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2025年01月

警戒すべきは頭と肘,そして体当たり - 2025年はモンスターの快勝から -

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■1月24日/有明アリーナ/4団体統一世界S・バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) vs キム・イェジュン

<致命的な2度目のカット

最も恐れていたことが起きた。グッドマンが再開したスパーリングで左瞼を再びカット。今度の傷は大きく深く、それ相応のブランクを覚悟しなければならない。中止も致し方なしと思ったら、アンダーカードに出場を予定していた韓国人の下位ランカーが名乗りを上げた。

大橋会長がリザーバーとして事前に準備していたとのことで、主要4団体の了解も得ていたらしい。グッドマンを非難する声がまたまた上がり、「スパーリングをやる必要があったのか」など無茶なことを言う人たちまで現れる始末。

やるのは世界戦で、延期された期間は1ヶ月。スパーリングはやるに決まっている。やらなきゃ駄目である。最初のカットから3週間ほど経過して、ドクターの許可も下りていた筈で、だからスパーリングを再開した。

注意不足の謗りは免れないにしても、本番までの丸々1ヶ月、スパーリング無しで世界戦のリングに立つ?。絶対に有り得ない。

高熱で倒れたフェルナンド・マルティネスにも言えることだが、ただの風邪なら、市販の解熱剤を飲んで1~2日寝てれば回復する。だがしかし、インフルエンザは無理だ。サラリーマンだって、「1週間は家で寝てろ」と言われる。

無闇に出歩かれたら、迷惑千万なことこの上ない。武漢ウィルスの感染症とダブルでチェックできる医療用の簡易検査キットも出回っていて、平熱まで下がって状態が安定したらまずは検査を行う。外出するのは、陰性を確認した後の話。

IBFとWBOは1位に据え置くとのことだから、可能性が完全に費えた訳ではなく、モンスターのフェザー級進出が来夏以降にズレ込んだ場合、今一度交渉が具体化しないとは言い切れない。グッドマンに運が残ってさえいれば・・・。


それにしても、2試合続けてリザーブ選手になるなんて、モンスターにもツキがない。グッドマンの戦線離脱がもたらした最大の不幸は、リング誌ファイター・オブ・ジ・イヤーの候補から、モンスターが除外されてしまったことである。

X'masイヴに合わせてグッドマンがちゃんと来日して、ポール・バトラーとドヘニーの二番煎じなどやらずに、普段通りのボクシングで力一杯応戦してくれていたら、久々にモンスターらしい前半のKO決着が見られていたのにと、せんない繰言がついつい口を突く。

予定通り一方的にグッドマンを圧殺していたら、ファイター・オブ・ジ・イヤーの2年連続受賞は無理でも、候補のリストには入っていたと確信する。

◎会見映像


代役を買って出たチャレンジャーは、2012年デビューの10年選手で、モンスターより1歳年長の32歳。ニューカマーと呼ぶにはトウが立ってしまっているが、対日本人7連勝(負けなし)が最大のアピールポイント。

最新の日本人対決は、2019年5月6日の小坂遼(真正)戦。ソウルから100キロほど離れたイェサン郡というところで、9ラウンド終了後の棄権TKO勝ち。保持していたWBAの地域王座を防衛した。

この後、武漢ウィルス禍の影響もあって、長期の試合枯れに追い込まれる。2022年10月のメキシコ遠征でようやく実戦に復帰したが、レイ・オフの間にオーストラリアのマイク・アルタムラというプロモーターと契約。

2023年4月に初渡米が叶い、ワシントン州のオーバーン(シアトル近郊)という街で行われたローカル興行に参戦。シアトルを拠点に戦う、ロブ・ディーゼルという2連敗中の黒人選手に8回0-2判定負け。デビュー2戦目で喫したプロ初黒星以来、10年ぶりとなる2度目の敗北を味わう。

3ヶ月後の同年7月、アルタムラが主催するメルボルン郊外のローカルイベントに出場して、インドネシアから呼んだ2連敗中の無名選手に初回TKO勝ち(8回戦)。この後またブランクに入り、昨年5月9日タイの首都バンコクでラケーシュ・ロハチャブというインドの選手に5回TKO勝ち(10回戦)。WBOオリエンタル王座を獲得する。

これを機に二桁台の世界ランキング入り。認定団体直轄のベルトを得て、承認料とバーターでランクを得る常套手段で余り感心はしないが、これ以降試合を行っておらず、ご祝儀相場で11位になり、さらに感心できなくなった。


8歳でボクシングを始めて、アマチュアで一定の活躍をしたとの触れ込みだが、戦績とタイトル歴は不明。2020年以降、アルタムラの息がかかったジョン・バスタブルという、豪州人のコーチに指導を受けている。

日本人選手との対戦を含めて、ブランク(2019年)以前は右構えで戦っていたのに、最近の試合はサウスポーを基本にしているように見受けた。どうしたのかと思って調べてみると、2022年に右肩を故障して手術を受けたとのこと。

「左へのチェンジをアドバイスした」と、トレーナーのバスタブルが証言している。怪我の種類と程度は明らかにされていないが、構えを変えたということは、右の強打(ストレートとフック)を多用すると、再発の恐れがそれなりに高いからではないか。

とすると、腱板断裂の可能性が考えられる。もっとも左に完全に固定してしまった訳ではなく、試合の状況と相手の特徴に合わせて、左右をスイッチしながら戦うことも可能。こうした器用さは、生まれ持った素質もあるだろうが、アマチュアの経験が活きていると思われる。

スタイルは好戦的なボクサーファイター。興奮すると組み付いて揉み合うだけでは済まず、振り回したり、投げ飛ばすなどの反則も平気で使う。フィジカルの強さと気性の荒さは、コリアン・ファイターの伝統。サッカーや野球の日韓戦以上に、ボクシングの日韓対抗は彼らの血を沸き立たせずにおかない。


という次第で、正攻法のボクシングをまともにやったら、結果は火を見るよりも明らか。序盤の即決KOでモンスターの右手が挙がる。それぐらい、両者の実力と経験値には明白な開きがあって、ルールの範囲内で何とかなるような話ではない。

パンチング・パワーはもとより、手足のスピードにかなりの差があり、攻防のキメと精度の粗さは、モンスターとの比較を云々するレベルになく、考えたくはないけれど、頭突きと肘打ちで脅しをかけ、形振り構わず体当たり込みの突進をぶちかますぐらいしか、突破口を開く道筋が見えて来ないのである。

掛け率も正直だ。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>BetMGM
井上:-5000(1.02倍)
キム:+1400(15倍)

<2>betway
井上:-5000(1.02倍)
キム:+1200(13倍)

<3>ウィリアム・ヒル
井上:1/66(約1.02倍)
キム:14/1(15倍)
ドロー:25/1(26倍)

<4>Sky Sports
井上:1/33(約1.03倍)
キム:22/1(23倍)
ドロー:33/1(34倍)

個人的な感想を申し上げるなら、スカイベットの「1対23」を支持する。


唯一にして最大の懸念は、コリアン・ファイターの免疫不足。

モンスターはプロ入り以降韓国人選手との対戦経験がなく、おそらくだが、アマ時代も含めてスパーリングしかやっていない筈。実戦では一度も手合わせしていないのでは。

コリアン・ファイターの手荒な振る舞いに対する経験値の不足が、悪い方に出ると怖い。ヘッドバットで瞼や額を大きく深く切るのもまずいが、低い姿勢で突っ込んで来る挑戦者の頭を強打して、右の拳を壊すのが最悪のシナリオ。


コーナーを率いるバスタブルが述べている通り、モンスターが真正面から向かって来てくれれば、何がしかの対応は取り得るけれど、素速いステップで縦横無尽に出入りしながら、正確無比なジャブで距離をキープされると、文字通り手も足も出なくなる。

ラフ&タフに巻き込まれず、しかも鮮やかな即決KOの理想に最も効果的な戦術は、ズバリ、ロマチェンコ・スタイル。ショートジャブをしっかり突いて大振りを慎み、細かいコンビネーションを間断なく放ち、同じ場所に留まらない。打っては離れ(動き)、離れ(動いて)は打つ。

スタートの2ラウンズ、それを集中的かつ徹底的にやれば、挑戦者の方から「カウンターをどうぞ」とばかりに、左右を振り回しながらルーズガードで飛び込んでくるに違いない。


韓国男子の主要4団体王者は、2004年~2006年にかけてWBCフェザー級王座を保持した池仁珍(チ・インジン)を最後に現れておらず、日本国内で行われた男子の世界戦日韓対決も、2006年1月29日の池 vs 越本隆志(FUKUOKA)戦(越本の判定勝ち)以来途絶えている。

女子はそれなりに選手がいて、今月21日のフェニックスバトル(後楽園ホール)に登場した黒木優子(真正)が、ソ・ヨギョンを僅差の2-1判定に下して、空位のWBAミニマム級王座に就いたばかり。

90年代末のアジア通貨危機をきっかけにして、スポンサーを失った韓国のプロボクシングは一気に活力を喪失。苦境を脱出するにはスターが必要。不正丸出しのスコアリングとレフェリングが横行し、一度ならず八百長が明るみとなって没落した。

肝心要の国内統括機関は内紛が絶えず、屋台骨を支えてきたKBC(Korean Boxing Commission:韓国ボクシング・コミッション)が2つに分裂。新たに出来たKBM(Korea Boxing Member's Commission)とKBCに、アマチュアのKBA(Korea Boxing Association)が三つ巴の権力闘争に明け暮れ、解決の糸口はようとして見えない。


アマチュアのKBAが敵対的な姿勢を鮮明にし続けていることもあり、オリンピックや世界選手権の代表選手は、地盤沈下したプロには見向きもせず、プロの男子は人材の枯渇に歯止めをかけることができないまま、状況は悪化の一途を辿ってきた。。

かつて大橋会長と2度拳を交えた連続15回防衛の張正九(WBC J・フライ級)と、WBAの同級王座を通算18回防衛した柳明佑が手を携え、選手ファーストの改革を訴えて組織したKBMは、殿堂入りした2人の名王者を介して大橋会長に支援を要請。

快諾した大橋会長は、2022年11月から「フェニックスバトル・ソウル」と題した興行をスタート。不定期ではあるが、今も協力を継続している。

張-大橋のコネクションが、どんな結果に結びつくのか。そこはかとない不安を感じないこともない。荒ぶるコリアン・ファイトは、堅実なディフェンスとスピードの違いで空転させるのがベスト。

とにもかくにも、怪我無く終えることを最優先にして欲しい。


◎井上(31歳)
戦績:28戦全勝(25KO)
WBA(V2)・WBC(V3)・IBF(V2)・WBO(V3)4団体統一王者
前4団体=WBA(V7)・IBF(V6)・WBC(V1)・WBO(V0)統一バンタム級王者.元WBO J・バンタム級(V7),元WBC L・フライ級(V1)王者
元OPBF(V0),元日本L・フライ級(V0)王者
世界戦通算:23戦全勝(21KO)
アマ通算:81戦75勝(48KO・RSC) 6敗
2012年アジア選手権(アスタナ/ロンドン五輪予選)銀メダル
2011年全日本選手権優勝
2011年世界選手権(バクー)3回戦敗退
2011年インドネシア大統領杯金メダル
2010年全日本選手権準優勝
2010年世界ユース選手権(バクー)ベスト16
2010年アジアユース選手権(テヘラン)銅メダル
身長:164.5センチ,リーチ:171センチ
※ドネア第1戦の予備検診データ
右ボクサーパンチャー(スイッチヒッター)


