命あるうちに - 静岡地裁が袴田さんに無罪判決 -
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■検察は控訴の断念を - Chapter 2
◎「袴田事件」経緯(概要)
●味噌製造会社の専務一家4人放火強盗殺人:夫婦2名,10代の次女と長男2名刺殺の上放火
■冤罪(未確定):袴田巌(はかまだ・いわお)
※2024(令和6)年10月現在存命:88歳
※逮捕時:30歳
■逮捕・身柄拘束~仮釈放:約47年7ヶ月(17,388日)
■死刑確定~仮釈放:約33年3ヶ月(12,158日)
■逮捕・身柄拘束~無罪判決:約58年1ヶ月(21,226日)
■逮捕・身柄拘束~無罪確定(見込み):約58年?ヶ月(21,23?日)
※検察の控訴期限:2024年10月10日(木)23時59分(判決の翌日から14日以内)
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◎事件発生~逮捕・起訴
(1)1966(昭和41)年6月30日:事件発生(静岡県清水市)
(2)1966(昭和41)年7月4日:【極微量の血痕が付着したパジャマを押収】
※清水署による味噌製造工場及び工場内従業員寮の捜索/従業員の元プロボクサー袴田巖さんの部屋から発見
(3)1966(昭和41)年8月18日:袴田さん逮捕/容疑:強盗殺人・放火(窃盗の余罪含む)
(4)1966(昭和41)年8月19日:特捜本部による取調べ開始(連日/10時間超)
(5)1966(昭和41)年8月20日:静岡地検に送検・取調べ継続
※袴田さんは一貫して犯行を否認
(6)1966(昭和41)年9月6日:犯行を自白(勾留期限3日前)
(7)1966(昭和41)年9月9日:起訴/容疑事実:住居侵入・強盗殺人・放火(窃盗は不起訴)
(8)1966(昭和41)年11月15日:第1回公判(静岡地裁)/袴田さんが起訴事実を全面否認
※以降一貫して犯行を否認・無実を主張
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◎公判中の新証拠発見~死刑確定
(1)1967(昭和42)年8月31日:【血染めの「5点の衣類」発見】
※味噌製造工場にある味噌1号タンク内より出荷作業中の従業員が発見
※袴田さんの実家にある箪笥から「5点の衣類」に含まれるズボンの切れ端を捜査員が発見・押収
【犯行時の着衣変更】
1)起訴事実:工場内の従業員寮で発見されたパジャマと合羽(凶器のクリ小刀を隠す為)を着用して犯行に及ぶ(自供)
2)検察による変更:新たに発見された「5点の衣類」を着用
3)既にこの時点で自供の信用性を喪失している
※「パジャマと合羽を着てやった」と袴田さん本人が供述する肉声が録音として残存/公開済み
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■第1次再審請求(1981(昭和56)年4月20日~)の過程で弁護団が同じ大きさの味噌タンクを作り検証実施
1)「5点の衣類」発見当時:味噌タンク内の味噌は80キロ~120キロあった(味噌製造会社の記録)
2)検証結果:80キロ~120キロの容量では「5点の衣類」を完全に隠すことができない
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■元捜査員の証言(2023年3月14日/メディアによる取材)
1)1966(昭和41)年7月4日の捜索時:当該味噌タンクの中には何も無かった(かなりの人数の捜査員がタンク内を覗き込んで確認)
2)新聞報道等で「5点の衣類」発見を知り驚いた(発見時:清水署から異動済み)
3)捜索時に見逃すことはまず有り得ない
4)「タンクに入れたのは袴田本人だと思っている」
※捜索から逮捕まで1ヶ月以上の期間があった
5)「犯人は袴田だと今でも信じている」
6)「味噌漬けの衣類が見つからなければ、証拠不十分で無罪になり控訴もできなかった(と思う)」
※上層部の指示に従って動いた所轄捜査員の率直な心情吐露/色々考えさせられる
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(2)1968(昭和43)年5月9日:死刑求刑(静岡地検:岩成重義検事)
(3)1968(昭和43)年5月23日:弁護人による最終弁論/無罪を主張(第31回公判)
(4)1968(昭和43)年9月11日:静岡地裁にて1審有罪判決(死刑/石見勝四裁判長)
1)自白を含む供述調書45通のうち44通の任意性を否定/1通のみ採用
2)採用された1通:検面調書(検事が作成した供述調書)
【現場捜査員が作成した員面調書はすべて不採用】
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(5)1976(昭和51)年5月18日:東京高裁が被告側控訴を棄却(横川敏雄裁判長)
(6)1980(昭和55)年11月19日:最高裁が被告側上告を棄却(宮崎梧一裁判長)
(7)1980(昭和55)年11月28日:被告側弁護団による判決訂正申立
