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2025年04月

2026年春,東京ドーム開催決定!? - 年間表彰式で予期せぬビッグ・サプライズ Part 3 -

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■55年前に実現していた現役世界王者対決

左:小林弘(WBA世界J・ライト級チャンピオン)vs 右:西城正三(WBA世界フェザー級チャンピオン)

■禁断の世界王者対決はいかにして陽の目を見たのか?

本来なら有り得ないドリーム・ファイトが流会にならずに済んだのは、ひとえに中村・金平両会長の決断があったから。「何を寝ぼけたことを・・・当たり前じゃないか」とお叱りを受けるだろうが、それ以外に理由はない。

根っからの興行師だった協栄の金平正紀会長は、昭和の日本ボクシング界を代表する最大のギャンブラーだった。野口ジムからプロ入りして、引退後に開いたとんかつ屋にアルバイトとして働き出した海老原博幸を見出し、店を畳んでジム(最初の名称は金平ジム)を起こすと、稀代の天才サウスポーを白井義男,ファイティング原田に続く3人目の世界チャンピオン(フライ級)にまで押し上げる。

度重なる左拳の骨折に左肩の脱臼癖が重なり、満身創痍の海老原が苦闘を強いられる中、鳴かず飛ばずのノーランカーだった西城をハワイの大物プロモーター,サッドサム一ノ瀬とスタンレー伊藤(サッドサムの懐刀で名トレーナー)に預け、西海岸で10ヶ月に及ぶ長期修行を敢行。

世界10位のメキシカン,ホセ・ルイス・ピメンテルと1勝1敗の星を残し、WBA単独認定の初代王者ラウル・ロハス(米)のチューンナップに抜擢され、大番狂わせの10回判定勝ち。本番の世界タイトルマッチでも、自慢の健脚を全開にしてロハスの強打を完封。第6ラウンドにはダウンも奪って文句無しの15回3-0判定勝ち。晴れの海外奪取第1号(しかも米本土)となった。


併せて、フェザー級の王座獲得も西城が第1号である。一覧は以下の通りとなるが、べネズエラ史上最高のアマ選手と称されたリナレスは、帝拳と契約して来日した後、17歳でJBCのプロテストを受験。150戦超のアマキャリアを認められてB級(6回戦)デビューしており、かつてのエロイ・ロハス&デヴィッド・グリマン・メンデス(ベネズエラ)に始まり、ローマン・ゴンサレス(ニカラグァ)やエドウィン・バレロ(ベネズエラ)ら、選手として完成された後に共同プロモート契約のみを結んだケースとは事情が異なる。

他の外国人選手たちが「帝拳プロモーション(ズ)の契約選手」のみであるのに対し、リナレスは「JBCライセンスを所有する帝拳ジム所属選手」でもある為、「日本のジムに所属する王者」として、JBCが公表している「世界チャンピオン一覧」にも名前が並ぶ。

米国籍の日系三世藤猛(ポール・タケシ・フジイ/リキジム所属)、協栄と契約して来日したペレストロイカ軍団の出世頭,ユーリ・アルバチャコフ(ロシア)とオルズベック・ナザロフ(キルギスタン),角海老宝石の所属選手としてWBCストロー級王座に2度就いたイーグル京和(タイ)も同様の扱いとなる。

未だ現役継続中のカルロス・クァドラス(メキシコ)も一覧に含まれているが、確かにデビュー間もない2008年~2009年にかけて6回戦を3試合、2010年と2011年,及び2013年に8回戦と6回戦を消化している他、2014年5月に母国でシーサケットを8回負傷判定に下し、WBC S・フライ級王者となった時も、JBCのライセンスを保有していたとのこと。

2015年11月には、杜の都仙台で江藤光喜(白井・具志堅)の挑戦を退けている。リナレスらのように、活動の拠点を東京に移した訳ではなく、JBCライセンスの取得有無のみを基準とすることには違和感を覚える。

◎日本人フェザー級王者(日本でライセンスを取得した外国人選手を含む)
<1>西城正三(協栄):WBA・V5(1968年9月27日~1971年9月2日)
<2>柴田国明(ヨネクラ):WBC・V2(1970年12月11日~1972年5月19日)
<3>越本隆志(FUKUOKA):WBC・V0(2006年1月29日~2006年7月30日)
<4>ホルヘ・リナレス(帝拳):WBC・V1(2007年7月21日~2008年8月12日/返上)
<5>粟生隆寛(帝拳):WBC・V0(2009年3月12日~2009年7月14日)
<6>長谷川穂積(真正):WBC・V0(2010年11月26日~2011年4月8日)

柴田から越本まで34年間も空白が続き、越本,粟生,長谷川の3王者はいずれも初防衛戦で陥落。防衛できた日本人王者は、第1号の西城と第2号の柴田のみ。126ポンド(約57.1キロ上限)は、日本のボクサーにとって極めて難しい階級だと言い切れる。

もう少し言及すると、フェザー級からいきなり難関になっている訳ではなく、奪取と防衛の難易度が高くなるのは、井上尚弥が4団体をまとめ上げたS・バンタム級(122ポンド:約55.3キロ上限)から。

◎日本人S・バンタム(J・フェザー)級王者
<1>ロイヤル小林(国際):WBC・V0(1976年10月9日~1976年11月24日)
<2>畑中清詞(松田):WBC・V0(1991年2月3日~1991年6月14日)
<3>佐藤修(協栄):WBA・V0(2002年5月18日~2002年10月9日)
<4>西岡利晃(帝拳):WBC・V7(2008年9月15日~2012年3月15日/名誉王者認定)
<5>李冽理(横浜光):WBA・V0(2010年10月2日~2011年1月31日)
<6>下田昭文(帝拳):WBA・V0(2011年1月31日~2011年7月9日)
<7>長谷川穂積:WBC・V0(2016年9月16日~2016年12月/返上)
<8>小國以載(角海老):IBF・V0(2016年12月31日~2017年9月13日)
<9>久保隼(真正):WBA・V0(2017年4月9日~2017年9月3日)
<10>岩佐亮佑(セレス):IBF・V1(2017年9月13日~2018年8月16日)
<11>岩佐亮佑(セレス):IBF暫定・V0(2019年12月7日~2021年4月3日)
<12>井上尚弥(大橋):4団体統一・V4(2023年7月25日~在位中)

※参考
亀田和毅(TMK):WBC暫定・V0(2018年11月12日~2019年7月13日)


