完全にノーガードの田中に対して、井岡は両拳で頬を挟むようにしつつ、顎もしっかり引いてセミクラウチングを保持していた。

時間にすれば僅か1~2秒。がしかし、トップレベルのボクサーの中には、本当に僅かなこの隙を見逃すことなく、決定機を見出し勝負を決めてしまう手練れが少なくない。一流の一流たる所以である。

もっとも、この時点では田中に致命傷を与えた左フックの準備、カウンターのタイミングを測る予備動作と言い切れるまでの段階になかった。


様子が明らかに違ったのは、その直後。20秒を経過した頃、小さく軽い左をチョンチョンと突いて距離を詰める田中に、井岡が鋭く右のショートストレートで被せる。105ポンド時代の初防衛戦で、ヴィック・サルダールに再三狙われたパンチ。

井岡は小さなダックで身体を沈めた後、上体を浮かび上がらせる動作と一体化させて放つ。これをまともに食らった田中は、一瞬ガクンとなってガードが解け、追撃のジャブを真正面から食らった。

そのまま赤コーナーへ後退するが、井岡がさらに続けるジャブをかわしざま、完全にコーナーに下がり切る前に左へ回り込んだのは流石。しかし、井岡はここでもけっして打ち急がず、しっかり田中を観察しながら斜めにリングを横切り、遅れることなく着実に田中を追う。


フェイントを交えながら井岡が振るった左アッパーに合わせて、ヒラリと身を翻しリング中央へ戻る田中。秀逸なプレッシャーの捌きとムーヴィング・センスに思わず感心したが、手(左のリード)が出ない。ダメージと言うよりは、先ほどの右ショート,綺麗なクロスカウンターの副次的効果。抑止力と言い換えてもいいだろう。

圧力を嫌がる田中が両腕をダラリと下げ、ノーガードで挑発半ばに膝と身体を柔らかく揺らし、「ほら、打ってみろよ(カウンターを匂わす仕草)」と表情で威嚇しながらじわじわと後退する。

己の余計な緊張を解すだけでなく、井岡のプレスを散らしてその場の空気を変える意味もあるが、当然井岡は動じない。すると手を出さずに雰囲気だけで圧を増し、前に出ようとする井岡に対して、左から突っかける田中。ハンドフェイントの軽い左から一気に強い右を振って踏み込み、再び左ジャブ。

これに反応してダックする井岡に下から右アッパーを刺し込み、顔面への左フック、さらに左ボディの脇腹打ち。一切の無駄なく的確に急所を連続的に狙う見事な連打。ところが、井岡はこの素晴らしいコンビネーションをすべて防ぐ。

右アッパーはガード(両拳=グローブ)でカット。返し(追撃)の左フックには、左サイドへ身体を倒して対応しながら、右肘でしっかり脇腹をカバー。田中のコンビネーションがボディまで続くことを完全に理解したディフェンスワークであり、キャンプで反復練習を徹底してきたに違いない。

今度は井岡が身体を返して間を作った訳だが、ここでまた両者は一瞬正対して向き合う。やはり両拳で顎を守る井岡に対して、胸の前に左右の拳を合わせるように置き、無防備に顔面を晒す田中。井岡が顎を引いてセミクラウチングを堅持しているのは、言うまでもない。まるで上述したシーンの(悪い)デジャヴ。


そして40秒付近。鋭く強いダブルジャブを放つ田中(この連射は良かった)。さらに右から左の逆ワンツー。貰ってはいないが、間を置こうと左サイドへ回りながら下がり、中間地点でロープを背負う井岡。

ここは田中もカウンターを警戒して踏み込みを躊躇。左のハンドフェイントでけん制すると、すかさず井岡が踏み込んで左ジャブを1発。だが、これは井岡が仕掛けた巧妙な罠。

呼応した田中がダブルジャブから右へつなぐも、井岡はステップバックで今一度ロープを背負い、完全に届かない距離での空振り。これも田中を誘うことを目的にした二重のトラップ。


田中は勇気を奮って踏み込み、フェイント気味の左ジャブから右フックを狙うと、井岡が鋭角的な右ショートを一閃。ラウンド序盤に田中を下がらせた右クロスを、左リードではなく強く振る右フックに合わせた。

これが抜群のタイミングでヒット。思わず田中が大きく二段階の後ずさり。前に出る井岡、を押し返そうと、田中が左ジャブ→右フックのパターンを繰り返す。井岡はこの左に合わせて大きな右クロスを被せたが、顔を左肩の方向に傾けてかわしながらツーの右。

井岡はこの右を待っていたかのように、右クロスから途切れることなくごく自然に左フックを振った。田中が明らかにヒットを狙って力を込めているのに対して、井岡はじっくり構えてタイミングを測っている。