(8)1980(昭和55)年12月10日:判決訂正申立棄却
(9)1980(昭和55)年12月12日:死刑確定
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◎第1次再審請求
(9)1981(昭和56)年4月20日:第1次再審請求申立
(10)1984(昭和59)年11月17日:三者協議開始(静岡地裁・静岡地検・弁護団)
(11)1993(平成5)年5月26日:三者協議終了(計14回)
(12)1994(平成6)年8月8日:静岡地裁にて第1次再審請求棄却(鈴木勝利裁判長)
---------------------
(13)1994(平成6)年8月12日:被告弁護団による即時抗告
(14))1994(平成6)年8月:「5点の衣類」に付着した血痕のDNA鑑定申請
(15)2000(平成)年7月:DNA鑑定不能の結果報告
(16)2004(平成16)年8月26日: 東京高裁にて即時抗告棄却(安廣文夫裁判長)
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(17)2004(平成16)年9月1日:被告弁護団による特別抗告
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(18)2007(平成19)年2月:【死刑判決を書いた元裁判官が無実を強く訴求】
第1審(1968(昭和43)年9月/静岡地裁)で判決文を記した熊本典道(くまもと・のりみち)元裁判官が守秘義務の禁を破り公の場で袴田さんの無実を訴える
(19)2007(平成19)年6月25日:再審を求める上申書を熊本氏自から最高裁に提出
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1)熊本氏は審理の過程で袴田さんに無実の心証を抱く
2)石見勝四裁判長と高井吉夫判事(右陪席)の2人が有罪を支持
3)最年少(当時27歳)だった熊本氏は「石見を説得できなかった」と涙ながらに述べた
4)1969年(昭和44年)の年明け(1審死刑判決からおよそ半年後と語っている)に裁判官を辞職し弁護士に転じる
※弁護士の仕事は順調に推移/良心の呵責に苛まれ続けて精神のバランスを崩しアルコールに依存,浮気を繰り返して2度の離婚を経験するなど私生活は荒み鬱病と肝硬変,パーキンソン病を発症
5)1991(平成3)年に事務所を畳み,司法修習の同期生を頼り鹿児島へ移住するがこの頃より体調がさらに悪化
※1996(平成8)年頃よりホームレスに近い生活に陥ったと告白(同期生の事務所は辞職)
6)2006(平成18)年に65歳の独身女性と内縁関係になり亡くなるまで一緒に暮らす(2010年頃より生活保護を受給)
7)2007(平成18)年06月11日:ブログ「裁判官の良心」開始
※2010年05月30日まで18件の記事を投稿(現在も公開中)
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8)2006(平成18)年6月25日:再審を求める陳述書を最高裁に提出
9)2008(平成20)年10月:国連本部(ニューヨーク)で行われたアムネスティのパネル・ディスカッションに参加
10)2008(平成20)年11月:ステージ3の前立腺癌が見つかる
11)2018(平成30)年1月9日:【約50年ぶりに袴田さんと対面】
※入院中の病院(福岡市内)を袴田さんとひで子さんが訪問/釈放される以前に東京拘置所に面会を申し込むも袴田さんの拘禁症状悪化により叶わなかった
12)2018(平成30)年2月:再審を求める陳述書を東京高裁に提出
13)2020(令和2)年11月11日:入院中の病院で逝去(享年83歳)
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(20)2008(平成20)年1月24日:JPBA(日本プロボクシング協会)がチャリティ・イベント「Free Hakamada Now!」を後楽園ホールで開催
1)JBC(日本ボクシング・コミッション)が袴田さんに名誉ライセンスを授与
2)最高裁に対する再審開始のアピールを目的に事件の解説や寸劇,元世界王者によるパネル・ディスカッション等がリング上で行われた
3)熊本元裁判官も参加
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(21)2008(平成20)年3月24日:【最高裁が弁護側特別抗告棄却(今井功裁判長)】
(22)弁護団は未開示の証拠について開示を請求し続けたが検察は頑なに拒否
1)再審における検察の証拠開示義務無し/裁判官による開示勧告可
2)検察による上告を可する現行法の規定とともに再審請求審を長期化させる直接的かつ最大の原因とされる
※袴田さんの弁護団や確定死刑囚の冤罪限らず、冤罪事件に関わる検察を除く法曹関係者が、刑訴法における再審を規定する迅速な法改正の必要性を訴え続けている。
