今こそ求められるレフェリングとコーナーワークの是正 - ポスト・スティールの必要及び重要性 Part 2 -

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■そもそもレフェリー・ストップとは何か? - 揺らぐ存在意義と求められるクォリティ

Stop-4

■テーラーはチャベスに壊されたのか

これだけのダメージにもかかわらず、テーラーは5ヶ月後の90年8月、階級をウェルター級に上げて再起。「140ポンドの調整は不可能」と話し、無理な減量がチャベス戦の逆転TKO負けを誘発したとのニュアンスを匂わせた。

翌1991年1月には、アーロン・ディヴィスを12回3-0の判定に下してWBA王者となり、復帰2戦目で早くも2階級制覇を達成。ルイス・ガルシア(91年6月/12回2-1判定勝ち)とグレンウッド・ブラウン(92年1月/12回3-0判定勝ち)を破ったV2を含めて、首尾良く5連勝(1KO)を飾ったものの、以前の輝きが損なわれたとの印象を残す。

こうした評判を気にしたのか、チャベスへの対抗意識なのか、あるいはプロに転じた当初からの計画だったのか、3階級制覇を目指して、154ポンドのWBC王座を保持するテリー・ノリス(2005年殿堂入り)にラスベガスで挑戦する。


当時のノリスは、1990年3月にジョン・ムガビをショッキングな初回KOに屠ってベルトを奪取し、落日のシュガー・レイ・レナード、増量で輝きを失ったドン・カリー(元ウェルター級統一王者)、後にWBAのミドル級を獲り、後楽園ホールで竹原慎二に敗れるホルヘ・カストロを含む連続6回の防衛に成功(3KO)。秀逸なスピード&クィックネスに、抜群の切れ味を兼ね備えたパンチで我が世の春を謳歌していた。

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リミットより若干軽めに仕上げることも少なくなかったノリスは、調整の難易度アップを承知の上で、151ポンド1/2(68.7キロ)の契約体重を快諾(前日計量は2人とも149ポンド)。ウェイトの譲歩だけでなく、150ポンドアンダーの公式計量に驚き、ノリスの状態を懸念する声も上がる中、両雄の体格差には数字以上の乖離があり、「無謀な挑戦」を不安視する者も少なくない。
※ノリス:公称177センチ/テーラー:公称171センチ

スタートからサイズの違いに戸惑いを見せるテーラーは、生命線のスピード&クィックネスでも遅れを取り、時折単発のヒットを決めるのが精一杯。小さなボクサーが大きく優れた選手より動きが遅く、たとえ僅かであったとしても、反応の素早さでも劣っていたら、余程戦い方を考え工夫しないと勝ち目はない。

しかし、ここでも正面突破にこだわる悪い癖が抜けないテーラー。チャベス戦と同様、まともに打ち合って勝とうと躍起になる。この時代のアメリカのトップボクサーは、簡単に退くことを良しとせず、1発があろうとなかろうと、とにかく強気で倒しに行くのが常だった。腕に覚えのある一流どころはなおさら。

ディフェンス・マスター型のウィルフレド・ベニテスやパーネル・ウィテカーですら、いざとなったら躊躇することなく猛然とラッシュをかける。それがプロに求められるスタンダード(80年代以前)であり、この時代に育ったボクサーは、例外なくオールド・スクールのスタンダードに殉じた。

ベニテスとウィテカーほどのボクサーが、引退後に後遺症に苦しむことになったのは、階級アップによる心身への負担(4階級制覇)に加えて、年齢を重ねて衰えが顕在化した後も、類稀な柔軟性とムーヴィング・センスへの依存、眼と反応でかわすスタイルを変えようとしなかったことに起因する。

今あらためて映像を見直すと、ベニテス,ウィテカー以上に後遺症への不安を掻き立てられてしまい、過去の録画だとわかっていながら、リアルタイムの視聴と錯覚して、思わず背筋が寒くなってしまう。

Norris vs Taylor 1

自信と過信は紙一重。頭では充分にわかっている筈なのに、理屈に合った賢い行動・行為に移すことができない。理性とは間逆な自滅・自爆へとまっしぐら・・・。飛んで火に入る夏の虫である。

脚をしっかり使って細かくポジション・チェンジを繰り返し、打ち気を誘ってはかわしながら、精度を意識したショートストレート中心の組み立てを崩さず、堅く守りつつ着実にヒットを奪ってポイントメイク。

時間をかけてノリスをできるだけ焦らし、攻め急いで粗くなるまのを待ち、顔面ががら開きになる瞬間を逃さず強い右カウンターを一閃。”テリブル・テリー(Terrible:ノリスの愛称)”の、打たれ脆く回復力に欠ける顎を正確に射抜く。

テーラーの身体能力とスピード,技術&スキルがあれば、やる気1つで十分に可能だった。最善の形で具現化できなかったとしても、一定程度ノリスを苦しめた上で、必要以上の被弾とダメージを蒙ることもなく、勝てないまでも大善戦には持って行けたと信じる。

少なくとも、ワンサイドの雪隠詰めは避けられたに違いない。だが現実は、遮二無二打ち合いを試みて墓穴を掘るだけ。有効な打開策を見出す間もなく、第4ラウンドに2度のダウンを喫してあえなくストップ負け。

Norris vs Taylor 2

「本当にテリブルですね。」

確かサイモン・ブラウンとの第1戦(1993年12月)だったと思うけれど(エキサイトマッチの中継/違っていたら御免なさい)、4回TKO負けで10回守ったベルトを失ったノリスの脆弱過ぎる顎について、ジョーさんがご自慢のジョーク交じりに発したコメントである。

既にジュリアン・ジャクソン(WBA J・ミドル級王者時代)の豪打によって、白日の満天下に晒されていた事実(1989年7月/ノリスの初挑戦:2回TKO負け)ではあるが、テーラーもノリスの致命的な打たれ脆さを何度か突こうとしてはいた。だが、効果的なヒットを決めるどころでは無く、立ち上がりから劣勢を強いられ撃沈。

70年代前半当時、今で言うところのP4P No.1と目されていた無敵のウェルター級王者ホセ・ナポレスが、同じく無敵を誇るミドルの番人カルロス・モンソンに蹂躙された一戦を思い出した私は、「やるべきではなかった」と嘆息するのみ。

◎試合映像:ノリス TKO4R M・テーラー
1992年5月/ミラージュ・ホテル&カジノ(ラスベガス)
WBC世界J・ミドル級タイトルマッチ12回戦

※HBOの番組フル映像(World Championship Boxing)
https://www.youtube.com/watch?v=5JCXWBQGAF0


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■大型スラッガーに運命の2連敗

そしてまた、5ヶ月のスパンで次戦がセットされる。モハメッド・アリのボディガードから身を興したムラド・モハメッド(パッキャオとの裁判は未だ記憶に新しい)がハンドリングするドノヴァン・レーザー・ラドック(カナダ)が、ソウル五輪S・ヘビー級金メダリストのレノックス・ルイスを相手に、WBC王座への挑戦権を懸けて戦うエリミネーターがまとまり、そのアンダーにテーラーの復帰戦(防衛戦)が組み込まれる。

ルイスを傘下に従えるフランク・マロニー(ケリー・マロニー:2014年に性別適合手術を受けたトランスジェンダー)が英国側の主要なプロモーターとして立ち、難しい交渉をまとめ上げた。

世界王者の試合間隔として、5ヶ月はけっして短かくはない。80年代以前、特に70年代半ば以前は、2~3ヶ月スパンで防衛戦とノンタイトルをこなす王者は当たり前にいたし、年間5~6回リングに上がるケースも普通に見受けられた。

米国内で防衛戦を消化し、合間に母国でキャッチウェイト(140ポンド+α)のノンタイトルを挟み、休み無く戦い続けた全盛のチャベスのスタイルは、ルーベン・オリバレスら70年代以前の大先達に倣ったもので、世界的にボクシング人気が下降線を辿る中にあってなお、トップスターのチャベスにはそれだけの需要があった。

勿論、強烈なKO負けや深いカット、拳の骨折を含む大きな怪我を負った場合は別で、主治医の指示を仰ぎつつ、回復に必要な時間を取るのが常識。特に心身へのダメージが明白なKO負けの場合、試合内容とダメージに加えて、年齢やそれまでのキャリア次第で判断は異なるが、1年以上の間隔を開ける場合も出て来る。

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けれども、テーラーはWBAから指名戦の履行を義務付けられていた。挑戦権を持つロジカル・コンテンダー(1位)のクリサント・エスパーニャは、北アイルランドのベルファストに拠点を置くベネズエラ人(極めて特殊な事例)で、27戦全勝23KOのパーフェクト・レコードを更新中。

ただし、倒しまくった相手の中にビッグネームはいない。数年後にテリー・ノリスから反則勝ちを拾う僥倖に恵まれ、世界王者の列に並んでしまったルイス・サンタナに判定勝ちしているが、実力はローカルランクの上位止まり。

54勝10敗のアマ・レコードを持ち、短期間(1979年6月~80年3月)だが、IBFライト級王座に就いたエルネスト・エスパーニャは、10歳も年長の実兄である。そして何とも間の悪いことに、アイリッシュの声援を受けるベネズエラ人もまた、180センチ近い大型のウェルター級だった。2試合続けて、テーラーは体格差のハンディを背負う破目に・・・。

3位グレンウッド・ブラウンとのV2戦(92年1月/判定勝ち)から9ヶ月が経過して、待った無しの状況ではあったのだが、履行の延期は交渉次第で何とかなった筈。けれども、ラドックとの抱き合わせによるオン・ザ・ロードは、それなりの好条件をメイン・イベンツにもたらしたに違いなく、エスパーニャも戦績は凄いが国際的な認知には程遠く、「まず問題はないだろう」と値踏みしても止むを得ない状況ではあり、デュバ親子にとって具合が良かったのだと思う。

こうしてテーラー一行は、ラドックのチームとともに英国の首都ロンドンまでひとっ飛び(1992年10月31日/伝統あるアールズ・コートでの開催)。


キャリア晩年を迎えた兄エルネストの負けが込み出す、1984年3月に母国でデビューした挑戦者は、85年9月までに5試合しかできず、その後は1年を超えるレイオフが続き、87年2月にパナマでようやく実戦復帰が叶ったと思いきや、またしても試合枯れ。

私生活のトラブル(大怪我や病気・逮捕収監等)などではなく、マネージメントに問題を抱えていたと思われるが詳細は不明。そしてこれもまた詳しい経緯(仲介者も含めて)はわからないけれど、突然北アイルランドの政庁所在地ベルファストに移る。