頭数こそフェザー級の倍近い11名を輩出しているが、第1号の小林から第2号の畑中まで25年かかり、さらに3人目の佐藤まで11年を要した。2010年代に入ると相次いで日本人王者が登場するが、返上・引退した長谷川を含めて防衛できていないのは同じ。変わりはない。

これをもって「日本のレベルアップ」を証明する実績の1つだと、自信満々に言い出す人もいそうだが然にあらず。

ルーベン・オリバレスとサラテ,サモラのZボーイズ,マヌエル・オルティス,ラウル・ラトン・マシアスを筆頭に,ルペ・ピントール,ラウル・ヒバロ・ペレス,オーランド・カニザレス(メキシコ系),マルコ・A・バレラ,エリック・モラレスといった、118~126ポンドを支配し続けてきた真に天才的なメキシカンが、イスラエル・バスケスとラファエル・マルケスを最後に払底してしまったことが、何にも増して大きな要因。

何となれば、モンスター以前にこの階級でまともに防衛できた王者は、V7を達成して最も勢いのあったドネア戦を引き当てた西岡ただ1人。そういう意味では、正規と暫定の2度IBF王座に就き、なおかつ正規を1度防衛した岩佐の軌跡は、防衛戦の内容と出来に関する是非はともかく、正当な評価を受けているとは言い難い。


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◎シンデレラ・ボーイ誕生前夜の国内フェザー級

難関のフェザー級挑戦第1号は、日本タイトルを連続8回防衛した帝拳の高山一夫で、1960年と61(昭和36)年に2回挑んで玉砕している。来日した王者は、1963年3月の防衛戦でリング禍に見舞われ、29歳の若さでこの世を去るデビー・ムーア(米/2021年殿堂入り)。

左: 高山一夫/右:デビー・ムーア
左:高山一夫/右:デビー・ムーア

前評判は散々なもので、「ルノーがダンプカーに衝突するようなもの」だとの絶望的なまでに自虐的な比喩が流布された。

比喩に使われた「ルノー」は、昭和20年代末~30年代後半にかけて、日野自動車との提携により日本国内で販売された「4CV」という型式の4ドア小型車。「ビートル」の愛称で親しまれたフォルクス・ワーゲン(タイプ1)に良く似たデザインで、主にタクシーとして使用され、国内で最もポピュラーになった外車の1つ。

「あっという間にKOされる」「勝負にならない」「そもそも日本人にフェザー級は無理」等々、散々な前評判だったにも関わらず、後楽園球場で行われた第1戦(1960年8月29日)、蔵前国技館での第2戦(1961年11月13日)とも、高山は15ラウンズをフルに渡り合う。

◎試合映像:ムーア 15回判定(3-0) 高山第1戦(ニュースリール)
1960(昭和35)年8月29日/後楽園球場
オフィシャルスコア:74-62,73-64,73-66
NBA世界フェザー級タイトルマッチ15回戦


◎試合映像:ムーア 15回判定(3-0) 高山第2戦(ニュースリール)
1961(昭和36)年11月13日/蔵前国技館
オフィシャルスコア:73-59,72-64,74-67
NBA世界フェザー級タイトルマッチ15回戦


国内スポーツメディアがこぞって「無謀な挑戦」と喧伝した第1戦では、掌を返す大善戦の高評価が新聞紙面を賑わせ、高山の株はむしろアップする。1926(大正15)年の開闢以来、帝拳の宿願だった世界チャンピオン輩出への期待がいよいよ膨らんだ再戦でも、初戦同様の奮闘で15ラウンズを耐え抜いたが、結果も同じ大差の3-0で返り討ち。

あらためて力量の違いを見せ付けられた高山だが、殿堂入りの名王者を相手に証明してくれた日本人の可能性=フェザー級でも世界と伍して戦って行ける=が示す意義は小さくない。


そして高山の後を託された関光徳(新和)は、戦後最大のボクシング・ヒーロー,原田と同様フライ級から階級を上げた増量組み。いつも眠たそうな表情と、サウスポースタイルから放つ切れ味鋭い左の一撃で大変な人気を博し、”眠狂四郎(柴田錬三郎の人気剣豪小説の主人公/市川雷蔵主演の映画も大成功)”と称された。

東京でアジア初のオリンピックが開催され、いよいよテレビ時代の幕が開く1964(昭和34)年、ムーアを13回KOに下した亡命キューバ人王者,シュガー・ラモスに挑戦して6回TKO負け。

ノックアウトされたムーアが試合後死亡する悲劇に加えて、プロ2年目の1958年にも死亡事故の当事者となったラモスの紹介記事を掲載する国内メディアは、今ならけっして許されない”殺人パンチャー”の呼称を使っていた。

◎試合映像:ラモス 6回TKO 関(ニュースリール)
1964(昭和39)年3月1日/蔵前国技館
WBA世界フェザー級タイトルマッチ15回戦(分裂前の統一王座)


ラモス vs 関戦のアンダーには、ライト級でトップランカーの1人に名を連ねていた”マンテキーヤ”・ホセ・ナポレス(23歳11ヶ月)も登場しており、WBA10位に付けていたリキジムの吉本武輝と対戦。初回3分3秒で難なくKOしている。

「振り返ったら倒れてたの。」

チーフ・セコンドとして吉本のコーナーに入っていたエディ・タウンゼントが、ナポレスの印象について聞かれた際にそう答えていた。KOタイムは3分3秒だから、実際に倒されたのは第1ラウンドの終了間際だから、ラウンドの終了に備えてコ為席を立ち、スタッフの誰かと二言・三言交わしたか何かて一旦リングから視線を離し、「振り返ってリング上を見たら・・・」と言っていたのかもしれない。

エディさん独特の「カタコト・ジャパニーズ」は、ところどころ助詞を間違えたり、必要な接続詞を省略したりする為、慣れないと正確に聴き取ることが難しく、記者が勘違いしたのか、あるいはナポレスの桁外れの凄さを強調したいがゆえに、分かった上であえて誇張した表現を使ったのか。

あくまでお人柄によるものだが、エディさんの日本語はとてもチャーミングで愛らしく、教え子たちがエディさんの思い出話に花を咲かせると、みな一様にエディさんの口調を真似てしまうのがおかしかった。代表格は柴田国明だと思うけれど、真似をしなかったのはガッツ石松と”ラスト・ボーイ”の井岡弘樹。