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◎参考
<1>e-GOV 法令検索:刑事訴訟法 第四編 再審 第四百三十五条~第四百五十三条(全19条)
施行:1922(大正11)年改正
※以降「不利益再審の廃止」以外の改正無し
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000131#Mp-Pa_4
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◎第2次再審請求
(1)2008(平成20)年4月25日:第2次再審請求申立(請求人:姉のひで子さん)
※袴田元受刑者には重度の拘禁反応が確認報告済み/意思疎通が困難と判断
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(2)2010(平成22)年4月20日:衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立(民主党政権下)
(3)2010(平成22)年8月24日:上記連盟による千葉景子法務大臣への死刑執行停止要請(長期拘留による心神喪失)
(4)2011(平成23)年1月27日:日本弁護士連合会による法務省への死刑執行停止及び医療機関での治療要請(長期拘留による妄想性障害等)
※刑事訴訟法第四百七十九条:「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。」
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◎参考
<1>e-GOV 法令検索:刑事訴訟法第四百七十九条(昭和二十三年法律第百三十一号)
施行:昭和24年1月1日
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000131#Mp-Pa_7-Ch_1-At_479
<2>刑事訴訟法第四百七十九条に関する質問主意書(衆議院公式サイト)
2009(平成21)年2月5日 鈴木宗男議員提出
1)質問本文(質問第九三号)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a171093.htm
2)答弁本文(答弁第九三号/2009(平成21)年2月13日)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b171093.htm
<3>刑事訴訟法等改正案 新旧対照表(法務省公式/PDF形式)
https://www.moj.go.jp/content/001405812.pdf
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(5)2010(平成22)年~2013(平成25)年:【約600点に及ぶ証拠開示】
1)原田保孝(はらだ・やすたか)裁判長(当時)の積極的な証拠開示勧告により、拒み続けてきた証拠の開示にようやく検察が応じる
2)「5点の衣類」のカラー写真もこの時開示された/捜査機関による捏造の信憑性がクローズアップされるきっかけとなる(味噌タンク内の発見から43年を経過)
3)弁護団は第1審当時からネガフィルムを含めた写真の開示を求めていた
※検察は写真のみ開示/「ネガについては存在しない」と回答
※後に存在が明らかとなる(検察による証拠隠蔽)
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4)2009年(平成21年)に被告人が冤罪を訴える「足利事件(あしかがじけん:幼女誘拐殺人死体遺棄/1990(平成2)年5月発生)」と、「袴田事件」とほぼ同じ時期に起きた「布川事件(ふかわじけん:強盗殺人/1967(昭和42)年8月発生)」の再審が相次いで決定/マスコミが大きく採り上げ冤罪に対する世の中の関心が急速に高まったことが強く影響
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(6)2011(平成23)年8月:静岡地裁が証拠品の衣類5点について【DNAの再鑑定を決定】
(7)2013(平成25)年3月・4月・7月:検察による一部の証拠開示
(8)2013(平成25)年11月:同僚従業員による袴田さんの犯行を印象付ける証言が事件当日の袴田さんのアリバイを証明する間逆の内容だったことが発覚(捜査機関による証言の捏造)
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(9)2013(平成25)年12月:【血痕のDNA鑑定結果提出】
1)弁護団が「5点の衣類」に付着していた血液のDNA鑑定を実施(本田克也筑波大学教授/法医学・法医遺伝学)
2)袴田さんのDNAは検出されず被害者のいずれとも一致しない可能性を示す
【「5点の衣類」に関する捏造の可能性が一層高まる】
3)検察は鑑定結果を全面的に否定
※マスコミが冤罪の可能性を大きく報じて再審の機運が盛り上がる