◎キム(32歳)/前日計量:121.7ポンド(55.2キロ)
世界ランク:IBF・WBO1位/WBA・WBC6位
戦績:19戦21勝(13KO)2敗2分け
アマ戦績:不明
身長:163センチ
右ボクサーファイター(スイッチ可)


◎前日計量


遂にこの時が来たかとの印象。ゲッソリ頬が殺げて、少しやつれた面持ちになった。S・バンタムに上げて以降、減量に少しは余裕ができたと喜んでいたが、それももう終わりを迎えたようである。

今年度中のフェザー級進出が、いよいよ現時身を帯びてきた。


○○○○○○○○○○○○○○○○○○

□リング・オフィシャル

主審:マーク・ネルソン(米/ミネソタ州)

副審:
ティム・チーザム(米/ネバダ州)
ホセ・マンスール(メキシコ)
フェレンツ・ブダイ(ハンガリー)

立会人(スーパーバイザー):
WBA:ホセ ゴメス(パナマ/WBAランキング委員)
WBC:エドガルド・ロペス(プエルトリコ/WBOランキング委員長)
IBF:安河内剛(日/JBC事務局長)
WBO:レオン・パノンチーリョ(米/ハワイ州/WBO副会長/タイ在住)



X'mas決戦消滅から完全撤退まで・・・ - モンスター vs グッドマン戦の経緯に関する考察 Part 3 -

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■2025年1月24日/有明アリーナ/4団体統一世界S・バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) vs IBF・WBO1位 サム・グッドマン(豪)

左瞼のカットを示すアップ写真

■昭和から平成・令和へ - 国内プロボクシングの変化

ジムの会長1人に強大な権限が集中し、選手の生殺与奪に関わる権限のすべてを握っていた昭和の時代、もしもグッドマンが日本人だったとしたら、チャンピオン or チャレンジャーの立場に関わらず、試合は予定通り強行されていた可能性が極めて高い。

昭和のプロボクシングでは、試合の延期やキャンセルは基本的に有り得なかった。ちょっとぐらいの怪我や発熱は出場ありき。それは4回戦,6回戦,8回戦,ノンタイトル10回戦等の違いを問わない。タイトルマッチの中止など、考慮のうちにも入らないだろう。

ましてや当時の世界戦は、ゴールデンタイムの1~2時間枠を占有。全国ネットの地上波であまねく列島の隅々にまで中継される。プロボクシングは野球・相撲と並ぶ国民的人気スポーツであり、世界タイトルマッチは非日常の一大イベントだった。

数年分の利益を一気に稼ぎ出す、ジムにとっては二度とあるかないかの機会であり、自動車や家電メーカー等々、スポンサーにも大手有名企業の名前が並ぶ。延期や中止によるリスクは、単にチケットの払い戻しのみに止まらない。

ただし、選手の健康状態を一切顧みない、100%無視して興行の論理をゴリ押しするという意味ではなく、当たり前だが自力で歩いて喋れることが大前提で、いつぞやの宮崎亮のごとく、半失神状態でスタッフにおんぶされて計量に現れ、無理やり秤に乗せて貰うような無様は流石にない。


また、マッチメイクと試合間隔に対する考え方も、現代とは相当な隔たりがある。多くのチャンピオンは、防衛戦の合間にノンタイトルを挟んだ。年間5~7試合くらいは平気で戦う。

相手に選ばれるのは、通常は日本と東洋の下位ランカー(国内全12階級/ランキングは10位まで)であり、ギャランティとは別に貰う激励賞(スポンサーやファンが贔屓の選手に贈る金一封)を全額貯蓄に回して、都内に新築の一戸建てを購入する東洋チャンピオンもいたほど。
※東洋(OBF:1960年8月~/現在の東洋太平洋・OPBF)と日本国内(1964年8月~)はJ・フェザー級を認定

そうした中で、日本と東洋の王者や将来を嘱望されるホープたちは、現役世界ランカー(全11階級/10位まで)へのアタックを敢行。バックに付く地上波キー局はもとより、潤沢なスポンサーに恵まれ、海外遠征も日常的な光景と言っていい程頻繁に行われていた。


世界タイトルへのアタックが決まった日本王者やランカーが、タイトな日程を押して前哨戦を行うこともよくあり、そこで負ける場合も珍しくない。

1975(昭和)年10月、時のWBCバンタム級王者ロドルフォ・マルティネス(メキシコ)に挑戦(15回判定負け)した沼田久美(ぬまた・ひさみ/新日本木村)は、前哨戦を2回(75年6月と8月)やって連敗(!)しているが、世界戦は予定通り開催されている。

「中止しないのか!?」と驚きの声が上がり、当然批判にも晒されたが、開催地の仙台が木村七郎会長の郷里だった為、TV局とスポンサーに後援会、地元の様々な方々との込み入った事情も絡んで、引き返せなかったのだと思う。

世界チャンピオンのノンタイトルも、70年代前半までは普通に行われていた。エキジビションの需要もそれなりにあって、沼田義明(極東)との史上初となる日本人対決を劇的なKOで制し、分裂前のA・C統一世界J・ライト級王者となった小林弘(中村)は、同じ階級の現役日本王者や1階級上の世界ランカーらとの10回戦をこなしながら、6度の防衛(当時の最多記録)を果たしている。

地方経済に活気があったお陰で、北は北海道から南は九州まで、それこそ野球や相撲.プロレスの地方巡業ではないが、プロボクシングのチャンピオンや人気選手たちの興行も地方都市で開催され、活躍の場は東京を中心とした大都市圏に止まらなかった。

要するに、プロボクシングにはそれだけ需要があったという事の裏返しでもあるが、日本と東洋のチャンピオンだけでなく、ランカーになればボクシング1本で十分に食えたのである。


海外の王者たちはもっと積極的と言うか、良くも悪くもビジネスライクに割り切り、王座を保持する階級の正規リミット+1~3ポンド程度の契約でノンタイトルを数多く消化。1試合当たりの報酬は安くとも、虎の子のベルトを最大限に利用して、安全確実に、稼げるうちに稼げるだけ稼ぐ。

短いスパンで実戦が続く為、一定のウェイトとコンディションをキープし続けることになり、心身にかかる負荷は上がるが、過度な増減量の繰り返しを回避でき、普通にやっていれば負けない相手とのチューンナップには、適度なリフレッシュの効果も期待できる。

また、次期防衛戦の挑戦者を想定した相応のレベルの対戦相手を用意して、対策の実効性や問題点を確認・把握する場としても使える上、必然的に階級アップの可能性を探るテストを兼ねる。

本格的な転級に備えて上の階級のランカークラスを招聘したり、同じ階級の現役ランカーやホープを敢えて選び、タイトルマッチと変わらないハードな試合も日常的に行われた。そしてそこで負けても一切気にしない。正規のウェイト(リミット範囲内)で負ければ、ノンタイトルでもベルトを失ってしまうが、リミットを半ポンドでも越える契約なら、はく奪される恐れはない。

負けた相手陣営が望めば、防衛戦のチャレンジャーに選んで地元に呼び、きっちり調整して雪辱すれば問題無し。世界ランキングに名を連ねる有力選手のリサーチを兼ねて、家族や恋人同伴の観光旅行を決め込む王者も少なくなかった。


試合間隔が短いが故のダメージに関わる悩み、とりわけ腫れとカットには神経を使う。ルールの網の目をくぐり抜けて(?)、現在では有り得ない「対策」も行われた。

完全に癒えていない裂傷や腫れにガーゼを当てて、その上から絆創膏を貼り付けてリングに登り、何とそのまま戦う。

あらためて断るまでも無いと思うが、当時の世界戦は15ラウンド制(計量も当日)である。ラウンドが進む過程で、発汗して自然に絆創膏が剥がれたり、少しづつずれ落ちて視界を遮る等の理由でセコンドが剥がす場合や、最終ラウンドまでそのまま(判定決着)ということもあった。

■西城正三(協栄)/WBAフェザー級王者
<1>ペドロ・ゴメス(ベネズエラ)戦/1969年2月9日/日本武道館
15回3-0判定勝ち(V1)
西城小
※写真左:開始前/写真中:第9ラウンド終了後のインターバル/写真右:終了直後

西城2小
※第10ラウンド終了直前の激しい攻防

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■柴田国明(ヨネクラ)/WBC J・ライト級王者
(WBCフェザー,WBA J・ライトに続く3度目の載冠)
柴田小
写真左から:R・アルレドンド戦/A・アマヤ戦(V1)/R・ボラニョス戦(V2)

<1>リカルド・アルレドンド(メキシコ)戦/1974年2月28日/日大講堂(旧両国国技館)
15回3-0判定勝ち(王座獲得)
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<2>アントニオ・アマヤ(コロンビア)戦/1974年6月27日/日大講堂
15回2-0判定勝ち(V1)
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<3>ラミロ・ボラニョス(エクアドル)戦/1974年10月3日/日大講堂
15回KO勝ち(V2)

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■ニコリノ・ローチェ(亜)/WBA J・ウェルター級1位(指名挑戦)
藤猛(リキ)戦/1968年12月12日/蔵前国技館
10回終了TKO勝ち(王座獲得/藤は2度目の防衛に失敗)
ローチェ.小jpg
※写真左:開始前/写真中:第3ラウンド/写真右:第4ラウンド


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◎概要
<1>西城 vs ゴメス戦

西城正三

鳴かず飛ばずのノーランカーが、一念発起の長期渡米で千載一遇のチャンスを掴み、超特大の大番狂わせを起こして、史上初の海外奪取に成功する。

けっして一夜に達成した訳ではないが、漫画でもなかなか描けない夢物語を現実にやってのけた21歳の若者を、誰が名付け親かは知らねど、日本のマスコミは”シンデレラ・ボーイ”と呼んで拍手喝采。

同じく史上初となるフェザー級王座を米本土から持ち帰った西城は、歴代の邦人世界王者No.1と表して良いほど容姿の整ったハンサム・ガイ。脚が長くスタイルも抜群で、振って沸いたスターを一目見ようと、それまでボクシングに無縁だった独身の若い女性たちが会場に集まり、リングサイドの光景が一変したと言われる。

1967(昭和42)年の暮れに渡米を決行。ハワイの大物プロモーター,サッド・サム一ノ瀬の懐刀で、名トレーナーとして知られたスタンレー伊藤の指導を受けながら、翌1968(昭和)年の初めから秋にかけて、ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムを舞台に連戦をこなし、奇跡的な載冠を果たした。

およそ10月に及ぶ海外遠征の戦果は以下の通り。

■1968(昭和43)年
(1)1月7日:イグナシオ・ピーニャ(メキシコ)
●10回判定負け/メキシコ シナロア州(契約ウェイト・スコア不明)
※ピーニャ:対戦時点で49勝(17KO)17敗4分け/ベテランの中堅メキシカン

