”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 3 -

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”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 2 -

■5月24日/インテックス大阪5号館,大阪市住之江区/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 ペドロ・タドゥラン(比) 判定12R(2-1) 前王者/IBF4位 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

勝者タドゥランが告げられた瞬間、国家演奏の時のように左胸に手を当てて天を仰ぐ銀次郎

続いて、第1戦と第2戦を任された2人のレフェリー、スティーブ・ウィリスとチャーリー・フィッチにライセンスを許可したニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)のルールも確認してみる。

ひょっとしたら、WBA・IBF・WBOと同じく、個別具体的な反則行為を列挙していないかもしれない・・・と思って見たら案の定、「相手を押さえつける」行為の記述はあるが、その状態からの加撃については明記されていなかった。

Law, Regulations, and Policies for Athletic Commission - Rules and Regulations
□19 NYCRR Parts 206 - 214
PART 206 - Commission Powers and Duties

NYSACルールにおけるファウル規定

「NYSACともあろうものが・・・・」

少々大袈裟になるが、言葉を失った。ニューヨークと言えば、今を去ること100余年前、「マフィアとギャングをボクシング興行の表舞台から一掃する」との大目標を掲げて、1920年にアスレチック・コミッション制度を発足させた州であり、合衆国政府とニューヨーク州の決意と覚悟を象徴する存在でもある。

殿堂と呼ばれるマディソン・スクウェア・ガーデン、旧ヤンキー・スタジアムとポログラウンドを舞台に、綺羅星のごとき大スターたちが頂点を目指して激しく争い、近代ボクシングの歴史そのものとも称すべき、名勝負の数々を繰り広げてきた。

そのNYSACが、この程度の反則しか規定していない。個別具体的な反則行為について、1発減点や失格に直結する「重大な反則(Major fouls)と、直ちに処罰の対象とはならない「軽微な反則(Minor fouls)」に分けて記載されてはいるものの、「軽微な反則(Minor fouls)」の先頭に、「相手を押さえつける」,「故意による執拗なクリンチ」を置いているのみ。

「これでいいのか」と率直にそう思う。せめてWBCと同じ水準であって欲しいと考えるのは、きっと拙ブログ管理人だけではないと信じる。

左:スティーブ・ウィリス/右:チャーリー・フィッチ

ウィリスとフィッチが主に仕事をするニューヨーク州内では、タドゥランと銀次郎のケースが不問に処されても直接的に文句を言いづらい。2名のレフェリーは、ルール上間違っていないことになってしまう。

では、開催地の大阪を所管するJBCルールとの整合性はどうなるのか。試合が行われたのはニューヨークではなく大阪である。しかし前章で触れた通り、肝心要のJBCが日和見の及び腰だから、そもそも話し合いにすらない。

試合直前に行われるルール・ミーティングの席上、銀次郎を擁するワタナベジム側から、ホールディング状態での加撃について、ルールの再確認とチェックの要望が出ない限りにおいては。それがそのまま通るか否かは別問題にしても・・・。


WBA・IBF・WBOの3団体が、どうして反則行為を具体的に規定していないのか。それには一応の理屈がある。

試合中に発生し得る反則について、認定団体に取って第一に必要な規定は、その反則が故意(Intentional foul)か偶発(Accidental foul)を速やかに判別する為の分類定義であり、第二にそれらの反則に対して科すべき罰則の規定、減点と失格(反則負け)に関するペナルティを明確に決めておかなくてはならない。

そしてその次は、故意であれ偶発であれ、反則を受けた側の選手が怪我等で続行できなくなった場合、どのように決着させるのか。故意であるとレフェリーが判断すれば、当然反則負けになる。では、偶発的な反則だったとレフェリーが判断したらどうするのか。

これらをルール上明確にしておくことが先決で、具体的な反則行為についての規定は、大変に遺憾ではあるものの、これらの次かそのまた次,というのが実態。”遺憾砲”ではどうしようもないのは百も承知だが、こればかりは”如何”ともし難い。

認定団体はタイトルマッチを承認こそすれ、試合(興行)を直接管理運営する立場にはなく、試合が行われる中で生じ得る様々なトラブルやアクシデント(故意・偶発に関わらず)、不測の事態に即応・収拾する為、開催地を所管する地元コミッションのルールに委ねるケースも当たり前に発生する。


世界各国で開催される世界,及び地域のタイトルマッチに必ず派遣・臨席する立会人(スーパーバイザー)の役割は、それぞれの認定団体が定めるチャンピオンシップ・ルールが、正しく守られているか否かの確認が第一であり、レフェリーが判断に困るような事象が発生した場合、地元コミッションから派遣される責任者(一般的に世界戦の場合は事務局長)と相談しながら解決に当たらなくてはならない。