フィデル・カストロとチェ・ゲバラの革命成功により、プロスポーツが禁止されたキューバから脱出すべく、小さなボートに乗ってカリブ海を渡り、命からがらメキシコに辿り着いたラモスを頼り後を追ったナポレス。命の危険を伴う小さなボートに身重の妻を一緒に乗せる訳には行かず、様々な意味合いで覚悟の渡航だった。

135ポンドに続いて140ポンドでも世界1位にランクされながら、135ポンドに君臨するカルロス・オルティス(米),140ポンドのベルトを継承したデュリオ・ロイ(伊),エディ・パーキンス(米)、サンドロ・ロポポロ(伊)といったそうそうたる面々に敬遠されて挑戦の機会を得られず、ベストウェイトよりもかなり重いウェルター級まで増量。

ライト級で世界ランク入りしてから6年近く経った1969年4月18日、ロサンゼルス近郊のイングルウッド・フォーラムでカーティス・コークス(米)を13回終了TKOに退け、29歳にしてようやく世界王座に就く。

世界に通用する和製ヘビー級育成を目標に掲げ、ボクシング界に参入したプロレスの開祖にして国民的大スターの力道山が、渋谷の一等地に立てたリキ・スポーツパレスの1階に設けたジムに、ハワイから三顧の礼を持って迎えられたエディは、同郷の幼馴染みだった日系三世ポール・フジイ(海兵隊員として来日・除隊)を横須賀でスカウトすると、ヘビー級まで肥えた身体をハードワークで絞りに絞り、稀有な豪打を頼りにJ・ウェルター級の世界チャンピオンにまで育て上げる。

在りし日の名匠エディ・タウンゼント(左)と藤猛(右)

「藤猛」のリングネームで当たるを幸い倒しまくり、”ハンマーパンチ”の異名で人注目を集め、ナポレスを避けたロポポロを粉砕して王座に就く。エディさん以上に癖の強いカタコトであっと言う間にお茶の間の人気者になったものの、初防衛に成功した後交通事故を起こして長期のブランク入り。減量苦からウェルター級への階級アップを直訴して拒否されるなど、ジムとのトラブルも表面化。

防衛戦の履行期限を過ぎたポールから、独立宣言のWBCがベルトのはく奪を通告。議長国フィリピンの強打者ペドロ・アディグを王者にするべく、今で言うところの指名挑戦権を付与。防衛戦の履行が困難な藤とリキジムの足元を見た所業と言わざるを得ず、マニラでの決定戦を認めて首尾良くアディグを単独認定の初代王者にすると、今度はWBAが究極の二択を迫った。

「ニコリノ・ローチェかナポレス。どちらかの挑戦を受けろ。さもないとはく奪だ・・・」

左:ナポレス/右:ローチェ

リキジムは吉本を瞬殺されたナポレスではなく、ローチェを招聘。エディさんも助言を求められたに違いない。しかし、”イントカブレ(ジ・アンタッチャブル)”の二つ名は伊達ではなく、史上最高レベルのディフェンス・マスターを前に藤のハンマーパンチは空振りを繰り返し、思うがままに翻弄され惨敗。世界王者第1号の白井を引退に追い込んだパスカル・ペレスに続き、またもやベルトはアルゼンチンへ。

話を元に戻して・・・


さらに関は、ラモスを12回終了TKOに退けて後継王者となったメキシコの英雄ビセンテ・サルディバルに、完全アウェイのメキシコシティで2度挑戦。第4ラウンドに先制のノックダウンを奪いながら、詰め切れずに15回0-3の判定を失った第1戦は、「日本でやっていたら関の勝ち」との意見(日本人の身贔屓も含めて)も多く、初のフェザー級奪取に望みをつなぐ。

第1戦から5ヶ月、リマッチが組まれて再びメキシコへ飛んだ関。「もうヘマは許されない」と気合十分のサルディバル。ベスト・シェイプの王者は手の付けられない強さを発揮し、関は7回TKOに退いた。

◎試合映像:サルディバル 7回TKO 関第2戦
1967(昭和42)年1月29日/エル・トレオ闘牛場,メキシコシティ
WBA世界フェザー級タイトル挑戦(A・C分裂前の統一王座)
ttps://www.youtube.com/watch?v=HGIdh31bcxA

足掛け3年(1964年9月~1967年10月)に渡って126ポンドに君臨したサルディバルは、連続9回ベルトを守って王者のまま引退(35戦34勝26KO1敗)。WBAからの完全な独立を加速させるWBCは、サルディバルに3度挑戦して敗れたハワード・ウィンストン(英)と、同じく2敗の関に王座決定戦を承認。

左:関光徳/右:シュガー・ラモス
左:関光徳/右:シュガー・ラモス

左:ビセンテ・サルディバル/右:ハワード・ウィンストン
左:ビセンテ・サルディバル/右:ハワード・ウィンストン


当時のJBCと協会(JPBA)は、WBC単独認定による世界戦の国内開催を認めておらず、1968年1月、関はウィンストンが待つ首都ロンドンへと旅立ち、ロイヤル・アルバート・ホール(1871年開場の由緒ある演劇及びコンサート・ホール)で無念の9回TKO負け。

◎試合映像:ウィンストン 9回TKO 関
1968年1月23日/ロイヤル・アルバート・ホール(英/ロンドン)
WBC世界フェザー級王座決定15回戦


カットを理由にしたレフェリー・ストップについて、日本国内では「大した傷ではない。止める必要などまったく無かった」との見方が大勢を占める。試合が続いていれば、判定にせよKOにせよ関の勝利は確実で、劣勢のウィンストンを勝たせる為、形振り構わぬ露骨なホーム・タウン・ディシジョンを発動したとの批判が渦巻いた。

現存する試合映像を見ると、レフェリーが関の傷を確認して(はっきりとわかる出・流血はない)ストップを宣告して、関がコーナーに戻ってからドクターと思しき人物がチェックを行っている。

現在とは順序が逆だが、これだけを持って不正行為と即断するのは間違い。試合を途中終了する決定はレフェリーとチーフセコンド(マネージャー)にのみ認められた権限であり、ドクターを呼ぶのか呼ばないのかは、タイミングを含めてレフェリーの判断に委ねられる。

左:試合を中断して関のカットをチェックしようとするデーキン主審/右:TKO負けの裁定に呆然自失の関
写真左:試合を中断して関のカットをチェックするデーキン主審
写真右:TKO負けの裁定に呆然自失の関