80年代を代表するアイリッシュのスター,バリー・マクギガン(WBAフェザー級王者/モスクワ五輪代表)、マルコス・ビジャサナとの激闘が忘れ難いポール・ホドキンソン(WBCフェザー級王者)、WBOのミドルとS・ミドルを獲ったスティーブ・コリンズ、フランスを拠点に活躍したスペイン人,ファブリス・ベニシュ(IBF J・フェザー,フェザー級王者)らを手掛けたバーニー・イーストウッドのプロモートで本格的なキャリアを歩む。

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※バーニー・イーストウッドとエスパーニャ(コーナーに入りアドバイスも行っていた為トレーナーと紹介されることもあった)

何だかんだ言っても、強打者はファンの関心を惹く。ロンドン(イングランド)開催ではあったが、異邦人のハンディを背負いながらもベルファストで認知を得たエスパーニャに、一応ホーム・アドバンテージが有るとの設定。


遂にリング上で向かい合う両雄。エスパーニャがとにかくデカい。J・ミドル級のノリスより、さらに大きく感じる。サイズとシルエットだけなら、後に同じ階級で暴れまくるメキシカン・トルネードこと、トニー・マルガリートの若い頃,まだ充分に動けてセルヒオ・マルティネスに判定勝ちした頃に瓜二つ。

90年代の始め頃ということは、ようやく前日計量が定着浸透した頃で、この試合も公開計量は前日に行われている(我が国では1995年1月10日に正式施行)。大幅なリバウンド込みの調整がトレンドになるのはまだまだ先の話だが、減量が厳しいに違いないエスパーニャも、それなりに戻していたと考えるべき。

両拳を下げたオープン・ガード(左右に開き気味)で楽に構えるテーラーは、両方のガードが下がる隙を右のクロスやオーバーハンド、反対側を左フックでよく狙われたが、長身のエスパーニャも例外ではなく、射程の長い右を繰り返し上から打ち下ろす。

そしてエキサイトマッチの解説で浜田代表も指摘していた筈(これも記憶が曖昧/違っているかも)だが、ワンツーから返す左もストレートを多用してテーラーを突き放し、簡単に懐に飛び込ませない。それでも100%接近戦を回避するのは無理で、危険なクロスレンジに入ると、メキシカンに近いカマのようなフックとアッパーを鋭角的に振るう。

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第3ラウンドにその右を貰ったテーラーが前方につんのめり、右の拳をキャンバスに着いたが、すぐ目の前で見ていたイングランド選出の主審ジョン・コイルは、何故かダウンを取らずに流してしまう。

ぎゃあぎゃあ喚き散らして抗議したりせず、黙ってリスタートに応じたエスパーニャと陣営はお見事。ペースを掌握したとの手応えを掴み、無駄に騒ぎを起こしてテーラーに回復の時間を与えたくないのと、いたずらに流れを乱したくなかったのだと推察。

サイズのディス・アドバンテージを克服できず、徐々に余裕とペースを失ったテーラーは、第6ラウンドに挑戦者のローブローで膝を着き、暫しの休憩と1発減点(最初のチェックでいきなりマイナス1ポイント)を得る。

しかし、一息ついて回復・・・とはならず、終了間際に痛烈な左フックから間髪入れずに返すエスパーニャの右ストレートを浴びて棒立ちになり、さらにワンツーを2回追撃されてダウン寸前に追い込まれた。

続く第7ラウンド、前がかりに圧を強めるエスパーニャの攻防のキメが粗く雑になり、単発のヒットを何度か奪い返したテーラーがやや持ち直すも、鼻と口から出血して、眼の下も小さくカット。傷だらけになっていた。

第8ラウンドのフィニッシュは、やはりロングの右(ワンツー)から。連射を食らってグラついたテーラーの顎を、見えない角度で下(死角)から突き上げるアッパーが直撃。前のめりに倒れたテーラーが必死に立ち上がったところを、エスパーニャが詰めのパンチで襲いかかる。大きく後方にたたらを踏むテーラー。ニュートラルコーナー近くのロープを背負ったところで、主審コイルが飛び込み試合を終わらせた。

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なかなかのボンクラぶりを発揮していたコイルだが、ストップの判断と割って入る瞬間のスピード&タイミングは、自他ともに一流と認めるベテランの評価に恥じないものではあった。第7ラウンドまでの採点は、スペイン,カナダ,コロンビアから呼ばれジャッジ三者とも挑戦者を支持(64-68・65-67・64-69)。

前(1991)年に喫した鉄人タイソンによる2連敗から立ち上がり、グレッグ・ペイジ(元WBA王者)とフィル・ジャクソン(後にホリフィールドに挑戦)を倒してエリミネーターに漕ぎ着けたラドックは、若くて積極果敢に打ち合っていたレノックス・ルイスに僅か2ラウンドで瞬殺されてしまい、テーラーも無念の討ち死に。

「もう戦うべきじゃない」

悄然として帰国の途に着いたテーラーに、なんと御大ルー・デュバが引退勧告。まだ26歳のテーラーが納得する筈もなく、デュバ親子との関係を清算しなければならなくなる。

◎試合映像:エスパーニャ TKO8R M・テーラー
1992年10月31日/アールズ・コート(ロンドン・英国)
WBA世界ウェルター級タイトルマッチ12回戦

※フルファイト
https://www.youtube.com/watch?v=x8yljHBof2Y


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今こそ求められるレフェリングとコーナーワークの是正 - ポスト・スティールの必要及び重要性 Part 1 -

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■そもそもレフェリー・ストップとは何か? - 揺らぐ存在意義と求められるクォリティ

Richard steele 1

温故知新とは良く言ったもので、思い出話ついでに、是正への動きがほとんど感じられないレフェリングとコーナーワークについて思うことを書き記し、本件に関する一連の章を閉じる。

誤解を招くといけないので念の為に記しておくが、JBCは毎月定例の会合を複数開いており、中にはレフェリングとスコアリングに関する検討会も含まれる。重大事故防止を目的にした取り組みを継続してはいるが、具体的な進捗はどうかという話になると、一筋縄でいかないから難しい。

向かっている理想と方向は同じでも、行動のベクトルが必ずしも一致しない,できないのが人の世のであり、特に我が国ではコンセンサスを得るまでに膨大な時間を必要とする。民間であったとしても、お役所的な性格を帯びる組織はなおさらだ。

前の記事で、辰吉 vs ラバナレス戦との相似について触れたが、あの試合を裁いたレフェリーとレフェリングに言及しておくべきではないかと考えた。

「早過ぎるストップ」が常に批判の対象となり、タイミングの是非について一度ならず議論を巻き起こし、ラスベガスを大いに賑わし盛り上げた名レフェリー、リチャード・スティールその人である。


「早過ぎるストップなど存在しない。有るのは遅過ぎるストップだけだ」

試合を止めるタイミングについて、散々文句を言われ続けたスティールは、事あるごとに必ず反論を繰り返し、自身の信念と哲学をけっして曲げなかった。

1970年代からカリフォルニアで公式審判員としての活動をスタート。80年代初頭、拠点をネバダへと移した後、現代ボクシングのメッカ,ラスベガスを代表する名レフェリーの1人として、30年を超える長きに渡って活躍する。

リング・コールの際に鳴り響く大きな「Boo!」は、ラスベガスの風物詩と表すべき光景であり、恒例行事と化していた。ご本人はニガ笑いを浮かべて我慢するしかなかったけれど、「良し。これで今日もリング上の進行は安泰だ」と、妙な安堵を覚えていたのは私だけではないと思う。

自らの後継者と認めて後を託し、実の親子のように接した愛弟子ミッチ・ハルパーン(次世代を担うエース候補として将来を嘱望されながら33歳自ら命を絶つ)の他界に大きなショックを受け、2001年に一度引退。

皆に請われて2004年の秋に再登場の運びとなり、トレードマークになっていた、現役選手も真っ青になりそうな華麗なフットワーク、一切弛緩することのないきびきびとした分かり易い動作と声がけを維持したまま、2006年の夏に今度こそ完全に身を引く。

◎Tribute to Richard Steele

※2006年12月29日に行われた引退式
サウス・ポイント・ホテル・&カジノ・スパで行われた、ラスベガス初のプロ・アマ混合によるMMAの興行(翌30日にはMGMグランドでUFC66を開催)だったにも関わらず、「待ってました」とばかりに大音量の「Boo !」が木霊する。若かったブルース・バッファーのリング・アナウンスに続いて感謝状を贈呈しているのは、髭を生やす前のキース・カイザー(当時のネバダ州アスレチック・コミッション事務局長)。


2014年度のインダクティーとして国際ボクシング殿堂に招かれ、キャナストゥータの縁台に立ち、感動的なスピーチで皆の涙を誘った。

あれからもう10年が経つ。年を取ると、後ろを振り返ることばかり増えて困る。気の持ちようも日常生活も、それ自体は若い頃と何も変わらない。ただ、明日だけを見つめては生きられない。健康で過ごすことが許される残り時間を、嫌でも考えざるを得なくなる。

◎Richard Steele Epic Emotional Speech
2014年6月9日/キャナストゥータ
□Part 1


□Part 2

◎Richard Steele(IBHOF:Internathional Boxing Hall of Fame/国際ボクシング殿堂公式サイト)
http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/nonparticipant/steele.html

1944年1月の生まれなので、日本なら傘寿(80歳)のお祝いで黄金色のちゃんちゃんこと大黒頭巾を被って記念撮影をし、速攻で写真をインスタやXに上げるまくるところ・・・?。

冗談はさておき、自身の名前を冠したボクシング・ジムを立ち上げ、青少年をドラッグと犯罪から守る為に無料で開放して指導を行い、地域社会や警察と連携して、医療や教育の分野までを抱合する米英スタイルの慈善活動をライフワークにして来た。

数年前にネバダ州から受けていた財政的な支援を打ち切られた上、武漢ウィルスの猛威に見舞われ心配したが、提供するサービス&プログラムの拡充を図りながら寄付を募り、今も活動を続けている。

ご興味のある方は、公式サイトやSNSに一度アクセスを。

◎The Richard Steele Foundation & Boxing Club
https://richardsteelefoundation.org/

◎公式X
https://x.com/steelechamps?lang=mr

◎公式インスタグラム
https://www.instagram.com/explore/locations/305989491/richard-steele-foundation-boxing-club/?locale=kk-KZ&hl=af

