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2025年07月

S・フライ級進出も視野に・・・拳四朗が統一王座の初防衛戦 - 横浜BUNTAI トリプル世界戦 プレビュー -

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■7月30日/横浜BUNTAI(旧称:横浜文体/横浜文化体育館)/WBC・WBC世界フライ級タイトルマッチ12回戦
統一王者 寺地拳四朗(B.M.B) vs WBA4位 リカルド・R・サンドバル(米)


※会見(公式フル映像)
https://www.youtube.com/watch?v=CkEsq4diRfA

リカルド・サンドバル(Richard Sandoval)と聞いて、80年代のバンタム級を賑わせた人気者リッチー(リカルド)・サンドバルを思い出したオールド・ファンも多かったのではないかと(勝手に)想像する。

”和製無冠の帝王”こと村田英次郎(金子)の挑戦を3度び弾き返した安定政権を樹立したジェフ・チャンドラー(米)を破り、短期間だがWBA王座を保持。ジュニアの世界選手権とパン・アメリカン・ゲームズでメダルを獲ったエリート選手でもあったが、丁度1年前の昨年7月22日、63歳の若さで天に召されてしまい、カリフォルニアのボクシング・ファンを悲しませた。

21日にチームとともに来日した挑戦者は、カリフォルニア出身のメキシコ系アメリカ人。大先達リッチーとの血縁関係はなく、正真正銘の同名異人。生まれたのは、ロサンゼルス近郊のモントクレアという人口4万人に満たない小さな街で、現在は同じ郡内にある工業都市サンバナディーノ(人口22万人超)に隣接する、リアルトという中規模都市(人口約10万人)に居住。

米本土でも詳細なインタビューは行われておらず、精確な来歴はわからない。来日直後のインタビューで判明したのは、「ボクシングを始めたのは10歳。以来ずっと続けてきた」、「ボクシングと直接関わりのある家族はいないが、父がファンでテレビの中継を良く見ていて影響を受けた」といった程度。

チームを率いるヘッドは、ホセ・トーレスというローカル・トレーナー。こちらもまた、名匠カス・ダマトが育てた2人目の世界王者(L・ヘビー級)と同姓同名。悪い癖で、ついつい寄り道したくなってしまう。

結果的に愛息をボクシングに誘った父は、フリオ・セサール・チャベスとファン・M・マルケス(好戦的なボクサーファイター)の支持者だったけれど、息子が憧れたのは、リカルド・ロペスとロマチェンコ(脚の速いボクサータイプ)。

成長した今現在は、まとまりの良い正攻法のボクサーファイトを身上にしており、フィニートの系譜を目指した模様。現実問題としてロマチェンコのスタイルを模倣するのは不可能に近く、全盛のフィニートが誇った高過ぎる完成度は別にして、印象的だった高いガードを筆頭に手本にし易いことだけは間違いない。


当然アマチュアでの活動歴もある筈だが、具体的な戦績と戦果を公表しておらず、大手プロモーションのスカウトの網にもかからなかったことから、目ぼしい実績を残すまでには至らなかったと思われる。

プロ入り後に積み上げた戦績は立派なもので、2016年6月にルーツのメキシコでプロデビュー。5戦目(4回戦)に0-2判定で初黒星を喫するも、8戦で4回戦を卒業すると、カリフォルニアに戻ってローカル興行に出場(6回戦)。12戦目で8回戦に上がり、丸3年目となる16戦目で10回戦に進出した。

一定レベル以上ののアマチュア経験者を、短期間で世界タイトルに挑戦させる”促成栽培方式”は日本独自のやり方で、欧米では時間をかけてプロの水に慣らすのが一般的。

1960年ローマ五輪のL・ヘビー級を制したモハメッド・アリは、6回戦でデビューした後、3年以上の月日をかけてプロのヘビー級で通用する身体を作り(10ポンド近い増量)、ソニー・リストンを破って王座に就いたのは20戦目(3年4ヶ月)だった。

そして、伝説の拳豪シュガー・レイ・ロビンソンからアリが継承したバトンを、多くのファンと識者から認められて受け継いだ2代目シュガー・レイ・レナードも、1976年モントリオール五輪のL・ウェルター級で金メダルに輝き、6回戦でプロデビュー。やはり3年9ヶ月をかけて25戦の経験を積み、史上に名高いディフェンス・マスターの1人、ウィルフレド・ベニテスを15回TKOに屠って最初のウェルター級王座を獲得している。

また、1996年アトランタ五輪のフェザー級で悔しい銅メダルに甘んじたフロイド・メイウェザー・Jr.は、130ポンドのJ・ライト級で何と4回戦からのスタート。2年間で17試合を消化すると、名王者ヘナロ・エルナンデスをスピードで圧倒。9回終了TKO勝ちを収めて、18戦目で1つ目のWBC王者となった。

新興のマイナー団体に過ぎなかったWBOを利用して、12戦目でWBO J・ライト級王座を獲らせて貰ったオスカー・デラ・ホーヤ(1992年バルセロナ五輪ライト級金メダル)、同一階級に正規&暫定&スーパーを並立させる、恐るべき拡張政策を断行したWBAの”銭ゲバ体質”に乗じて、7戦目でWBAのS・バンタム級暫定王座に就いたギジェルモ・リゴンドウ(2000年シドニー・2004年アテネ五輪連覇/バンタム級)、15戦目でWBAフェザー級のベルトを巻いたユリオルキス・ガンボア(2004年アテネ五輪フライ級金メダル)らは、例外中の例外と表していい。


アマで目立った活躍が出来なかったらしい(?)サンドバルが、15戦をこなしてから10回戦に上がったのは、欧米における常識的なキャリアメイクと言える。

初陣をS・フライ級で終えたサンドバルは、フライ級からフェザー級(S・バンタム級リミット+1ポンド強)の間を行き来しながら戦っている。大胆に階級を上げ下げしながら、修行中にベストウェイトを探ること自体は、これもまた欧米では良くある手法で特に珍しいものではない。

170センチ近いタッパに恵まれたことも、階級の選択に時間をかける要因の1つになったのだろう。2017年の暮れからフライ級に定住して、やはりメキシコと米国の両方でキャリアを進め、2019年7月にゴールデン・ボーイ・プロモーションズからお呼びがかかり、WBCインターナショナルのユース王座への挑戦機会を得る。

首尾良くユース王座を獲得したサンドバルは、地元カリフォルニアを中心にしたGBPのローカル興行の常連となったが、正式なプロモート契約を結んだのは2024年の年明け早々だったらしい。


契約締結が遅れた最大の理由は、2022年6月のエリミネーター(WBAフライ級/当時の王者:アルテム・ダラキアン)で、コスタリカのデヴィッド・ヒメネスにダウンを奪われ、12回0-2判定を失い、2度目の敗北を献上したこと。

サンドバルの勝利を支持する声も多く、判定に対する批判も小さくなかったとのことだが、ホームのロサンゼルスで勝ち切れなかった。そして、猛威を振るい続けた武漢ウィルス禍による興行の中止と自粛も痛かった。

GBPが用意したマッチメイクは非常に理に叶ったもので、参戦4試合目でフィリピンの元プロスペクト,レイモンド・タプゴンに7回KO勝ち(2020年2月)。ここでパンデミックによる1年4ヶ月の休止を余儀なくされる。

2021年8月の復帰戦で、英国ウェールズのフライ級ホープ,ジェイ・ハリスを8回KOに下し、年末の12月には、京口紘人(ワタナベ/先日引退を表明)への挑戦経験を持つカルロス・ブイトラゴ(ニカラグァ)にも7回TKO勝ち。

こうした辿り着いたエリミネーターだったが、あと1歩のところで世界挑戦を逃す。ちなみにヒメネスは、安定王者ダラキアンに英国の首都ロンドンで挑み明白な12回0-3判定負け。階級を上げて再起し、昨年4月、S・フライ級のWBA暫定王座を奪取。

今月20日には、キルギスタンで健文トーレス(TMK)に11回KO勝ち。井岡一翔(志成)とのリマッチを乗り切り、統一路線をひた走る( or バンタム級進出?)フェルナンド・マルティネス(亜)への指名挑戦権を獲得した。


ヒメネスに敗れたサンドバルは、再びローカルファイトからやり直し。ブイトラゴとの再戦(8回終了TKO勝ち)を含む4連勝(2KO)をマークすると、昨年7月、元WBO J・フライ級王者アンヘル・アコスタ(プエルトリコ)に10回KO勝ち。WBCシルバー王座に就く。

今年2月には、インディアナの中堅選手サレト・ヘンダーソンを10回判定に退けて、WBCシルバー王座の初防衛に成功。今年3月、ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)に劇的な最終回逆転TKO勝ちを収めて、A・C2団体を統一(L・フライ級に続く2階級+2団体統一)した拳四朗へのアタックがまとまった。

6割を超える高いKO率(軽量級では十分に高い)を記録しているが、一撃でし止める破壊力は無く、ジャブ&コンビネーションによる崩しとカウンターでチャンスメイクし、連打をまとめてストップを呼び込む。


安定感に優れたボクシングではあるものの、大きなハプニングのリスク,怖さは無い。積極果敢に打ち崩す好戦性も持ち合わせてはいるが、丁寧にラウンドをまとめるバランスの良さに適性を発揮する。