(2)1月25日:トニー・アルバラード(米)
○4回KO勝ち/オリンピック・オーディトリアム(ロサンゼルス)
※アルバラード:対戦時点で15勝(4KO)5敗1分けのメキシコ系中堅選手

(3)2月15日:ホセ・ルイス・ピメンテル(メキシコ)第1戦
●10回1-2判定負け/オリンピック・オーディトリアム(ロサンゼルス)
公式スコア:4-5×2,6-4×1(ラウンド制:取ったラウンドの数をポイントとする)
※ピメンテル:世界(WBA)10位(契約ウェイト不明)

(4)3月21日:ホセ・ルイス・ピメンテル(メキシコ)第2戦
○10回3-0判定勝ち/オリンピック・オーディトリアム(ロサンゼルス)
※ピメンテルに雪辱して世界ランク入り(契約ウェイト不明・スコア不明)

(5)6月6日:ラウル・ロハス(米)第1戦
○10回2-0判定勝ち/オリンピック・オーディトリアム(ロサンゼルス)
公式スコア:8-2,5-4,5-5
※WBAフェザー級王者ロハスの調整試合に抜擢・大金星(130ポンド契約10回戦)

(6)9月27日:ラウル・ロハス(米)第2戦
○15回3-0判定勝ち/メモリアル・コロシアム(ロサンゼルス)
公式スコア:10-5,9-5,12-3
WBAフェザー級王座獲得

(7)11月18日:フラッシュ・ベサンテ(比)
○8回KO勝ち/後楽園ホール
※129ポンド契約10回戦

■1969(昭和44)年
(8)2月9日:ペドロ・ゴメスとの初防衛戦
○15回3-0判定勝ち/日本武道館

現代の日本国内ではまず有り得ない1ヶ月に2試合を含み、1月~9月までの8ヶ月間に6戦して4勝(1KO)2敗。うち2試合が世界ランカー,ピメンテル(1勝1敗)で、現役世界王者ロハスとも2試合(2勝)。今日の感覚と常識では、にわかに信じ難いウルトラ・スーパー強行軍である。

さらに、凱旋試合として11月18日に組まれたノンタイトルで、西城は初回に先制のダウンを奪いながら、その後4度も倒し返される大波乱。第8ラウンドに3度倒してKO決着(国内ルールも世界戦も3ノックダウン・ルール)させ、何とか事無きを得たが、小さからぬダメージを残したまま1969年2月のV1を迎える。

両瞼の絆創膏は、金平会長のアイディアによる苦肉の策だったとされるが、被弾の影響で腫れ出した右瞼にケアの必要が生じた為、おそらく第6~第7ラウンド辺りでセコンドが外し、第10ラウンド終了間際のデッドヒートが原因で左側も自然に取れてしまった。

「回復を待たずに初防衛戦を組むなんて・・・」

若いファンの方々は呆れるかもしれないが、年を越したところで王座獲得から4ヶ月を経過しており、これ以上期間を空ければ、命の次に大事なベルトをはく奪されるかもしれない。そうなれば元も子もなく、なるべく北中米(カリフォルニアかメキシコ)にベルトを置いておきたいWBAに、むざむざはく奪の理由を差し出すことはできなかった。


ゴメス戦を無事に終えた西城は、4月と6月にメキシコの中堅選手を2人呼んでチューンナップを済ませ、ロスで因縁を結んだピメンテルを招聘(9月7日)。万全の状態でラバーマッチに臨んだ西城は、想定外の2回KOで決着を着ける(2勝1敗で勝ち越し)。

◎西城 vs ピメンテル第3戦(ニュースリール/フィルタリング有)


小林弘との現役世界王者対決(1970年12月3日/132ポンド契約10回戦)は、日本中のボクシング・ファンが固唾を呑んでTV画面に食いついた。2-1の割れた判定で敗れた西城だが、フェザー級リミット+6ポンドの不利を押しての奮闘で、人気と評価はむしろアップしている。

モハメッド・アリの復活、「衛星中継+クローズド・サーキット」の新たなビジネスモデルが登場する前夜、ヘビー級を再統一してアリとの激突を熱望するスモーキン・ジョー・フレイジャーが、ニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンをホームにして、およそ5千万円のギャランティ(当時のレート)で防衛戦を戦っていた時、西城は1回のタイトルマッチで3千万円(推定)を得ていた。


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<2>天才スラッガー,柴田の3試合
(1)1974年2月28日:リカルド・アルレドンド(メキシコ)
○15回3-0判定勝ち/日大講堂
※WBC J・ライト級王座獲得

(2)1974年6月27日:アントニオ・アマヤ(コロンビア)
○15回2-0判定勝ち/日大講堂(V1)

(3)1974年10月3日:ラミロ・ボラニョス(エクアドル)
○15回KO勝ち/日大講堂(V2)

柴田国明とエディ・タウンゼント
※写真左:柴田国明(日本王者時代:1970年)/写真右:柴田とエディ・タウンゼント

身長・リーチともに163センチ。サイズだけならフライ~バンタム級の小兵をものともせず、日本で唯1人、海外奪取による2階級制覇を成し遂げた。

最初のWBCフェザー級は、1970(昭和45)年12月11日、メキシコのティファナに遠征。引退を撤回してWBC単独認定の王座に復帰した英雄サルディバルを12回終了後の棄権に追い込み、WBCフェザー級のベルトを持って帰国。西城に次ぐ快挙に、日本国内のファンと関係者は快哉を叫ぶ。

日本中が期待したWBA王者西城との統一戦は、バックに付くTV局(西城:日テレ/柴田:フジ)の調整が難しく実現には至らず、3度目の防衛戦でクレメンテ・サンチェスの物凄い右強打を浴び、序盤3ラウンドで撃沈。メキシコに奪還を許す。

階級をJ・ライトに上げた柴田は、流浪の名伯楽エディさんのサポートを得て再始動。1973(昭和48)年3月12日、ハワイをベースに戦うフィリピン・コミュニティのヒーローで、強打のレフティ,ベン・ビラフロアを巧みな出入りと右の好打で完封。

海外奪取による2階級制覇により、再び脚光を浴びたのも束の間、2度目の防衛戦で再度ホノルルを訪れベンと再戦(73年10月17日)。柴田のイン&アウトに応じたらまずいと、ぐいぐい圧力を掛けるベン。その勢いを押し返そうと、強振で応酬したのがまずかった。狙い済ましたベンの豪打が、カウンターとなって柴田を襲う。悪夢の初回KO負けでまたもや無冠に。

引退の風聞を打ち消し立ち上がると、1974(昭和49)年2月28日、WBA王者小林弘に善戦した後、WBC単独王者第1号の沼田義明を破り、その後も3人の日本人挑戦者を含むV5で「日本人キラー」と呼ばれていたアルレドンドを攻略。ファンの溜飲を大いに下げた。

◎柴田のベストKO(ラウル・クルス戦/WBCフェザー級V1)


◎苦手にした痩躯のボクサータイプとの防衛戦(ニュースリール/フィルタリング有)
※ビクトル・エチェガライ戦/WBA J・ライト級V1


「倒すか倒されるか。紙一重の勝負を挑まないと、背が低くて手も短い僕は絶対に勝てない。危険を承知の上で、自分から距離を詰めて行くしかないの。」

露骨な地元判定との批判(怒号に近い)が殺到し、会見で記者たちに詰められた柴田が、「こんなに強い挑戦者から世界タイトルを守ったんだから、少しは褒めてくれてもいいじゃないですか」と思わずこぼした、フェザー級時代のV2戦で引き分けたエルネスト・マルセル(パナマの若き超絶技巧派)、WBA J・ライト級のV1で当たったビクトル・エチェガライ(亜)、小林を2度追い詰めたパナマの老練アントニオ・アマヤ(V2)。

手足の長い痩身のアウトボクサーを苦手にした柴田は、同タイプのアルレドンドに通じないと散々不利を喧伝されたが、エディが授けた下から突き上げる左(ジャブ,ショートフック)を効果的に使い、アルレドンドの減量疲れにも助けられて3度目の復活に成功した。

左構えのサルディバルとベンを廃位させたことで、「サウスポー・キラー」の呼称が定着浸透していたが、「右(オーソドックス)とやるのも巧いのよ」とチャーミングな笑顔を見せる。世界に進んで以降、判定決着が増えたことに加えて、J・ライト級では毎試合のように瞼を腫らし、苦しそうに勝ち名乗りを受ける姿が目立った。


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<3>ハンマー・パンチをなぶりものにした”ジ・アンタッチャブル”
「勝ってもかぶってもオブヒモよ(勝って兜の緒を締めよ)。」「オカヤマのお婆ちゃん」「ヤマトダマシイで勝った」

藤猛とエディ・タウンゼント
※写真左:藤猛/写真右:エディ・タウンゼントと藤

見た目は完全な日本人。ハワイ生まれの日系3世で米国籍のポール・フジイは、海兵隊で鳴らしたトップクラスのアマチュア出身者。和製ヘビー級王者の輩出を夢見てボクシング界に進出した力道山が、大好きなハワイを何度も訪れるうちにエディ・タウンゼントの存在を知り、会って話して練習を見てすっかり惚れ込み、サッド・サム一ノ瀬に頼み込んで無理やり日本に連れ帰る。

力道山が渋谷の一等地に建てた「リキ・スポーツ・パレス」の1階に設営したリキ・ジムで教えるようになったエディは、ホノルルにある同じジムで汗を流したポールとステーブルメイトだった。

そのポールが、海兵隊を除隊して横須賀でブラブラしていると聞きつけ、力道山の了承を取り付けて直ちにスカウト。エディと再会したポールは、丸々と肥え太って200ポンドのヘビー級だったらしい。

エディは容赦ないのハードワークを課して、147ポンドのウェルター級まで絞ってプロ・デビュー。アマで培った技術を封印したポールは、荒ぶるスウィングを振り回して倒しまくり、”ハンマー・パンチ”のキャッチフレーズがTVと新聞を賑わし、たちまち高い人気と指示を得る。

”カミソリ・パンチ”の海老原博幸(フライ級)、”メガトン・パンチ”の青木勝利(バンタム級)とともに、圧倒的な豪打で後楽園ホールを席巻した藤は、さらに階級を140ポンドに落として日本と東洋のベルトを巻くと、1967年4月30日、蔵前国技館でイタリアのサンドロ・ロポポロ(1960年ローマ五輪ライト級銀メダル)を僅か2ラウンドで戦闘不能に落し入れ、分裂前の世界J・ウェルター級王座を獲得。

豪快過ぎる左フックを空振りした後、右のカウンターを狙うロポポロの顔面に、返しの右フックがドンピシャのタイミングで炸裂。エディとともに鍛え上げた「デンプシー・ロール」がものの見事に奏功。ロポポロも王者の意地で何とか立ち上がったが、糸の切れた操り人形のように打たれまくり、程なくしてストップ。最初の一撃で勝負は着いていた。