◎公式facebook
https://www.facebook.com/RichardSteeleFoundation/?locale=pt_BR&_rdr


80年代~90年代の20年間(30代半ば~50代前半)に、数多くの名勝負,メガ・ファイトにサードマン(主審の別称)として立会い、我が国とも浅からぬ縁を結ぶ。

渡辺二郎(大阪帝拳/WBA王者)とパヤオ・プーンタラト(タイ/WBC王者)による事実上のA・C統一戦を担当する為、1984年7月に初来日して以降、日本国内で行われた世界戦12試合に起用・招聘されている。

渡辺 vs パヤオ第1戦は、様々な経緯を経てWBCの単独タイトルマッチ(WBA王者渡辺がWBC王者パヤオに挑戦)として開催されたのだが、本旨から外れてしまうので詳細は割愛させていただく。

そしてこの12戦中、辰吉の世界戦は半数に近い5試合(辰吉自身の世界戦は11試合)を占める上、薬師寺戦後に、JBCと取り交わした「負けたら即引退(国内開催許可とのバーター)」の約束を反故にして、ラスベガスで強行した再起戦(タフなメキシカン,ノエ・サンティヤナに9回TKO勝ち)もスティールが裁いた。

エキサイトマッチの視聴者に限らず、日本のファンに強い印象を残したのもむべなるかな。それでも、頻繁に来日していた頃から四半世紀の時が過ぎ、公式戦のリングから退いて丸14年。日々侵食が進む記憶の希釈に抗うことは難しい。


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■スティールの名を不朽にした「最終回残り2秒のストップ」

ストップのタイミングを巡って大いに紛糾し、国際的な規模で議論を巻き起こした、スティールのレフェリングを象徴する大きな試合が2つある。

最終12ラウンド2分58秒。「残り2秒のストップ」として未だに語り継がれる、フリオ・セサール・チャベスとメルドリック・テーラーによるJ・ウェルター(S・ライト)級の王座統一戦と、第7ラウンドのストップ宣告後に乱闘が発生したマイク・タイソン vs ドノヴァン・”レーザー”・ラドックの第1戦だ。

まずは、チャベス vs テーラー(第1戦)。

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◎WBC・IBF2団体統一世界J・ウェルター級タイトルマッチ12回戦
WBC王者 J・C・チャベス 最終12回TKO IBF王者 M・テーラー
1990年3月17日/ラスベガス・ヒルトン
※1990年度リング誌ファイト・オブ・ジ・イヤー

◎リング・オフィシャル(全員ネバダ州)
主審:リチャード・スティール

副審:
チャック・ジアンパ:105-104(C)
デイヴ・モレッティ:102-107(T)
ジェリー・ロス:101-108(T)
※第11ラウンド終了時点:1-2でテーラーを支持

立会人:
WBC:ロバート(ボビー)・リー(米/元ハワイ州コミッショナー/元WBA会長/2020年4月没)
※IBFを創設した初代会長ロバート(ボブ)・W・リーは同名異人
IBF:アルヴィン・グッドマン(米/元フロリダ州コミッショナー/2008年12月没)

◎試合映像(ハイライト)

※フルファイト
https://www.youtube.com/watch?v=M-Inq5r61ZY


向かうところ敵無しの68連勝(55KO!)をマークするチャベス(27歳)は、J・ライト(S・フェザー/WBC:V9),ライト(WBA・WBC統一/V2)と階級を上げ、ロジャー・メイウェザーとの再戦を制してWBC J・ウェルター級王座を奪取。2度の防衛に成功していた。

3階級制覇を達成して、こなした世界戦は実に16試合(全勝11KO)。1989年に再開されたリング誌のP4Pランクでは、マイク・タイソンに次ぐ2位の評価を受ける。”J・C・スーパースター”と称され、メキシコと米本土の両方で押しも押されもしない大看板に成長。

対するテーラー(23歳)も、J・ミドル級のテリー・ノリスに比肩し得るスピードスターとして台頭の真っ最中。史上最強の誉れも高い、1984年ロス五輪の米国代表チームに名を連ね、フェザー級の金メダルを手土産にプロ入り。

1984 DREAM TEAM
写真左:表彰台で国旗掲揚・国歌演奏に臨むテーラー
※写真右(左から):タイレル・ビッグス(S・ヘビー級金),テーラー(フェザー級金),マーク・ブリーランド(ウェルター級金),パーネル・ウィテカー(ライト級金),イヴェンダー・ホリフィールド(L・ヘビー級銅)
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※1984年ロス五輪ボクシング代表ドリーム・チーム
以下の通り、全12階級中9階級で金メダル,銀メダルと銅メダルを各1階級づつ獲得。メダル無しに終わったのは、ロバート・シャノンが3回戦で敗退したバンタム級のみ。
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タイレル・ビッグス:ヘビー級金(※)
ヘンリー・ティルマン:ヘビー級金(※)
イヴェンダー・ホリフィールド:L・ヘビー級銅
ヴァージル・ヒル:ミドル級銀
フランク・テイト:L・ミドル級金
マーク・ブリーランド:ウェルター級金
ジェリー・ペイジ:L・ウェルター級金(※)
パーネル・ウィテカー:ライト級金
メルドリック・テーラー:フェザー級金
スティーブ・マクローリー:フライ級金(※)
ポール・ゴンザレス:L・フライ級金(※)
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メダリスト11名全員がプロに進み、世界王者になれなかったのは上記リスト(※)の5名。世界タイトル挑戦が叶わなかったのは、L・ウェルター級のJ・ペイジのみ。
バンタム級代表のロバート・シャノンもプロ入りしたが、地域王座を突破できずローカルクラスのままキャリアを終了した。
第3の団体IBFが1983年にスタートして(第4団体WBOの発足はソウル五輪が行われた88年)、階級もミニマム級(1987年新設)を除く16階級(84年当時S・ミドル級はIBFのみ認定)に増えてはいたものの、プロの現実は想像以上に厳しい。
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1979年の旧ソ連によるアフガニスタンへの軍事侵攻を理由に、米・西独・仏・伊・日等を筆頭に、60ヶ国がボイコットした1980年モスクワ大会への報復措置として、ソ連・東独・ポーランド・チェコ・
ハンガリー・ブルガリア・ベトナム・モンゴル・親ソ連のアフリカ諸国に加えて、米ソと覇権を競うボクシング強国キューバが不参加。モスクワとロサンゼルスの2大会は、東西冷戦を象徴するオリンピックとなった。
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「ドリームチーム」と言えば、マイケル・ジョーダン,マジック・ジョンソン,スコッティ・ピッペン,チャールズ・バークレー,ラリー・バードらのNBAを代表するスター選手が揃った92年バルセロナ大会男子バスケットボールチームの専売特許だが、ボクシングにおいては紛れも無く84年のナショナル・チームを指す。
最年少の17歳で召集されたテーラーは、チームのマスコット的存在として可愛がられたらしい。ボクシング青年男子(シニア/エリート)の五輪出場資格は、2016年のリオ大会に合わせてヘッドギアが廃止され、これに伴い19歳以上に引き上げられたが、2012年ロンドン大会以前のルールは17歳以上だった。史上最年少の五輪ボクシング出場者は、1924年パリ大会のフェザー級金メダリスト,ジャッキー・フィールズ(米)と、1928年アムステルダム大会のベン・ブリル(オランダ/フライ級代表)の16歳。
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王国アメリカのアマチュアボクシングは、モハメッド・アリの出現がもたらしたスポーツにおけるビジネス・モデルの革命的大転換と、優れた黒人の若者たちのメジャースポーツ進出拡大(70年代)による人材難が顕在(常態)化。この大会をピークにして、以降一気に地盤沈下。プロボクシングの衰退を加速させた。
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一介のトレーナーから身を起こし、粉骨砕身働き続けて作り上げた興行会社を息子たちに任せ、自らの生涯を現場に捧げたルー・デュバと契約。毎日のトレーニングと本番のコーナーから、マネージメント&プロモーションまで一括管理が可能な環境に身を置く。

デビューしてから丁度4年目の1988年9月、名うての試合巧者として知られるジェームズ・バディ・マクガート(2019年殿堂入り/引退後トレーナーとして成功)を破り、140ポンドのIBF王座に就いてV2を果たし、24勝(13KO)1分けの無敗をキープ。

唯一の引き分けは、すっかりベテランになったハワード・ディヴィス・Jr.(1976年モントリオール五輪ライト級金メダル)との10回戦(プロ3度目)で、三者三様のスプリット・ドロー(6-4,4-6,5-5/ラウンド制)に泣いたもの。リング誌P4Pランクの6位に入り、次期スーパースター候補の1人と目されていた。

戦前のオッズは、11-5でチャベスを支持。テーラー自慢の健脚とキレのあるパンチに前半は苦しむだろうが、メキシコ伝統の左ボディを基軸にしたコンビネーションと重厚なプレスで徐々に削り、無限に続くのではないかと錯覚する連打でし止めるというのが、当時の大方の予想だった。

ところが、テーラーのシャープネス&クィックネスをチャベスが追い切れない。強気のテーラーは接近戦にも応じたが、チャベスが得意にするクロスレンジでも簡単に打ち負けたりせず、消耗戦への適性と耐性をあらためて実証する。

見応えのある一進一退のタフ・ファイトが延々続き、後半~終盤にかけて流石にテーラーもスローダウン。スピードとキレが落ちて被弾の確率も増したが、完全なガス欠・息切れまでには至らず、懸命に手数を振るってチャベスの前進を阻む。

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いよいよチャンピオンシップ・ラウンドに入り、ようやくチャベスの攻勢が上回る。テーラーの我慢に決壊の兆しが見え出すも、全体的な流れは「時既に遅し」の感が漂う。どう贔屓目に見ても、ポイントはテーラーが押さえている。

敗色濃厚なチャベスだが、最終ラウンドも瞳に闘志をたぎらせ前進。まったく諦めていない。どんな苦境においても望みを捨てず、最後の最後まで勝利を希求し前に出る。完成度の高い攻防の技術もさることながら、衰えることを知らない旺盛なファイティング・スピリット、メヒコの男たちが信奉して止まない、伝統のマチズモを体現する驚異的な心身のタフネスこそがチャベスの真骨頂。

どんな名選手でも必ずペースが落ちる後半~終盤に突入した後も、変に力むことなく適度な脱力を保ったまま、同じリズムとテンポ,同じパワーで精度(質)の高いパンチを放ち続ける。メキシコ史上最高のアイドル、ルーベン・オリバレスから直接受け継いだとしか思えない圧倒的なボクシング。