これでは前評判も盛り上がりづらい。リング誌P4Pランク入りを果たし、キャリアの後半~終盤を迎えてなお意気健康な拳四朗の防衛は堅く、本人が会見で述べた通り、「後半にKOできればいいが、勝ち方も問われる」。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>Caesars Palace
拳四朗:-500(1.2倍)
サンドバル:+325(4.25倍)

<2>betway
拳四朗:-500(1.2倍)
サンドバル:+350(4.5倍)

<3>ウィリアム・ヒル
拳四朗:1/6(約1.17倍)
サンドバル:4/1(5倍)
ドロー:16/1(17倍)

<4>Sky Sports
拳四朗:2/7(約1.29倍)
サンドバル:17/4(5.25倍)
ドロー:20/1(21倍)


◎公開練習
<1>サンドバル


<2>拳四朗



拙ブログ管理人も、8割方の確率で拳四朗の防衛(3-0判定 or 中盤以降のTKO)と見立ててはいるけれど、打たれ(せ)るようになった拳四朗の疲労と消耗が心配。蓄積したダメージは、何時顕在化するかわからない。30代を超えていれば尚更だ。

好戦的ではあっても、純正なメキシカン・スタイルではなく、粗く雑に振り回すのはフィニッシュを狙う場面に限られ、相手の打ち気を誘ってタイミング良くカウンターを取る術も知っている。

実際に見てみないとはっきりしたことは言えないが、慎重な待機策をベースに、プレスをかけながら前に出てくる拳四朗を迎え撃つ戦術も想定の範囲内。

拳四朗がパワーアップした右ストレートを振り出すのに合わせて、ベーシックなボディワークでかわしざま、得意にする左フック(やや下からアッパー気味にショートで打ち抜く)で迎撃するシーンは容易に想像がつく。


◎拳四朗(33歳)/前日計量:111.6ポンド(50.6キロ)
現WBCフライ級(V2),現WBAフライ級(V0),元WBC(通算V11/連続V8)・WBA(V2)統一L・フライ級王者
元日本L・フライ級(V2/返上),OPBF L・フライ級(V1/返上),元WBCユースL・フライ級(V0/返上)王者
戦績:26戦25勝(16KO)1敗
世界戦通産:17戦16勝(11KO)1敗
アマ通算:74戦58勝(20KO)16敗
2013年東京国体L・フライ級優勝
2013年全日本選手権L・フライ級準優勝
奈良朱雀高→関西大学
身長:164.5センチ,リーチ:163センチ
※矢吹正道第2戦の予備検診データ
※軽量時の検診データ
体温:36.0℃
脈拍:66/分
血圧:127/88mm
右ボクサーファイター


◎サンドバル(26歳)/前日計量:111.8ポンド(50.7キロ)
戦績:28戦26勝(18KO)2敗
アマ戦績:不明
身長:168センチ,リーチ:170センチ
※軽量時の検診データ
体温:35.9℃
脈拍:55/分
血圧:133/82mm
右ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:スティーブ・ジェルマン(カナダ)(カナダ)

副審:
レシェック・ヤンコヴィアク(ポーランド)
ジャッジ :パヴェル・カルディーニ(ポーランド)
ジャッジ :ジョセフ・グゥィルト(英/イングランド)

立会人(スーパーバイザー)
WBA:ウォン・キム(韓)
WBC:ケヴィン・ヌーン(アイルランド)


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◎サンドバルの試合映像
<1>2024年3月30日/youtubeシアター,カリフォルニア州イングルウッド
サンドバル 8回終了TKO C・ブイトラゴ第2戦
https://www.youtube.com/watch?v=TL1iPeoWF0Q

<2>2021年12月4日/MGMグランド・アリーナ,ラスベガス
D・ヒメネス 12回2-0判定 サンドバル
WBAバンタム級挑戦者決定12回戦
https://www.youtube.com/watch?v=y_3sUrqHKPw

<3>2020年2月6日/ファンタジー・スプリングス・カジノ,カリフォルニア州インディオ
サンドバル 7回KO R・タプゴン
https://www.youtube.com/watch?v=U8gqdvDJm5w

残念なことに、アコスタ戦の試合映像はネット上で確認できない。陣営をハンドリングするミゲル・コット(プロモーター)の差配だろうか。


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◎有利の予想が出ている比嘉と高見

トリプル世界戦と銘打たれている通り、3戦連続の挑戦となるバンタム級の比嘉大吾(志成)、プロ10戦目の初挑戦となるL・フライ級の高見亨介(帝拳)についても書きたいことはヤマほどあるが、時間が取れず涙を呑んで見送り。

日本国内の配信はU-NEXTになるが、サンドバルとエリック・ロサ(ドミニカ/WBA L・フライ級王者)を擁するゴールデン・ボーイ・プロモーションズの尽力により、米本土でもDAZNが配信を行う。

眼疾(左眼:詳細は不明)による堤聖也(角海老宝石)の休養を受けて、暫定から正規に昇格したBA王者アントニオ・バルガス(米)に挑む比嘉には、何としてもベルトを巻いて貰い、復帰を待つ堤との再戦実現を願う。



”見えざる意思”は動いたのか - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 5 -

カテゴリ:
■5月24日/インテックス大阪5号館,大阪市住之江区/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 ペドロ・タドゥラン(比) 判定12R(2-1) 前王者/IBF4位 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

勝者タドゥランが告げられた瞬間、国家演奏の時のように左胸に手を当てて天を仰ぐ銀次郎

◎【検証】ホールディング状態での加撃:第1戦と第2戦の共通点及び相違点
■第1戦■
□試合映像:タドゥラン 9回TKO 銀次郎
2024年7月28日/滋賀ダイハツアリーナ(滋賀県大津市)
オフィシャル・スコア(8回まで): 78-74×2,77-75
IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
ttps://www.youtube.com/watch?v=SiWHjh13J88

第1R-無し

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第2R-1回
1回目
残り33秒~27秒

ホールド状態での加撃-第1戦-第2ラウンド hspace=

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第3R-無し
1分19秒~1分15秒(経過時間:1分41秒~1分54秒/以下同様)
銀次郎の劣勢が明確になったラウンド。タドゥランの両腕を銀次郎が抱え込む状態となり、両者ともパンチが出ない状況。タドゥランは左腕を抜いてパンチを打とうとするが、銀次郎がこれを阻む。2秒を経過(1分17秒)したところで、膠着状態と判断した主審ウィリスが「ノー・ホールド!」の声を掛ける。

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第4R-無し

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第5R-1回
2回目
1分29秒~1分23秒(1分31秒~1分37秒)
右腕を抱え込まれる格好となったタドゥランが、しっかりディフェンスできない銀次郎のボディから顔面に7連打。銀次郎が右を1発振り返してタドゥランの加撃が一旦止まるも、さらに2発を追撃。主審ウィリスは「ノー・ホールド!」の声を掛けてはいるものの、止めに入ろうとせず、理解に苦しむレフェリング。実況の高柳アナが、「ちょっと今の反則だよね。3発ぐらい」と発言。

ラウンド終了後のインターバル中、リプレイで問題の場面が流される。高柳アナがあらためて「これはダメですよね?」と指摘。エキサイトマッチでの経験は伊達ではないと感心したが、解説の大毅はルールに関する理解と認識が皆無なのか、あるいは流し見してしまっていたのか、いずれにしろまともに呼応できない。止む無く高柳アナが「重岡選手も手をかけていましたからね」とフォローする始末。

ホールド状態での加撃-第1戦-第5ラウンド

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第6R-無し

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第7R-無し

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第8R-無し
1分19秒~1分14秒(1分41秒~1分46秒)
※銀次郎がタドゥランの右腕を抱え込む状態で密着。「また打たれる・・・」と肝を冷やしたが、ここはクリンチしたままタドゥランも手を出さず、5秒ほどで離れて事無きを得た。

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第9R-2回
2分4秒~1分51秒(56秒~1分09秒)
※被弾した銀次郎が腰を折ってタドゥランに抱きつき、上からタドゥランが圧し掛かり、そのまま上から潰される状態で銀次郎が膝を着く。主審ウィリスが下に下げた両腕を交差して、ノックダウンではないことを明示。しかし、ダメージが深い銀次郎はすぐに起き上がれない。何とか立ち上がった銀次郎に、主審ウィリスが「OK?」と2回確認。再開となったが、ここで止めて良かった・・・と今だから言える結果論・・・。

【3回目:最も危険な問題のシーン】
1分34秒~1分27秒(1分26秒~1分33秒)
※タドゥランが抱え込まれた右腕を強く押し込み、銀次郎をロープに釘付けにして6連打。第5ラウンド、高柳アナの問いかけに反応できなかった解説の大毅が「これはダメ」「これはダメです」と声を上げる。「これは反則を取ってもいいんじゃないですか」と高柳アナ。6連打を黙認したウィリスが分けて再開後、高柳アナが「押さえつけて殴ってはいけないということです。」と視聴者向けに説明。

ホールド状態での加撃-第1戦-第9ラウンド

4回目
1分21秒~1分18秒(1分39秒~1分42秒)
同じ態勢になり、タドゥランが軽めの左アッパーを1発。すぐに離れてくれたので、ホっと胸を撫で下ろす。

残り12秒、またもやロープに押し込まれる銀次郎を見て、主審ウィリスが割って入りストップ。タドゥランのTKO勝ちとなった。


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■第2戦(合計35回)■
□試合映像:タドゥラン 12回判定 銀次郎
2025年5月24日/インテックス大阪
オフィシャル・スコア: 78-74×2,77-75
IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
ttps://www.youtube.com/watch?v=po1fZ-erYJ0