そして本番直前に行われるルール・ミーティングの席上、地元コミッション及び両陣営の代表者(事務局長及びインスペクター等)らとともに、認定団体とコミッションルールに関する疑問や質問に関する確認も行う。

個別具体的な反則行為の規定は、地元コミッション・ルールに帰属すべき項目だとの認識と見解を、WBA・IBF・WBOは示しているのではないかと推察できる。


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◎タドゥラン(28歳)/前日計量:104.5ポンド(47.4キロ)
※当日計量:114.9ポンド(52.1キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
(4回目でパス/1回目:52.4キロ,30分後2回目:52.3キロ,+100分後3回目:52.25キロ)
元IBF M・フライ級王者(V2)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分け
世界戦:7戦3勝(2KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
血圧:137/102
脈拍:56/分
体温:36.1℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎銀次郎(25歳)/前日計量:104.9ポンド(47.6キロ)
※当日計量:114.2ポンド(51.8キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
現在の世界ランク:IBF4位/WBO10位
戦績:14戦11勝(9KO)2敗1NC
世界戦:6戦3勝(3KO)2敗1NC
アマ通算:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
血圧:125/70
脈拍:62/分
体温:36.6℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:チャーリー・フィッチ(米/ニューヨーク州)

副審:2-1で王者タドゥランを支持
ジル・コー(比):115-113
デイヴ・ブラスロウ(米/メリーランド州):113-115
中村勝彦(日/JBC):118-110

立会人(スーパーバイザー):ジョージ・マルティネス(カナダ/チャンピオンシップ・コミッティ委員長)


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2026年春,東京ドーム開催決定!? - 年間表彰式で予期せぬビッグ・サプライズ Part 6 -

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■55年前に実現していた現役世界王者対決

左:小林弘(WBA世界J・ライト級チャンピオン)vs 右:西城正三(WBA世界フェザー級チャンピオン)

◎ジュニア・クラスの真実

モンスター井上尚弥のワールドレコードに関する記事の中で既に触れているが、ジュニア・クラスの歴史的位置付け、正統8階級(オリジナル8)との格差について、概略のみあらあためて記しておく。

軽量級を中心したジュニア・クラスの増設が相次いで行われ出す1970年代半ば以前、19550年代末~70年代前半までのプロボクシングは、以下の通り全11階級が規定されていた。

■正統8階級
(1)ヘビー級:175ポンド(79.38キロ)~
(2)L・ヘビー級:~175ポンド(79.38キロ)
(3)ミドル級:~160ポンド(72.57キロ)
(4)ウェルター級:~167ポンド(66.68キロ)
(5)ライト級:~135ポンド(61.24キロ)
(6)フェザー級:~126ポンド(57.15キロ)
(7)バンタム級:~118ポンド(53.52キロ)
(8)フライ級:~112ポンド(50.8キロ)

■ジュニア・クラス
(9)J・ミドル級:~154ポンド(69.85キロ)
(10)J・ウェルター級:~160ポンド(63.5キロ)
(11)J・ライト級:~130ポンド(58.97キロ)

近代ボクシング発祥の地である英国と、19世紀半ばに英国から世界最強の象徴とも言うべきヘビー級王座を奪い、19世紀末~20世紀末までのおよそ100年間ヘビー級を支配し、世界最大規模のマーケットを築いた米国を中心とした欧米諸国では、正統8階級の歴史と伝統を重んじる余り、ジュニア・クラスを軽視(蔑視)する傾向が永く続いた。

1920年代に新設されたJ・ウェルター級とJ・ライト級は、「ライト級とウェルター級で通用しない連中を集めたお助け階級」とみなされ、人気と実力を兼ね備えたトップクラスのスター選手と、それらの人気選手を擁する有力プロモーターから敬遠される。

ライト級,J・ウェルター級,ウェルター級を制覇したバーニー・ロスと、フェザー級,ライト級,J・ウェルター級を獲ったトニー・カンゾネリは、1920年代後半~1930年代末までのおよそ10年余りの間、全8階級のうち3階級を同時制覇したヘンリー・アームストロングらとともに、米国中量級を大いに沸かせたライバルでもあったが、最近まで「2階級制覇王者」として扱われていた。

「地味で目立たす稼げない階級」に甘んじるだけでは済まず、そもそも世界チャンピオンとして認められない。以下に記す通り、2つのジュニア・クラスは四半世紀に及ぶ長い休眠期間を経て、1950年代末に復活。安定的なランキングの形成と王座継承がようやく可能となる。