メキシコシティのルピータ・ジムでオリバレスやZボーイズ、リカルド・ロペスらを教えた伝説的なトレーナー,クーヨ・エルナンデス(1911年11月2日~1990年11月20日)と、グァダラハラに生まれてティファナで指導者になり、チャベスを少年時代から育てたロムロ・キラルテ(1946年2月10日~)の間に、直接的な師弟関係などは無いと承知している。

軽量級離れした1発の破壊力も併せ持つオリバレスに対して、間断なく続ける手数とプレスで根負けに追い込む連打型のチャベス。天から授かった才能は、誰がどう見てもオリバレスに軍配が上がる。

がしかし、念願のチャンピオンになるや否や、ナイトライフの誘惑にあっさり負けて、練習不足と減量苦であっという間にコンディションを失い、苦労して掴んだバンタムとフェザーのベルトを手放したオリバレスに対して、鉄壁のディシプリンを片時も崩さず、休み無く戦い続けて3階級を獲り、3つ目の140ポンドで大輪の花を咲かせたチャベス。

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※写真左:オリバレスとサラテ(エデル・ジョフレとともにバンタム級オールタイムTOP3を常に争う2大巨頭)を両サイドに従えるクーヨ(70年代後半)
※写真右:105ポンドに9年間君臨した”エル・フィニート(最高・最強)”ことリカルド・ロペスとクーヨ(80年代半ば頃)

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※ロムロ・キラルテとチャベス
写真左:最初のWBC J・ライト級王座を獲得した80年代前半~半ば頃
写真右:2010年前後と思われる

何から何まで好対照な2人のメキシカン・レジェンドが、30年の時を超えて、相通ずるストロング・ポイントを武器に快進撃を続けた。これを歴史の偶然と呼ぶか、あるいは必然と見るべきか。


最終盤を迎えて抜き差しならないピンチに陥り、本心ではクリンチ&ホールドで逃げ切りたいテーラーだが、意地になって打ち返してスタミナをロス。思い切り左フックを空振りすると、その勢いで前のめりに倒れてしまうなど、焦りと余裕の無さを露呈。

チャベスも十分に疲れてはいるが、ここぞとばかりにパンチの回転と強度をアップ。残された精神力を振り絞って食い下がるテーラーをニュートラル・コーナーに引き込み、瞬時に態勢を入れ替えざま、軽いアッパーを3発散らして前屈みになったテーラーの身体を起こし、無防備の顎を目がけて渾身の右を叩き込んだ。

たまらず崩れ落ちるIBF王者。残り時間は16秒。

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朦朧とした己が意識と肉体を引きずり上げるようにして立つテーラー。タイムキーパーからカウントを引き継いたスティールが、対角線上の後ろにいるチャベスの位置を気にしながら、規定の8つを数え終えると、大きく眼(まなこ)を見開き、噛み付かんばかりの勢いでテーラーの眼を覗き込む。

「大丈夫(やれる)か!?」と大きな声を飛ばして反応を伺う。

続いて一瞬間を置いたスティールが、大きく自分の顔を左右に振り、両手を高く掲げて交差。まともに反応していないと判断した。「いや待て。俺はまだやれる」とテーラーは抗議を始めるも、瞳の焦点がしっかり定まっていないようにも見える。試合終了が合図された時、時計は残り4秒~3秒へとカウントダウンしていた。

テーラーのコーナーを守るルー・デュバがリングに飛び込み、猛然とスティールに抗議する。何をどう逆らったところで、主審が下した裁定が覆ることはない(近頃は少し様子が違うけれど)。タイムキーパーの報告に基づくネバダ州の公式記録は、最終ラウンド2分58秒のレフェリーストップ。

11ラウンドまでのオフィシャル・スコアは、1-2のスプリットでテーラーを支持していた。もしもスティールが温情を示し、再開の合図と同時に脱兎のごとくチャベスが駆け出したところで、12ラウンド終了のゴング・・・ということになっていれば、最終回は10-8でチャベス。だが、仮にそうなっていたとしてもテーラーの勝ちは覆らない。ジャッジ3名中2名が付けたスコアは、それだけの点差が開いていた。

Stop-1

Stop-2

Stop-3

奇跡と呼ばれた「残り2秒の大逆転劇」の顛末だが、「何でもかんでも止めたがる間抜けなレフェリーの誤審」,「チャベスへの過ぎた忖度」,「東海岸でやるべきだった(テーラーはフィラデルフィア出身)」等はまだマシな方で、主催プロモーターがドン・キングだったことから、八百長(スティールへの買収工作)を疑う者までいた。

在米マニアによる苛烈かつ辛らつな批判は続き、多くの関係者も巻き込み大きな騒動に発展。ストップの場面を見ていただければ、八百長(買収)など有り得ないとすぐにお分かりいただけると思う。「百聞は一見にしかず」の諺は、この時のスティールの為にこそある。あれが迫真の演技だったとしたら、スティールはデ・ニーロを超える名優にもなれただろう。

リアルタイムで状況を把握し、やや遅れて試合映像を確認した私も、その瞬間は「わざわざ余計な疑念を持たれるようなタイミングで止めなくても・・・」と思った。スティールのレフェリングを全面的に肯定する気になれず、気の毒なテーラーに一旦は同情を寄せてしまう。

「いや、待て。納得の行くまで、ちゃんと見直さないと。」

録画映像をフルで2回、11~12の2ラウンズを通して3回か4回、そしてストップの場面をスローも混ぜて5~6回見直した。テーラーがギリギリに近いところまで消耗していたのは、WOWOWの中継を見た時にわかってはいたが、蓄積したダメージは想像していた以上に深刻で、スティールの裁定は正しいと考えを改めた。

さらに、テーラーを診察した医師の所見を報じる外電も遅れて確認。顔面(眼窩底と報じる記事も有り)の骨折に唇の裂傷と失血、血尿等を確認し、必要な治療に加えて輸血も行ったという。テーラーが負った甚大な被害がわかってもなお、スティールへの批判は収まらなかったらしく、「スティール=早過ぎるストップ」の評判が完全に定着する。

テーラーの状況を知ったスティールは、我が意を得たりと得意になったりすることもなく、「もっと早く止めるべきだったかもしれない。」と自省。取りようによっては、さらなる燃料投下になりかねない恐れもあったが、SNSが影も形も無い時代で本当に良かったと、つくづく痛感せずにおれない。

この試合でチャベスは140万ドル、テーラーは100万ドルの報酬を手にした。PPVが動かす桁違いの巨額にすっかり慣れてしまった現在の常識からすると、「えっ?そんなものなの?」と拍子抜けする人も多いと思う。

鉄人タイソンからデラ・ホーヤ、そしてメイウェザー&パッキャオへと引き継がれたPPVセールス・キングの座は、人材の枯渇とスーパースター不在に喘ぐヘビー級に替わって、ウェルター級を中心とした中量級を最も稼げる階級に押し上げた。

全盛を過ぎたとは言え、レナード.ハーンズ,デュラン,ハグラーの中量級BIG4が切り拓いたPPVのビジネスモデルを完成させ、世界的な規模で普及定着させたタイソンが健在だった当時と、長い低迷から脱出する機運がまったく見えない現在との単純比較は意味を為さない。


Part 2 へ


注目のスラッガー対決 /病み上がりのフェノメノが痩身の強打者にアタック - S・ボハチュク vs V・オルティズ ショートプレビュー -

カテゴリ:
■8月10日/マンダレイ・ベイ・ホテル&カジノ,ラスベガス/WBC世界S・ウェルター級暫定タイトルマッチ12回戦
暫定王者 セルヒイ・ボハチュク(ウクライナ) vs WBC2位 ヴァージル・オルティズ・Jr.(米)


※ファイナル・プレス・カンファレンス(フル映像)
https://www.youtube.com/watch?v=5rAADk228Xc

新たな才能に巡り合う驚きと喜びは、多種多様なスポーツ観戦の魅力の中でも、最上位に挙げて然るべき事象の1つに違いない。

不肖管理人の場合、イの一番に思い出すのは辰吉丈一郎である。

1990年2月11日、マイク・タイソンがバスター・ダグラスに倒された世紀の超特大番狂わせのアンダーカードに呼ばれた辰吉は、この試合がプロ2戦目ながら早くも10回戦。タイ王者の肩書きで来日したチューチャード・エゥアンサンバンにいきなりダウンを奪われたが、あっという間に倒し返して2回KO勝ち。

ガッシリした上半身にスラリと伸びた両脚。そして異様に長い両腕。メキシコ人を思わせるシルエットに、日本人離れした柔軟性とスピードを併せ持ち、左腕をダラリと下げたヒットマン・スタイルに構えて、完全に脱力した状態から鋭く重い強打を瞬時に放つ。

”2代目逆転の貴公子”こと高橋直人が、雪辱を期して臨んだノリー・ジョッキージムとの(悪夢の)再戦に並ぶ、ダブル・セミ(?)の扱いだった。


そしていささか大仰にはなるが、辰吉以来、近年最も驚かされたのがオルティズ・Jr.である。恵まれたサイズに優れたスピードとパワーが高い水準で共存し、テクニック&スキルも申し分がない。

「図抜けてる。モノが違い過ぎる。」

初めて彼の試合映像を見たのは何時だったか。おそらく2017年(デビュー2年目)ではないかと記憶するが、もう決定力がハンパない。キレと重さを兼ね備えるパンチが凄い上に、不用意かつ無駄にガードを解いたり下げたりせず、顎もしっかり引いて容易に隙を見せない。

前がかりになった時の、筋力に頼った大振り傾向が唯一最大の心配の種ではあるが、あれだけの破壊力があれば、それもまた止む無し。ある程度までは許容しなくてはならないし、経験を積むことで脱力の仕方も覚えて行く。

スペイン語で「フェノメノ(Phenomeno):AmazingやFantasticと同義」のニックネームでもまだ足りない。ゴールデン・ボーイ・プロモーションズを率いるオスカー・デラ・ホーヤが、直々にスカウトに動いただけのことはあると素直に得心した。

テキサス州ダラス出身で、年齢は26歳。父のヴァージル・シニアの手解きでボクシングを始めた親子鷹は、ご他聞に漏れずジュニアの頃からアマチュアで頭角を現し、140勝20敗の堂々たるレコードを手土産にプロ入り。

フレディ・ローチと並ぶ西海岸の売れっ子トレーナー、ロベルト・ガルシアをチーフに迎えて、華々しい連続KOでキャリアを歩み出す。途中キャリアの継続に水を差す重大なピンチに見舞われたが、完全とは言い切れないまでも何とか克服して復活を遂げる。

紛うこと無き逸材。ジャーボンティ・ディヴィスやシャクール・スティーブンソンをも凌ぐリアル・ギフテッドが、幾多の苦難を乗り越えてようやく世界タイトルマッチに辿り着く。