◎貴重なインタビュー映像


◎クァルトーアとの初防衛戦(ニュースリール/フィルタリング有)


カタコトの日本語が妙に受けて全国区の人気者となり、TVCMに起用されるほど売れっ子になったが、転落も早かった。西独(時は東西冷戦真っ只中)のウィリー・クアルトーアをねじ伏せてV1に成功すると、ノンタイトルを3試合消化。


その後交通事故を起こしてブランクに入り、分派独立したWBCが藤のタイトルをはく奪。WBAも藤に対してはく奪の警告を発した上で、ホセ・ナポレスかニコリノ・ローチェの挑戦を受けるよう通告。

究極の二択を迫られたリキ・ジムは仕方なくローチェを選び、想像を遥かに超える一方的な展開で敗れ去る。10ラウンド終了後のコーナーで、「続けるんだ!」と発破をかけるセコンドに、顔を左右に振ってイヤイヤをする藤。黙ってその様子を見つめるしかない、エディさんの哀しそうな瞳が忘れ難い。

◎ローチェ戦(ニュースリール/フィルタリング有)


ウィリー・ペップ,パーネル・ウィテカー,ウィルフレド・ベニテス,アーチー・ムーア,ジョージ・ベントン,ジェームズ・トニー等々、歴史的な名手・名人たちとともに稀代のディフェンス・マスターと称され、2003年に殿堂入りも果たしたローチェは、並外れた反射神経と達人の域に達したボディワークを自在に操り、ウィテカー以上にアクロバティックなディフェンスワークの使い手として、ボクシングの歴史にその名を刻む。

中でも有名なのが、危険なミドルレンジで真正面に立ち止まり、ノーガードのまま顎を突き出すパフォーマンス。挑発された相手が懸命に打ち込むパンチを、何の苦も無くヒョイヒョイ外し、機を見て正確なショートで反撃する。

”エル・イントカブレ(El Intocable:The Untouchable)”の二つ名は伊達ではなく、ロイ・ジョーンズと我らがモンスターが披露した「後ろ組み手」も、ローチェの「余所見スリップ」には数歩及ばない。

後に”戦うチャンピオン”と呼ばれ、国内中量級を代表する2人の実力者、ライオン古山,門田新一(恭明)を弾き返すアントニオ・セルバンテス(コロンビア)との第1戦(V5)では、ロープを背にお馴染みの態勢に入り、自慢の「余所見スリップ」でセルバンテスを空振りさせる離れ業をやってのけた。

◎ローチェのトリビュート映像


実働18年で136戦(117勝14KO4敗14分け)をこなしたローチェは、藤に挑戦した1968年も活発で、4月~10月までの半年間に、母国アルゼンチンで9戦(8勝1分け/すべて判定)を消化している。

この間ローチェは毎月リングに上がっているが、4月と8月には2試合をこなし、正式に挑戦が決まった10月に8回戦をやって引き分けており、瞼に不安を抱えていたようだ。

第3ラウンド終了後のインターバル中、主審のニッキー・ポップ(日本で活動していた米国人審判)が注意したらしく、丁寧に細工された「瞼の防護」を外している。

明確な記録や文献が残っていない為、確たることは言えないけれど、「瞼の防護」を日本国内のリングに持ち込んだのは、この時のローチェが初めてなのではないか。ローチェのコーナーを率いていた、フランシスコ・”パコ”・ベルムデスというベテラン・トレーナーが発案したとも考えられるが、あくまで憶測に過ぎず確証は無い。

会場か否かは別にして、金平会長も「藤 vs ローチェ」を観戦していた筈だから、年明けの2月にペドロ・ゴメスとの防衛戦を控える西城に使えそうだと、この試合からヒントを得たとも考えられる。

階級アップ後の柴田を支えたエディ・タウンゼントは、藤のチーフでもあった。キャリア最終盤の柴田に同じ策を用いたと、これもまた勝手に推測してしまうことをお許し願う。


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◎モンスターにも海外奪取による2階級制覇を!

「いつ引退してもいい(悔いは残らない)。そう言えるだけの結果は出したと思う」

何時のインタビューだったか(多分フルトン戦の後?)はっきりしないが、けっして奢り高ぶることなく、勤めて控え目にご本人が述べた通り、リング誌とBWAAのファイター・オブ・ジ・イヤーにも選ばれ、正式に引退を表明した場合、最短(ラストファイトから5年経過後)での殿堂入りは間違いなし。

フェザー級を獲ることができれば、日本の男子ボクサーとして初の5階級制覇になり、栄光の輝きはいや増すばかり(女子では藤岡奈穂子が2017年12月に達成済み)。

体格を考慮すると、S・フェザー級まで行くのは流石に厳しく、フェザー級が終の棲家になりそうな気配が濃厚だが、後に続く邦人王者はおいそれと見当たらない。フライ~バンタムを制した中谷潤人も、モンスター返上後のS・バンタムはともかく、フェザーまで行けるかどうか。


科学的なフィジカル・トレーニングと食事を含めた減量法の改善は、複数(多)階級制覇への可能性を大きく拡げた。限界に達した階級の大幅増を抜きに語れないにしても、それでもなお、ボクシングにおける階級アップは困難を極め、ボクサーの心身に過大な負荷を与える。

井上尚弥が歩む道は、それ自体が前人未到の道なき道であるという点で、野球のイチロー(日米殿堂入りを実現),大谷翔平と同じ高みにあると言っていい。国民栄誉賞を3回貰ってもまだ足りないと思うのは、拙ブログ管理人だけではない筈。

そのモンスターが成し遂げていない邦人王者の記録が、「海外奪取による2階級制覇」である。柴田国明が1973年に成功して以来、半世紀を経過してもいまだに並ぶ者が現れない。

◎柴田国明
<1>1970(昭和45)年12月11日/ティファナ(メキシコ)
ビセンテ・サルディバル(メキシコ)に12回終了TKO勝ち
WBCフェザー級王座獲得

<2>1973(昭和48)年3月12日/ホノルル(米ハワイ州)
ベン・ビラフロア(比)に15回3-0判定勝ち
WBA J・ライト級王座獲得

<3>1974(昭和49)年2月28日/日大講堂(旧両国国技館)
リカルド・アルレドンド(メキシコ)に15回3-0判定勝ち
WBC J・ライト級王座獲得


◎井上尚弥
<1>2014年4月6日/大田区総合体育館
アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に6回KO勝ち
WBC L・フライ級王座獲得

<2>2014年12月30日/東京都体育館
オマール・ナルバエス(亜)に2回KO勝ち
WBO J・バンタム級王座獲得/2階級制覇

<3>2018年5月25日/大田区総合体育館
ジェイミー・マクドネル(英)に1回TKO勝ち
WBAバンタム級王座獲得/3階級制覇

<4>2019年5月18/SSEハイドロ(グラスゴー/英スコットランド)
エマニュエル・ロドリゲス(プエルトリコ)に2回TKO勝ち
IBFバンタム級王座獲得(WBA・IBF2団体統一)
※リング誌王者認定

<5>2022年6月7日/さいたまスーパーアリーナ
ノニト・ドネア(比)に2回TKO勝ち(再戦)
WBCバンタム級王座獲得(WBA・WBC・IBF3団体統一)

<6>2022年12月13日/有明アリーナ
ポール・バトラー(英)に11回KO勝ち
WBOバンタム級王座獲得(WBA・WBC・IBF・WBO4団体統一)

<7>2023年7月25日/有明アリーナ
スティーブン・フルトン(米)に8回TKO勝ち
WBC・WBO S・バンタム級王座獲得/4階級制覇

<8>2023年12月26日/有明アリーナ
マーロン・タパレス(比)に10回KO勝ち
WBA・IBF S・バンタム級王座獲得(WBA・WBC・IBF・WBO4団体統一)
※2階級+4団体統一達成(テレンス・クロフォードに次いで2人目))

<9>2025年9~12月(10月)/リヤド(サウジアラビア)
ニック・ボール(英)
WBAフェザー級王座挑戦?


確認し易いように一覧にしたが、13年目に入ったプロキャリアで、モンスターが世界王座を獲得した9試合中、海外で行われたのはマニー・ロドリゲス戦のみ(WBSS準決勝)。

渦中の人物トゥルキ・アルシャイフ長官が、「見たいカード」として敢えてこのタイミングで語った。

来日した御大ボブ・アラムが「春にラスベガス」と明言している為、次戦はWBC1位のピカソ(メキシコ)か有力視されているが、何かと騒々しいアフマダリエフになりそうな気配も漂う。いずれにしても、サウジグ初参戦はリヤドシーズン開幕後になる筈なので、火の玉小僧とのマッチアップ実現は拙ブログ管理人としても大歓迎。

交渉が上手くまとまりますように・・・。



◎関連記事
<1>NICK BALL VERY OPEN TO SAUDI FIGHT REQUEST FROM TURKI ALALSHIKH
2024年12月24日/リング誌公式
https://ringmagazine.com/en/news/nick-ball-very-open-to-saudi-fight-request-from-turki-alalshikh

<2>Naoya Inoue’s Next Fight Sees The Undisputed Super-Bantamweight King Face Ye Joon Kim On January 24th In Tokyo
2024年1月14日/Sports Casting
https://www.sportscasting.com/uk/news/naoya-inoue-next-fight/


◎井上(31歳)
戦績:28戦全勝(25KO)
WBA(V2)・WBC(V3)・IBF(V2)・WBO(V3)4団体統一王者
前4団体=WBA(V7)・IBF(V6)・WBC(V1)・WBO(V0)統一バンタム級王者.元WBO J・バンタム級(V7),元WBC L・フライ級(V1)王者
元OPBF(V0),元日本L・フライ級(V0)王者
世界戦通算:23戦全勝(21KO)
アマ通算:81戦75勝(48KO・RSC) 6敗
2012年アジア選手権(アスタナ/ロンドン五輪予選)銀メダル
2011年全日本選手権優勝
2011年世界選手権(バクー)3回戦敗退
2011年インドネシア大統領杯金メダル
2010年全日本選手権準優勝
2010年世界ユース選手権(バクー)ベスト16
2010年アジアユース選手権(テヘラン)銅メダル
身長:164.5センチ,リーチ:171センチ
※ドネア第1戦の予備検診データ
右ボクサーパンチャー(スイッチヒッター)


◎グッドマン(26歳)
世界ランク:IBF・WBO1位/WBA・WBC6位
戦績:19戦全勝(8KO)
アマ戦績:約100戦(詳細不明)
2016年ユース世界選手権(サンクトペテルスブルグ/ロシア)銅メダル(バンタム級/56キロ)
※ベスト8で柔道や総合格闘技で活躍するラマザン・アブドゥラエフ(ロシア/タジキスタン)対戦して5-0のポイント勝ち。準決勝でカザフスタンのサマタリ・トルタイェフに0-5でポイント負け
※トルタイェフを破って優勝したのが、今月7日にプエルトリコでまさかのプロ初黒星を喫したS・フェザー級のプロスペクト,マーク・カストロ(25歳/13勝8KO1敗)。キャリア最重量(137.25ポンド:S・ライト級)のウェイトが災いしたか。
2017年オセアニア選手権(ゴールドコースト/豪州)金メダル(バンタム級/56キロ)
2014年国内選手権(ジュニア):準優勝(フライ級/52キロ)
2013年国内選手権(ジュニア):準優勝(L・フライ級/48キロ)
身長,リーチ:169センチ
右ボクサーファイター

X'mas決戦消滅から完全撤退まで・・・ - モンスター vs グッドマン戦の経緯に関する考察 Part 2 -

カテゴリ:
■2024年12月24日⇒2025年1月24日/有明アリーナ/4団体統一世界S・バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) vs IBF・WBO1位 サム・グッドマン(豪)

左瞼のカットを示すアップ写真

■詐病の疑い?