第1R-無し

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第2R-無し

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第3R-1回

1分16秒~1分8秒(経過時間:1分44秒~1分52秒)
予兆:タドゥランが頭から密着→ボディ→さらなる密着→クリンチ
※主審フィッチはタドゥランに対してバッティング(ヘッドバット)の注意のみ

1回目
残り6秒付近~
※密着している時間が短く、殴打もさほど強くなかったこともあり、主審フィッチは無言で観察するのみ。

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第4R-3回
2回目
1分58秒(1分02秒)

3回目
0分50秒~0分42秒(2分10秒~2分18秒)
※銀次郎が右腕を抱え込む格好でロックされ、タドゥランが左を5連打。一旦離れかけるもさらにもう1発。主審フィッチはここでも無言。ウィリスのように「ノー・ホールド」と声を掛けることもなく、ただ観察(傍観)するのみ。

4回目
0分31秒~0分27秒(2分29秒~2分23秒)

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第5R-2回
5回目
1分57秒~1分55秒(1分3秒~1分5秒)

【6回目:最も危険な問題のシーン】
残り10秒~
第2戦・第5ラウンド終了間際

第2戦・第5ラウンド終了間際/主審フィッチの黙認は変わらず

※ロープに押し込んで打つ、第1戦と同じ危険なパターンが再現。タドゥランは左を7発も連射。主審フィッチの黙認は相変わらず。
※インターバル中に当該場面のスロー・リプレイが流れ、解説の高柳アナが「これ、重岡選手もあのー、ちょっと雑な押さえ方をすると打ち込まれますよね?」と発言。解説の内山高志が「そうなんですよ」と呼応。すると大毅が「ストップって言われないとずっと打てるんですよ」と続く。

第1戦の第9ラウンドでは、「反則を取ってもいいんじゃないですか?」と言っていた高柳アナ、「これはダメ」と言葉を言した大毅も大きく後退。新たに解説に加わった内山には、非常に言いづらそうなニュアンスが感じられた。ひょっとしたら、「タドゥランのこの行為は反則に当たらない」という主旨の事前確認か、それに近い申し合わせがあったのかもしれない。

ABEMAの単なる自主規制でも大きな問題になると考えるが、JBCとIBFの見解に基づいていたか、そこまでではないにしても、JBCが何かしら関わった上での対応だったとしたら、これは由々しき事態ではないのか。

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第6R-5回
7回目
1分02秒~0分56秒(1分58秒~2分04秒)
第2戦・第6ラウンド

8回目
0分49秒(2分12秒)

9回目
0分33秒~0分30秒(2分27秒~2分30秒)

10回目
残り6秒付近~
※左拳で銀次郎の首を軽く押さえた直後、押さえる拳を右に変えて左で打つ
一旦右拳を離したタドゥランだが、一瞬右拳でもう一度押さえようとする

※終了ゴングが鳴ってコーナーに戻る銀次郎がアップになり、椅子に座る前にトップロープを両手で掴み、首を2回上下に動かしている。銀次郎の瞳は第4Rの2回目時点ほど空ろではない

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第7R-2回
1分32秒~1分27秒(1分28秒~1分33秒)
※銀次郎の上半身が折れ曲がり、頭がベルトラインまで下がると、タドゥランが上から押さえ込んでいる(プッシング)と判断され、レフェリーも止めに入る。
レフェリーが分ける際、下がるタドゥランに引きずられる格好で銀次郎が片膝を着く。

11回目
0分57秒(2分03秒)
※銀次郎が上体を起こして両腕をタドゥランの脇に刺し込み難を逃れる。意識してやったというより、半ば無意識の習慣的反応、反射的な動作ではないかとも思われる。

0分48秒~0分46秒(2分12秒~2分14秒)
※銀次郎の左をタドゥランがダックしてかわし、銀次郎が上から押さえ込む格好になったが、銀次郎はパンチを打つことなくすぐに離れている。クリーン or ダーティという話ではなく、これが日本の選手の一般的なやり方(慣習・スタンダード)になる。おそらく、日本の指導者(プロ)も、プッシングやホールドした状態での可撃を意図的に教えたり、指示することは無い筈。善悪の話ではなく勝負観の違い(日本人に特有の)。


12回目
残り3秒付近~

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第8R-8回
13回目
2分39秒~2分35秒(21秒~25秒)

14回目
1分58秒~1分55秒(1分02秒~1分05秒)
※左アッパーを察知した銀次郎が一瞬早くステップアウト。ここは反応良くかわすことができた。

15回目
1分53秒~1分49秒(1分7秒~1分11秒)
※1分42秒(経過:1分18秒)高柳アナが「片手だけのクリンチっていうのは危ないですよね」と指摘

第2戦・第8R

16回目
1分42秒~1分41秒(1分18秒~1分19秒)
※同じ態勢で左を1発打たれた銀次郎が、直ちにステップアウトして離れる。これに@プラス、両腕でタドゥランにしっかり組み付きブレイクを促す(待つ)。この両方を、戦術・対策として徹底して欲しかった。

17回目
1分37秒~1分35秒(1分23秒~1分25秒)
※ここも1発下から打たれた銀次郎が素早くステップアウト。タドゥランは逃げる銀次郎目掛けて2発目のフックをダブルで放ったが上手くかわした。

18回目
0分48秒~0分45秒(2分12秒~2分15秒)
※1発右のわき腹を打たれた銀次郎がスムーズにステップバック。

19回目
残り20秒~18秒
※タドゥランが左を打ちに行こうとしたが、銀次郎が回りこんでクリンチの態勢になりブレイク。これも意識的に回避したというより、練習と経験で身に付いた自然な対応との印象。

20回目
残り4秒~
※4発打たれていてかなり危ない場面。

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第9R-5回
21回目
2分28秒~2分23秒(32秒~37秒)
※後半~終盤に入りタドゥランのしつこさが増す。7発連打した。

※また同じ態勢になりかけたが、銀次郎の頭がベルトラインまで下がり、プッシング(上から押さえ込む)と判断されレフェリーが割って入る。この状態になるとタドゥランも反則のチェックを避ける為にパンチは出さない。
2分10秒~2分05秒
50秒~55秒

22回目
2分01秒~1分56秒(59秒~1分4秒)
※再開直後にタドゥランが同じ態勢に持ち込む。左6発+右1発の計7発を連打。
さらに、回り込む銀次郎に合わせて身体を回転させ、離れ際を狙って左を追撃するタドゥラン。当たらなかったが、この態勢が自分にとって有益なことを充分理解した動き。

1分51秒~1分49秒(1分09秒~1分11秒)
※同じ態勢を狙うタドゥラン。すかさずステップバックしてかわす銀次郎。

1分05秒(1分55秒)
※消耗が顕著な銀次郎。反応が鈍り、眼が虚ろになる。正面の同じ位置に留まる。ワンツーをかわし切れなくなる。

23回目
0分54秒~0分46秒(2分06秒~2分14秒)
※1発打って離れた後、すぐにくっついて3連打するタドゥラン。当たらなかったが、離れ際にも1発追加。

第2戦・第9R

24回目
0分40秒~0分31秒(2分20秒~2分29秒)
※強烈な左のカウンターを浴びて動きが止まり、同じ態勢に持ち込まれて2発打たれる銀次郎。ここは流石に右を打ち返す。さらに自分からクリンチに持ち込み、離そうとしないタドゥランの腹にも軽く左を1発打ち返した。

25回目
0分24秒~0分22秒(2分36秒~2分38秒)
※2発打たれた銀次郎が大きくステップアウトして離れる。

※ラウンド終了後コーナーへ戻る銀次郎のアップ。大きく口を開けて、苦しそうに肩で息をする。スタミナも限界を迎えつつある。
※インターバル中のスローVTRで、ホールド状態から加撃する場面のスローリプレイが流れ、高柳アナが「こういう形で打ってもポイントになるんですか?」と問うも、焦点のズレた話に終始する2名の解説者。

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第10R-5回
26回目
2分50秒~2分48秒(10秒~12秒)
※軽めの左を2発打たれて、すぐにステップバックする銀次郎。

27回目
2分48秒~2分45秒(12秒~15秒)
※4発打たれた銀次郎が離れ際に右を打ち返す。惜しくも空振りに終わる。これを前半3~4R中にやっておきたかった。

28回目
2分17秒~2分12秒(43秒~48秒)
※3発打たれた銀次郎がダック。頭がベルトラインまで下がり、プッシング状態でブレイク。離れ際に銀次郎が右を軽く返した。

29回目
1分57秒~1分53秒(1分03秒~1分07秒)
※クリンチの離れ際、完全に無防備な状態で右アッパーを貰う銀次郎。ショートでもタドゥランのパンチは鋭さを失っておらず、ダウンしてもおかしくない危ない状況。疲労と消耗で集中が途切れがちになっている為、止むを得ない面はある。

1分10秒~1分08秒(1分50秒~1分52秒)