2016年7月にデビューした時点のウェイトはS・ライト級で、ライト級での調整も可能と聞いたが、公称180センチ(身長/リーチとも=現在は178センチ)のフィジカルは見るからに骨太で大きく、「ウェルター級に上げてもすぐにキツくなりそうだな」というのが率直な印象。骨格だけなら、ミドル級でも充分にやれそうなポテシャルを実感させてくれる。

最初の2年間に破竹の11連続KO勝ちを収めて、3年目の2019年に147ポンドに階級を上げると、転級2戦目で実力者のマウリシオ・ヘレラ(元WBA S・ライト級暫定王者/2016年以降ウェルター級で活動)を3ラウンドで粉砕。

続く3戦目で、サンディエゴ・ベースのメキシカン・プロスペクト,アントニオ・オロスコを6回KOに下して、WBAゴールド王座を獲得。年末には南部で活躍する黒人ホープのブラッド・ソロモンを5回で倒してV1に成功し、パンデミックが襲来した2020年7月、カナダを拠点にするコロンビアのベテラン,サミー・バルガスのタフネスに手を焼いたが、7ラウンドに集中打をまとめてレフェリー・ストップを読み込み、ゴールド王座をV2。


武漢ウィルスの脅威がいよいよアメリカでも急速に拡がり出し、8ヶ月の休止。2021年3月に迎えた復帰戦は、140ポンドの元WBO王者モーリス・フッカーとの12回戦。終始ペースを譲らず、6回にボディでダウンを奪って7回TKO勝ち。結末は拳を傷めたフッカーの棄権だったが、フルマークに近い内容で各ラウンドを支配した。

さらに同年8月、リトアニアの強豪エギディウス・カヴァリアスカスを8回TKOで破り、フッカー戦で得たWBOの下部タイトルを防衛するとともに、オール・ノックアウトの連勝を18に伸ばし、世界戦線に本格的な名乗りを上げる。

しかし、武漢ウィルスは次から次へと変異を続け、有効な治療薬の開発とワクチン接種の進捗にもかかわらず、その猛威は止まることを知らない。アメリカは世界最大の被害国となり、またもや活動休止。


ようやく2022年3月19日に試合が決まったが、本番を目前に体調不良を訴えたオルティズが急遽受診。難病の横紋筋融解症と診断され、4日前の緊急離脱を余儀なくされる。

筋肉を形成する骨格筋細胞に融解や壊死が発生して、血液中に筋肉の成分(ミオグロビンと呼ばれる蛋白質/筋肉の収縮に重要なクレアチンキナーゼという酵素等)が流出する病気で、発症率は2万人に1人だという。

特に血中に流出したミオグロビンは重篤な腎機能障害を引き起こす可能性が高く、透析治療が必要になる場合がある他、呼吸筋に障害が及んで呼吸困難になる恐れもあり、身体のだるさや手足の痺れと脱力感、筋肉痛に血尿などの初期症状を見逃し、単なる疲労の蓄積と勘違いして受診が遅れると、致死率が一気に増す危険な病気ということらしい。

軽症のうちなら、水分補給で腎臓の負担を減らすだけで回復を見込めるが、重症者には入院と症状に応じた適切な加療が必須となる。治療薬と治療法は

過度の運動やアルコール摂取、熱中症が引き鉄となって発症する他、災害などの非難生活で長時間四肢が圧迫され続けたり、事故や手術による筋肉の損傷や、薬剤の副反応から誘発されるケースもあって、原因は様々とのこと。


オルティズの場合、やはりオーバーワークを想定するのが一番自然にはなるが、類まれなフィジカルの強度とパンチング・パワーのせいで、何らかの根拠がある訳ではないが、禁止薬物の過剰摂取を疑う声も無い訳ではない。

治療と静養が必要な時期にパンデミックが重なったことを、不幸中の幸いと表するのは憚られるけれども、延期とリ・スケジュールを繰り返したWBAレギュラー王者エイマンタス・スタニオニス(リトアニア)戦が結局消滅して、2023年は丸々1年を休む状況に陥る。

とりわけ昨年7月8日に組み直された時は、本番直前に意識を失って緊急搬送され、2日前の計量当日に延期がリリースされる事態となり、再起不能説があらためて流布された。


こうして現実に実戦復帰が危ぶまれる中、本年1月6日に1年5ヶ月ぶりとなる再起戦を、メッカ,ラスベガスのヴァージン・ホテルズで敢行。試合は156ポンド契約で行われ、S・ウェルター級への階級アップを正式に発表する。

コンディションへの不安が払拭できないオルティズだったが、更なる増量にもかかわらず、パンチと動きは想像以上にシャープで、パワーも健在。イリノイ在住のガーナ人,フレデリック・ローソン(34歳の中堅ローカル・トップ)をロープに詰めて連打を放つと、主審のトニー・ウィークスが直ちにストップ。

追い詰められてはいたが、ローソンに顕著なダメージは無く、場内にブーイング(あくまでウィークスへの非難)が響き渡る。試合後ウィークスは、メディカル・チェックのCTでローソンに脳動脈瘤が発見され、3度目の検査でようやくパスしたことを確認しており、大事に至ることがないよう迅速にストップしたと釈明。

しかしながら、ネバダ州ACはこの主張を否定する見解を示しており、混乱に拍車をかけてしまう。ウィークスに対する特段の処分は無かったものの、5月の1ヶ月間一度も起用が無く、6月も1試合だけで登板間隔が開いている。


不透明な終わり方が影響したのか、始めからその予定だったのかはともかく、4月26日にカリフォルニアのフレズノで、元プロスペクトのトーマス・デュロルメ(プエルトリコ)を初回2分半余りで瞬殺。

契約体重は同じ156ポンドながらも、ローソン戦に比べると若干身体が重たそうに映ったけれど、クロスレンジで左のレバーショットを一閃。文句の付けようがないテン・カウントのフィニッシュで、デビュー以来続く連続KOを21に更新して、今度こそ(?)の完全復活をアピールした。


◎公開練習

※フル映像
https://www.youtube.com/watch?v=rBImOVt-8X8


受けて立つ暫定チャンプも、24勝23KOのハードヒッター。ベルトを獲得した今年3月のブライアン・メンドサ戦が、プロ転向後初めての判定決着となったが、こちらもデビューから23試合連続のKO勝ちを続けていた。

戦禍に苦しむウクライナのほぼ中央、ヴィーンヌィツャという人口37万の街で生まれ育ち、国際大会での目立った戦果こそ無いものの、WSB(World Series of Boxing)の契約選手となったトップ・アマ。150戦を超える戦歴を持つと述べている。

WSBではロンドンと東京の2大会で金メダルを獲得したロニエル・イグレシアス(キューバ/2008年北京~2020年東京まで4大会連続出場)を2-1の判定に下して、殊勲の大金星をマーク。リオ五輪の出場権を逃した後、ロシアのウラル・プロモーションズと契約して渡米。

ゲンナジー・ゴロフキンのチーフとして確固たるポジションを築いたアベル・サンチェスの下に身を寄せたが、「ウラルの連中はそれっきり音沙汰なし。将来がまったく見えず、不安と焦燥の中で、とにかく組まれた試合をこなして行くしかなかった」という。

展望が開けたのは、クリチコ兄弟とゴロフキンのマネージメントを切盛りしてきたトム・レフラー(レオフラー)のサポートを受けるようになってから。

「トムの仕事は誠実で間違いがなく、計画をしっかり説明した上で、進捗と見込みについて、良いことも悪いことも正直に全部話してくれる。」

レフラーが2015年に立ち上げた360プロモーションズの支配下選手となり、2019年の秋に獲得したWBC米大陸王座を足掛かりにして、世界ランキングに定着。ゴロフキンとの契約更新が破談となったサンチェスのキャンプを離れたのが、2019年の秋頃。同じカリフォルニアの著名なコーチ、マニー・ロブレスとの新体制に移行後もKO勝ちを継続した。


しかし、これからというタイミングでパンデミックに見舞われ、厄災の只中で組まれた防衛戦で、カリフォルニアの黒人ホープ,ブランドン・アダムスによもやの8回TKO負け。激しい打撃戦の最中、強烈な左フックを顎に浴びてキャンバスに沈み、懸命に立ち上がったもののレフェリー・ストップを食らう。

初黒星を喫してもロブレスとの関係は変わらず、2022年11月にWBC米大陸王座を奪還。2度の防衛を重ねてランキングを戻し、T-モバイル・アリーナでのブライアン・メンドサ戦に漕ぎ着ける。

昨年10月、オーストラリアでティム・ジューに挑戦して判定負けに退いたメンドサだが、半年前の4月には、今年3月30日に行われた同じ興行ジューから現WBC・WBO統一王座を奪取したセバスティアン・ファンドゥーラにKO勝ちを収めて暫定王座を獲得しており、ボハチュクにとって初めて対峙するワールドクラスだった。


183センチの長身を堅実かつコンパクトなフォームにまとめて、ブロック&カバーの堅牢な守りをベースにプレッシャーを掛け続け、ショートのコンビネーションを軸にメンドサとのタフな白兵戦に競り勝ったが、ジャブ&ワンツーで中間距離をキープしつつ、一撃必倒の威力を秘めた右ストレートを狙うのが本来のスタイル。

あだ名は何故かスペイン語で、「El Flaco(やせっぽち)」。カリフォルニアの景勝地で、高地トレの名所としても知られるビッグベアに作ったアベル・サンチェスのキャンプで付いたらしいが、見た目そのまんまじゃないかと苦笑。

もう少しパンチに重さと伸びがあれば、”ライフル”と形容されたカルロス・モンソンの右に匹敵する威力を発揮したかもしれない。

打ち合いになると簡単に退くことができず、大振りになり易い癖はオルティズと似ているが、ディフェンスの穴はやや大きめ。

苦く手痛いKO負けを糧に、信頼するロブレスと一緒に守備を鍛え直した成果だと、メンドサを相手に繰り広げた一身一退のフル・ラウンズを評価するのは、けっして早計でも見込み違いでもないと思う。


それでも戦前のオッズは、難病と闘いながらリングに立ち続けるオルティズに傾いた。

□主要ブックメイカーのオッズ
オルティズ・Jr.:-350(約1.29倍)
ボハチュク:+260(3.6倍)

<2>betway
オルティズ・Jr.:-300(約1.33倍)
ボハチュク:+240(3.4倍)

<3>ウィリアム・ヒル
オルティズ・Jr.:2/7(約1.29倍)
ボハチュク:11/4(3.75倍)
ドロー:16/1(17倍)