時間はちょうど50秒に差し掛かり(TV画面の表示:2分11秒/ダウンカウント方式)、田中のワンツーと井岡の右クロス→左フックともに当たっていない。

打ち終わりの態勢は、ここでもガードをきちんと保持する井岡とは対照的に、両腕がベルトラインより下に落ちて顔面をがら空きにする田中。

「ああ・・・。井岡は生命線の右だけじゃなくて、左フックのカウンターも狙っている。田中は少し頭を冷やした方がいい。井岡を甘く見過ぎている。」


この場面を見て、素直に危ないと思った。攻め急いでも何1つ良いことはない。田中にステップインを迷わせるのに充分な効力を持つ右のショートは勿論、左フックもタイミングは合っていた。後は距離を調整するだけ。

このすぐ後、田中がジャブからワンツーを連射して井岡を赤コーナーに下がらせた。放った連打は9発で、最後の右は井岡の顔面に届いてはいたが、カバーリングを怠らずに芯を食わせてはいない。

そして連射を受けて後退する際、井岡はオフ・バランスにならない程度に上体をそらし、これだけでヒットポイントをずらしてしまう。田中は上体が伸びてパンチに体重が乗り切らず、井岡は慌てることなく耐えられる。


攻勢を取る田中の見栄えがより良く見えた方もおられるだろうが、ペースを握っているのは井岡であり、”動かされている”田中には余裕がない。このまま行ったら、田中の勝ちはないと確信するしかない。

だとしても、第5ラウンドの痛烈なノックダウンは想像をこえていた。危険な間合いとタイミングで井岡のカウンターを幾度となく浴びるだろうが、驚異的な心身のタフネスでフル・ラウンズを持ち応えるだろうと・・・。


田中の最も優れた特徴,長所について、スピード(身体と手足)を挙げるマニアは少なくない(私も含めて)。しかし、プロ入り後の田中は好戦的なファイト・スタイルを好み、被弾覚悟の打ち合いにのめり込む場面も多かった。

105ポンドの世界タイトルは、口さがない言い方で申し訳ないが、国内最速奪取記録(井上尚弥の6戦目)の更新と、「数を揃える(複数=多階級制覇)」為に無理な減量を押して獲得したもの。初防衛戦を終えると、ベルトを返上して108ポンドのL・フライ級へ転出。

その後フライ級(112ポンド上限)へ上げてもなお、3階級を獲った木村翔(青木→花形)戦に象徴される、”ファイター恒成”の姿勢、パワーファイトへの傾倒は変わらないままキャリアを重ねている。


田中にパンチが無いと言っている訳ではないが、じゃあハードパンチャーなのかと言えば、けっしてそうではない。ミニマム~L・フライまでは、最終的に体格差(計量後のリバウンド込み)で圧倒することができた。

160センチ未満の小兵選手が多い105~108ポンドでは、165センチ近いタッパは大きなアドバンテージになる。


■田中のダウン経験
<1>ヴィック・サルダール(比)/2015年12月31日/愛知県体育館/WBO M・フライ級V1
※第5ラウンド終盤、強気一辺倒で前に出続ける田中が、意図も意味もまったく感じられない緩めの左リードを振った瞬間、再三貰っていたサルダール(WBO4位)の右ストレートをクロスで被せられ、腰から落ちて背中を着く。かなり効いていたが、気持ちの強さ+残り時間の少なさに救われる格好で乗り切る。続く第6ラウンド、手応えを掴んでいた左ボディで逆転KO勝ち。

<2>パランポン・CP・フレッシュマート(タイ)/2017年9月13日/EDIONアリーナ大阪/WBO J・フライ級V2
※初回開始直後(2分56~57秒)、右ストレートを肩越しに直撃されて腰を落とす。倒れた勢いで身体を反転させると、ロープ際でそのまま立ち上がりダメージはほとんどないと思われたが、試合後両眼の眼窩底骨折(当初は左眼のみと発表)が判明。年末に内定していたWBA王者田口良一(ワタナベ)との統一戦が吹っ飛ぶ。

ムエタイの猛者パランポンは、ランキングこそ13位と低かったが、ミニマム時代を含めて最強と表していい実力者で、田中は右眼も潰された上にバッティングで右の瞼をカット(第6ラウンド)するなど苦境に追い込まれたが、第9ラウンドに強烈なワンツーでダウンを奪い返し、そのままレフェリーストップを呼び込んだ。

後に田中自身が語ったところによると、「開始と同時ぐらいに貰ったジャブが左眼に当たって、二重に見えていた。」とのことで、眼筋マヒを併発せずに済み、重い後遺症が残らなかったことが不幸中の幸い。