30回目
残り10秒~
左ストレートをダックでかわした銀次郎を、右腕で上から抑えながら左を2発打つタドゥラン。銀次郎が右アッパーを返してすぐにステップバック。深追いの回避を徹底する。疲労困憊しても戦術的ディシプリンを維持し続ける銀次郎の姿に、胸が締め付けられるのは私だけではない筈。時間をかけて練り上げたプランを、身体が覚え込むまで反復練習を繰り返し、追い込みのキャンプでしっかり仕上げたからに他ならない。

-------------
第11R-3回
31回目
1分59秒~1分55秒(1分01秒~1分05秒)
第2戦・第11R

32回目
1分34秒~1分32秒(1分26秒~1分28秒)

33回目
0分33秒~0分30秒(2分27秒~2分30秒)

-------------
第12R-2回
34回目
2分33秒~2分24秒(27秒~33秒)
※勝利を確実にする為、猛然と前に出て大きめのパンチを振るうタドゥラン。開始直後のこの場面、タドゥランは矢継ぎ早に9発銀次郎に打ち込んだ。銀次郎の方からくっついてブレイクとなったが、正直この時は生きた心地がしなかった。
レフェリーは2人を分ける際、タドゥラン→銀次郎の順番に「相手の後頭部を腕で押さえるな」と両雄に注意を与えているが、「いや、そこじゃないだろ!」と思わず画面に向かって叫びそうになった。

35回目
2分14秒~2分11秒(46秒~49秒)
※さらに肝を冷やしたシーン。銀次郎がロープを背負う状態で同じ態勢になり、タドゥランが2発左を見舞うと、3発目のテイクバックでタドゥランの右腕の抑えが甘くなった一瞬を逃さず、銀次郎がロープに背中をぶつけるようにスウェイしながら右ショートフックでカウンターを合わせに行く。残念ながらタドゥランを下がらせるまでには至らなかったが、クリンチに持ち込んで事無きを得る。おそらく咄嗟に出た反応だと確信するが、銀次郎のセンスに思わず唸ってしまった。

※2分06秒(1分54秒)
クリンチからまた同じ態勢になりかけたが、銀次郎が瞬間的に絡んだ右腕を振り解きながらステップバック。これも序盤にやって貰いたかった。

※1分45秒(1分15秒)
クロスレンジでの打ち合いを嫌った銀次郎が、低くした頭をタドゥランの開いた右脇の下に突っ込むようにクリンチに行き、そのまま身体を起こしながら背後に回りこむ。タドゥランも身体を翻しながら左を打とうと弱冠距離を開けたところへ銀次郎が右ボディを放つ。これもまた、「ホールド状態での左パンチ」に対する有効な対策になり得たのではないか。


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◎タドゥラン(28歳)/前日計量:104.5ポンド(47.4キロ)
※当日計量:114.9ポンド(52.1キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
(4回目でパス/1回目:52.4キロ,30分後2回目:52.3キロ,+100分後3回目:52.25キロ)
元IBF M・フライ級王者(V2)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分け
世界戦:7戦3勝(2KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
血圧:137/102
脈拍:56/分
体温:36.1℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎銀次郎(25歳)/前日計量:104.9ポンド(47.6キロ)
※当日計量:114.2ポンド(51.8キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
現在の世界ランク:IBF4位/WBO10位
戦績:14戦11勝(9KO)2敗1NC
世界戦:6戦3勝(3KO)2敗1NC
アマ通算:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
血圧:125/70
脈拍:62/分
体温:36.6℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:チャーリー・フィッチ(米/ニューヨーク州)

副審:2-1で王者タドゥランを支持
ジル・コー(比):115-113
デイヴ・ブラスロウ(米/メリーランド州):113-115
中村勝彦(日/JBC):118-110

立会人(スーパーバイザー):ジョージ・マルティネス(カナダ/チャンピオンシップ・コミッティ委員長)


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”見えざる意思”は動いたのか - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 4 -

カテゴリ:
■5月24日/インテックス大阪5号館,大阪市住之江区/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 ペドロ・タドゥラン(比) 判定12R(2-1) 前王者/IBF4位 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

勝者タドゥランが告げられた瞬間、国家演奏の時のように左胸に手を当てて天を仰ぐ銀次郎

◎ホールディング状態での加撃:第1戦と第2戦の共通点及び相違点

最初のパートであらかじめお断りした通り、今回の記事を書く目的は、重岡銀次郎が見舞われた悲劇の原因を発見・断定することではなく、いわんや特定の誰かに罪を着せたり負わせたりすることではありません。

第1戦と第2戦の主審を務めたスティーブ・ウィリスとチャーリー・フィッチ(いずれも米/ニューヨーク州)両審判、ペドロ・タドゥラン本人、両軍のコーナーを束ねたカルロス・ペニャロサ(王者陣営),町田主計(まちだ・ちから)両チーフ・トレーナー等々、誰か特定の個人(と両陣営を支えるスタッフの面々)に、重大事故の責任をなすりつける意図も意思もまったくない。

また、タイトルマッチを承認したIBF、試合を公式戦として認定した上で運営全般を所管したJBC、2名の主審を派遣したニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)等々、今回の興行に関わった特定の組織に対して、「あなた方が定めた試合ルールが間違っていた。だからこの深刻な事故を招いたのだ」と、明確な医学的根拠を示すことができないにも関わらず、一方的に非難・批判を浴びせるものでもない。


IBFとニューヨーク州(NYSAC)のルールがどうであれ、開催地を所管するJBCルールが反則と規定している「相手を押さえつけて反撃も防御も出来ない状態にして加撃する」危険な行為を放置し、結果的に容認してしまうレフェリングの是非を問うのみ。

また、今後タドゥランに挑戦するかもしれない、兄優大を始めとする日本人ランカーと、ランカーたちを擁する所属ジム、日和見主義を貫くJBCへの提言の意味も含んではいる。まったく無名かつ在野の一ファンの戯言(ざれごと)だと、一笑に付されるだけと百も承知の上で・・・。


そして、話の中心となる第1戦と第2戦の共通点と相違点。まずは共通点だが、これは銀次郎をロープに押し込んで強打を連射する最も危険な場面で、2試合とも1回づつ。第1戦・第9ラウンドの1分30秒付近と、第2戦・第5ラウンド残り10秒付近の2回あった。

「たった1回づつ?」

そんな疑問を持つ方もおられるだろうが、これはけっして見逃してはならないハイリスクな反則と捉えるのがあるべき認識。レフェリーは直ちに止めに入るべき事態であり、逡巡や放置は有り得ないというのが、JBC及びWBCルールの正しい解釈になる。重大事故はいついかなる場合に起こるかわからない。起きても不思議はない。

◎最も危険な状況(左:第1戦・第9ラウンド/右:第2戦・第5ラウンド)
ホールド状態でロープに抑えつた状態での加撃/左:第1戦・第9ラウンド/右:第2戦・第5ラウンド

さらに拙ブログ管理人が強く問いたいのは、ロープに押し込まない状態での加撃,すなわち通常の展開の中で発生する同様の状況である。第1戦では3回しかなかったこの状況が、第2戦では34回に爆増しているのだ。

◎通常展開におけるホールド状態からの加撃
ホールド状態での加撃-第1戦・第5ラウンド

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第2戦でここまで極端に増えた理由は明白。
<1>戦術として意図的に用いた
第1戦で反則のチェックを一度も受けなかったことで、戦術としての有効性を確認していたタドゥラン陣営は、減点も反則負けも無いとの確信を持って用いることができた。

<2>主審による容認
主審チャーリー・フィッチは、度重なるタドゥランの行為を不問に処した。第1戦を担当したスティーブ・ウィリスは、一応「ノー・ホールド」と声を発してタドゥランと銀次郎に注意を喚起してくれたが、フィッチは唯々黙って見ているだけ。タドゥランは安心して「押さえつけて打ち続ける」ことができた。

フィッチがウィリスと同様「ホールドするな!」と注意してくれていたら、具体的な程度は無論わからないが、一定程度の抑制効果はあったのではないか。

既に言及済みだが、2人の審判はいずれもニューヨーク州のライセンスを有しており、同州を活動の拠点にしている。

<3>銀次郎が脚を使った為
正面から打ち合った第1戦とは打って変わって、第2戦の銀次郎はヒット&アウェイ(敢えて申せば”アウェイ&ヒット”)に集中。懸命に動き続けようとする銀次郎を捕まえる必要性が生じた。そしてこの点でも、「押さえつけての殴打」は明らかに奏功した。

<4>ワタナベ陣営からの抗議が無かった
第1戦では、9ラウンズ中に4回(ロープに押し込む状態1回+通常展開×3回)の発生だった。けっして許容してはならないと個人的には思うけれど、頻繁に繰り返していたとの印象は薄く、銀次郎のチームから抗議の声が上がらなかったのは止むを得ない面があり、残念ではあるが理解はできる。

しかし、第2戦では第3ラウンドから最終ラウンドまで、10ラウンズの間タドゥランはずっとやり続けていた。ロープに押さえつけて殴打した直後の第6ラウンド、フィニッシュを意識していたであろう8ラウンドと、続く9,10の4ラウンズは回数が多く目に余ったが、銀次郎のチームからの抗議は無し。タドゥランの反則について、特段問題視していなかったと判断するしかない。