<4>Sky Sports
オルティズ・Jr.:1/3(約1.33倍)
ボハチュク:7/2(4.5倍)
ドロー:18/1(19倍)


両雄の現実,今現在の力に、ここまでの開きがあるのか否か。断定することにいま少しの逡巡を覚えるのは、筋力に頼った強振で攻め急ぐオルティズの姿を、ついつい想像してしまうからである。

オルティズの攻撃における厚みと突破力は、明らかにメンドサを上回るけれど、ハードな接近戦を36分に渡って耐えたボハチュクの戦術的ディシプリンは侮れない。

判定決着を念頭に置いて、じっくり時間をかけて慎重に削りながらチャンスを待つ、成熟したプロのスキルを期待するのは、まだ早過ぎる気もするが、来るべきクロフォードとの大一番を見据えるなら、攻めても守っても良しの安定感が欲しいのは確か・・・。



◎ボハチュク(29歳)/前日計量:153.8ポンド
現WBC暫定王者(V0)前・元WBC米大陸王者(前:V2/元:V1)
戦績:25戦24勝(23KO)1敗
アマ戦績:150戦超(勝敗等詳細不明)
2016年リオ五輪代表候補
WSB(World Series of Boxing):4戦3勝(1KO)1敗
※ロニエル・イグレシアス(2012年ロンドン五輪L・ウェルター級,2020年東京ウェルター級金メダル,2008年北京L・W級銅メダル/北京~東京4大会連続出場)に2-1判定勝ち
試合映像(ハイライト):2016年2月27日/ハルキウ
オフィシャル・スコア:48-47/47-48/49-46
https://www.youtube.com/watch?v=Xc4Fy-6bdi8
身長:183センチ,リーチ:185センチ
右ボクサーファイター

◎オルティズ・Jr.(26歳)/前日計量:153.8ポンド
元WBAウェルター級ゴールド(V2/※王座消滅),前WBOインターナショナルウェルター級(V2/返上),元北米(NABF)S・ライト級(V0/返上)王者
※2021年8月WBAがゴールド王座廃止と暫定王座の運用変更(スーパー・正規との同時並行廃止)のを決定
戦績:21戦全勝(21KO)
アマ通算:140勝20敗
2016年ナショナル・ゴールデン・グローブス準優勝(L・ウェルター級)
2013年ジュニア・オリンピック優勝
身長,リーチとも178(180)センチ
※Boxrec記載の身体データ訂正済み
右ボクサーファイター


◎前日計量


◎フル映像
https://www.youtube.com/watch?v=aj2YgZYVO80

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■リング・オフィシャル:未発表


◎キック・オフ・カンファレンス
2024年7月12日



ストップの難しさ? /狂った読みと計算 - 重岡銀次郎 vs P・タドゥラン レビュー 3 -

カテゴリ:
■7月28日/滋賀ダイハツアリーナ,滋賀県大津市/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
IBF1位/元王者 ペドロ・タドゥラン(比) 9回TKO 王者 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

fight1

銀次郎を終始圧倒し続けた、タドゥランの超攻撃的なファイター・スタイル。ヒントになったのは、5年前の秋にIBFの王座決定戦で対峙したサミー・サルヴァ戦だと思う(勝手な想像・憶測)。

”静かなる暗殺者(Silent Assassin)”の異名を取るサルヴァは、公称155センチの小兵ボクサーで、年齢はタドゥランと同じ27歳。まずまずパンチがあって、技術的にもワールドクラスの水準を満たす好選手だ。

フィリピン国内限定にはなるが、アマチュアで数多くの戦果を残していて、一応2016年のリオ五輪出場を目指していたらしい。デビューは2016年1月で、始めから新興プロモーションRCJの傘下で戦い、ジェルウィン・アンカハスを長年サポートしたジョーヴェン(ホヴェン)・ヒメネスの指導を受けている。

アンカハスを保有するMPプロモーションズ(パッキャオの興行会社)との関わりも当然深い。この試合もMPの主催で、以下にご紹介する試合映像(Boxnation:英国のサブスクCh.)の冒頭、インタビューのトップバッターを務めているのは、幾多の曲折を経てMPの代表に納まったショーン・ギボンズ。次いでジョーヴェン・ヒメネスの順。


決定戦が承認通告された時点でのIBFランキングは、サルヴァが1位でタドゥランが3位(2位:空位)。ギボンズとパックマンが期待を寄せていたのは、赤コーナーのサルヴァだった。

オーソドックスなので銀次郎とは左右の違いはあるが、ミニマム級でも小さな部類に入るサイズとともに、変則的な小細工やラフ&ダーティに頼らない正攻法も共通点と言える。最新のレコードは、20勝(13KO)1敗。今のところ、負けたのはタドゥランのみ。

◎試合映像
タドゥラン TKO4R終了 サミュエル・サルヴァ(比)
2019年9月7日/フラド・ホール(サロン・フラド:Jurado Hall),タギッグ・シティ(マニラ近郊/比)
※第4ラウンドまでのオフィシャル・スコア:三者とも37-37
IBF M・フライ級王座決定12回戦


対戦当時はともに22歳。勢い良く突っかけたのはタドゥランで、思い切りのいいワンツーもろともどんどん攻め立てボディも叩く。しかし、下がりながらも落ち着いて観察するサルヴァは、ロープを背にして入って来るタドゥランに右ショートのカウンターをヒット。先制のダウンを奪う(1分30秒辺り)。

オーソドックスの右の打ち終わり、引き手の戻りに合わせて速くて強い左ストレートを打ち込むタドゥランのタイミングと技術は、既にこの試合で完成の域に達しているが、前がかりになってガードがお留守になる隙を逃さず、右ショートを決めるサルヴァのセンスとスキルもお見事。

完全アウェイのタイで前王者ポーンに雪辱を許した後、減量苦を理由にバンタムに上げた若きファイティング原田を一瞬で地獄に叩き落した伝説の”ロープ際の魔術師”、ジョー・メデル必殺のカウンターを思い出した。

ところが、直ちにスックと立ち上がったタドゥランはフラつきもせず、何事もなかったかのごとくエイト・カウントを聞く。打たれ強さと屈強頑健な肉体は生来のものらしく、5年後の現在と何も変わらない。

残念なことに、キラリと光るタイミングとセンスを披露したサルヴァも、決定力は伝説の拳豪メデルに遠く及ばなかった。もっとも、相手の勢いに押されている時のパンチは、威力が半減して見えることが多く、一度び気負け(位負け)してしまうと容易に流れを引き戻せない。この日の銀次郎も、30余年前の辰吉もまったく同じである。


そして、再開後のタドゥランがとんでもなかった。ダウンを一気に挽回しようと、突進のギアを一段上げる。ガードがバラけないよう肘をコンパクト(内側)に絞り、セミクラウチングの構えを徹底。

しっかり顎を引いた頭をガードの中に埋めて、良かった頃のパッキャオのように、左右に小さく振りながら前進を続けて手数も増やす。これが思いのほか奏功する。自分のフィジカルの強さとパンチ力に、はっきり手応えを掴み自信を持った。

fight3

タドゥランの気迫とキツさを増すプレッシャー&パワーに気圧されて、サルヴァが見る間に余裕を失う、一息つく間もなく防戦に追われるサルヴァは、第4ラウンドにバッティングの反則(故意に2度ぶつけた)で減点の宣告を受ける。

頭突きをしないと、タドゥランの圧力を押し返すことができない。苦し紛れの故意と瞬時にわかる行為を見て、主審のダンレックス・タプダサンが脱兎のごとく駆け寄り注意をするも、同じ過ちを繰り返して言い訳のできない減点。本来クリーン・ファイトを身上にするサルヴァが、そこまで追い詰められていた。

第3~4ラウンドの6分間、思うがままに打ち据えられたサルヴァは完全に戦意を喪失。第5ラウンド開始のゴングに応じなかった。しっかり余力を残しての棄権撤退について、賛否が分かれるのは仕方がない。


タドゥランは詰めに入っている分、どうしても守りへの意識が手薄になり、カウンターで逆襲されるリスクも拡大する。青息吐息で必死に逃げ回る第4ラウンドの途中、サルヴァは右ストレートを1発返してタドゥランの顎を跳ね上げ、このパンチは結構効いていた。

「攻撃は最大の防御なり」を地で行く突貫ファイタースタイルは、守りの穴,隙も拡大しがちである。ディフェンス一辺倒になりながらも、打ち返せばそれなりに当たる為、コーナーは棄権の判断を迷う。

瀕死の瀬戸際を気力だけで凌ぐ王者のコーナーも、まさにこのジレンマに陥った。命と引き換えに戦い続けることになった穴口の真正ジムも同様で、ピストン堀口の大昔(太平洋戦争前)から連綿と続く、”頑張らせ過ぎる悪弊”から、日本のボクシング界は未だに抜け出すことができずに足踏みを続けている。


サルヴァと彼のコーナーは、名誉ある継続=満身創痍の敗退を良しとはせず、残された時間(未来)を選択優先した。いたずらにダメージを積み重ねて、競技人生は勿論のこと、ボクシングを辞めた後の長い人生まで棒に振るようなことがあってはならない。

fight_fin

かりそめにも世界タイトルマッチで、この諦めの早さ、勝負に対する執着の薄さは幾ら何でも・・・との批判は甘んじて受けるしかない。

「あと、もう1~2ラウンズやらせてみよう。ひょっとしたら・・・」

タオルを手にしながら試合放棄の意思表示を逡巡している間にも、リングの中は動き続けて、時々刻々状況は変わり続ける。単なる劣勢が手遅れの事態に発展しかねない。その変化は、薄紙1枚の表裏一体。

カリフォルニア大学バークレー校で、同大学が運営する理論物理学センターの所長を兼務する野村泰紀教授によれば、時間を巻き戻すことは理論上可能なのだそうだが、一般的に時間は巻き戻せないし、終わってしまったことをやり直すことはできない。


ラバナレスの猛威を跳ね返すだけの、充分なフィジカルとメンタルを用意できなかった辰吉が、ズルズルと後退を続ける中で余計なダメージを溜め込み、ジリ貧の劣勢を余儀なくされた挙句滅多打ちを食らったように、銀次郎もタドゥランの覚悟と勢いに呑まれてしまう。

「これは勝てないな・・・」

第1ラウンドが終わった時点で、銀次郎の敗北を半ば受け入れ観念した。銀次郎も都度打ち返して、何とかタドゥランを下がらせようとするのだが、いつもの迫力と力強さがほとんど感じられない。時に暴虐ですらある銀次郎のパンチが、頼りなく弱々しく見える。