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◎J・ウェルター級
<1>初代王者:ピンキー・ミッチェル(米/V0)
1923年1月30日/ウィスコンシン州ミルウォーキー,バド・ローガン(米)に10回判定勝ち
※NBAによる認定(在位:~1926年9月21日)

<2>王座推移
第2代:マッシー・キャラハン(米)1926年9月21日~1930年2月18日(V2)
第3代:ジャック・キッド・バーグ(英)1930年2月18日~1931年4月24日(V9)
第4代:トニー・カンゾネリ(米)1931年4月24日~1932年1月18日(V4)
第5代:ジャッキー・ジャディック(米)1932年1月18日~1933年2月20日(V1)
第6代:バトリング・ショウ(米/メキシコ)1933年2月20日~5月21日(V0)
第7代:カンゾネリ(米) 1933年5月21日~6月23日(V0)
第8代:バーニー・ロス(米)1933年6月23日~1935年(V9/返上:日時不明)
※1933年10月ライト級王座を獲得したロスが返上後休眠状態へ

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※一時的な復活
<3>第9代王者ティッピー・ラーキン(米/V1)
1946年4月29日/マサチューセッツ州ボストン,ウィリー・ジョイス(米)に12回判定勝ち
※NYSAC公認ライト級王座に続く2階級制覇。ラーキンが防衛戦を行わないまま消滅/再び休眠状態へ

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※本格的な再開
<4>第10代王者カルロス・オルティス(米/プエルトリコ)
1959年6月12日/MSG・ニューヨーク,ケニー・レイン(米)に2回KO勝ち
※NBAとニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)による同時認定(在位:~1960年9月1日/V2)

カルロス・オルティス

N.Y.のプエルトリカン・コミュニティの圧倒的な支持を受け、殿堂と呼ばれたマディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)の新たな顔となったオルティスにベルトを巻かせるべく、ロスから数えて約24年、ラーキンからでも13年ぶりとなる王座復活。

1920年代初頭の設立当初からNBAとの折り合いが悪く、事あるごとに反目対立するNYSACは、初代王者P・ミッチェル以来J・ウェルター級を無視黙殺し続けてきたが、殿堂MSGのボクシング興行を支えるオルティスとあって、NBAに相乗りする格好で世界王座を同時承認。

デュリオ・ロイ(伊)とのリマッチに敗れたオルティスは、一念発起してライト級に階級ダウン。2度の載冠で通算9回の防衛に成功して、60年代のライト級を支配。殿堂MSGを常に満杯にするスターとして君臨した。第1期政権の初防衛戦は、唯一無二の来日。帝拳期待の小坂照男の挑戦を受け、5回KOで一蹴している。

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<5>王座推移
(1)WBA(NBA:1962年)
第11代:デュリオ・ロイ(伊)1960年9月1日~1962年9月14日(V2)
第12代:エディ・パーキンス(米)1962年9月14日~12月15日(V0)
第13代:D・ロイ(伊)1962年12月15日~1963年1月(返上/V0)
第14代:ロベルト・クルス(比)1963年3月31日~6月15日(V0)
第15代:E・パーキンス(米):1963年6月15日~1965年1月18日(V2)
※高橋美徳(よしのり/三迫)の挑戦をワンサイドの13回KOで退けた初来日以降、ライオン古山(笹崎),龍反町(野口),英守(大星)と章次(ヨネクラ)の辻本兄弟と対戦。繰り返し日本に呼ばれて、1960~70年代の国内中量級を代表するトップクラスを寄せ付けない圧倒的な技巧で日本のファンにも愛された。負けたのは、キャリア最晩年(連敗中)に胸を貸した辻本章次のみ(最後の来日)。37歳のパーキンスに判定勝ちした辻本章次は、磐石の日本王者に成長。日本人初のウェルター級王座挑戦を実現した(1976年10月27日/金沢:早熟の怪物的パンチャー,ホセ・ピピノ・クェバスに6回KO負け)。

第16代:カルロス・”モロチョ”・エルナンデス(ベネズエラ)1965年1月18日~1966年4月2日(V2)
第17代:サンドロ・ロポポロ(伊)1966年4月2日~1967年4月30日(V1)
第18代:藤猛(米/日:リキジム所属)1967年4月30日~1968年12月12日(V1)
※1968年月WBC(同年月WBAからの独立を宣言)が王座をはく奪/WBA単独認定となり王座が分裂
第19代:ニコリノ・ローチェ(亜)1968年12月12日~1972年3月10日(V5)
第20代:アルフォンソ・フレーザー(パナマ)1972年3月10日~10月29日(V1)
第21代:アントニオ・セルバンテス(コロンビア)1972年10月29日~1976年3月6日(V10)
第22代:ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)1976年3月6日~12月(V2/返上)
※歴代最年少記録を更新する17歳5ヶ月での載冠。名王者セルバンテスを相手の大番狂わせは、国際的なヘッドラインとして報じられ世界中を驚嘆させた。