<5>「注意・制止すべき反則」と「流してもいい反則」の見極め問題
クリンチ&ホールド状態での軽いパンチの応酬そのものは、プロ・アマ問わず日常茶飯的に発生する。しつこくクリンチしてくる相手の脇腹やキドニーを軽く打ったり、警告の意味を込めて頭部を軽く叩く場面を、一度ならずご覧になったことがきっとある筈だ。

プロの試合ではごく当たり前の光景で、これもまた個人差はあるが、後頭部を叩いた場合を除いて、いちいち注意しない主審も多い。いわゆる「流す」という対応。ただし、「両選手とも自分の身を守ることができる」という前提を外すことはできない。


第1戦における発生回数(ロープに押し込んだ1回を含めて4回)、「ノー・ホールド!」の警告を発した主審ウィリスのレフェリングをあらためて思い返すと、リマッチに向けた準備の段階で、町田トレーナーを中心としたチーム銀次郎が、タドゥランの反則について重要視しなかった、できなかった事情はよくわかる。

ただし、回数が激増した第2戦の試合中、臨席していた安河内JBC事務局長とIBFの立会人ジョージ・マルティネスに対して、抗議を含む何らかのアクションがあっても良かったのではないか。

マルティネスから主審フィッチにチェックの指示が出ていたらと、せんない繰言と承知の上で、ついつい言いたくなってしまう。


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◎事故原因の特定は困難
世紀が変わって以降、リング禍が起きる都度、必ずと言っていいほど引き合いに出されるジェラルド・マクラレン(米/元WBC・WBOミドル級王者)の悲劇でも明らかだが、重大事故の原因を特定するのは難しい。不可能に近いと表するべきだろう。

1995年2月25日、英国の首都ロンドンにあるO2アリーナ(当時の名称:ロンドン・アリーナ)で行われたWBC S・ミドル級タイトルマッチで、10回TKOに退いた挑戦者マクラレンが意識を失い、近隣の病院に緊急搬送されて開頭手術を受ける。

2週間に及ぶ昏睡の後、マクラレンは幸いにも意識を回復したものの、両眼の視力を完全に失い、記憶と聴覚に加えて、運動機能に深刻な障害を残した。

◎Brain-damaged & blind: Gerald 'G-Man' McClellan, boxing's hardest hitter - 30 years after Benn fight
2025年2月24日/デイリー・メール公式チャンネル
※取り返しのつかない悲劇から30年目となる前日にアップされた映像


難敵を倒し王座を防衛した地元の人気者ナイジェル・ベンが、序盤から執拗に繰り返した反則=ホールドしながらのパンチ(ラビット・キドニー・腹部)が問題視され、特にラビットパンチに対する非難が集中する。

開頭手術を行った医師とそのチームが会見を開き、ラビットパンチとの因果関係について問われると、「影響したと断定することはできないが、可能性を排除することもできない」と答えたことから、ベンの立場は極めて厳しいものとなった

そして半ば当然の結果として、主審を務めたチュニジア生まれのフランス人,アルフレド・アサロにも批判の矛先は容赦無く向く。「ベンのラビットパンチを早い段階で制止しなかった。ヤツのレフェリングにこそ直接的な責任がある」という次第。


マクラレンのコーナーを率いたスタン・”セーラー”・ジョンソンも、主審アサロと同様無傷ではいられなかった。「傑出した才能を見殺しにした」「無能」「ボクシング界から追放すべし」・・・。

最初のベルト(WBOミドル級)を獲った後、プロのイロハを叩き込まれたエマニュエル・スチュワートとの関係を清算した稀代のパンチャーは、ミルウォーキーを拠点に活動するマネージャー兼トレーナーと組む。

将来有望な駿馬を見つけたコーチが、手ずからプロの技と流儀を仕込んで育て上げ、マネージャーとマッチメイクを取り仕切ってカネと名声を手にする・・・ボクシングの盛んな国なら、洋の東西と今昔を問わないセオリー中のセオリー(米本土ではプロモーターとの兼業は法律で規制されている)。

ただし、どちらの仕事に重きを置くのかは人によって異なる。マニー・スチュワートも王国アメリカのトップ・トレーナーに相応しい高給をコーチ業から得ていたが、同時に多額のマネージメント・フフィーも稼いでいた。それでもなお、スチュワートの仕事は「教えること」が主で、マネージメントは副だったと言える。

スタン・ジョンソンの場合、順番は明らかに逆だった。マネージメント業が主でコーチ業は副。だからと言って「能無し」呼ばわりは言葉が過ぎるし、許されざる暴言,誹謗中傷に違いなく、いわんや戦犯扱いなどもっての他。

ナイジェル・ベン vs ジェラルド・マクラレン(1995年2月25日/ロンドン)

左:スタン・”セーラー”・ジョンソン/右:アルフレド・アサロ

執刀を担当した医師とそのチームは、冷静に真っ当な回答を行っただけに過ぎないが、90年代の中量級の歴史を変えたかもしれない才能を失ったショック、喪失感の大きさがファンの反応をより加熱させた。

誰かのせいに、何かのせいにしなければ収まりがつかなかったと言うべきか。今回の大事故について、SNSの暴走が見られなかったことは大きな救いと表していい。

またまた繰り返しになって恐縮だが、拙ブログ管理人が記事をアップする目的は、ルールをより明確化した上で、レフェリングとの整合性をしっかり見極めるべきではないのかという提言であり、無名かつ在野の一ファンが呟くせんない繰言である。

◎試合映像:ベン vs マクラレン
1995年2月25日/ロンドン(O2)・アリーナ



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◎タドゥラン(28歳)/前日計量:104.5ポンド(47.4キロ)
※当日計量:114.9ポンド(52.1キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
(4回目でパス/1回目:52.4キロ,30分後2回目:52.3キロ,+100分後3回目:52.25キロ)
元IBF M・フライ級王者(V2)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分け
世界戦:7戦3勝(2KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
血圧:137/102
脈拍:56/分
体温:36.1℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎銀次郎(25歳)/前日計量:104.9ポンド(47.6キロ)
※当日計量:114.2ポンド(51.8キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
現在の世界ランク:IBF4位/WBO10位
戦績:14戦11勝(9KO)2敗1NC
世界戦:6戦3勝(3KO)2敗1NC
アマ通算:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
血圧:125/70
脈拍:62/分
体温:36.6℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:チャーリー・フィッチ(米/ニューヨーク州)

副審:2-1で王者タドゥランを支持
ジル・コー(比):115-113
デイヴ・ブラスロウ(米/メリーランド州):113-115
中村勝彦(日/JBC):118-110

立会人(スーパーバイザー):ジョージ・マルティネス(カナダ/チャンピオンシップ・コミッティ委員長)


※ Part 5 へ(拙ブログ管理人による第1戦と第2戦の検証)


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◎タドゥラン挑戦の可能性がある日本人ランカー
<1>重岡優大(ワタナベ)/前WBCストロー級王者
銀次郎の実兄。
IBF:J・フライ級12位
WBA:ミニマム級10位
WBC:L・フライ級4位
WBO:M・フライ級12位

<2>谷口将孝(ワタナベ)/元WBO M・フライ級王者
2023年8月以降、L・フライ級に主戦場を移している。一度引退を示唆するも撤回。
IBF:J・フライ級8位
WBA:ミニマム級13位
WBC:L・フライ級15位
WBO:M・フライ級7位

<3>松本流星(帝拳)/6戦全勝(4KO)/2021年度アマ全日本王者
日本ミニマム級王者(V1/世界戦の決定に伴い返上予定)
9月14日に名古屋で行われる井上尚弥(大橋) vs M・アフマダリエフ(ウズベク)のアンダーで、高田勇仁(ライオンズ)とのWBA王座決定戦が正式発表されている。
IBF:M・フライ級5位
WBA:ミニマム級2位
WBC:ストロー級4位
WBO:M・フライ級10位

<4>高田勇仁(たかだ・ゆに/ライオンズ)/27戦16勝(6KO)8敗3分け
WBOアジア・パシフィックM・フライ級王者
前日本ミニマム級王者(V4/返上)
IBF:M・フライ級6位
WBA:ミニマム級1位
WBC:ストロー級5位
WBO:M・フライ級4位
本年1月24日、有明アリーナでの井上尚弥対金藝俊のアンダーで、世界王者候補の1人,小林豪己(真正)に番狂わせの12回2-1判定勝ち。WBOアジア・パシフィック級王者となり、松本とのWBA王座決定戦に駒を進めた。

<5>小林豪己(こばやし・ごうき/真正)/10戦8勝(5KO)2敗
前WBOアジア・パシフィックM・フライ級王者(V1/通算V2)
IBF:M・フライ級7位
WBC:ストロー級12位
WBA・WBO:ランク外

<6>石井武志(大橋)/11戦10勝(8KO)1敗
OPBFミニマム級王者(V1)
IBF:M・フライ級8位
WBA:ミニマム級4位
WBC:ストロー級10位
WBO:M・フライ級11位
小林に勝ってWBO AP王者(返上)となり、IBF王座にも2度挑戦(タドゥランに判定負け/銀次郎に2回KO負け)したジェイク・アンパロ(比/WBC26位)とのV2戦が決定済み(9月9日/後楽園ホール)