この点もラバナレス第1戦の辰吉と同じで、到底打ち勝てるとは思えなかった。暗澹たる思いで、この後続くであろうラウンドを思い描き、悲観するしかなかった。勝負事における気負け・位負けの恐ろしさ。


ワタナベの陣営も、サルヴァ戦の試合映像だけ見逃したとは考えづらい。チェックしていたに違いないし、銀次郎も戦前のインタビューで「ディフェンスへの意識」に言及していた。

タドゥランのリズムとテンポで打たせ続けると、ちょっとどことではなく面倒なことになるとの認識はあったと確信するが、「まさかここまでとは・・・」という状況だったとも思う。

と言うのも、サルヴァ戦を除く4度の世界戦における戦い方は、”好戦的なボクサーファイター”の範疇に止まるからだ。どの試合を見てもパワーには目を惹かれるが、ファイター化の度合い、徹底の仕方がまるで違っていた。銀次郎に対する「オフェンス全振り」は、サルヴァ戦をも凌ぐ。


ポイントになるのは、やはりサイズとフィジカル。渡タイしてワンヘン・メナヨーティンに初挑戦したのは2018年夏、タドゥランはまだ21歳で、戦績も13戦目(12勝9KO1敗)。経験不足が否めず、完全アウェイのタイを考えれば、判定まで粘れただけでも良しとすべきではある。

そして、前日計量後のリカバリー(リバウンド制限込みの当日再計量はIBFのみ)をガッチリ利用するワンヘンは、公称のサイズ(H:158センチ/R:164センチ)が信じ難いほど上半身に厚みがあって、163センチのタドゥランにまったく見劣りしないし、押し合っても体負けしない。

◎試合映像:ワンヘン・メナヨーティン(タイ) 判定12R(3-0) タドゥラン
2018年8月29日/ナコーンサワン県(タイ)
※オフィシャル・スコア:115-111,118-108,117-110
WBCストロー級王座挑戦


◎タドゥランが世界戦及びエリミネーターで対峙したボクサーのサイズ
<1>銀次郎:H153センチ/R156センチ
<2>J・アンパロ:H164/R168
<3>R・M・クアルト:H156/R157
<4>D・バラダレス:H159/R160
<5>S・サルヴァ:H155
<6>ワンヘン:H158/R164

ワンヘン以外はすべてIBFだから、例外なくリミット+10ポンドの増量制限を受ける。ただし、当日の再計量は早朝に実施される為、クリア後さらに食事と水分補給を続けてリカバリーが可能。午後早めの試合開始だと大変だが、夜のスタートなら消化までの時間に余裕が持てる。

銀次郎が113.3ポンド(51.4キロ)で当日の再計量を終えたのに対して、タドゥランは114.5ポンド(52キロ)。朝の時点で約1ポンド(約450グラム)の体重差が、この後のリカバリーでどこまで拡がっていたのか。


眼窩底骨折をきっかけにした眼筋マヒや網膜はく離は、試合が終わって一定の時間を経過してから発症するケースが少なくない。CTとMRIで発見即引退勧告(日本国内)の脳出血も同じで、何か悪いニュースが飛び込んできやしないかと気にもなりつつ、まずは銀次郎の無事な回復を願うしかない。


そしてタドゥランに敗れたサルヴァは、5年近くの間にローカル・ファイトを3戦(3KO)こなしただけで、2度目のチャンスは杳(よう)として行方が知れず。WBOだけが12位に留め置いてくれたのが、まさしく不幸中の幸い(WBCは37位・・・ランキングのうちに入らない)。

パンデミックによる足止めも痛かったが、なにしろ試合間隔が開き過ぎた。敵前逃亡と映っても止むを得ない終わらせ方が、その後の評価と期待値を厳しいものしてしまった可能性も否定できないが、そんなサルヴァにようやくスポットが当たりそうな気配。


来月24日、吹田市の大和アリーナで再起が決まった銀次郎の兄、優大の相手に抜擢されたのである。銀次郎がアンパロを2回KOに屠り、2度目の防衛に成功した3月31日の名古屋興行に出場した優大は、周知の通りメルビン・ジェルサレム(比)に2度のダウンを奪われ、僅差の1-2判定負け。虎の子のWBC王座を失った。

兄弟揃って好戦的なスタイルをベースにしているが、優大は高校時代のように前後のステップを使った方が、もっと自然に余裕を持って戦えると思う。ジェルサレムのハンド・スピードと踏み込みのタイミングに十分目を慣らすことなく、強気一辺倒のオラオラ・ファイトで自滅した前戦の失敗を、優大とワタナベジムが糧にできたのかできていないのか。

「急がば回れ」

優大の出方次第にはなるけれど、流石にタドゥランのパワー・ボクシングを真似るのは難しい。駆け引きと崩しの手間を惜しまず、丁寧な組み立てを心がけないと、サルヴァの術中にハマって悪夢の連敗を招く恐れも有り得る。


次章へ続く


◎銀次郎(24歳)/前日計量:104.7ポンド(47.5キロ)
※当日計量:113.3ポンド(51.4キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
戦績:13戦11勝(9KO)1敗1NC
世界戦:5戦3勝(3KO)1敗1NC
アマ通産:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
脈拍:58/分
血圧:136/83
体温:36.5℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎タドゥラン(27歳)/前日計量:104ポンド(47.2キロ)
※当日計量:114.5ポンド(52.0キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
元IBF M・フライ級王者(V1)
戦績:22戦17勝(KO)4敗1分け
世界戦:5戦1勝(1KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
脈拍:48/分
血圧:146/82
体温:36.3℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター

weighin

105ポンドのリミット上限を1ポンドアンダーして、当日朝の再計量(IBFのみ)でも、リミット+10ポンドのリバウンド制限をしっかり守ったタドゥラン。

セカンド・ウェイ・インが終わった後、たっぷり食事を採って水分補給もしっかり行い、リングに上がった上半身はさらに大きくなっていたが、前日計量の時点で両雄の骨格の違いが目に付く。

105ポンドの調整は、加齢とともに加速度的に過酷さを増している筈で、コンディションを考慮した階級アップは意外に早いかもしれない。


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■オフィシャル

主審:スティーブ・ウィリス(米/ニューヨーク州)

副審:第8ラウンドまでのスコア:0-3でタドゥラン
アダム・ハイト((豪):74-78
ジェローム・ラデス(仏):75-77
マッテオ・モンテッラ(伊):74-78

立会人(スーパーバイザー):ベン・ケイティ(豪/IBF Asia担当役員)


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■試合映像
<1>ABEMA公式:第1ラウンドのみ
https://www.youtube.com/watch?v=2qlC-XFO_EA

<2>ファンによる撮影
ttps://www.youtube.com/watch?v=7_YAb6Rl4aE


P4Pランク1位を奪還? 我こそは世界最強・最高/4階級制覇に挑むネブラスカの雄 - マドリモフ vs クロフォード プレビュー -

カテゴリ:
■8月3日/BMOスタジアム,ロサンゼルス/WBA正規・WBO暫定世界級S・ウェルター級タイトルマッチ12回戦(WBO暫定:決定戦)
WBA王者 イスマイル・マドリモフ(ウズベキスタン) vs 前4団体統一/WBA・WBOウェルター級王者 テレンス・クロフォード(米)


※ファイナル・プレス・カンファレンス(フル映像)
https://www.youtube.com/watch?v=XDTrFTJqfzw

栄えあるリング誌P4Pランキング1位の座を、クルーザー級に次いでヘビー級でも4本のベルトをまとめたオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)に追われただけでなく、またしても我らがモンスター,井上尚弥の後塵を拝してしまったクロフォードが、とうとう4つ目となるS・ウェルター級に進出。

今年3月、中東リヤドでロシアのタフ・ガイ,マゴメド・クルバノフを5回TKOに下して、空位のWBA王座に就いたばかりのマドリモフにアタックする。
※メインはA・ジョシュア vs F・ガヌー

さらに、ティム・ジュー(豪)を破って154ポンドのWBC・WBO統一王座に就いたセバスティアン・ファンドーラ(米)に対して、クロフォードとの指名戦履行を通告済みのWBOが、何故か暫定王座決定戦を承認。「逃がさないぞ」というダメ押しのつもりなのだろうが、そもそもクロフォードにその気があるのかどうか。


「世界最強・最高のボクサーはこの俺だ。ウシクでもなければ井上でもない。ボクシングの何たるかについて、まともに理解している記者が少な過ぎる。」

昨年7月末にエロール・スペンスを完膚無きまでに叩きのめし、男子ボクサー史上初の「2階級+4団体統一」に成功。一旦はP4Pのトップに立ったクロフォードだが、リング誌の仕打ち(?)に甚く(いたく)ご立腹の様子。しかし、序列を落とした最大の理由は、自身の試合枯れにある。


122ポンド最強&キャリア最大の難敵と目されたスティーブン・フルトンを丸呑みにして、S・バンタム級の初陣を望み得るベストの内容と結果で飾ったジャパニーズ・モンスターの衝撃を、いとも簡単に塗り替えてしまったクロフォードは、あれから丸々1年リングに上がっていない。

最重量の2階級で4団体を統一したウシク(男子ボクサー史上3人目の快挙)は、ムラっ気と不摂生が珠に瑕に瑕とは言いつつ、ヘビー級No.1の評価が定着したタイソン・フューリー(英)からダウンを奪って明白な判定勝ち。

ウシクのパフォーマンスについて疑問を呈する声もあるにはあったが、母国を見舞った戦禍の中で緑のベルトを巻いたことも、投票権を有する記者とライター,編集者たちの心を動かしたことは疑う余地が無い。

そしてフルトンからWBCとWBOの王座を奪取した我らがモンスターは、年末にマーロン・タパレス(比)を10ラウンドで粉砕してWBAとIBFも吸収。クロフォードに先を越されはしたが、男子史上2人目となる「2階級完全制覇」を達成した。

さらに今年5月、タイソン vs ダグラス戦以来となる東京ドーム興行を実現して4万人超を動員。日本ボクシング界の怨敵,ルイス・ネリー(メキシコ)を3度倒して6回にフィニッシュ。統一王座の初防衛にも成功。

初回に喫した生涯初のノックダウンには肝を冷やしたが、2ラウンド以降は完璧と称すべき攻防でネリーを圧倒。9月3日には、モンスターからスパーリング・パートナーとして重用され、一躍注目されたジャフェスリー・ラミド(米)を右の一撃で吹っ飛ばし、再評価されたアイルランドの豪腕T・J・ドヘニーの挑戦を受ける。