グッドマンのカットは明らかに不可抗力で、世界中のあらゆるボクサーに共通するアクシデント、ボクサーなら何時どこの誰にでも起こり得る事象であり、必要以上に責任を追及されたり、非難の滅多打ちで責められるような類の話ではない。

しかしそうした一方で、「やれたんじゃないのか?」と噛み付きたくなる人たちの気持ちもわからなくはない。前章で述べた通り、東京ドームでの一件を経ての契約締結だったことが、悪い方向に影響もしている。

無論、興行面での損失はデカい。そこに議論の余地はなく、こちらも南半球のアルゼンチンから来日したS・フライ級のWBA王者がインフルエンザに罹患してしまい、大晦日興行のメインが吹っ飛ぶ第2弾が重なり、「プロ失格。ノンタイトルや前座の違いに関係なく、本来あってはならない事態。しかも興行の成否を握る世界戦で、そもそもトレーニングとコンディションの管理がなっていない。延期や中止を簡単に言い出し過ぎる」と、海外のマネージメントに対して苦言を呈する会長さんたちもいらっしゃるようだ。

「現実問題として、モンスターの代わりが務まる選手はいない。X'masイブの興行をすべて取り止めたのは当然と見るのが筋ではあるが、(帝拳とタメを張る国内最大手に成長した)大橋会長だからできたこと。」

井岡一翔の志成ジムとABEMAは、止む無くセミの堤駿斗(WBA S・フェザー級挑戦者決定戦)をメインに繰り上げ。そのまま興行を打ったが、それでもチケットの払い戻しに応じなくてはならない。オオトリのメイン消滅は、まさに取り返しがつかない最悪のトラブルなのだ。

「(運転資金に余裕が無く)実際は払い戻しに応じられず、関係者への謝罪はともかく、スポンサーの再設定も目処が立たず、イベントを強行するしかないジムの方が圧倒的に多い。」


そうした指摘には、「確かに仰るとおり」と申し上げるしかないけれど、試合を強行すれば、モンスターが狙う狙わないに関わらず、被弾やバッティングによる再発(それも早い時間帯)を前提にした対策の練り直しが不可避となる。

あっという間に傷が開き、同じ箇所を集中的に攻め込まれずとも、さらなる着弾で見る見る傷口の深さと拡さが増して、止血が追いつかず早々にドクターストップ・・・誰でも容易に想像がつく。パンチによるカットで続行不能になれば、負傷判定の適用は無い。即座にTKO負け。

癒えない左瞼が再び裂ける不安を抱えたまま、「モンスターと対峙しろ」と命令できるプロモーターやマネージャーが居るとしたら、それは日本国内のジム,会長さんたちに限られる。

また、「トレーナーが世界戦のドタキャンを言ってくるって、有り得ないだろそんなの・・・」との声も漏れ聞こえて来る。「プロモーターが直接頭を下げて、侘びを入れるのが当然」という意味だと解するが、流行中のインフルエンザで高熱を出した遠来のS・フライ級王者とその陣営を指すのであれば、的を外した筋違いの話だと思う。


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◎制度と仕組みの内外格差・・・世界に例を見ない日本独自のクラブ制度

日本国内のプロボクシングは、JPBA(日本プロボクシング協会)に加盟するジムを通じて、選手,トレーナー,マネージャーのプロ・ライセンスを、JBC(日本プロボクシング・コミッション)に対して申請・更新する。すなわち、協会加盟ジムに入門・所属しないと、そもそもプロになることができない。

そしてこれが一番大きな特徴なのだが、ジムの会長がプロモーターを兼ねる。規定では「クラブオーナー・ライセンス」と呼ばれる資格をJBCから認可されるが、同時に「プロモーター・ライセンス」も取得して興行を主催する。

ライセンスの更新は1年1回と決まっており、ジムが取りまとめて行う。この更新が手続きされないと、ライセンスの返上とみなされ引退扱いとなる。ジムと選手,トレーナー,マネージャーの契約期間は3年で、双方もしくはいずれかから異議が出ない限り、こちらは自動更新が基本。

通常マッチメイクはマネージャーが交渉役となって担当するが、完全に分業化されているジムとそうでないジムとが混在しており、構成比が高い小規模のジムは会長がマネージャーとトレーナーも兼ねるのが一般的。規模の大きなジムで分業化されている場合でも、決定権はあくまで会長にある。

すなわち、日本国内では一度プロになると、ジムの会長が支配下選手の生殺与奪の権限を一手に掌握する。選手やトレーナーは別のジムへの移籍は勿論、引退するにも会長の承諾が必須となる。


とりわけ目立ったのが移籍を巡るトラブルで、所属ジムから支払い不能な高額な移籍金を要求されたり、移籍は認められず試合も組まれず飼い殺しにされるなど、悪しき慣習として絶えず繰り返されてきた。

中村信一会長との関係悪化により、正式決定した世界挑戦を目前に引退会見を強行した矢尾板貞男(昭和のフライ級を代表する名選手/白井義男の後継者と目された)のように、所属ジムからの離反は引退・廃業とイコール。それが昭和のボクシング界における鉄の掟、岩盤のごとき不文律だった。

矢尾板貞男 引退会見
※引退会見を行う矢尾板(1962年6月/左が中村会長)

現役世界王者のジム移籍(国内史上初)として大きな話題になった長谷川穂積の場合、所属していた千里馬ジムの千里馬啓徳会長が、2007年9月18日に開いた会見で「移籍金は発生しない」と説明。長谷川は同席していない。

その後、10月4日に移籍先となる真正ジムを開設した山下会長兼トレーナーとともに会見に臨んだ長谷川は、「真正ジムから千里馬ジムに払う移籍金は無いが、”自由交渉金”と言う名目で、(9月18日に長谷川個人が)支払った」と苦しい説明を行い、実際には譲渡金が必要だったことを自ら認めている。
※具体的な金額は伏せられたが、後に「千万単位」だったことが判明。

◎10月4日の移籍会見



2019年6月、それぞれの競技を統括する組織・団体が独自に定める「移籍制限ルール」について、公正取引委員会が独占禁止法抵触に関わる警告(注意喚起)を行ったことがきっかけとなり、ボクシング界も是正に動かざるを得なくなる。

同年10月1日付けで、3年間のマネージメント契約満了時の移籍の自由を認めるルール改訂をJBCが公表。ジム(会長)の許可・承諾が不要となり、長年の懸案だった移籍金無しでの移動が可能となった。

しかし、ギャランティの現物支給(チケット払い)にはメスが入り切っていない。多めにチケットを配分して、規定の報酬を超えた額については、33%のマネージメントフィーを引かずに全額選手に渡すジムもあるが、苦労して手売りした代金を全額ジムに入れさせ、33%きっちり引いて支払う上納制度には手が着けられていない。


一方の海外だが、国と地域による違いや濃淡が様々あるのは当然にしても、プロモーターとマネージャーの分業が原則。興行師は選手を直接マネージメントできない、してはいけないという考え方に立つ。

最も分かり易く比較し易い具体例として、王国アメリカの例を引く。ご存知の通り、スポーツ競技を統括する各国の組織・団体は、プロであれアマであれ「1国・1統括機関」の原理原則で成り立っている。

国ごとの統括機関が複数存在して、国際的な統括機関に加盟登録が許されてしまった場合、例えばアマチュアの国際大会に代表選手を派遣する際、その複数ある組織間で選考競技会を開催して、国内代表をスムーズに決められる状況ならまだいいが、大概は近親憎悪をぶつけ合い、加盟選手同士の交流を全面禁止にするなど、収拾がつかない混乱した状況が容易に想像できてしまう。

二分した国内の組織(プロと社会人)を一本化することができず、国際統括機関から資格停止処分を受け、代表チームが国際大会から排除されたまま、迫り来るリオ五輪予選の開始を目前に、大慌てでサッカーの川淵三郎キャプテンを担ぎ出し、分裂した協会の統合を依頼せざるを得なくなった、男子バスケットボールのお粗末極まる顛末をご記憶の方も多いと思う。


※左から:河内敏光Bリーグ(B.LEAGUE:日本プロバスケットボールリーグ/旧称:bjリーグ)コミッショナー,川淵三郎JBA(日本バスケットボール協会)会長,堀井幹也NBL(バスケットボール日本リーグ/旧称:JBL)副理事長/2015年7月当時


ボクシングもまったく同じで、プロもアマも「1国・1コミッション」が必須条件として求められる。ところが、世界最大のマーケットを誇る王国アメリカだけは、プロボクシングの合法化を定めた「ウォーカー法(Walker Law:ニューヨーク州法)」の制定に伴い、1920年にニューヨーク州アスレチック・コミッションが正式にスタートして以来、「1州・1コミッション」を押し通し続け、揺ぎ無い既得権として定着(アマは全米を統括する組織が存在)。

この根本的な違いをご理解いただいた上で、概略以下のような制度・仕組みを整備し、永らく運用されてきた。

<1>各州コミッション:州政府の役人によって構成され、一般的にコミッショナーは法律家に委嘱されることが多い(かつては引退した地元出身の元世界王者や著名な元スター選手が名誉職として就任するケースも見受けられた)。選考基準と任期は州ごとの規定による。

<2>選手,トレーナー,プロモーター,マネージャー,マッチメイカー等は、すべて個別に個人として、活動拠点の州コミッションに申請してプロライセンスの認可を受ける。

<3>プロモーターに対する審査は厳しく、会社の財務状況(預金残高の確認を含む)や犯罪組織とのつながりの有無等々、非常に細かいチェックを受ける。

<4>選手のライセンス認可は、ドラッグテスト(血液検査有り)を含むメディカル・チェックのパスが絶対条件。ルールと基本的な知識・適性を確認する為の筆記試験や、スパーリングで競技レベルを見る実技試験を実施しているのは、おそらく日本(と以前の韓国:今現在の状況は未確認)だけと思われる。

<5>ライセンスの更新時期:州ごとの規定による。

こうした基本的な組織形態に加えて、1999年~2000年にかけて制定された「モハメッド・アリ法」によって、プロモーターとマネージャーの兼業禁止が法律として明文化された。

ただし、各州コミッション(もしくはプロの格闘競技を統括する部門)による興行の許認可について、州が独自に行う判断の余地は残されていて、州内の人口の少ない群や市町村で行われる小規模の興行の中には、マネージャーのプロモートによる興行が散見される。