第23代:A・セルバンテス(コロンビア)1977年6月25日~1980年8月2日(V6/通算V16)
第24代:アーロン・プライアー(米)1980年8月2日~1983年10月25日(V8/返上)
※1983年4月WBAに造反した米国東部を地盤にする旧NBA残党組みが旗揚げした新興団体IBFから王座の認定を受けて乗り換え。

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(2)WBC
単独認定初代:ペドロ・アディグ(比)1968年12月14日~1970年1月31日(V0)
メキシコと手を組みWBCの設立(当初はWBAの内部機関:事実上の下部組織)を主導したフィリピンは、同胞ロベルト・クルスの王座をWBAとともに承認。以降、藤猛まで5人の王者をWBAとともに認定したが、あらためて世界王座を誘致するべく、交通事故(諸々の待遇を巡るリキジムとの対立)を理由に戦線離脱を続ける藤のベルトをはく奪。クルスの後継者と目されるアディグに決定戦を承認。

第2代:ブルーノ・アルカリ(伊)1970年1月31日~1974年8月(V9/返上・引退)
第3代:ぺリコ・フェルナンデス(スペイン)1974年9月21日~1975年7月15日(V)
第4代:センサク・ムアンスリン(タイ)1975年7月15日~1976年6月30日(V1)
※ムエタイで無敵を誇ったセンサクが国際式転向僅か3戦目で載冠。最短奪取の世界記録として国際的な注目を浴びる。
第5代:ミゲル・ベラスケス(スペイン)1976年6月30日~10月29日(V0)
第6代:センサク(タイ) 1976年10月29日~1978年12月30日(V7/通算V8)
~今日に至るまで途絶えることなく継承


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◎J・ライト級
<1>初代王者:ジョニー・ダンディ(米/伊)
1921年11月18日/MSG・ニューヨーク,ジョージ・チェイニー(米)に15回判定勝ち
※NBAとNYSACによる同時認定(在位:~1923年5月30日/V3)

<2>王座推移
第2代:ジャック・バーンスタイン(米/伊)1923年5月30日~12月17日(V0)
第3代:J・ダンディ(米/伊)1923年12月17日~1924年6月20日(V0)
※バーンスタインに敗れた後、1923年6月26日、ニューヨークのポログラウンドでユージン・クリキ(仏)に15回判定勝ち。NYSACの公認を受けフェザー級王座に就く。J・ライト級王座と同時並行で保持した。

第4代:スティーブ・キッド・サリヴァン(米)1924年6月20日~1925年4月1日(V1)
第5代:マイク・バレリノ(米)1925年4月1日~12月2日(V1)
第6代:トッド・モーガン(米)1925年12月2日~1929年12月19日(V12)
第7代:ベニー・バス(米)1929年12月19日~1931年7月15日(V0)
※1927年12月~1928年2月までNBAフェザー級王座を保持(カンゾネリに敗れて陥落)
第8代:キッド・チョコレート(キューバ)1931年7月15日~1933年12月25日(V4)
第9代:フランキー・クリック(米)1933年12月25日~1934年(日時不明)
※防衛戦を行わないまま王座消滅。休眠状態へ。

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※一時的な再開
<3>第10代:サンディ・サドラー(米)
1949年12月6日/オハイオ州クリーヴランド,オーランド・ズルータ(米)に10回判定勝ち
※在位期間:不明(V1)

サンディ・サドラー

デラ・ホーヤが「史上最高のディフェンスマスター」と褒めちぎるイタリア系のスピードスター,ウィリー・ペップ(米)とフェザー級の頂点を懸けて4度戦い、ボクシング史に残るライバル争いを繰り広げたサドラーは、公称174センチ(リーチ178センチ)の超大型選手だった。フラッシュ・エロルデとも2度対戦。来日経験も有り。

ペップから奪ったベルトを再戦で奪還され、その後J・ライト級の王座認定を受けたが、何時まで保持したのかは不明。防衛回数もはっきりせず、1950年4月と1951年2月の2回防衛戦を行ったとされるが、50年4月のラウロ・サラス(メキシコ系米国人/後のライト級王者)戦のみとの指摘もある。