やはり、チャンピオンは防衛してナンボ。戦ってこそのプロボクサー。ジャロン・エニス(米)との指名戦指示を無視してIBFからはく奪処分を受けると、154ポンド挑戦の意向を受けたWBCが、恒例と化した感さえある休養王者移行を発動。

「統一チャンプを、どうしてもっと大事にできないのか・・・。」

手前勝手な事情と都合で指名試合を義務付けして、ダメならあっさり王座を召し上げる認定団体の野暮に深い溜息をつきながらも、「長い競技人生の疲れもあるだろうし、明らかにしていないだけで、拳やどこかに古傷の1つや2つあってもおかしくはない。でも、1年は休み過ぎよなあ」と素直にそう思う。

大型(183センチ)のIBF王者バフラム・ムルタザリエフ(ロシア/22戦全勝16KO/31歳)、ジューからWBCとWBOの王座をもぎ取った超大型(193センチ)のセバスティアン・ファンドーラ(米/21勝13KO1敗1分け/26歳)を避けて、ほぼ同じサイズでプロキャリアが最も浅いマドリモフを選んだ。

この辺りの計算高さは、小さからぬマイナス要因にならざるを得ないけれど、スペンス戦並みのワンサイドで4冠達成となれば、P4P1位への返り咲きは現実味を帯びる。

◎公開練習

※フル映像
https://www.youtube.com/watch?v=iQnqnEGE1wo

戦前のオッズは、かなりの差でクロフォードを指示。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>BetMGM
マドリモフ:+450(5.5倍)
クロフォード:-600(約1.17倍)

<2>betway
マドリモフ:+500(6倍)
クロフォード:-699(約1.14倍)

<3>ウィリアム・ヒル
マドリモフ:4/1(5倍)
クロフォード:1/6(約1.17倍)
ドロー:16/1(17倍)

<4>Sky Sports
マドリモフ:6/1(7倍)
クロフォード:1/6(約1.17)
ドロー:25/1(26倍)

フィジカルの厚み&強度とパンチング・パワーは、7歳若い王者に分がある。しかし迫力がある分、ディフェンスの隙を含む攻防のキメに粗さが目立ち、スピード&シャープネスがイマイチのマドリモフ攻略は、抜群の安定感と磨き上げられた高い精度を誇るクロフォードにとって、それほどの難事とは思えない・・・とまあ、そんな感じだろうか。

◎試合映像:マドリモフ 5回TKO M・クルバノフ
2024年3月8日/キングダム・アリーナ(リヤド/サウジアラビア)
https://www.youtube.com/watch?v=GEF5MaGoxg8


クロフォードがこれまで通り万全な仕上がりで、どこにも怪我や病気の影響が無いとの前提にはなるが、7~8割方4冠達成は確実と見立てておく。

「スピードはパワーに優る」

ユーリ・アルバチャコフの卓越したボクシングを作り上げた名コーチ、アレクサンドル・ジミンが残した言葉である。

黒人特有のスピードと柔軟性に加えて、類まれなクィックネスと反応+特異なムーヴィング・センスを天から授かったパーネル・ウィテカーは、1984年のロス五輪でライト級の頂点を経てプロ入りすると、160センチ台半ば~後半のタッパ(公称168センチ/166センチ説も有り)をものともせず、ライト級から始まってJ・ウェルター(S・ライト),ウェルターと順に階級を上げて、問題なく3階級を制覇。

さらに1995年3月、154ポンドのWBA王座を連続10回守ったアルゼンチンの強豪フリオ・セサール・バスケス(179センチ/170センチ台半ば~後半と思われる)にアタック。バスケスの重厚な攻勢を捌いて、大差の判定勝ち(112-119,111-117,111-118)を収めた。

観戦した当時、オフィシャル・スコアは離れ過ぎとしか思えず、奮闘したバスケスを気の毒に思ったが、そうしたことより何に一番驚いたかと言えば、ウィテカーのフィジカルである。

ウェルター級のリミットより、7.5ポンド以上も重い153ポンド4/3で計量したにもかかわらず、ウィテカーの上半身に一切の弛緩は見られず、若干抑え目ではあったものの、アクロバティックなムーヴも健在。パワーに特化していないだけで、ウィテカーもある種のフィジカル・モンスターだったと確信する。


今になって録画映像を見返すと、ウェルターに上げた後のメイウェザーよりは遥かにオフェンシブで、リスクもちゃんと取っている。90年代の半ば~後半頃までは、完全決着を要求する伝統的な価値観がまだ残っていた。

ペレストロイカの波に乗って旧ソ連・東欧のステートアマが大量に流入するようになり、キューバも含めた旧共産圏からやって来る才能の最大の受け入れ先となったドイツと王国アメリカを中心に、アマチュアライクなタッチスタイルが流行り始めて、プロに求められるスタンダードも緩み出してはいたものの、現在とは単純に比較できない厳しい水準にあり、ディフェンシブな省エネ・スタイルはまだまだ軽蔑の対象だった。

ウィテカーの場合、相手を小馬鹿にする振る舞いと言動が災いして、ファンの支持をなかなか得られないことに始終イラついていたと記憶する。何の疑いも無く「自業自得」だと、随分長い間決め付けていたが、「省エネ・安全策」の定義も十年一日まったく同じではないのだと痛感させられる今日この頃・・・。

「巧過ぎるがゆえの不人気」

ひょっとしたら、クロフォードのボクシングにもそうした面があるのかもしれない。

◎試合映像:ウィテカー 判定12R(3-0) J・C・バスケス
1995年3月4日/コンヴェンション・センター(トランプ・プラザ/アトランティックシティ)
https://www.youtube.com/watch?v=s9t5h4qm9ag


◎マドリモフ(29歳)/前日計量:154ポンド
戦績:11戦10勝(7KO)1分け
アマ通算:350勝20敗
□シニア(エリート)
2017年世界選手権(ハンブルク/独):ミドル級ベスト8
2018年アジア大会(ジャカルタ/インドネシア):ミドル級金メダル
2017年アジア選手権(タシケント/ウズベキスタン):ミドル級金メダル
2014年アジア大会(仁川/韓国):ウェルター級銀メダル
2016年ウズベキスタン国内選手権:ミドル級優勝
2014年ウズベキスタン国内選手権:ウェルター級準優勝
□ユース・ジュニア
2011年ジュニア(U-17)世界選手権(アンタルヤ/トルコ):ライト級銀メダル
2013年アジアユース選手権(サンバレス州スービック/ルソン島・比国):ウェルター級銀メダル
2013年ウズベキスタン国内選手権:ウェルター級優勝
身長,リーチとも174センチ
右ボクサーファイター


◎クロフォード(36歳)/前日計量:153.4ポンド
戦績:40戦全勝(31KO)
アマ通算:58勝12敗
2007年全米選手権3位
2006年ナショナル・ゴールデン・グローブス準優勝
2006年全米選手権3位
2006年ナショナルPAL優勝
※階級:ライト級
身長:173センチ,リーチ:188センチ
左右ボクサーファイター(スイッチ・ヒッター)

□世界戦通算:18戦全勝(15KO)
※2016年11月(J・ウェルター級時代)~11試合連続KO防衛中
<1>WBOライト級王座:V2/2014年3月~11月返上
<2>WBO J・ウェルター級王座:V6/2015年4月~2017年10月返上
<3>WBC S・ライト級王座:V3/2016年7月~2018年2月返上
※2団体統一
<4>WBA・IBF王座:V0/2017年8月~(WBA:2017年10月返上/IBF:2017年8月返上)
※4団体統一
<5>WBOウェルター級王座:V7/2018年6月~在位中
<6>WBA・WBC・IBFウェルター級王座:V0(WBC:2023年7月~2024年5月休養王者/IBF:2023年7月~11月はく奪)

◎前日計量


◎フル映像
https://www.youtube.com/watch?v=3mPHG20gf5w


流石はクロフォード。かつてのウィテカーに引けを取らない引き締まり方で、仕上がりに抜かりは無いようだ。上半身の厚みも、心配したほどの違いは無い。あくまで見た目の印象に過ぎず、具体的な数値はわからないが、マドリモフはこれから一気に体重を戻してさらに大きくなる(おそらく170ポンドを少し超える程度=L・ヘビー級)。

クロフォードはどのくらい増やすつもりなのだろう。


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■リング・オフィシャル:未発表


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■主なアンダーカード
S・ミドル級からL・ヘビー級に上げたデヴィッド・モレル(キューバ)が、セルビアのラディヴォジェ・カラジッチとWBA王座の決定戦に臨む。

ローリー・ロメロ(米)からWBA S・ライト級王座を奪ったイサック・クルス(メキシコ)は、25歳の中堅ホセ・バレンズエラ(米)との初防衛戦。163センチの小兵をものともしない突貫ファイトで、圧倒的なKO決着に期待が集まる。

引退発言で物議を醸したヘビー級のニューカマー,ジャレッド・アンダーソンに、コンゴのマーティン・バコール・イルンガ(元クルーザー級王者イルンガ・マカブの実弟)が挑むローカル王座戦をセミセミ格でセット。

2022年9月のルイス・オルティス戦以来、すっかり音沙汰のなかったアンディ・ルイスが、ようやっと重い腰を上げる。太り過ぎの似た者同士ながら、ロートル化が隠せなくなってきたジャレル・ミラーとの12回戦を予定。

ドーピング違反でアンソニー・ジョシュア戦をすっ飛ばしたミラーは、2年間のサスペンドに処されてしまう。2019年の暮れから2022年の初夏までのレイ・オフは、武漢ウィルス禍に重なり、ジムワークが困難な状況も相まって、完全に休む期間が長かったと想像する。

同じリングで、難病からの完全復帰を目指すヴァージル・オルティズ(米)と相まみえる筈だったティム・ジュー(豪/ロシア)が、王座を失った3月末のセバスティアン・ファンドーラ戦で負った負傷(頭部をカットして大量出血)が癒えずにキャンセル。

不運が続くリアル・ギフテッド(本物の天才)に、リアルなチャンスが一刻も早く巡って来ることを切に願う。などと取りとめの無いことを考えいていたが、WBCが今月10日に暫定王座戦を承認済み。

ジュー vs ファンドーラ戦と同じ3月30日の興行で、ブライアン・メンドーサ(米)を12回3-0判定に下して暫定王者に認定されたセルゲイ・ボハチュク(ウクライナ)に、ラスベガスのミケロブ・ウルトラ・アリーナ(旧名称:マンダレイ・ベイ・イベントセンター)で挑戦する。

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