<7>北野武郎(きたの・たけろう/大橋)/8戦7勝(3KO)1分け
日本ミニマム級ユース王者/2023年度東日本新人王
IBF:M・フライ級14位
WBC:ストロー級14位
WBA・WBO:ランク外
8月21日、後楽園ホールでユース王座の初防衛戦を予定。挑戦者は、泉北ジムの松本磨宙(まつもと・まひろ)。

<8>仲島辰郎(なかしま・たつろう/平仲BS)/18戦11勝(7KO)5敗2分
WBC21位/2017年度西部日本新人王
2021年6月、当時の王者,谷口将孝への初挑戦(5回TKO負け)を皮切りに、2023年7月まで日本タイトルに4回連続挑戦して全敗。地元沖縄で銀次郎に挑んだ決定戦(10回判定負け)、銀次郎返上後のベルトを兄の優大と争い3回KO負け、高田勇仁にも10回判定負け。痛恨の4連敗を経て、昨年7月、伊佐春輔(川崎新田)との8回戦を0-1のマジョリティ・ドローで切り抜けた。2019年12月以来、5年半に渡って勝利から遠ざかっているが、選択試合で安全パイを欲しがる王者陣営が、連敗明けの下位ランカーを挑戦者に選ぶケースがままある。

近い将来の載冠を期待されながら、地域王座戦や前哨戦で躓いたプロスペクトや、ランク入りしたばかりの若手ホープにも同じ理由でお呼びがかかる場合もあり、小林,石井,北野の3選手にもその可能性が無いとは言い切れない。


”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 3 -

カテゴリ:
”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 2 -

■5月24日/インテックス大阪5号館,大阪市住之江区/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 ペドロ・タドゥラン(比) 判定12R(2-1) 前王者/IBF4位 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

勝者タドゥランが告げられた瞬間、国家演奏の時のように左胸に手を当てて天を仰ぐ銀次郎

続いて、第1戦と第2戦を任された2人のレフェリー、スティーブ・ウィリスとチャーリー・フィッチにライセンスを許可したニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)のルールも確認してみる。

ひょっとしたら、WBA・IBF・WBOと同じく、個別具体的な反則行為を列挙していないかもしれない・・・と思って見たら案の定、「相手を押さえつける」行為の記述はあるが、その状態からの加撃については明記されていなかった。

Law, Regulations, and Policies for Athletic Commission - Rules and Regulations
□19 NYCRR Parts 206 - 214
PART 206 - Commission Powers and Duties

NYSACルールにおけるファウル規定

「NYSACともあろうものが・・・・」

少々大袈裟になるが、言葉を失った。ニューヨークと言えば、今を去ること100余年前、「マフィアとギャングをボクシング興行の表舞台から一掃する」との大目標を掲げて、1920年にアスレチック・コミッション制度を発足させた州であり、合衆国政府とニューヨーク州の決意と覚悟を象徴する存在でもある。

殿堂と呼ばれるマディソン・スクウェア・ガーデン、旧ヤンキー・スタジアムとポログラウンドを舞台に、綺羅星のごとき大スターたちが頂点を目指して激しく争い、近代ボクシングの歴史そのものとも称すべき、名勝負の数々を繰り広げてきた。

そのNYSACが、この程度の反則しか規定していない。個別具体的な反則行為について、1発減点や失格に直結する「重大な反則(Major fouls)と、直ちに処罰の対象とはならない「軽微な反則(Minor fouls)」に分けて記載されてはいるものの、「軽微な反則(Minor fouls)」の先頭に、「相手を押さえつける」,「故意による執拗なクリンチ」を置いているのみ。

「これでいいのか」と率直にそう思う。せめてWBCと同じ水準であって欲しいと考えるのは、きっと拙ブログ管理人だけではないと信じる。

左:スティーブ・ウィリス/右:チャーリー・フィッチ

ウィリスとフィッチが主に仕事をするニューヨーク州内では、タドゥランと銀次郎のケースが不問に処されても直接的に文句を言いづらい。2名のレフェリーは、ルール上間違っていないことになってしまう。

では、開催地の大阪を所管するJBCルールとの整合性はどうなるのか。試合が行われたのはニューヨークではなく大阪である。しかし前章で触れた通り、肝心要のJBCが日和見の及び腰だから、そもそも話し合いにすらない。

試合直前に行われるルール・ミーティングの席上、銀次郎を擁するワタナベジム側から、ホールディング状態での加撃について、ルールの再確認とチェックの要望が出ない限りにおいては。それがそのまま通るか否かは別問題にしても・・・。


WBA・IBF・WBOの3団体が、どうして反則行為を具体的に規定していないのか。それには一応の理屈がある。

試合中に発生し得る反則について、認定団体に取って第一に必要な規定は、その反則が故意(Intentional foul)か偶発(Accidental foul)を速やかに判別する為の分類定義であり、第二にそれらの反則に対して科すべき罰則の規定、減点と失格(反則負け)に関するペナルティを明確に決めておかなくてはならない。

そしてその次は、故意であれ偶発であれ、反則を受けた側の選手が怪我等で続行できなくなった場合、どのように決着させるのか。故意であるとレフェリーが判断すれば、当然反則負けになる。では、偶発的な反則だったとレフェリーが判断したらどうするのか。

これらをルール上明確にしておくことが先決で、具体的な反則行為についての規定は、大変に遺憾ではあるものの、これらの次かそのまた次,というのが実態。”遺憾砲”ではどうしようもないのは百も承知だが、こればかりは”如何”ともし難い。

認定団体はタイトルマッチを承認こそすれ、試合(興行)を直接管理運営する立場にはなく、試合が行われる中で生じ得る様々なトラブルやアクシデント(故意・偶発に関わらず)、不測の事態に即応・収拾する為、開催地を所管する地元コミッションのルールに委ねるケースも当たり前に発生する。


世界各国で開催される世界,及び地域のタイトルマッチに必ず派遣・臨席する立会人(スーパーバイザー)の役割は、それぞれの認定団体が定めるチャンピオンシップ・ルールが、正しく守られているか否かの確認が第一であり、レフェリーが判断に困るような事象が発生した場合、地元コミッションから派遣される責任者(一般的に世界戦の場合は事務局長)と相談しながら解決に当たらなくてはならない。

そして本番直前に行われるルール・ミーティングの席上、地元コミッション及び両陣営の代表者(事務局長及びインスペクター等)らとともに、認定団体とコミッションルールに関する疑問や質問に関する確認も行う。

個別具体的な反則行為の規定は、地元コミッション・ルールに帰属すべき項目だとの認識と見解を、WBA・IBF・WBOは示しているのではないかと推察できる。


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◎タドゥラン(28歳)/前日計量:104.5ポンド(47.4キロ)
※当日計量:114.9ポンド(52.1キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
(4回目でパス/1回目:52.4キロ,30分後2回目:52.3キロ,+100分後3回目:52.25キロ)
元IBF M・フライ級王者(V2)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分け
世界戦:7戦3勝(2KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
血圧:137/102
脈拍:56/分
体温:36.1℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎銀次郎(25歳)/前日計量:104.9ポンド(47.6キロ)
※当日計量:114.2ポンド(51.8キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
現在の世界ランク:IBF4位/WBO10位
戦績:14戦11勝(9KO)2敗1NC
世界戦:6戦3勝(3KO)2敗1NC
アマ通算:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
血圧:125/70
脈拍:62/分
体温:36.6℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:チャーリー・フィッチ(米/ニューヨーク州)

副審:2-1で王者タドゥランを支持
ジル・コー(比):115-113
デイヴ・ブラスロウ(米/メリーランド州):113-115
中村勝彦(日/JBC):118-110

立会人(スーパーバイザー):ジョージ・マルティネス(カナダ/チャンピオンシップ・コミッティ委員長)


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2026年春,東京ドーム開催決定!? - 年間表彰式で予期せぬビッグ・サプライズ Part 6 -

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■55年前に実現していた現役世界王者対決

左:小林弘(WBA世界J・ライト級チャンピオン)vs 右:西城正三(WBA世界フェザー級チャンピオン)

◎ジュニア・クラスの真実

モンスター井上尚弥のワールドレコードに関する記事の中で既に触れているが、ジュニア・クラスの歴史的位置付け、正統8階級(オリジナル8)との格差について、概略のみあらあためて記しておく。

軽量級を中心したジュニア・クラスの増設が相次いで行われ出す1970年代半ば以前、19550年代末~70年代前半までのプロボクシングは、以下の通り全11階級が規定されていた。

■正統8階級
(1)ヘビー級:175ポンド(79.38キロ)~
(2)L・ヘビー級:~175ポンド(79.38キロ)
(3)ミドル級:~160ポンド(72.57キロ)
(4)ウェルター級:~167ポンド(66.68キロ)
(5)ライト級:~135ポンド(61.24キロ)
(6)フェザー級:~126ポンド(57.15キロ)
(7)バンタム級:~118ポンド(53.52キロ)
(8)フライ級:~112ポンド(50.8キロ)

■ジュニア・クラス
(9)J・ミドル級:~154ポンド(69.85キロ)
(10)J・ウェルター級:~160ポンド(63.5キロ)
(11)J・ライト級:~130ポンド(58.97キロ)

近代ボクシング発祥の地である英国と、19世紀半ばに英国から世界最強の象徴とも言うべきヘビー級王座を奪い、19世紀末~20世紀末までのおよそ100年間ヘビー級を支配し、世界最大規模のマーケットを築いた米国を中心とした欧米諸国では、正統8階級の歴史と伝統を重んじる余り、ジュニア・クラスを軽視(蔑視)する傾向が永く続いた。