4)検察の反論1:発見から40年以上が経過/劣化が激しい血液由来のDNA鑑定は科学的な根拠になり得ない
5)検察の反論2:「DNA鑑定の際に第三者が証拠の衣類に直接触れたことが原因」と変更
※最初の反論が説得力を欠いた為に内容を変えたが、裁判全般を通じた地検と地元警察の特徴とも言うべき「場当たり的な対応」をより鮮明に際立たせる
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(10)2014(平成26)年3月27日:【再審開始と死刑執行及び拘置停止を決定】
※静岡地裁にて再審開始決定/同時に死刑執行と拘置の停止も決定(村山浩昭裁判長,大村陽一・満田智彦両裁判官)
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【同日午後東京拘置所から釈放】
※1966(昭和41年)年8月の逮捕から48年を経過(仮釈放)
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(11)2014(平成26)年3月27日:静岡地検による拘置停止に対する抗告申立
(12)2014(平成26)年3月28日:静岡高裁にて地検の抗告を棄却
(13)2014(平成26)年3月31日:静岡地検による地裁の再審開始決定を不服とした即時抗告
(14)2014(平成26)年8月5日:静岡地検が一審当時より「存在しない」としてきた「衣類5点の写真」のネガフィルムについて静岡県警に保管されていたことが発覚(証拠の隠蔽)
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(15)2018(平成30)年6月11日:東京高裁にて静岡地裁の再審開始決定を取り消し・第2次再審請求を棄却
【死刑執行および拘置停止は維持・継続】
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(16)2018(平成30)年6月18日:弁護団が特別抗告申立
(17)2020(令和2)年12月22日:最高裁による高裁差し戻し決定(林道晴裁判長)
1)「5点の衣類」の血痕(赤色)に関する【味噌漬け実験の再検証】指示(審理不十分)
2)DNA再鑑定結果(弁護側:本田克也筑波大学教授による鑑定)は証拠不認定
3)裁判官5名中2名が本田教授の再鑑定を評価/即時再審開始を支持
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◎第2次再審請求差し戻し審(第3次再審請求)
(1)2021(令和3)年3月22日:差し戻し審にて三者協議開始(東京高検・東京高裁・弁護団)
(2)2021(令和3)年11月1日:【5点の衣類:赤みが残る血痕に関する鑑定書提出(黒く変色する筈)】
1)弁護団が証拠品の衣服(味噌漬け)から血痕の赤みが消失する科学的メカニズムに関する鑑定書を提出
2)支援者による衣類の味噌漬け実験を実施(実験を提唱した支援者自身の血液を採取・使用)
(3)2022(令和4)年7月~8月:東京高裁による専門家5名の証人尋問(鑑定人を含む)
(4)2022(令和4)年11月1日:静岡地検にて東京高検の約1年2か月に及ぶ「味噌漬け実験」の確認作業実施【東京高裁の裁判官3名が立会い】
※弁護団の実験結果提出を受けて検察側も反証の為に同様の実験を行う
(5)2022(令和4)年12月5日:東京高裁の担当裁判官3名と袴田元受刑者,姉のひで子さんが面会(第1次も含め再審請求審初)/ひで子さんが意見陳述を行う
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【再審開始決定】
(6)2023(令和5)年3月13日:東京高裁が再審開始決定(検察官による即時抗告棄却)
(7)2023(令和5)年3月20日:東京高検が特別抗告を断念/再審開始確定
(8)2023(令和5)年4月10日:静岡地裁にて再審公判に向けた3者協議開始
(9)2023(令和5)年10月27日:静岡地裁にて再審第1回公判
※袴田元受刑者は心神喪失状態を理由に出廷を免除
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【無罪判決】
(10)2024(令和6)年5月22日:静岡地裁にて再審公判結審(計15回)
(11)2024(令和6)年9月26日:【静岡地裁にて無罪判決】
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【無罪確定(見込み)】
(12)検察の控訴期限:2024(令和6)年10月10日(木)23時59分(判決の翌日から14日以内)
※Chapter 3 へ
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◎検察による控訴阻止を目的としたWEB署名:Change.org
【再審 冤罪袴田事件】検察は有罪立証方針を撤回して速やかな無罪判決のために審理に協力してください!!