先月行われたA・アヤラ vs 矢吹正道戦でも、早い時間帯に発生したバッティングで、右眼の下(頬)をカットした矢吹の傷は大きく深く(直後は夥しく流血)、なかなかドクターチェックを要請しない中村勝彦主審に疑問の声が上がっていた。

その後矢吹の止血がうまく行き、最終12回にダメ押しのダウンを追加して、文句の付けようがない内容でTKO勝ちしてくれたから良かったものの、1歩間違えれば、ホームタウン・ディシジョンの疑義を生じかねない状況が生じる。

初回と2回に見事なカウンターでダウンを奪った矢吹の為に、ノーコンテストを回避してまずは試合を成立させたのではないかと、あらぬ憶測が飛ぶのも致し方がない。ただ、そうだとしてもなお、ドクターの要請はレフェリーの専権事項に違いない。


もう1つ、この試合には指摘しておかなければならない問題がある。それはオフィシャルの選定と運営。ウィンストン vs 関戦は、主審1人のみが採点を兼務して、副審を置かない英国式のローカル・ルールで運用されていた。

開催地の地元コミッションからリング・オフィシャル全員を選抜するのは、英国のみならず各国共通の慣例であり、70年代半ば頃までアメリカや日本で行われた世界戦も同じ。「敵地ではKOしないと勝てない」との有名な格言(?)も、直接的にはこの慣例に起因する。

何となれば、アメリカ国内で開催される世界戦のオフィシャルは、今でも全員アメリカ人が大原則だ。相当に落ちぶれたとは言え、世界最大規模のボクシング・マーケットを維持するアメリカだけは、各州×1コミッションの特例措置が許され続け、治外法権的な特権を盾に(?)、大前提として外国人審判を受け入れしない。

腕に覚えのある世界中のボクサーが、ほとんど例外なくアメリカを目指す。マニー・パッキャオの8階級制覇と未曾有のアメリカン・ドリームを目の当たりしてからは、その傾向にさらなる拍車がかった。

アラム,デラ・ホーヤ,アル・ヘイモンらの大物ハンドラーと契約がまとまれば、同胞の大きなコミュニティがある州に活動拠点を置き、そこを第二のホームタウンにするから、審判が全員アメリカ人でもさしたる問題にはならない。米国生まれ,及び米本土を主戦場にする黒人,白人,ヒスパニック系のトップ・スターたちと戦う時以外は・・・。


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2026年春,東京ドーム開催決定!? - 年間表彰式で予期せぬビッグ・サプライズ Part 2 -

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■モンスターがビッグ・バンに対戦を呼びかけ・・・

来春の対戦決定?笑顔でがっちり握手する中谷潤人と井上尚弥

予期せぬモンスターのフライング。互いに事前の打ち合わせは無く、何も聞いていなかったという大橋会長も、「実現させないとボクシング界に未来はない」とまで話し、前向きに交渉を進めると明言した。

昭和~平成初期(前世紀)の昔なら、会長の了承を得ない情報の発信など有り得ない。絶対に許されない越権行為であり、下手をすれば現役を諦めざるを得ない事態に発展する恐れさえある。

「冗談ですよ、冗談」と言って笑いを誘い、仮にその場が収まったとしても、会長の怒りが爆発するのは不可避。引退してさほど時間が経っていない若い会長さんなら、鉄拳制裁も想定の範囲内だ。


まず第一に、リスクが大き過ぎる。試合をやればチケットの完売を確実に見込めるチャンピオン同士をぶつければ、興行の成功は確約されたも同然。プロモーターとマネージャーを兼ねる所属ジム会長の実入りも、選手が受け取る報酬も大きな金額が確約されるが、下手をすればその1回ですべてが終わってしまう。

引き換えとなる代償を考えた時、興行に関わる誰もが二の足を踏む。目先の大きな利益と引き換えに潰し合うより、1回1回の儲けはそれなりでも、細く長く着実に防衛戦を続けて行った方が賢い・・・と、かつてはどの会長さんもそう考えた。

勝手に取材を受けたりしないよう、直ちにジムに関わる者全員にかん口令が敷かれ、ドリームマッチに関する話題は完全にオフ・リミット。記者とファンからどれほど批判や非難を浴びても、我関せずを貫きダンマリを決め込むしかない。

バックに付くテレビ局の意向も無視できない。ネット配信は遥か遠い未来の絵空事で、想像すらできない時代。中継を行う民放キー局(と大手広告代理店)の力は絶大で、両陣営を支えるキー局が異なる場合、放映権を巡って必ず紛糾する。

昭和40年代のプロボクシングは、プロ野球と大相撲に肩を並べる国民的人気スポーツであり、高い視聴率が確実に見込める優良コンテンツの代表格だった。両会長の思惑がどうであれ、どちらの局も簡単に放映権を譲ろうとはしない。

それこそが好カードの実現を阻む最大の障壁と言って良く、日本ボクシング界のご意見番として永く活躍した郡司信夫は、「小を捨てて大に就かねば、ボクシングは廃れるばかり」だと、事あるごとにテレビ局とジムの癒着体質に苦言を呈していた。


チャンピオンか否かに関係なく、ジムの看板選手はその辺りの事情を察して、公の場所ではけっして余計な事は喋らない。メディアの取材を頻繁に受ける人気選手の多くが、当たり障りの無いつまらない受け答えに終始する。

もっともこうした状況は、競技及びプロ・アマの別を問わない、日本国内のスポーツ全般に共通する、ごくごく日常的な光景でもあった。手っ取り早く言うと、とにかく風通しが悪いこと夥しい。それに尽きる。

なかんづくボクシング界は閉鎖的で、プロモーターとマネージャーを兼ねる会長には、支配下にあるプロ選手の生殺与奪に関わる全権を掌握できる為、会長の言葉は神の言葉に等しく、服従する以外に選択肢はない。


時代錯誤とも言うべき封建的な体制は、ごく最近まで続いていた。内向き一辺倒の村社会が揺らいだ大きな要因として、第一に挙げなくてはならないのは、やはり旧Twitter,facebook,Instagramの普及であり、さらにパンデミックによる興行の休止が強力な追い風(業界の体制側に取っては追い討ち)となった。

強制的に収入の道を閉ざされたプロボクサーだけでなく、ジムの会長までが相次いでyoutubeチャンネルを開設し、積極的に発信・発言を行うようになって、コラボという形で横の連携も強化されて行く。開放への流れが動き出すと、もう押し止めることはできない。