1920年代に新設されたJ・ウェルター級とJ・ライト級は、「ライト級とウェルター級で通用しない連中を集めたお助け階級」とみなされ、人気と実力を兼ね備えたトップクラスのスター選手と、それらの人気選手を擁する有力プロモーターから敬遠される。

ライト級,J・ウェルター級,ウェルター級を制覇したバーニー・ロスと、フェザー級,ライト級,J・ウェルター級を獲ったトニー・カンゾネリは、1920年代後半~1930年代末までのおよそ10年余りの間、全8階級のうち3階級を同時制覇したヘンリー・アームストロングらとともに、米国中量級を大いに沸かせたライバルでもあったが、最近まで「2階級制覇王者」として扱われていた。

「地味で目立たす稼げない階級」に甘んじるだけでは済まず、そもそも世界チャンピオンとして認められない。以下に記す通り、2つのジュニア・クラスは四半世紀に及ぶ長い休眠期間を経て、1950年代末に復活。安定的なランキングの形成と王座継承がようやく可能となる。


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◎J・ウェルター級
<1>初代王者:ピンキー・ミッチェル(米/V0)
1923年1月30日/ウィスコンシン州ミルウォーキー,バド・ローガン(米)に10回判定勝ち
※NBAによる認定(在位:~1926年9月21日)

<2>王座推移
第2代:マッシー・キャラハン(米)1926年9月21日~1930年2月18日(V2)
第3代:ジャック・キッド・バーグ(英)1930年2月18日~1931年4月24日(V9)
第4代:トニー・カンゾネリ(米)1931年4月24日~1932年1月18日(V4)
第5代:ジャッキー・ジャディック(米)1932年1月18日~1933年2月20日(V1)
第6代:バトリング・ショウ(米/メキシコ)1933年2月20日~5月21日(V0)
第7代:カンゾネリ(米) 1933年5月21日~6月23日(V0)
第8代:バーニー・ロス(米)1933年6月23日~1935年(V9/返上:日時不明)
※1933年10月ライト級王座を獲得したロスが返上後休眠状態へ

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※一時的な復活
<3>第9代王者ティッピー・ラーキン(米/V1)
1946年4月29日/マサチューセッツ州ボストン,ウィリー・ジョイス(米)に12回判定勝ち
※NYSAC公認ライト級王座に続く2階級制覇。ラーキンが防衛戦を行わないまま消滅/再び休眠状態へ

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※本格的な再開
<4>第10代王者カルロス・オルティス(米/プエルトリコ)
1959年6月12日/MSG・ニューヨーク,ケニー・レイン(米)に2回KO勝ち
※NBAとニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)による同時認定(在位:~1960年9月1日/V2)

カルロス・オルティス

N.Y.のプエルトリカン・コミュニティの圧倒的な支持を受け、殿堂と呼ばれたマディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)の新たな顔となったオルティスにベルトを巻かせるべく、ロスから数えて約24年、ラーキンからでも13年ぶりとなる王座復活。

1920年代初頭の設立当初からNBAとの折り合いが悪く、事あるごとに反目対立するNYSACは、初代王者P・ミッチェル以来J・ウェルター級を無視黙殺し続けてきたが、殿堂MSGのボクシング興行を支えるオルティスとあって、NBAに相乗りする格好で世界王座を同時承認。

デュリオ・ロイ(伊)とのリマッチに敗れたオルティスは、一念発起してライト級に階級ダウン。2度の載冠で通算9回の防衛に成功して、60年代のライト級を支配。殿堂MSGを常に満杯にするスターとして君臨した。第1期政権の初防衛戦は、唯一無二の来日。帝拳期待の小坂照男の挑戦を受け、5回KOで一蹴している。

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<5>王座推移
(1)WBA(NBA:1962年)
第11代:デュリオ・ロイ(伊)1960年9月1日~1962年9月14日(V2)
第12代:エディ・パーキンス(米)1962年9月14日~12月15日(V0)
第13代:D・ロイ(伊)1962年12月15日~1963年1月(返上/V0)
第14代:ロベルト・クルス(比)1963年3月31日~6月15日(V0)
第15代:E・パーキンス(米):1963年6月15日~1965年1月18日(V2)
※高橋美徳(よしのり/三迫)の挑戦をワンサイドの13回KOで退けた初来日以降、ライオン古山(笹崎),龍反町(野口),英守(大星)と章次(ヨネクラ)の辻本兄弟と対戦。繰り返し日本に呼ばれて、1960~70年代の国内中量級を代表するトップクラスを寄せ付けない圧倒的な技巧で日本のファンにも愛された。負けたのは、キャリア最晩年(連敗中)に胸を貸した辻本章次のみ(最後の来日)。37歳のパーキンスに判定勝ちした辻本章次は、磐石の日本王者に成長。日本人初のウェルター級王座挑戦を実現した(1976年10月27日/金沢:早熟の怪物的パンチャー,ホセ・ピピノ・クェバスに6回KO負け)。

第16代:カルロス・”モロチョ”・エルナンデス(ベネズエラ)1965年1月18日~1966年4月2日(V2)
第17代:サンドロ・ロポポロ(伊)1966年4月2日~1967年4月30日(V1)
第18代:藤猛(米/日:リキジム所属)1967年4月30日~1968年12月12日(V1)
※1968年月WBC(同年月WBAからの独立を宣言)が王座をはく奪/WBA単独認定となり王座が分裂
第19代:ニコリノ・ローチェ(亜)1968年12月12日~1972年3月10日(V5)
第20代:アルフォンソ・フレーザー(パナマ)1972年3月10日~10月29日(V1)
第21代:アントニオ・セルバンテス(コロンビア)1972年10月29日~1976年3月6日(V10)
第22代:ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)1976年3月6日~12月(V2/返上)
※歴代最年少記録を更新する17歳5ヶ月での載冠。名王者セルバンテスを相手の大番狂わせは、国際的なヘッドラインとして報じられ世界中を驚嘆させた。

第23代:A・セルバンテス(コロンビア)1977年6月25日~1980年8月2日(V6/通算V16)
第24代:アーロン・プライアー(米)1980年8月2日~1983年10月25日(V8/返上)
※1983年4月WBAに造反した米国東部を地盤にする旧NBA残党組みが旗揚げした新興団体IBFから王座の認定を受けて乗り換え。

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(2)WBC
単独認定初代:ペドロ・アディグ(比)1968年12月14日~1970年1月31日(V0)
メキシコと手を組みWBCの設立(当初はWBAの内部機関:事実上の下部組織)を主導したフィリピンは、同胞ロベルト・クルスの王座をWBAとともに承認。以降、藤猛まで5人の王者をWBAとともに認定したが、あらためて世界王座を誘致するべく、交通事故(諸々の待遇を巡るリキジムとの対立)を理由に戦線離脱を続ける藤のベルトをはく奪。クルスの後継者と目されるアディグに決定戦を承認。

第2代:ブルーノ・アルカリ(伊)1970年1月31日~1974年8月(V9/返上・引退)
第3代:ぺリコ・フェルナンデス(スペイン)1974年9月21日~1975年7月15日(V)
第4代:センサク・ムアンスリン(タイ)1975年7月15日~1976年6月30日(V1)
※ムエタイで無敵を誇ったセンサクが国際式転向僅か3戦目で載冠。最短奪取の世界記録として国際的な注目を浴びる。
第5代:ミゲル・ベラスケス(スペイン)1976年6月30日~10月29日(V0)
第6代:センサク(タイ) 1976年10月29日~1978年12月30日(V7/通算V8)
~今日に至るまで途絶えることなく継承


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◎J・ライト級
<1>初代王者:ジョニー・ダンディ(米/伊)
1921年11月18日/MSG・ニューヨーク,ジョージ・チェイニー(米)に15回判定勝ち
※NBAとNYSACによる同時認定(在位:~1923年5月30日/V3)

<2>王座推移
第2代:ジャック・バーンスタイン(米/伊)1923年5月30日~12月17日(V0)
第3代:J・ダンディ(米/伊)1923年12月17日~1924年6月20日(V0)
※バーンスタインに敗れた後、1923年6月26日、ニューヨークのポログラウンドでユージン・クリキ(仏)に15回判定勝ち。NYSACの公認を受けフェザー級王座に就く。J・ライト級王座と同時並行で保持した。

第4代:スティーブ・キッド・サリヴァン(米)1924年6月20日~1925年4月1日(V1)
第5代:マイク・バレリノ(米)1925年4月1日~12月2日(V1)
第6代:トッド・モーガン(米)1925年12月2日~1929年12月19日(V12)
第7代:ベニー・バス(米)1929年12月19日~1931年7月15日(V0)
※1927年12月~1928年2月までNBAフェザー級王座を保持(カンゾネリに敗れて陥落)
第8代:キッド・チョコレート(キューバ)1931年7月15日~1933年12月25日(V4)
第9代:フランキー・クリック(米)1933年12月25日~1934年(日時不明)
※防衛戦を行わないまま王座消滅。休眠状態へ。

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※一時的な再開
<3>第10代:サンディ・サドラー(米)
1949年12月6日/オハイオ州クリーヴランド,オーランド・ズルータ(米)に10回判定勝ち
※在位期間:不明(V1)