ライセンスの許認可はあくまで個人・事業者単位なので、例えばフレディ・ローチのような著名なトレーナーが、トップランク傘下のマニー・パッキャオと、ゴールデン・ボーイ・プロモーションズと契約したアミル・カーン(フランク・ウォーレンとの関係を清算)を、同時に指導・サポートすることが可能となる。

左から:パッキャオ,フレディ・ローチ,アミル・カーン
※左から:ワイルドカードジムで取材を受けるパッキャオ,フレディ・ローチ,アミル・カーン(2010年頃)

「情報が漏れるんじゃないの?」と心配する方がおられるかもしれないが、指導者としての力量と実績だけでなく、プロフェッショナルとしての信頼・信用も含めた評価を常に受け続けて、それに耐え得る者だけがトップレベルの地位と収入を確立できる。

英国のマッチルームとトニー・シムズや、ドイツのウニヴェルズムとミヒャエル・ティム、ザウアーラントとユーリ・ヴェーグナーのように、地位と評価を確立した著名なトレーナーと専属契約を結び、ヘッドとして招いて、傘下の看板選手や期待値の高い新人アマ・エリートの育成を託すケースもあるが、海外のトレーナーは独立独歩が原則。

そして同一プロモーターの支配下選手同士の対戦は問題ないが、同じマネージャーと契約する選手同士の対戦は、八百長等の不正行為防止の観点から認められない。


インフルエンザにかかってしまったWBA S・フライ級王者の場合、昨年7月7日に行われた第1戦(WBA・IBF2団体統一戦)時には、プロモーターのマルコス・マイダナ(元ウェルター,S・ライト2階級制覇王者)がチームに随行していた。

しかし今回は姿を見せておらず、チームの代表として矢面に立つのは、アマチュア時代からの長い師弟関係にあり、マネージャーを兼務するロドリゴ・カラブレーセ(カラブレッセ)にならざるを得ない。

発熱から医師の診断を経て試合中止に至る間、カラブレーセはあくまでチームを率いるマネージャーとしてその責任を果たしたのであって、「トレーナーが連絡してきた」訳ではない。

team_martinez
※左から:ロドリゴ・カラブレーセ(マネージャー兼トレーナー)/マルティネス/マルコス・マイダナ(プロモーター/元2階級制覇王者)

マイダナが来日しなかったのは、単純に年末年始の休暇を優先しただけと推察する。第1戦の試合内容から、「簡単には行かないだろうが、負ける心配まで要らない」との手応えと確信を得ていたのも確かだとは思うが。


ちなみに、引退した元プロボクサーが雇われのトレーナーとなり、将来性に恵まれた10代の才能に巡り合い、手塩にかけて一流のプロへと育て上げ、マネージャーとマッチメイカーを兼ねて海千山千のプロモーターたちと渡り合いながら、運よくチャンピオンにまで辿りつく。

ともに大きな金額を稼いで経済的にも成功すると、トレーナーは自分のジムを開いて一国一城の主となる。やがて多くの一流選手からサポートを依頼されるようになり、大物プロモーターからの信任も得て一家を成し、抱えるアシスタントを次々と独立させ、ボクサーだけでなく、指導者の育成供給にも大きな役割を担う。

己の拳と勇気を頼りにプロの世界に飛び込み、無名から有名へとのし上がる典型的なサクセス・ストーリーの1つだが、これは近代ボクシングが芽吹いた19世紀末から今日に至るまで、国や地域,時代の別を問わないデファクト・スタンダードである。


マネージャーを兼務する海外のトレーナーが同種のアクシデントに見舞われた場合、例外なく(カラブレーセに限らず)、同様の対応を取ると言うか、マネージメントの責任者としてそうせざるを得ない。

現場の差配を浜田剛史代表に任せて、必要な時以外ジムに顔を出さない帝拳の本田会長は、国内では数少ない「欧米型のプロモーター」と言うこともできなくはないが、多くの会長(プロモーターを兼ねる)は、外出が必要な時以外はジムに居る。

すなわち、欧米の一定規模以上の興行会社を経営するプロモーターは、傘下の選手個々人と常時一緒に居ることがそもそもできない。選手の管理を直接行うのはマネージャーで、トレーナーを兼ねているケースが通常運転。

看板選手のグッドマンをハンドルするノー・リミット・ボクシング(No Limit Boxing)のプロモーター,ジョージ・ローズは、発展途上で所帯が小さいから、常に行動をともにすることができる。

チーム・グッドマン
※左から:ジョエル・キーガン(ヘッド・トレーナー),グッドマン,ジョージ・ローズ(プロモーター)

トレーナーのキーガンとは別に、ピーター・ミトレフスキーというマネージャーもいるが、今回のトラブルを連絡してきたのは、十中八九プロモーターのローズで間違いないと思う。


※Part 3 へ


◎井上(31歳)
戦績:28戦全勝(25KO)
WBA(V2)・WBC(V3)・IBF(V2)・WBO(V3)4団体統一王者
前4団体=WBA(V7)・IBF(V6)・WBC(V1)・WBO(V0)統一バンタム級王者.元WBO J・バンタム級(V7),元WBC L・フライ級(V1)王者
元OPBF(V0),元日本L・フライ級(V0)王者
世界戦通算:23戦全勝(21KO)
アマ通算:81戦75勝(48KO・RSC) 6敗
2012年アジア選手権(アスタナ/ロンドン五輪予選)銀メダル
2011年全日本選手権優勝
2011年世界選手権(バクー)3回戦敗退
2011年インドネシア大統領杯金メダル
2010年全日本選手権準優勝
2010年世界ユース選手権(バクー)ベスト16
2010年アジアユース選手権(テヘラン)銅メダル
身長:164.5センチ,リーチ:171センチ
※ドネア第1戦の予備検診データ
右ボクサーパンチャー(スイッチヒッター)


◎グッドマン(26歳)
世界ランク:IBF・WBO1位/WBA・WBC6位
戦績:19戦全勝(8KO)
アマ戦績:約100戦(詳細不明)
2016年ユース世界選手権(サンクトペテルスブルグ/ロシア)銅メダル(バンタム級/56キロ)
※ベスト8で柔道や総合格闘技で活躍するラマザン・アブドゥラエフ(ロシア/タジキスタン)対戦して5-0のポイント勝ち。準決勝でカザフスタンのサマタリ・トルタイェフに0-5でポイント負け
※トルタイェフを破って優勝したのが、今月7日にプエルトリコでまさかのプロ初黒星を喫したS・フェザー級のプロスペクト,マーク・カストロ(25歳/13勝8KO1敗)。キャリア最重量(137.25ポンド:S・ライト級)のウェイトが災いしたか。
2017年オセアニア選手権(ゴールドコースト/豪州)金メダル(バンタム級/56キロ)
2014年国内選手権(ジュニア):準優勝(フライ級/52キロ)
2013年国内選手権(ジュニア):準優勝(L・フライ級/48キロ)
身長,リーチ:169センチ
右ボクサーファイター

X'mas決戦消滅から完全撤退まで・・・ - モンスター vs グッドマン戦の経緯に関する考察 Part 1 -

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■2024年12月24日⇒2025年1月24日/有明アリーナ/4団体統一世界S・バンタム級タイトルマッチ12回戦
統一王者 井上尚弥(日/大橋) vs IBF・WBO1位 サム・グッドマン(豪)

左瞼のカットを示すアップ写真

■1ヶ月の延期は妥当だったのか?

つくづく相性が悪い。ボクサーとしての戦力比較、特徴や得手不得手のことではない。人と人との縁、交わりに関わる話である。我らがモンスターとオセアニアの”良き男”は、果たして出遭うべき運命にあったのか、はたまた無かったのか。

試合本番まであと10日。キャンプで反復を徹底していたに違いない、”モンスター対策”の最終的な確認が目的だったのだろうが、打ち上げ(?)のスパーリングの最中にパートナーの右アッパーを食らって、2団体統一1位が左瞼をカット。

追い込みが佳境を迎える時期(本番3週間前頃)、ガチンコの実戦スパー中に発生するトラブルはあらゆるボクサーに想定されるアクシデントであり、半ば不可抗力と言っても間違いではないが、「えっ!、このタイミングで?!」と、思わず声を上げてしまいそうになった。

すぐにインスタやyoutube等に、問題のシーンを切り取った映像が出回り、早速確認してみると想像していたライトスパーとは違って、パートナーがまともに打ち込んでいる。ラウンドは短く設定していたのだろうが、実戦スパーと見紛う様相にいささか驚いた。

赤道を境にして、地球は南北半球で季節が間逆になる。12月の平均気温が20℃を超える湾岸都市ウロンゴン(ニューサウスウェールズ州:シドニーから80キロほど南下)から、平均気温10℃を切る東京に移動しなければならず、寒さに身体を慣らすことを考慮すれば、2週間くらい前に来日していてもおかしくはない。

大きな寒暖差よりも、時差の心配がほとんど無い(2時間程度)ことをアドバンテージと捉え、完全な状態に仕上げて日本に向う。流行中の季節性インフルエンザへの警戒も兼ねて、滞在をぎりぎりの日数に抑えようと考えたのか、離陸する直前間際まで本格的なスパーを継続したのだろうが、陣営の必死さは伝わって来る。



◎関連記事
<1>WATCH: The devastating moment that ruined Aussie star’s blockbuster world title fight
2024年12月14日/Fox Sports
https://www.foxsports.com.au/boxing/goodman-v-inoue-christmas-eve-blockbuster-off-after-cut-bombshell-cruels-aussie-fighter/news-story/de09a47075d737c7842a8598f9a7d4a8

<2>Inoue title defence postponed after Goodman injury
2024年12月14日/BBC Sport
https://www.bbc.com/sport/boxing/articles/c9dpq66j6qyo

<3>Naoya Inoue's title bout vs. Sam Goodman moved to Jan. 24
2024年12月14日/ESPN(マイク・コッピンガー)
https://www.espn.com.au/boxing/story/_/id/42957624/naoya-inoue-title-bout-vs-sam-goodman-moved-jan-24


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◎「また逃げた?」

最初のニュースと一緒に報じられた写真で確認できた瞼の傷が、パっと見小さく感じられた事が災いしたのかもしれないが、国内のスポーツメディアとSNS上には批判的な空気が横溢した。

昨年5月の東京ドーム興行で、日本ボクシング界の怨敵ルイス・ネリーを完膚無きまでの6回KOに屠ったモンスターとリング上でシェイクハンドを交わし、対戦をアピールしたのも束の間、タイ人ランカーとのノンタイトル戦が決まっているからと9月の来日を拒否。多くのファンと関係者に食らわせた肩透かし、大いなる拍子抜けが余計に印象を悪くしている。

1st_meets_monster_goodman

「また!?」という訳で、お約束の「GoodmanはBadman」の表現が踊り、「出場できるのに大袈裟に騒いでるだけなんじゃ?」といった、怪我の程度を疑う雰囲気さえ漂っていたように思う。

あるいは、「ウェイトがキツいだけなんじゃないの?」だとか、「始めからそのつもりで、減量してないんでしょ?」とか、瞼をカットしたスパー映像は実は以前のもので、「モンスターの調整を狂わせるのが目的」等々、陰謀論めいた風聞も聞こえてくるが、流石にそれはうがち過ぎ。