※ご興味のある方は「袴田事件 web署名 change.org 」でWeb検索を。
署名ページにアクセスできます。
●味噌製造会社の専務一家4人放火強盗殺人:夫婦2名,10代の次女と長男2名刺殺の上放火
■冤罪(未確定):袴田巌(はかまだ・いわお)
※2024(令和6)年10月現在存命:88歳
※逮捕時:30歳
■逮捕・身柄拘束~仮釈放:約47年7ヶ月(17,388日)
■死刑確定~仮釈放:約33年3ヶ月(12,158日)
■逮捕・身柄拘束~無罪判決:約58年1ヶ月(21,226日)
■逮捕・身柄拘束~無罪確定(見込み):約58年?ヶ月(21,23?日)
※検察の控訴期限:2024年10月10日(木)23時59分(判決の翌日から14日以内)
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◎事件発生~逮捕・起訴
(1)1966(昭和41)年6月30日:事件発生(静岡県清水市)
(2)1966(昭和41)年7月4日:【極微量の血痕が付着したパジャマを押収】
※清水署による味噌製造工場及び工場内従業員寮の捜索/従業員の元プロボクサー袴田巖さんの部屋から発見
(3)1966(昭和41)年8月18日:袴田さん逮捕/容疑:強盗殺人・放火(窃盗の余罪含む)
(4)1966(昭和41)年8月19日:特捜本部による取調べ開始(連日/10時間超)
(5)1966(昭和41)年8月20日:静岡地検に送検・取調べ継続
※袴田さんは一貫して犯行を否認
(6)1966(昭和41)年9月6日:犯行を自白(勾留期限3日前)
(7)1966(昭和41)年9月9日:起訴/容疑事実:住居侵入・強盗殺人・放火(窃盗は不起訴)
(8)1966(昭和41)年11月15日:第1回公判(静岡地裁)/袴田さんが起訴事実を全面否認
※以降一貫して犯行を否認・無実を主張
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◎公判中の新証拠発見~死刑確定
(1)1967(昭和42)年8月31日:【血染めの「5点の衣類」発見】
※味噌製造工場にある味噌1号タンク内より出荷作業中の従業員が発見
※袴田さんの実家にある箪笥から「5点の衣類」に含まれるズボンの切れ端を捜査員が発見・押収
【犯行時の着衣変更】
1)起訴事実:工場内の従業員寮で発見されたパジャマと合羽(凶器のクリ小刀を隠す為)を着用して犯行に及ぶ(自供)
2)検察による変更:新たに発見された「5点の衣類」を着用
3)既にこの時点で自供の信用性を喪失している
※「パジャマと合羽を着てやった」と袴田さん本人が供述する肉声が録音として残存/公開済み
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■第1次再審請求(1981(昭和56)年4月20日~)の過程で弁護団が同じ大きさの味噌タンクを作り検証実施
1)「5点の衣類」発見当時:味噌タンク内の味噌は80キロ~120キロあった(味噌製造会社の記録)
2)検証結果:80キロ~120キロの容量では「5点の衣類」を完全に隠すことができない
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■元捜査員の証言(2023年3月14日/メディアによる取材)
1)1966(昭和41)年7月4日の捜索時:当該味噌タンクの中には何も無かった(かなりの人数の捜査員がタンク内を覗き込んで確認)
2)新聞報道等で「5点の衣類」発見を知り驚いた(発見時:清水署から異動済み)
3)捜索時に見逃すことはまず有り得ない
4)「タンクに入れたのは袴田本人だと思っている」
※捜索から逮捕まで1ヶ月以上の期間があった
5)「犯人は袴田だと今でも信じている」
6)「味噌漬けの衣類が見つからなければ、証拠不十分で無罪になり控訴もできなかった(と思う)」
※上層部の指示に従って動いた所轄捜査員の率直な心情吐露/色々考えさせられる
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(2)1968(昭和43)年5月9日:死刑求刑(静岡地検:岩成重義検事)
(3)1968(昭和43)年5月23日:弁護人による最終弁論/無罪を主張(第31回公判)
(4)1968(昭和43)年9月11日:静岡地裁にて1審有罪判決(死刑/石見勝四裁判長)
1)自白を含む供述調書45通のうち44通の任意性を否定/1通のみ採用
2)採用された1通:検面調書(検事が作成した供述調書)
【現場捜査員が作成した員面調書はすべて不採用】
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(5)1976(昭和51)年5月18日:東京高裁が被告側控訴を棄却(横川敏雄裁判長)
(6)1980(昭和55)年11月19日:最高裁が被告側上告を棄却(宮崎梧一裁判長)
(7)1980(昭和55)年11月28日:被告側弁護団による判決訂正申立
(8)1980(昭和55)年12月10日:判決訂正申立棄却
(9)1980(昭和55)年12月12日:死刑確定