武漢ウィルス禍の具体的な出口戦略がようやく語られ出した2022年、9,300億円と算出されたSNSマーケティングの市場規模は、2024年に1兆2千億円に拡大。2025年の着地は1兆4千億円と見込まれ、2029年には2兆円を超えると予測されている。

ゴロフキン vs 村田

ゴロフキン vs 村田諒太の大一番(2022年4月9日/さいたまスーパーアリーナ)を、井上尚弥とセットでバックアップしてきたフジテレビではなく、Amazon Prime Videoが独占配信すると発表された瞬間、「来るべき時が遂にやって来た」と、深い感慨を覚えたのは拙ブログ管理人だけではない筈。WBSSをきっかけにして、真に国際的な認知を獲得した井上尚弥も同じ道を辿る。

昭和30~40年代に始まり、ボクシング界の経済基盤を支配し続けてきた民放地上波+大手広告代理店による視聴率第一主義のビジネスモデルでは、高騰を続けるモンスターのギャランティを賄い切れない。

TBS恒例の大晦日格闘技イベントで一翼を担い続けた井岡一翔も、ABEMAへの乗り換えを余儀なくされ、欧米に比べるとかなり遅れはしたものの、「ネット配信+PPV」への移行は避けることのできない必然であり、時代のうねりでもあった。

こうした大きな変化の副次的な効果として、欧米並みとは行かないまでも、封建的な村社会の伝統と慣習も維持できなくなり、選手個々の発言に対する規制が自然発生的に緩んだことは、パンデミックの猛威がもたらした不幸中の幸いと言えなくもない。


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◎55年前に実現していた現役世界王者対決

しかしながら、いつの時代にもどんな世界にも変わり者(失礼),もとい、(良く言えば)常識に囚われない、敢えてそこを突き破ろうとするチャレンジャーはいる。階級が1つ異なる現役世界チャンピオン同士の対決は、「井上 vs 中谷」が初めてではない。

半世紀(およそ55年)も前の1970(昭和45)年12月3日、世界戦を始めとするボクシングの大きな興行が頻繁に行われていた日大講堂(旧両国国技館:1983(昭和58)年に解体)で、史上初の海外奪取を成功させ、”シンデレラ・ボーイ”と呼ばれて絶大な人気を博したWBAフェザー級王者西城正三(協栄)と、J・ライト級で安定政権を築いていたインサイドワークとカウンターの達人,小林弘(中村)がぶつかった。

左:小林弘,右:西城正三

◎対戦時の年齢と戦績
小林(25歳4ヶ月/キャリア8年5ヶ月):71戦59勝(10KO)8敗4分け
西城(23歳11ヶ月/キャリア6年4ヶ月):33戦26勝(8KO)5敗2分け
※いずれもデビューは17歳(C級スタート)


世界,地域(ローカル),国(ナショナル)の種別を問わず、例えノンタイトルであったとしても、チャンピオンが正規のリミット範囲内で敗れれば王座をはく奪されてしまう。どちらが負けてもベルトを失うことが無いよう、132ポンド(約59.87キロ)の契約ウェイトを合意。ノンタイトルの10回戦として行われている。

J・ライト級のリミット上限130ポンド(約58.97キロ)より、2ポンド(約0.9キロ)重く設定されたウェイトは、白井義男とファイティング原田に並ぶ連続4回の防衛に成功して勢いを増す西城が、普段調整している126ポンド(約57.16キロ/フェザー級リミット上限)より6ポンド(約2.72キロ)も重い。

格下の無名選手ならともかく、5連続防衛の国内最多記録(当時)を更新中の小林は、階級も含めて格上とみなされていた。戦前の勝敗予想も、当然のことながら小林有利に傾く。

ただし、取り沙汰されたのは、もっぱら防衛回数と戦績を天秤にかけた実績と経験値の差であり、132ポンド契約に関する議論、不公平ではないかとの論争は皆無だったと記憶する。


ウェイト・ハンディ戦と言っても過言ではないマッチメイクは、今にして思えば、西城に取ってかなりの負担になった筈だが、おそらく西城本人を筆頭に、前景気を煽るメディアは勿論、ファンと関係者の誰もが気にしていなかった。

これには説明可能な理由がある。昭和(20世紀)のプロボクシングでは、1階級どころか、2~3階級異なる者同士の対戦でも当たり前のように組まれることがあり、しかも珍しいことではなかった。これは洋の東西を問わない。

キツい減量が多少なりとも楽になることで、西城のコンディショニングに寄与するとの楽観論さえ囁かれたのは、階級が上の小林(168センチ)より、西城(171センチ)の方が身長が高くリーチも長かったことが少なからず影響した。

胴が長い分(失礼)、重心が低く安定感に満ちた、いかにも日本人らしい体型の小林に対して、西城は日本人離れした足の長さ,スタイルの良さが売りで、なにしろ格好良かったのである。

その頃は特別に意識していた訳ではないけれど(それが日常で当たり前だったから)、当日計量も有形無形に作用していたのは確かだと思う。


読売直系の超大物、”ミスター(ジャイアンツ=プロ野球)”長嶋茂雄をゲストに招いた日テレの実況及び解説席には、小林が実の弟のように可愛がっていた大場政夫(現役フライ級王者)も呼ばれていたが、けっして自分から発言しない。実況担当の芦沢アナから何か聞かれれば答えるが、短く当たり障りの無い内容で切り上げる。西城寄りのバイアスは明々白々。

業界のタブーを打ち破って大き過ぎる賭けに出る以上、日テレがカメラ映えのする西城に勝たせたいと考えるのは止むを得ない面もある。

両雄に共通する対戦相手を媒介とした比較も、西城の勝利に期待をつないだ。

その相手とは、西城が初防衛戦(1969年2月9日/日本武道館)で3-0の判定に退けたベネズエラのペドロ・ゴメス。1966年の春から夏にかけて行った北中米遠征の最中、小林はゴメスの地元カラカスで拳を交えており、7回TKO負けを喫している。

127ポンドの契約ウェイト(おそらく)を考慮する必要もあれば、試合映像が現存せず、客観的かつ詳しい試合内容と状況が分からない為、何1つ断定的なことは言えないものの、2度倒された小林がレフェリー・ストップで負けたと伝えられており、西城にとって明るい材料には違いない。