傷の深さと長さによって状況が大きく異なる前提で、瞼の開け閉めや眼球の動き、視力等に問題が無いことが確認できれば、一般的に縫合した瞼の裂傷は完治までに1~2週間とされる。切り取り映像を見る限り、スパーリングに付き物のアクシデントであることは紛れも無く、不運という以外に語る言葉は無し。

起きてしまった事は仕方がない。取り返すことはできないのだから、最も適切と思われる善後策を講じるのみ。1ヶ月が本当にベストなタイミングか否かの議論はあるにせよ、迅速な延期の決定そのものは妥当な対応と評価できる。


なんとなれば、負傷を理由にした延期(中止)なら、モンスター自身にも2回前歴がある。

◎井上自身に起因する延期・中止
<1>2015年2月:オマール・ナルバエス(亜)第2戦(ダイレクト・リマッチ)
5月(内定/正式発表前):WBO J・バンタム級王座初防衛戦
(1)2014年12月30日の第1戦で井上自身が右拳(人さし指の中指骨)を脱臼骨折。
(2)手術を受けて回復が長引き最終的に中止。
(2)2015年7月暫定王座決定戦:1位ワルリト・パレナス(比) vs 2位ダヴィド・カルモナ(メキシコ)戦が行われ12回スプリット・ドロー。
(3)井上は丸々1年に及ぶブランクを経て、2015年12月29日に1位パレナスとの指名戦に臨み、ガードごと吹き飛ばす豪快な2回TKO勝ちの圧勝も、この試合で再び右拳を負傷。
(4)2016年5月8日:2位カルモナと2試合連続の指名戦を行い、序盤に三度び右拳を傷めた上、後半に左拳も負傷。

世界戦で初めてとなる判定決着を経験し、右拳に深刻な不安を抱えた状態で、慢性化する減量苦の影響で腰痛を併発。コンディショニングに苦しみながらの防衛ロードが続く。

心身のダメージが癒えるのを待ったナルバエスは、2015年10月に母国で再起。再戦の権利を放棄して調整試合を消化すると、2017年以降バンタム級に再進出。2018年4月、WBO王者だったゾラニ・テテ(南ア)に挑戦して大差の判定負け。2019年12月、同胞の無名選手に敗れてIBFの下部王座を失い、44歳で引退した。

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<2>2023年3月:スティーブン・フルトン(米)戦
5月7日(決定):WBC・WBO S・バンタム級統一王座挑戦
(1)井上自身の拳負傷により7月25日に延期。
(2)左右どちらを傷めたのか、負傷の程度等の詳細は伏せられた。

後は、武漢ウィルス禍の蔓延により、2020年4月25日ラスベガス開催で決定していたジョンリエル・カシメロ(比)との3団体統一戦(バンタム級)が流れている。

第1次トランプ政権が国家非常事態を宣言した為、これはもうどうしようもない。井上,カシメロのどちらもが被害者ということになるけれど、長期化する米国滞在に嫌気がさしたカシメロが、旅客機が飛ぶうちにと、リ・スケジュールの決定を待たずに帰国。

試合が消滅した責任は一重にカシメロにあり、その後ノニト・ドネアとの同胞対決に路線を転換して内定まで漕ぎ着けたものの、度重なるSNSでの挑発とトラッシュトークが原因でドネアが本気で怒り、こちらも頓挫。身から出た錆とは言え、一連の騒動をきっかけにカシメロの受難が始まった。


「お互い最高の状態で戦おう」

延期が発表された12月14日、公式Xにポストしたモンスターのスポーツマンシップに賞賛が寄せられる。ここでグッドマンを腐したところで何1つプラスにならないし、これ以外に言いようもない。

唯一最大の懸念材料は、「1ヶ月」というスパン。本番10日前のアクシデント発生だから、減量は最終段階に入っている。計量直前の極端なドライアウトに頼らず、少しづつ時間をかけて落とす旧来のセオリーとの併せ技で調整する我らがモンスターの場合、リミットの122ポンド(55.3キロ)+5ポンド近くまで絞っていた筈。

フルトン戦の時は、本格的な減量に入る前だったことが何よりの幸いであり、拳の回復に専念する時間を取ることもできた。即座に予定通りの挙行を申し出たモンスターに一息入れる間を与え、速やかに頭を回転させて、迷い無く「2ヶ月の延期」を決断した大橋会長のファインプレイ。

「モンスター攻略=P4Pランク入り」への揺ぎ無い自信、尊大なまでに高いプライドを誇示して憚らないフルトンを見れば、具体的な金額こそ明らかにしてはいないものの、軽量級としては破格の条件(推定2億円以上=間違いなくフルトンのキャリアハイ)の提示を棒に振ることはまず有り得ない。

フェザー級進出への意気込みを繰り返し語り、S・バンタム級のラスト・ファイトに位置づける井上戦の延期について、フルトン陣営がつける物言いがあるとすれば、撤退ではなく増額要求。実際に上乗せがあったのかどうかまではわからないが、妥協できる範囲の額なら大橋会長は呑んだと推察する。


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◎我らがモンスターの2025年

大橋会長が「1ヶ月のスパン」を選んだ最大の理由は、今年,2025年のスケジュールを最優先させる必要があったからに違いない。

初春を目処に、マイケル・ダスマリナス戦以来途絶えていた4年ぶりの渡米を果たし、WBC1位アラン・ピカソ(メキシコ)との指名戦を消化する。続いて夏から秋にかけて、やはり米本土でWBA暫定王者アフマダリエフを黙らせた後、年末はいよいよリヤド・シーズン開幕後のサウジに勇躍降り立つ。

無責任に憶測を開陳するなら、フェザー級に上げて5階級目のベルトを狙う。挑む相手は選り取り見取り。

主要4団体フェザー級王者
※主要4団体フェザー級王者/左から:ニック・ボール(WBA),ブランドン・フィゲロア(WBC)・アンジェロ・レオ(IBF),ラファエル・エスピノサ(WBO)


株価の上昇に笑いが止まらない(?)、イングランドの火の玉小僧ニック・ボール(WBA)に、修行時代の輝きを完全に喪失したレイ・バルガス(メキシコ/WBC)が、肩の負傷を理由に休養王者へと横滑りし(2度目/初回はS・バンタム級時代)、暫定から正規に格上げされた長身のファイター,ブランドン・フィゲロア(米)。

名ばかりの指名戦をこなす為、3月に初来日が決まったアンジェロ・レオ(米/IBF)は、これを問題なくクリアしたリング上で、「次はイノウエだ!」だと怪気炎を上げる手筈が整う。

挑戦者陣営としては、大橋ジム宛てに正式な招待状を送り、モンスターともども来場を実現して、目出度くレオを打ち倒したあかつきにはリングに上がって貰い、勝利者インタビューで大いに対戦を煽りたいところだろうが、拙ブログ管理人がたまたま偶然に見た予知夢によると、大橋会長はともかくモンスター本人は「来場しない」。

また、ロベイシー・ラミレス(キューバ)とのリマッチを勝ち残り、4強の一角足り得る実力を証明した”メキシコ産キリストの化身”ことラファエル・エスピノサ(メキシコ/WBO)は、規格外のサイズが最大の売り。

ビッグマネー・ファイトが確約されるモンスターとの激突は、4王者ともに大歓迎。トゥルキ氏が大盤振る舞いした30億円には、「3階級に渡る4団体統一トーナメント」への期待値(リヤド開催)が当然含まれている。

来月1日に迫るフィゲロアとスティーブン・フルトンのリマッチについては、別記事にて言及予定。

フルトンとフィゲロア(2021年5月)


そして我らがモンスターの2025年だが、ボブ・アラムが適時上げる観測気球はいつものことながら、大橋会長からも”匂わせ発言”が出始めている。

日程調整はかなりタイトになるが、カットや拳の負傷といったトラブルが起きない限り、今年は4試合を消化するつもりなのでは・・・。

1月:グッドマン(東京)※WBO14位の韓国人ランカーに差し替え
5月:ピカソ(ラスベガス)
9月:アフマダリエフ(ラスベガス or ニューヨーク)
12月:フェザー級初戦?(リヤド)

個人的には、ニューヨークの殿堂MSGのメイン・アリーナで戦う姿を是が非でも見たい。”東洋の奇跡”マニー・パッキャオが、王国アメリカで到達できなかった数少ない栄誉の代表格であり、ボブ・アラムにとっても、村田諒太で果たし損ねた心残りの1つ(である筈)。

ラスベガスが”世界のボクシングの中心地”として認知され始める1970年代後半以前、旧ヤンキー・スタジアムとともに、近代ボクシングの歴史に燦然と輝く名勝負の数々を紡いだ殿堂のリングに、我らがモンスターの名前を深く刻印して欲しいと切に願う・・・。


「いや、幾らモンスターでもこれはキツい。無いよ。リング誌のインタビューに”今年は3試合”と答えているし。」

確かに。

今月24日の防衛戦を済ませた後、4月下旬か5月に米本土でリングに上がり、秋~冬にかけてもう1試合で計3試合。

INOUE'S THREE-FIGHT PLAN FOR 2025 REMAINS: "DATES DIFFERENT BUT WE STILL HAVE SAME GOAL"
2025年1月13日/RingMagazine.com
https://ringmagazine.com/en/news/inoue-s-three-fight-plan-for-2025-remains-dates-different-but-we-still-have-same-goal

がしかし、好戦的な(モンスターとは比べるべくもなく遥かに攻防のキメが粗い)韓国人ランカーと、血の気の多いメキシカンの期待を一身に背負うニューカマーを、立て続けに難なく片付けたらどうだろう。亀田一家も形無しになりそうな、韓国人ボクサーの突貫戦法には充分な注意が必要になるが、大事無く即決できれば様子が変わる可能性は小さくない。

何が何でもモンスターから正規のベルトをはく奪させて、戦わずしてアフマダリエフを正規王者にするべくWBAとボクシング・メディアに圧をかけ続けるエディ・ハーンは、「夏頃までに2人はリヤドで戦う」と必死にぶち上げている。

ただし、推定30億円でアンバサダー契約を結んだモンスターのリヤド・シーズンお披露目興行に、タパレスに負けたアフマダリエフではちょっと弱い。今1つ2つ、インパクトに欠けやしないか。

ハーンとアフマダリエフもそれが分かり切っているから、「イノウエ逃げるな!」と性懲りも無い挑発を延々やり続けて、在米ボクシングメディア(ネット専門のアンチ・モンスターたちは特に重要)を刺激し続けるしかない。

14位の実質ノーランカーを圧殺して、上手いこと暫定王座をせしめたまでは良かったが、「正規×暫定」のWBA内統一戦では格の違いが一層際立つ。ここはやはり、「WBC・IBF・WBO3団体統一王者×WBA王者=4団体統一戦」の看板だけは欲しい・・・と、いっぱしのプロモーターならハーンならずとも欲をかく。