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◎第1次再審請求
(9)1981(昭和56)年4月20日:第1次再審請求申立
(10)1984(昭和59)年11月17日:三者協議開始(静岡地裁・静岡地検・弁護団)
(11)1993(平成5)年5月26日:三者協議終了(計14回)
(12)1994(平成6)年8月8日:静岡地裁にて第1次再審請求棄却(鈴木勝利裁判長)
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(13)1994(平成6)年8月12日:被告弁護団による即時抗告
(14))1994(平成6)年8月:「5点の衣類」に付着した血痕のDNA鑑定申請
(15)2000(平成)年7月:DNA鑑定不能の結果報告
(16)2004(平成16)年8月26日: 東京高裁にて即時抗告棄却(安廣文夫裁判長)
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(17)2004(平成16)年9月1日:被告弁護団による特別抗告
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(18)2007(平成19)年2月:【死刑判決を書いた元裁判官が無実を強く訴求】
第1審(1968(昭和43)年9月/静岡地裁)で判決文を記した熊本典道(くまもと・のりみち)元裁判官が守秘義務の禁を破り公の場で袴田さんの無実を訴える
(19)2007(平成19)年6月25日:再審を求める上申書を熊本氏自から最高裁に提出
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1)熊本氏は審理の過程で袴田さんに無実の心証を抱く
2)石見勝四裁判長と高井吉夫判事(右陪席)の2人が有罪を支持
3)最年少(当時27歳)だった熊本氏は「石見を説得できなかった」と涙ながらに述べた
4)1969年(昭和44年)の年明け(1審死刑判決からおよそ半年後と語っている)に裁判官を辞職し弁護士に転じる
※弁護士の仕事は順調に推移/良心の呵責に苛まれ続けて精神のバランスを崩しアルコールに依存,浮気を繰り返して2度の離婚を経験するなど私生活は荒み鬱病と肝硬変,パーキンソン病を発症
5)1991(平成3)年に事務所を畳み,司法修習の同期生を頼り鹿児島へ移住するがこの頃より体調がさらに悪化
※1996(平成8)年頃よりホームレスに近い生活に陥ったと告白(同期生の事務所は辞職)
6)2006(平成18)年に65歳の独身女性と内縁関係になり亡くなるまで一緒に暮らす(2010年頃より生活保護を受給)
7)2007(平成18)年06月11日:ブログ「裁判官の良心」開始
※2010年05月30日まで18件の記事を投稿(現在も公開中)
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8)2006(平成18)年6月25日:再審を求める陳述書を最高裁に提出
9)2008(平成20)年10月:国連本部(ニューヨーク)で行われたアムネスティのパネル・ディスカッションに参加
10)2008(平成20)年11月:ステージ3の前立腺癌が見つかる
11)2018(平成30)年1月9日:【約50年ぶりに袴田さんと対面】
※入院中の病院(福岡市内)を袴田さんとひで子さんが訪問/釈放される以前に東京拘置所に面会を申し込むも袴田さんの拘禁症状悪化により叶わなかった
12)2018(平成30)年2月:再審を求める陳述書を東京高裁に提出
13)2020(令和2)年11月11日:入院中の病院で逝去(享年83歳)
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(20)2008(平成20)年1月24日:JPBA(日本プロボクシング協会)がチャリティ・イベント「Free Hakamada Now!」を後楽園ホールで開催
1)JBC(日本ボクシング・コミッション)が袴田さんに名誉ライセンスを授与
2)最高裁に対する再審開始のアピールを目的に事件の解説や寸劇,元世界王者によるパネル・ディスカッション等がリング上で行われた
3)熊本元裁判官も参加
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(21)2008(平成20)年3月24日:【最高裁が弁護側特別抗告棄却(今井功裁判長)】
(22)弁護団は未開示の証拠について開示を請求し続けたが検察は頑なに拒否
1)再審における検察の証拠開示義務無し/裁判官による開示勧告可
2)検察による上告を可する現行法の規定とともに再審請求審を長期化させる直接的かつ最大の原因とされる
※袴田さんの弁護団や確定死刑囚の冤罪限らず、冤罪事件に関わる検察を除く法曹関係者が、刑訴法における再審を規定する迅速な法改正の必要性を訴え続けている。
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◎参考