解説を任された海老原博幸(言わずと知れた協栄OB)は、この年の1月に引退。3階級制覇に再び失敗して、26歳の若さでリングを去ったファイティング原田と歩調を合わせるかのごとく、29歳でグローブを抜いだ”カミソリ・パンチ”も、西城推しの空気をおもんばかり(?)、言葉のキレと破壊力はピーク時の左ストレートには程遠かった。

小林 vs 西城2
左から:解説の海老原博幸,大場政夫,長嶋茂雄,芦沢俊美アナウンサー(実況)


本番当日の計量は、西城が130ポンド3/4(約59.3キロ)、対する小林は、131ポンド1/4(約59.5キロ)でクリア。計量時の体重差は、200グラムをほんの少し越える程度でしかない。ただし、平常時に130ポンドを基準に仕上げる小林と、126ポンドに合わせる西城のフィジカルには自ずと開きがある。

”水澄まし”と形容された流麗なフットワークを最大の武器にする西城は、オーソドックス・スタイルのアウトボックスが基本で、痩身ゆえに線が細く見えるのが常だった。前日計量+リバウンドの効用が普及浸透した今日とは違い、当日計量だったから当然と言ってしまえばそれまでになってしまう。

フェザー級のリミット(126ポンド:約57.16キロ)より、4ポンド3/4(約1.84キロ)重い調整の効果はあり、普段に比べれば上半身の厚みが増してはいたが、もともと1発の破壊力には縁が薄く、危険な距離で気迫のこもった強打を応酬し合うも、西城のパンチは小林に脅威を与えるまでには至らない。

そして小林もまた、十八番の右クロスは最良のタイミングで火を噴かず、決定機を創出できなかったのはお互い様。僅少差の2-1で割れたオフィシャル・スコアについて、解説の海老原が「引き分けでいい」と、あくまで協栄OBの立場を崩さず感想を述べていたが、多くの西城ファンも異口同音に残念がっていた。

◎試合映像:小林 10回判定(2-1) 西城
1970年12月3日/日大講堂(旧両国国技館)/132ポンド契約10回戦
オフィシャル・スコア:主審ニッキー・ポップ:48-46(小),副審手崎弘行:49-46(小),副審森田健:48-49(西)
※主審のポップは日本で活動した米国人審判
ttps://www.youtube.com/watch?v=0uwHFus2fQc


リング・オフィシャルは主審も採点に加わる3人制で、10点ではなく5点減点法(5点×10R=50点満点)での運用。振り分け前提の10ポイント・マスト・システムは影も形も無く、プロのファイトにペース・ポイント(リング・ジェネラルシップ)など以ての外。

10-9,5-4のリードを引き寄せる為には、誰の目にも明らかなダメージを伴うクリーンヒットが必要となり、後退しながら軽めのジャブをポンポン当てるだけでラウンドを取ることは叶わず、微妙なラウンドはすべて5-5,10-10の互角になる。

今となってはイーブンの連発がいいとも思わないけれど、ジャブと軽打を重視する余りタッチとヒットの区別をつけられなくなってしまい、後からどうとでもへ理屈をこね回すことが可能な曖昧模糊としたペース・ポイントに、明白なダメージを与えたクリーンヒットと等価値(1ポイント)を与えるのはいかがなものか。

アグレッシブネス(技術の裏づけと手数を伴った前進)の全否定と言っていい「ラスベガス・ディシジョン(現代アメリカのスタンダード=変化の兆しはある)」もまた、本来あるべきプロのスコアリングからは程遠い。

◎管理人KEIのスコア
管理人KEIのスコア(観戦当事のリアルタイム:44-42で小林/現在の振り分け:97-93で小林

昔書いていた観戦メモを引っ張り出して(残っているメモのすべてをテキストファイル化できていない)確認してみると、我ながらまずまずちゃんと見ていたなと少し安堵した。記事を書くに当たって映像をフル・ラウンズ見直し、現在の振り分けマストで採点もやり直してみたが、試合運びに長けた小林の巧さ(狡猾)がやはり一枚上。

拮抗したラウンドが続いてはいるが、一貫して試合を作りペースを掌握しているのはキャリアに優る小林。最終10ラウンドを西城に振ったのは、バッティングで右の瞼をカットした小林のクリンチワークが目立った為で、闘志を奮い立たせて攻め続ける西城のアグレッシブネスに応えてあげたくなった。

両雄ともに疲労が隠せない苦しい状況の中、より疲弊していたのは1階級下の西城。キャッチウェイトのノンタイトルは規定の路線にしても、東洋タイトルと同じ12回戦でやりそうなところを、どちらの意向で10回戦になったのかはわからないが、西城の消耗ぶりを見るにつけ、12回戦にしなかったのは大正解だとあらためて実感する。


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2026年春,東京ドーム開催決定!? - 年間表彰式で予期せぬビッグ・サプライズ Part 1 -

カテゴリ:
■モンスターがビッグ・バンに対戦を呼びかけ・・・

来春の対戦決定?笑顔でがっちり握手する中谷潤人と井上尚弥

3月31日、東京ドームホテルで行われた2024年度の年間表彰の発表と授賞式の席上、今年一番になるかもしれないハプニング、大きなサプライズが起きた。

「1年後の東京ドームで、ここ日本ボクシングを盛り上げよう!」

7年連続で年間MVPに選出された”モンスター”,井上尚弥が、”ビッグ・バン”に改称した中谷潤人にそう呼び掛けてマイクを手渡し、椅子から立ち上がった中谷も「ぜひやりましょう!」と呼応。笑顔のフェイス・オフで握手を交わす。

拙ブログ管理人がさらにびっくりしたのは、表彰者の最後列一番左端に座っていた大橋会長が、嬉しそうに笑っていたこと。

後列左端:にこやかに微笑む大橋会長
笑顔でシェイクハンドを交わす中谷と井上/後列左端:にこやかに微笑む大橋会長
※場の空気をすべて持って行かれて(?)微妙な表情のまま固まる那須川天心


「合意(内定)したのか!?」

youtubeを検索すると、「打ち合わせはしていなかった」と囲み取材で語るモンスターの映像がすぐに出てきた。大橋会長をキーワードにググってみると、「事前に何も聞いていない」と、モンスターのフライング(?)だったことを認めている。

「俺に確認したら、ダメダメって言うと思ったんじゃないかな。でも全然悪いことじゃない。お互い認め合ってリスペクトもしている。笑顔で(フェイス・オフ)というのがいい。喜ばしいこと。」