そもそも論として、デビュー直後に連続KO勝ちで派手に倒していた選手でも、6回戦から8回戦、そして10回戦へと進む過程で、対戦相手のレベルが上がるに従い倒せなくなって行く。

パンチング・パワーに恵まれたリアルな強打者でも、攻防の技術と駆け引きを覚えないと、メイン・イベンターを倒し切るのは容易ではない。

1発の威力自体はさほどでなくとも、洗練された技巧と抜群のタイミングで倒すカウンターパンチャーも中にはいるが、どんなタイプとやっても決め切れるほどのボクサー(例えば往年のジョー・メデルやサルバドル・サンチェス,ウィルフレド・ゴメス等)となると、数は自ずと限られる。


田中恒成再生(すなわち4階級制覇達成)のカギは、自らのストロング・ポイントを何に位置づけるのか、その一点にかかっていると言ってもいいのではないか。

その判断さえ誤らなければ、少なくとも115ポンドにおける「階級の壁」は突破可能な筈。田中恒成のポテンシャルを大輪の開花へと結びつけるもつけないも、すべてはその一点が分水嶺になる。


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◎田中(27歳)/前日計量:116ポンド(52.6キロ)
前WBOフライ級(V3/返上),元WBO J・フライ級(V2/返上),元WBO M・フライ級(V1/返上)王者
※現在の世界ランク:WBA4位・WBC4位・IBF3位
戦績:19戦18勝(10KO)1敗
世界戦通算10戦9勝(5KO)1敗
アマ通算:51戦46勝(18RSC・KO)5敗
中京高(岐阜県)出身
2013年アジアユース選手権(スービック・ベイ/比国)準優勝
2012年ユース世界選手権(イェレバン/アルメニア)ベスト8
2012年岐阜国体,インターハイ,高校選抜優勝(ジュニア)
2011年山口国体優勝(ジュニア)
※階級:L・フライ級
身長:164.6センチ,リーチ:167センチ
※井岡一翔戦の予備検診データ
右ボクサーファイター


◎カリージョ(34歳)/前日計量:115.75ポンド(52.5キロ)
戦績:38戦28勝(1KO)8敗2分け
身長:154センチ
右ボクサーファイター


■田中と井岡の階級別戦績

◎田中恒成の
<1>ミニマム級(105ポンド/47.62キロ上限)
2013年11月~2015年12月:2年1ヶ月
6戦全勝(3KO)
世界戦:2戦2勝(1KO)/WBOM・フライ級王座V1

<2>L・フライ級(108ポンド/48.97キロ)
2015年5月~2017年9月:2年4ヶ月
4戦全勝(3KO)
世界戦:3戦全勝(2KO)/WBO J・フライ級王座V2

<3>フライ級(112ポンド/50.8キロ)
2018年3月~2019年12月:1年9ヶ月
5戦全勝(3KO)
世界戦:4戦全勝(2KO)/WBOフライ級王座V3

<4>S・フライ級(115ポンド/52.16キロ)
2020年12月~現在:2年5ヶ月
※武漢ウィルス禍による1年+KO負け後の1年=計2年のブランクを含む
4戦3勝(1KO)1敗
世界戦:1戦1敗


◎井岡一翔
2009年デビューの井岡の戦績を、階級別に整理すると次のようになる。
<1>ミニマム級
2009年4月~20011年12月:2年8ヶ月
9戦全勝(6KO)
世界戦:3戦3勝(2KO)
※WBCストロー級王座V2,WBAミニマム級王座統一
(日本人初の2団体統一:八重樫東に12回3-0判定勝ち)

<2>L・フライ級
2012年6月~2013年12月:1年6ヶ月
4戦全勝(3KO)
※すべて世界戦:WBA正規王座V3
(スーパー王者:ローマン・ゴンサレス)

<3>フライ級
2014年5月~2017年4月
9戦8勝(4KO)1敗
世界戦:7戦6勝(4KO)1敗/WBA正規王座V5
(スーパー王者:ファン・F・エストラーダ)
※転級第1戦でIBF王者アムナットに挑戦して初黒星
(12回1-2判定負けも内容的にはほとんど何もできず完敗)
※ロマ・ゴンも2013年5月からフライ級に参戦/L・フライ級を飛び越えて2階級制覇に成功した八重樫を破りWBC王座を獲得(2014年9月),リング誌P4P第1位の栄誉を得る(史上初の軽量級王者)

<4>S・フライ級
2018年9月~現在:4年8ヶ月/パンデミックによる1年のブランクを含む
※国内引退~渡米に至るまでに1年5ヶ月のブランク有り(2017年4月~2018年9月)
9戦7勝(2KO)1敗1分け
世界戦:8戦6勝(2KO)1敗1分け
※世界戦通算:22戦19勝(11KO)1敗