<1>e-GOV 法令検索:刑事訴訟法 第四編 再審 第四百三十五条~第四百五十三条(全19条)
施行:1922(大正11)年改正
※以降「不利益再審の廃止」以外の改正無し
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000131#Mp-Pa_4
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◎第2次再審請求
(1)2008(平成20)年4月25日:第2次再審請求申立(請求人:姉のひで子さん)
※袴田元受刑者には重度の拘禁反応が確認報告済み/意思疎通が困難と判断
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(2)2010(平成22)年4月20日:衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立(民主党政権下)
(3)2010(平成22)年8月24日:上記連盟による千葉景子法務大臣への死刑執行停止要請(長期拘留による心神喪失)
(4)2011(平成23)年1月27日:日本弁護士連合会による法務省への死刑執行停止及び医療機関での治療要請(長期拘留による妄想性障害等)
※刑事訴訟法第四百七十九条:「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する。」
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◎参考
<1>e-GOV 法令検索:刑事訴訟法第四百七十九条(昭和二十三年法律第百三十一号)
施行:昭和24年1月1日
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000131#Mp-Pa_7-Ch_1-At_479
<2>刑事訴訟法第四百七十九条に関する質問主意書(衆議院公式サイト)
2009(平成21)年2月5日 鈴木宗男議員提出
1)質問本文(質問第九三号)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a171093.htm
2)答弁本文(答弁第九三号/2009(平成21)年2月13日)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b171093.htm
<3>刑事訴訟法等改正案 新旧対照表(法務省公式/PDF形式)
https://www.moj.go.jp/content/001405812.pdf
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(5)2010(平成22)年~2013(平成25)年:【約600点に及ぶ証拠開示】
1)原田保孝(はらだ・やすたか)裁判長(当時)の積極的な証拠開示勧告により、拒み続けてきた証拠の開示にようやく検察が応じる
2)「5点の衣類」のカラー写真もこの時開示された/捜査機関による捏造の信憑性がクローズアップされるきっかけとなる(味噌タンク内の発見から43年を経過)
3)弁護団は第1審当時からネガフィルムを含めた写真の開示を求めていた
※検察は写真のみ開示/「ネガについては存在しない」と回答
※後に存在が明らかとなる(検察による証拠隠蔽)
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4)2009年(平成21年)に被告人が冤罪を訴える「足利事件(あしかがじけん:幼女誘拐殺人死体遺棄/1990(平成2)年5月発生)」と、「袴田事件」とほぼ同じ時期に起きた「布川事件(ふかわじけん:強盗殺人/1967(昭和42)年8月発生)」の再審が相次いで決定/マスコミが大きく採り上げ冤罪に対する世の中の関心が急速に高まったことが強く影響
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(6)2011(平成23)年8月:静岡地裁が証拠品の衣類5点について【DNAの再鑑定を決定】
(7)2013(平成25)年3月・4月・7月:検察による一部の証拠開示
(8)2013(平成25)年11月:同僚従業員による袴田さんの犯行を印象付ける証言が事件当日の袴田さんのアリバイを証明する間逆の内容だったことが発覚(捜査機関による証言の捏造)
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(9)2013(平成25)年12月:【血痕のDNA鑑定結果提出】
1)弁護団が「5点の衣類」に付着していた血液のDNA鑑定を実施(本田克也筑波大学教授/法医学・法医遺伝学)
2)袴田さんのDNAは検出されず被害者のいずれとも一致しない可能性を示す
【「5点の衣類」に関する捏造の可能性が一層高まる】
3)検察は鑑定結果を全面的に否定
※マスコミが冤罪の可能性を大きく報じて再審の機運が盛り上がる
4)検察の反論1:発見から40年以上が経過/劣化が激しい血液由来のDNA鑑定は科学的な根拠になり得ない