◎井上尚弥、中谷潤人に突如呼びかけで宣戦布告「1年後に東京ドームで…」7年連続8回目MVP受賞に喜び明かす 『ボクシング年間優秀選手表彰式』
2025年3月31日/oricon


◎井上尚弥 vs 中谷潤人!衝撃のやり取りの裏側や、東京ドームでの世紀の一戦への心境を両名が語る『2024年度 年間優秀選手表彰式』
2025年3月31日/マイナビニュース


現役時代に自らもリカルド・ロペスの挑戦を受けたことや、フライ級に上げて以降世界戦の交渉がまとまらず、フラストレーションを溜め込んでいたロマ・ゴンと、WBCのベルトを保持していた八重樫東の対戦をまとめ上げた大橋会長は、さらに積極的な言葉を続けた。

「伝説的な選手がいたら戦わない手はない。今伝説的と言えるのは井上尚弥だけど、二人ともP4Pランキングに入っている。世界から注目されるし、実現しないとボクシングの未来はない。実現すれば凄い騒ぎになるだろうし、それがボクシングの将来にもつながる。」

◎関連記事
<1>井上尚弥、7年連続8度目MVP 中谷潤人に対戦要求
2025年3月31日/日経
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC317P20R30C25A3000000/

<2>井上尚弥が中谷潤人に突如対戦を呼びかけ 年間表彰式騒然
2025年3月31日/Boxing News
https://boxingnews.jp/news/111723/

<3>大橋会長が1年後の井上尚弥―中谷潤人ドーム決戦に「2人には大きな役割ある」実現へ努力誓う
2025年3月31日/ニッカンスポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/17f8c1c12d027cc8e9a6b5863c6c1c18db837005

<4>大橋秀行会長「この試合を実現しないとボクシングの未来はない」 井上尚弥VS中谷潤人の東京ドーム決戦へGOサイン
2025年3月31日/スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20250331-OHT1T51265.html?page=1


「聞いてないよ」とモンスターに声をかける大橋会長


時代は変わった。確実に。

一昔・二昔前なら、「モンスター vs ビッグ・バン」は陽の目を見ることがなかった筈である。文字通り、「幻と消えたドリーム・マッチ」で終わっていたに違いない。

満面の笑みどころか、大橋会長は真っ青になって表情をこわばらせ、火消しの緊急会見場に早変わり。質疑応答もそこそこに早々と打ち切られ、散会後にモンスターはこっぴどく怒られる・・・。


がしかし、本論に入る前に年間表彰の受賞者を。


■2024年度年間表彰(プロ)
令和7年2月27日/日本ボクシング・コミッション(JBC)
https://jbc.or.jp/wp_jbc/wp-content/uploads/2025/02/2024hyousyou.pdf

<1>最優秀選手賞:井上尚弥(大橋)/7年連続8回目
<2>技能賞:中谷潤人(M・T)/初受賞
<3>殊勲賞:堤聖也(角海老宝石)/初受賞
<4>努力・敢闘賞・那須川天心(帝拳)/初受賞
<5>KO賞:中谷潤人(M・T)/初受賞
<6>新鋭賞:増田陸(帝拳)/初受賞
<7>年間最高試合(世界):井上尚弥(大橋) vs ルイス・ネリ(メキシコ)/2024年5月
※大橋プロモーション
<8>年間最高試合(世界戦以外):村田昴(帝拳) vs 山崎海斗(六島)/2024年10月
※帝拳プロモーション
<9>女子最優秀選手賞:晝田瑞希(三迫)/3年連続3回目
<10>女子年間最高試合:晝田瑞希(三迫) vs パク・ジヒョン(韓国)/2024年1月
※真正プロモーション
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<11>優秀選手賞(12名)
井上拓真(大橋)前WBAバンタム級王者
井上尚弥(大橋)4団体統一S・バンタム級王者
岩田翔吉(帝拳)WBO J・フライ級王者()
重岡銀次郎(ワタナベ)前IBF M・フライ級王者
武居由樹(大橋)WBOバンタム級王者
田中恒成(畑中)前WBO J・バンタム級王者
堤聖也(角海老宝石)WBAバンタム級王者
寺地拳四朗(B.M.B.)WBCフライ級王者
中谷潤人(M・T)WBCバンタム級王者
西田凌佑(六島)IBFバンタム級王者
矢吹正道(緑)IBF J・フライ級王者
ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)WBAフライ級王者
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<12>特別賞(3名)
真道ゴー(しんとう・ごう/真正)元WBC女子世界フライ級王者:男子選手としての再起を目指すも2024年12月引退(性別適合手術を受けて2017年7月に戸籍変更済み)
古川夢乃歌(ふるかわ・むのか/山木)元WBAアトム級王者:2024年4月引退
安部和夫(元JBC審判部長/故人)


◎2024年度年間表彰(アマ)
2025年2月27日/JABF公式インスタグラム(JABF:日本ボクシング連盟/日連)
https://www.instagram.com/jabf_official/p/DGiyOrcNxBO/

<1>最優秀選手賞
男子:原田周大(はらだ・しゅうだい/専修大学)
女子:木下鈴花(きのした・りんか/クリエイティブサポート)
<2>優秀選手賞
男子:岡澤セオン(おかざわ・せおん/株式会社INSPA)
女子:田口綾華(たぐち・あやか/自隊校:自衛隊体育学校)
<3>敢闘賞
男子:西山潮音(にしやま・しおん/宮崎県スポーツ協会)
女子:吉澤颯希(よしざわ・さつき/自隊校)
<4>技能賞
男子:若谷豪(わかや・ごう/愛媛県競技力向上対策本部)
女子:加藤光(かとう・ひかる/東洋大学)
<5>努力賞
男子:荒竹一真(あらたけ・かずま/駒澤大学)
女子:國府縞鈴(こくふ・こりん/日体大:日本体育大学)
<6>殊勲賞
男子:牧野草子(まきの・そうし/自隊校) ・中山颯太(なかやま・そうた/駒澤大学)
女子:篠原光(しのはら・ひかる/青山学院大学)
<7>新鋭賞
男子:熊本風真(くまもと・ふうま/西宮香風高校)・藤木勇我(ふじき・ゆうが/興國高校)
女子:岡山さくら(西宮香風高校)
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<8>コーチ表彰
(1)男子優秀コーチ賞
小坂則夫(専修大学)
米田了(興國高校)
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(2)女子優秀コーチ賞
西垣祥二郎(開新高校)
篠原一三(しのはら・いちぞう/青山学院大学)
北村員也(きたむら・かずや/白鴎大足利高校)