サンディ・サドラー

デラ・ホーヤが「史上最高のディフェンスマスター」と褒めちぎるイタリア系のスピードスター,ウィリー・ペップ(米)とフェザー級の頂点を懸けて4度戦い、ボクシング史に残るライバル争いを繰り広げたサドラーは、公称174センチ(リーチ178センチ)の超大型選手だった。フラッシュ・エロルデとも2度対戦。来日経験も有り。

ペップから奪ったベルトを再戦で奪還され、その後J・ライト級の王座認定を受けたが、何時まで保持したのかは不明。防衛回数もはっきりせず、1950年4月と1951年2月の2回防衛戦を行ったとされるが、50年4月のラウロ・サラス(メキシコ系米国人/後のライト級王者)戦のみとの指摘もある。

サドラー本人は返上を明言したことは無いらしく、NBAがはく奪を決定・通告したか否かもはっきりしない。1956年4月14日の敗戦(10回判定負け)を最後に、眼疾を理由に引退するまで保持していたとする説もあり、在米識者とヒストリアンの中には、サドラーを歴代J・ライト級王者に含めないとの意見もある。

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※本格的な再開
<4>第11代:ハロルド・ゴメス(米)
1959年7月20日/ロードアイランド州イーストプロヴィデンス,ポール・ヨルゲンセン(米)に15回判定勝ち
※NBAによる認定(在位:~1960年3月16日/V0)
F・クリックから数えて約26年、サドラーを王者に含めて防衛回数を2度とみなした場合でも約8年を経過。

<5>王座推移-認知と定着に貢献したエロルデの登場
第12代:フラッシュ・エロルデ(比)1960年3月16日~1967年6月15日(V10)

フラッシュ・エロルデ

第13代:沼田義明(日/極東)1967年6月15日~12月14日(V0)
第14代:小林弘(日/中村)1967年12月14日~1971年7月29日(V6)
※1968年1月WBC(同年月WBAからの独立を宣言)が王座をはく奪/WBA単独認定となり王座が分裂
第15代:アルフレド・マルカノ(ベネズエラ)1971年7月29日~1972年4月25日(V1)
第16代:ベン・ビラフロア(比)1972年4月25日~1973年3月12日(V1)
第17代:柴田国明(日/ヨネクラ)1973年3月12日~10月27日(V1)
※WBCフェザー級(V2)に続く日本で唯一の海外奪取による2階級制覇

第18代:B・ビラフロア(比)1973年10月27日~1976年10月16日(V5/通算V6)
第19代:サムエル・セラノ(プエルトリコ)1976年10月16日~1980年8月2日(V10)
第20代:上原康恒(日/協栄)1980年8月2日~1981年4月9日(V1)
※リング誌アップセット・オブ・ジ・イヤーに選出

第21代:S・セラノ(プエルトリコ)1981年4月9日~1983年1月19日(V3/通算V13)

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(2)WBC
単独認定初代:レネ・バリエントス(比)
1969年2月15日/,ルーベン・ナヴァロ(米)に15回判定勝ち
在位:~1970年4月5日

第2代:沼田義明(日/極東)1970年4月5日~1971年10月10日(V3)
※日本のWBC単独認定王者第1号
第3代:リカルド・アルレドンド(メキシコ)1971年10月10日~1974年2月28日(V5)
第4代:柴田国明(日/ヨネクラ)1974年2月28日~1975年7月5日(V3/通算V4)
第5代:アルフレド・エスカレラ(プエルトリコ)1975年7月5日~1978年1月28日(V10)
第6代:アレクシス・アルゲリョ(ニカラグァ)1978年1月28日~1980年4月27日(V8/返上)
※WBAフェザー級(V5)に続く2階級制覇
~今日に至るまで途絶えることなく継承


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◎WBCに狙い撃ちされた藤と小林
WBCが一方的にWBAからの分派独立を宣言した1968年8月、WBA・WBCが認定する全11階級のチャンピオンは以下の通り。

1.ヘビー級(徴兵拒否を理由にしたアリの王座+ライセンスはく奪)
WBA:ジミー・エリス(米)/68年4月ジェリー・クォーリー(米)との決定戦・15回判定勝ち
WBC・NYSAC:ジョー・フレイジャー(米)/68年3月バスター・マシス(米)との決定戦・11回KO勝ち
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2.L・ヘビー級(A・C):ボブ・フォスター(米)
3.ミドル級(A・C):ニノ・ベンベヌチ(伊)
4.J・ミドル級(A・C):サンドロ・マジンギ(伊)
5.ウェルター級(A・C):カーチス・コークス(米)
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6.J・ウェルター級
WBA:藤猛(米/リキ)→はく奪・空位
WBC:未認定→ペドロ・アディグ(比)/68年12月アドルフ・プリット(米)との決定戦・15回判定勝ち
※67年11月にウィリー・クァルトーア(西独)を4回KOに下して初防衛に成功した後、減量苦による階級アップや契約を巡って所属するリキ・ジムとの確執が表面化。交通事故(軽症)を理由にブランクが長期化した藤の王座をWBCがはく奪。復帰に猶予を与えていたWBAも、ホセ・ナポレス(メキシコ/キューバ)かニコリノ・ローチェ(亜)のいずれかとの対戦を強制。68年12月、1年1ヶ月ぶりの防衛戦(68年4月までノンタイトルを3試合消化)でディフェンスの達人ローチェに翻弄され10回終了TKO負け。
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7.ライト級(A・C):カルロス・テオ・クルス(ドミニカ)
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8.J・ライト級:
WBA:小林弘(中村)→はく奪・空位
WBC:空位→レネ・バリエントス(比)/69年2月ルーベン・ナバロ(米)との決定戦・15回判定勝ち
※WBCは小林が初防衛戦で引き分けたバリエントスとの再戦を通告。WBAも2位ハイメ・バラダレス(エクアドル)との対戦を義務付けしており、JBCがWBCの単独王座認定を国内承認しておらず、WBAのみを正当の世界王座と認める国内状況だった為(海外での挑戦・防衛戦の履行は可能)、中村会長はWBCの通告を拒否。小林はWBCからはく奪処分を受ける。
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9.フェザー級:
WBA:ラウル・ロハス(米)/68年3月エンリケ・ヒギンス(コロンビア)との決定戦・15回判定勝ち
WBC:ホセ・レグラ(スペイン/キューバ)
※V9を達成したビセンテ・サルディバル(メキシコ)が返上・引退(67年10月)。後継王者の決定を巡ってA・Cが分裂。WBA王者ロハスは68年9月の初防衛戦で西城に15回判定負け。関光徳(新和)との初代王者決定戦に露骨な地元裁定で勝利したハワード・ウィンストン(英)も、68年7月の初防衛戦で亡命キューバ人レグラに5回TKO負け。
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10.バンタム級(A・C):ライオネル・ローズ(豪)→ルーベン・オリバレス(メキシコ)
※68年8月のV4戦でローズがオリバレスに5回KO負け
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11.フライ級
WBA:空位→海老原博幸(金平/協栄)/69年3月ホセ・セベリノ(ブラジル)との決定戦・15回判定勝ち
WBC:チャチャイ・チオノイ(タイ)
※65年~66年にかけて、ノンタイトルでの連敗と指名戦の延期を理由に、WBAが時の王者サルバトーレ・ブルニ(伊)をはく奪処分にした際、WBCに加盟した欧州(EBU)と英国が反発。WBAは高山勝義との決定戦(66年3月)に勝利したオラシオ・アカバリョ(亜)を認定。WBCはブルニを継続承認していち早く分裂。統一戦が行われないまま今日に至る。
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11階級中半数を超える6階級は、現在で言うところの統一王者が承認され、ヘビー級は70年2月に統一戦が挙行され、WBCとNYSACから認定を受けるスモーキン・ジョーが、WBA王者エリスに5回KO勝ち。71年3月、復活したアリとの「世紀の一戦」へと歩みを進める。

1968年当時、議長(会長)の職にあったハスティアノ・モンタノ(フィリピンのコミッショナーを兼務)は、自国のホープだったペドロ・アディグとレネ・バリエントスに王座を獲らせる為、持てる政治力をフルに駆使した。

王国アメリカで冷遇され、トップレベルのスタークラスが参戦したがらないJ・ウェルターとJ・ライトに的を絞り、正統8階級から弾かれがちな東洋圏と欧州勢に、メキシコを中心とした中量級以下の中南米勢を優遇する。

当初はWBC単独認定の世界タイトルを認めていなかったJBCも、ファイティング原田の3階級制覇を後押しする為、有り得ない謀略で敗れたジョニー・ファメション(豪)との再戦を契機にWBCの国内承認に踏み切り、沼田も日本国内でのバリエントス挑戦が叶う。


日本のマスメディアは、米・英を中心とした正統8階級偏重とジュニア・クラスへの不当に低い評価について口をつぐみ、取材も行って来なかった。中量級のJ・ウェルター級を重量級と称して、米国籍の藤猛を「日本人初の重量級世界王者」と持て囃す。

特に王国アメリカによるジュニア・クラスへの差別は、エロルデや小林,沼田らの歴史的評価と価値には何の関係も無いと言いたいところではあるが、やはり小さからぬ影響があったと認めねばならない。


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