5)検察の反論2:「DNA鑑定の際に第三者が証拠の衣類に直接触れたことが原因」と変更
※最初の反論が説得力を欠いた為に内容を変えたが、裁判全般を通じた地検と地元警察の特徴とも言うべき「場当たり的な対応」をより鮮明に際立たせる
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(10)2014(平成26)年3月27日:【再審開始と死刑執行及び拘置停止を決定】
※静岡地裁にて再審開始決定/同時に死刑執行と拘置の停止も決定(村山浩昭裁判長,大村陽一・満田智彦両裁判官)
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【同日午後東京拘置所から釈放】
※1966(昭和41年)年8月の逮捕から48年を経過(仮釈放)
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(11)2014(平成26)年3月27日:静岡地検による拘置停止に対する抗告申立
(12)2014(平成26)年3月28日:静岡高裁にて地検の抗告を棄却
(13)2014(平成26)年3月31日:静岡地検による地裁の再審開始決定を不服とした即時抗告
(14)2014(平成26)年8月5日:静岡地検が一審当時より「存在しない」としてきた「衣類5点の写真」のネガフィルムについて静岡県警に保管されていたことが発覚(証拠の隠蔽)
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(15)2018(平成30)年6月11日:東京高裁にて静岡地裁の再審開始決定を取り消し・第2次再審請求を棄却
【死刑執行および拘置停止は維持・継続】
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(16)2018(平成30)年6月18日:弁護団が特別抗告申立
(17)2020(令和2)年12月22日:最高裁による高裁差し戻し決定(林道晴裁判長)
1)「5点の衣類」の血痕(赤色)に関する【味噌漬け実験の再検証】指示(審理不十分)
2)DNA再鑑定結果(弁護側:本田克也筑波大学教授による鑑定)は証拠不認定
3)裁判官5名中2名が本田教授の再鑑定を評価/即時再審開始を支持
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◎第2次再審請求差し戻し審(第3次再審請求)
(1)2021(令和3)年3月22日:差し戻し審にて三者協議開始(東京高検・東京高裁・弁護団)
(2)2021(令和3)年11月1日:【5点の衣類:赤みが残る血痕に関する鑑定書提出(黒く変色する筈)】
1)弁護団が証拠品の衣服(味噌漬け)から血痕の赤みが消失する科学的メカニズムに関する鑑定書を提出
2)支援者による衣類の味噌漬け実験を実施(実験を提唱した支援者自身の血液を採取・使用)
(3)2022(令和4)年7月~8月:東京高裁による専門家5名の証人尋問(鑑定人を含む)
(4)2022(令和4)年11月1日:静岡地検にて東京高検の約1年2か月に及ぶ「味噌漬け実験」の確認作業実施【東京高裁の裁判官3名が立会い】
※弁護団の実験結果提出を受けて検察側も反証の為に同様の実験を行う
(5)2022(令和4)年12月5日:東京高裁の担当裁判官3名と袴田元受刑者,姉のひで子さんが面会(第1次も含め再審請求審初)/ひで子さんが意見陳述を行う
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【再審開始決定】
(6)2023(令和5)年3月13日:東京高裁が再審開始決定(検察官による即時抗告棄却)
(7)2023(令和5)年3月20日:東京高検が特別抗告を断念/再審開始確定
(8)2023(令和5)年4月10日:静岡地裁にて再審公判に向けた3者協議開始
(9)2023(令和5)年10月27日:静岡地裁にて再審第1回公判
※袴田元受刑者は心神喪失状態を理由に出廷を免除
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【無罪判決】
(10)2024(令和6)年5月22日:静岡地裁にて再審公判結審(計15回)
(11)2024(令和6)年9月26日:【静岡地裁にて無罪判決】
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【無罪確定(見込み)】
(12)検察の控訴期限:2024(令和6)年10月10日(木)23時59分(判決の翌日から14日以内)
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◎検察による控訴阻止を目的としたWEB署名:Change.org
【再審 冤罪袴田事件】検察は有罪立証方針を撤回して速やかな無罪判決のために審理に協力してください!!
※ご興味のある方は「袴田事件 web署名 change.org 」でWeb検索を。
署名ページにアクセスできます。