「30億円契約」が公表された時点で、サウジ総合エンターテイメント庁を取り仕切るトゥルキ・アルシャイフ長官は、「2025年にメガ・サプライズを用意している」と述べた。そして、「詳細は井上陣営の準備が整い次第明らかになる」と添えている。

リヤド・シーズン初登場について、具体的な言及をかわし続ける大橋会長も、「2025年は井上尚弥に大きな指令が出る。みんなが望むビッグマッチは再来年かも・・・」と、中谷潤人戦の実現に含みを持たせつつ、ファンの期待を煽る前フリを発した(1月9日付けのスポーツ各紙)。


アフマダリエフが「誰もが驚くサプライズ」に過不足なく該当するのかどうか、そこは意見の分かれるところで、議論の余地もあるとは思うけれど、拙ブログ管理人の無責任かつ勝手極まりない予想(あくまで感覚)では、「リヤド・シーズン開幕後+フェザー級初戦=5階級制覇」ではないかと、半ば確信に近い手応えを感じているのだが・・・。

Part 2 へ


◎井上(31歳)
戦績:28戦全勝(25KO)
WBA(V2)・WBC(V3)・IBF(V2)・WBO(V3)4団体統一王者
前4団体=WBA(V7)・IBF(V6)・WBC(V1)・WBO(V0)統一バンタム級王者.元WBO J・バンタム級(V7),元WBC L・フライ級(V1)王者
元OPBF(V0),元日本L・フライ級(V0)王者
世界戦通算:23戦全勝(21KO)
アマ通算:81戦75勝(48KO・RSC) 6敗
2012年アジア選手権(アスタナ/ロンドン五輪予選)銀メダル
2011年全日本選手権優勝
2011年世界選手権(バクー)3回戦敗退
2011年インドネシア大統領杯金メダル
2010年全日本選手権準優勝
2010年世界ユース選手権(バクー)ベスト16
2010年アジアユース選手権(テヘラン)銅メダル
身長:164.5センチ,リーチ:171センチ
※ドネア第1戦の予備検診データ
右ボクサーパンチャー(スイッチヒッター)


◎グッドマン(26歳)
世界ランク:IBF・WBO1位/WBA・WBC6位
戦績:19戦全勝(8KO)
アマ戦績:約100戦(詳細不明)
2016年ユース世界選手権(サンクトペテルスブルグ/ロシア)銅メダル(バンタム級/56キロ)
※ベスト8で柔道や総合格闘技で活躍するラマザン・アブドゥラエフ(ロシア/タジキスタン)対戦して5-0のポイント勝ち。準決勝でカザフスタンのサマタリ・トルタイェフに0-5でポイント負け
※トルタイェフを破って優勝したのが、今月7日にプエルトリコでまさかのプロ初黒星を喫したS・フェザー級のプロスペクト,マーク・カストロ(25歳/13勝8KO1敗)。キャリア最重量(137.25ポンド:S・ライト級)のウェイトが災いしたか。
2017年オセアニア選手権(ゴールドコースト/豪州)金メダル(バンタム級/56キロ)
2014年国内選手権(ジュニア):準優勝(フライ級/52キロ)
2013年国内選手権(ジュニア):準優勝(L・フライ級/48キロ)
身長,リーチ:169センチ
右ボクサーファイター

リング誌公式サイトが復活 - ”Bible of Boxing”の行き着く先は? -

カテゴリ:
■年間表彰も発表

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ようやく再開の日が訪れた。在米ファンと関係者が待ちに待った(?)、リング誌公式サイトがリニューアル・オープンである。モバイル用アプリも公開済み(Google Play / App Store)。

メインメニューは7つ。
<1>NEWS
<2>RANKINGS - Ring(階級別)・P4P・Champions・WBC・WBO・WBA・IBF
<3>SCHEDULE - Fights / Results(予定と結果)
<4>FIGHTERS
<5>DIGITAL MAGAZINE - New Magazines / Archives(Comming Soon)
<6>SHOP(COMMING SOON/準備中)
<7>COMMUNITY

最重要の「RANKINGS」には、主要4団体が追加されている。拙ブログ管理人には、4団体の並び順がいささか興味深い。一般的に考えれば、歴史の古い順にWBA(旧NBA)・WBC・IBF・WBOと並べるのが妥当と思われるが、並び順に何か政治的な意味合いがあるのか無いのか。

改称直後のWBA(旧NBA:1962~63年)において、米国による支配的な体制に不満を鬱積させたメキシコ&中南米を中心に、フィリピンが旗振り役だった東洋(OBF:現在のOPBF)と、WBAへの加盟を頑なに拒み続ける英国を軸にした欧州(EBU:旧IBU)が加わり、いわばWBAに叛旗を翻す格好で発足し、1968年に分派独立を強行して世界タイトルを分裂させたWBCを先頭に置く。

そして2番目は、1988年にプエルトリコとカリブ海沿岸地域の代表役員とプロモーターが結託してWBAから飛び出したWBOで、老舗のWBAが3番目。

WBC造反独立後のWBAで、新たにトップの座に就いたベネズエラのヒルベルト・メンドサ会長を追い落とし、中南米に奪われた主導権の回復を狙った旧NBA残党組みが再び会長選挙に敗れてしまい、1983年にWBAを割って立ち上げたIBF(米国東部に拠点を置く)を最後にした。


対応している言語は、英語・スペイン語・フランス語・アラビア語の4ヶ国語。グレーアウトした状態(対応予定)で、ロシア語と日本語が含まれている。登録ユーザーの推移(需要動向)を見ながら、少しづつ増やして行くのだろう。



現代のWEB製作において、英語を筆頭にしたマルチ・ラングウィッジ対応は当然にしても、スペイン語が2番目に選ばれているのは、今や世界最大のマーケットを誇る米本土のボクシング興行を支える集客基盤であり、イベントの成否を左右するメキシコを中心としたヒスパニック・コミュニティへの配慮に他ならない。

アラビア語への対応は、言語表示環境における実質的な最優先事項だったことは言うに及ばず、フランス語がアクティブになっているのは、かつて植民地にしていたアフリカ大陸には、アルジェリアを始めとしてイスラム教国が数多く存在しているからである。

また、世界最大の産油国であるサウジアラビアにとって、原油の年間消費量の4割程度を、四半世紀以上に渡って購入し続けている日本は、中国・米国・インド・韓国等とともに、国家財政の基盤となる大のお得意様でもあり、保有する世界王者の数だとか、リング誌ランカーの国別人数比といった単純な話ではない。

◎国別世界王者保有数トップ5(2025年1月現在)
※主要4団体(ブリッジャー級を除く)
1位 アメリカ:24名(男15/女9)
2位 メキシコ:12名(男7/女5)
2位 日本:12名(男9/女3)
4位 英国:11名(男4/女7)
5位 豪州:5名(男1/女4)


基本的なページ構成は、配色が変わっただけでリニューアル前のデザインを継承している。あくまで述べ人数ではあるものの、「4団体×17階級×10名(11位以下を省略している点はリング誌らしい)=680名」の変動を、毎月1回(各団体ごとアップデートの日程が異なる為実際は4回)チェックして更新を続けるのはかなり大変。

確認と文字起こしのワークは在宅のアルバイトにやらせるにしても、副編集長クラスの担当責任者を置いて校正を行う必要はあり、日本国内では帝拳ジムが自社公式サイト内で主要4団体の月例ランキングを掲載していたが、負担が大きかった為かいつの間にか止めてしまった。

国と地域,民族の異なる選手の名前を、日本語のカナ表記に翻訳するのは本当に厄介な作業で、リング誌は英語表記のままでいい分、楽と言えば楽には違いないけれども。

気になるランキングのボード・メンバーは掲載されていない。そのうち載るのだろうと、ここは安易に希望的観測だけ記しておく。


次に重要な「NEWS」と「スケジュール(Fights / Results)」を確認すると、時系列に従って注目の記事とイベントが並んでいる。こちらは「無限スクロール」を使わず、ページ・エンドに「LOAD MORE」のボタンを配置。

何より驚いたのは「FIGHTERS」で、最初メニュー項目の名称だけ見た時は意味を理解できなかった。リング誌の階級別ランカー(17階級×10名=170名)を紹介するのかと思いつつ、「興行会社でもあるまいし」といぶかりながらページにアクセスすると、オレクサンドル・ウシク.タイソン・フューリー,アンソニー・ジョシュア,井上尚弥,アルトゥール・ベテルビエフら、トップ・ファイターが大きめのサムネイルで並ぶ。

下にスクロールするに連れて、順番に登録されている選手のサムネイルが次々と現れるお馴染みの「無限スクロール」で、拙ブログ管理人は大嫌い。迷惑なことこの上なく、「Next」とか「More」などのボタン(ガイド用リンク)を付けてくれると有り難い。サムネイルの右隅上部に、「Active(現役)」というボタンが付いている。

そのうち最下部に辿り着くだろうとスクロールダウンを続けると、出るわ出るわキリがない。1,290名を超えたところでストップした。

「ひょっとして・・・」

Boxrec」か「Fightfax」のレコードに掲載されているすべての選手を、現役・引退問わずすべて網羅するつもり?。大袈裟でなくゾっとした。嫌な予感がして、まずは我らがモンスターの「Active」をクリック。

ディテールを表示した。当たり前だが、最新の戦績がちゃんと載っている。身体データも基本的に変わらず(身長のインチ数が違う=5フィート4インチ≠5フィート5インチ/165センチは同じ)、ページを下に少し下げると、「BOX-PRO」「BOX-AM」「ALL BOUTS」のタブが3つ並ぶ。Boxrecのお世話になっているファンならお分かりだと思うが、同一の構成である。

「まさか・・・」

唖然としながらタブを切り替えたが、流石にレコードは出て来ない。もしかしたら、そのうちBoxrecのデータベースと連携する計画なのだろうか。だって、これだけの数の選手のレコードを1人1人追跡して、試合のたびに誰かが人力で更新するなんて有り得ない。

しかしそんなことをしたら、Boxrecの存在価値が無くなってしまう。トゥルキ氏はFightfaxの買収に失敗していて、Boxrecの吸収に動いていたとも考えられる。完全な移行には相当な時間を要するだろうから、経営権を買い取った上でBoxrecを残し、計画的にデータを移行しつつ、各国・各地域の編集者たちとコンタクトを取りながら、更新・登録ページ(URI)の変更時期を通知。

1~2年がかりで移行作業を完了させる過程で、順次リング誌公式サイト上での編集・更新に切り替えて行き、目処がついた段階でBoxrecの公開を終了・・・という算段?。


一応検索の機能も付いているが、検索キーは選手の名前と国名の2つだけ。データの記載が無い以上、階級別の検索にも対応していない(BoxrecとFightfaxは対応)。バックエンドで動いているデータベースのマスターに、カレントの階級が登録されていないか、確認が不十分な為オープンにしていないだけのどちらかだとは思う。

選手紹介ページの検索機能

主戦場にする階級も、比較的頻度の高い変動要因になり得る。これだけ膨大な人数の選手を手作業でメンテナンスすることなど到底不可能だ。やはりトゥルキ氏は、Boxrecに代わるデータサイト機能の実装を諦めてはいない。


※年間表彰へ続く


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