左から:室伏広治スポーツ庁長官,井上尚弥,平井佑奈(モデル),萩原実JBCコミッショナー

アテネ五輪男子ハンマー投げの金メダリスト,室伏広治スポーツ庁長官(2020年10月~)が、プレゼンターとして2年ぶり2度目の登場。着物姿の女性は、3年連続でプレゼンターを仰せつかったファッション・モデルの平井佑奈(ひらい・ゆうな)。向かって右端の男性が、萩原実JBCコミッショナー(東京ドーム顧問)。

現在のコミッショナーに代わってから(2023年1月~)、世界戦でのコミッショナー宣言が無くなった。ダブル,トリプルのタイトルマッチが半ば常態化したことも、当然無関係ではないと思われるが、制度上廃止にしたのか、単に萩原氏一代限りの判断なのかは不明。

日本国内の場合、世界戦は各認定団体のルールで運用される為、ウェイトオーバーやドーピング違反など、採点を巡る紛糾等々のトラブルが起きても、JBCは知らぬ存ぜぬの無責任体制を延々続けてきた経緯があり、拙ブログ管理人は常々「コミッショナー宣言なんて辞めてしまえ!」と思っていたので、個人的には現状を歓迎する。


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■2024年度年間表彰・各賞候補(2025年2月10日公表)

◎男子選手各賞ノミネート
■最優秀選手賞
井上尚弥(大橋)
寺地拳四朗(BMB)
中谷潤人(M.T)
ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)
----------------------
■技能賞
井上尚弥(大橋)
堤聖也(角海老宝石)
寺地拳四朗(BMB)
中谷潤人(M.T)
西田凌佑(六島)
矢吹正道(LUSH緑)
ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)
----------------------
■殊勲賞
岩田翔吉(帝拳)
井上尚弥(大橋)
武居由樹(大橋)
堤聖也(角海老宝石)
寺地拳四朗(BMB)
中谷潤人(M.T)
西田凌佑(六島)
矢吹正道(LUSH緑)
ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)
----------------------
■努力・敢闘賞
出田裕一(三迫)
国本陸(六島)
中嶋一輝(大橋)
那須川天心(帝拳)
三代大訓(横浜光)
波田大和(帝拳)
----------------------
■KO賞
井上尚弥(大橋)
帝尊康輝(一力)
中嶋一輝(大橋)
中谷潤人(M.T)
増田陸(帝拳)
矢吹正道(LUSH緑)
----------------------
■新鋭賞
奈良井翼(RK蒲田)
増田陸(帝拳)
松本流星(帝拳)
渡邊海(ライオンズ)
李健太(帝拳)
----------------------
■優秀選手賞(2024年度以内に世界戦1勝以上)
井上尚弥(大橋)
井上拓真(大橋)
岩田翔吉(帝拳)
重岡銀次朗(ワタナベ)
武居由樹(大橋)
堤聖也(角海老宝石)
寺地拳四朗(BMB)
田中恒成(畑中)
中谷潤人(M.T)
西田凌佑(六島)
矢吹正道(LUSH緑)
ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)
----------------------
■年間最高試合(世界戦)
WBA・WBC世界L・フライ級タイトルマッチ(1月23日)
(1)寺地拳四朗(BMB) vs カルロス・カニサレス(ベネズエラ)
※帝拳プロモーション
-----------
(2)WBC世界バンタム級タイトルマッチ(2月24日)
アレハンドロ・サンティアゴ(メキシコ) vs 中谷潤人(M.T)
※帝拳プロモーション
-----------
(3)IBF世界バンタム級タイトルマッチ(5月4日)
エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ) vs 西田凌佑(六島)
※KWORLD3プロモーション
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(4)世界S・バンタム級4団体タイトルマッチ(5月6日)
井上尚弥(大橋) vs ルイス・ネリ(メキシコ)
※大橋プロモーション
-----------
(5)WBA・IBF世界S・フライ級王座統一戦(7月7日)
井岡一翔(志成) vs フェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)
※志成プロモーション
-----------
(6)WBO世界バンタム級タイトルマッチ(9月3日)
武居由樹(大橋) vs 比嘉大吾(志成)
※大橋プロモーション
-----------
(7)IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ(10月12日)
シビ・ノンシンガ(南アフリカ) vs 矢吹正道(LUSH緑)
※亀田プロモーション
-----------
(8)WBA世界バンタム級タイトルマッチ(10月13日)
井上拓真(大橋) vs 堤聖也(角海老宝石)
※帝拳プロモーション

■年間最高試合(世界戦以外)
(1)OPBF東洋太平洋・WBOアジアパシフィック・スーパーライト級王座統一戦(2月22日)
井上浩樹(大橋) vs 永田大士(三迫)
※大橋プロモーション
-----------
(2)WBOアジアパシフィック・スーパーバンタム級王座決定戦(10月5日)
村田昴(帝拳) vs 山﨑海斗(六島)
※帝拳プロモーション
-----------
(3)WBOアジアパシフィック・ライト・OPBF東洋太平洋・級王座統一戦(11月21日)
保田克也(大橋) vs 宇津木秀(ワタナベ)
※DANGANプロモーション
-----------
(4)OPBF東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ(12月15日)
タノンサック・シムシー(タイ/Gツダ) vs 谷口将隆(ワタナベ)
※六島プロモーション

◎女子選手各賞ノミネート
■女子最優秀選手賞
晝田瑞希(三迫)
松田恵里(TEAM10COUNT)
山中菫(真正)

■年間最高試合
(1)WBO女子世界J・バンタム級タイトルマッチ(1月12日)
晝田瑞希(三迫) vs パク・ジヒョン(韓国)
※真正プロモーション
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(2)IBF世界アトム級タイトルマッチ(1月12日)
岩川美花(姫路木下) vs 山中菫(真正)
※真正プロモーション
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WBA・WBO世界アトム級タイトルマッチ(1月12日)
(3)黒木優子(真正) vs 松田恵里(TEAM10COUNT)
※真正プロモーション
-----------
(4)WBOアジアパシフィック J・バンタム級王座決定戦(6月14日)
チャオズ箕輪(ワタナベ) vs 奥田朋子(堺春木)
※DANGANプロモーション


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