サドラー本人は返上を明言したことは無いらしく、NBAがはく奪を決定・通告したか否かもはっきりしない。1956年4月14日の敗戦(10回判定負け)を最後に、眼疾を理由に引退するまで保持していたとする説もあり、在米識者とヒストリアンの中には、サドラーを歴代J・ライト級王者に含めないとの意見もある。

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※本格的な再開
<4>第11代:ハロルド・ゴメス(米)
1959年7月20日/ロードアイランド州イーストプロヴィデンス,ポール・ヨルゲンセン(米)に15回判定勝ち
※NBAによる認定(在位:~1960年3月16日/V0)
F・クリックから数えて約26年、サドラーを王者に含めて防衛回数を2度とみなした場合でも約8年を経過。

<5>王座推移-認知と定着に貢献したエロルデの登場
第12代:フラッシュ・エロルデ(比)1960年3月16日~1967年6月15日(V10)

フラッシュ・エロルデ

第13代:沼田義明(日/極東)1967年6月15日~12月14日(V0)
第14代:小林弘(日/中村)1967年12月14日~1971年7月29日(V6)
※1968年1月WBC(同年月WBAからの独立を宣言)が王座をはく奪/WBA単独認定となり王座が分裂
第15代:アルフレド・マルカノ(ベネズエラ)1971年7月29日~1972年4月25日(V1)
第16代:ベン・ビラフロア(比)1972年4月25日~1973年3月12日(V1)
第17代:柴田国明(日/ヨネクラ)1973年3月12日~10月27日(V1)
※WBCフェザー級(V2)に続く日本で唯一の海外奪取による2階級制覇

第18代:B・ビラフロア(比)1973年10月27日~1976年10月16日(V5/通算V6)
第19代:サムエル・セラノ(プエルトリコ)1976年10月16日~1980年8月2日(V10)
第20代:上原康恒(日/協栄)1980年8月2日~1981年4月9日(V1)
※リング誌アップセット・オブ・ジ・イヤーに選出

第21代:S・セラノ(プエルトリコ)1981年4月9日~1983年1月19日(V3/通算V13)

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(2)WBC
単独認定初代:レネ・バリエントス(比)
1969年2月15日/,ルーベン・ナヴァロ(米)に15回判定勝ち
在位:~1970年4月5日

第2代:沼田義明(日/極東)1970年4月5日~1971年10月10日(V3)
※日本のWBC単独認定王者第1号
第3代:リカルド・アルレドンド(メキシコ)1971年10月10日~1974年2月28日(V5)
第4代:柴田国明(日/ヨネクラ)1974年2月28日~1975年7月5日(V3/通算V4)
第5代:アルフレド・エスカレラ(プエルトリコ)1975年7月5日~1978年1月28日(V10)
第6代:アレクシス・アルゲリョ(ニカラグァ)1978年1月28日~1980年4月27日(V8/返上)
※WBAフェザー級(V5)に続く2階級制覇
~今日に至るまで途絶えることなく継承


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◎WBCに狙い撃ちされた藤と小林
WBCが一方的にWBAからの分派独立を宣言した1968年8月、WBA・WBCが認定する全11階級のチャンピオンは以下の通り。

1.ヘビー級(徴兵拒否を理由にしたアリの王座+ライセンスはく奪)
WBA:ジミー・エリス(米)/68年4月ジェリー・クォーリー(米)との決定戦・15回判定勝ち
WBC・NYSAC:ジョー・フレイジャー(米)/68年3月バスター・マシス(米)との決定戦・11回KO勝ち
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2.L・ヘビー級(A・C):ボブ・フォスター(米)
3.ミドル級(A・C):ニノ・ベンベヌチ(伊)
4.J・ミドル級(A・C):サンドロ・マジンギ(伊)
5.ウェルター級(A・C):カーチス・コークス(米)
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6.J・ウェルター級
WBA:藤猛(米/リキ)→はく奪・空位
WBC:未認定→ペドロ・アディグ(比)/68年12月アドルフ・プリット(米)との決定戦・15回判定勝ち
※67年11月にウィリー・クァルトーア(西独)を4回KOに下して初防衛に成功した後、減量苦による階級アップや契約を巡って所属するリキ・ジムとの確執が表面化。交通事故(軽症)を理由にブランクが長期化した藤の王座をWBCがはく奪。復帰に猶予を与えていたWBAも、ホセ・ナポレス(メキシコ/キューバ)かニコリノ・ローチェ(亜)のいずれかとの対戦を強制。68年12月、1年1ヶ月ぶりの防衛戦(68年4月までノンタイトルを3試合消化)でディフェンスの達人ローチェに翻弄され10回終了TKO負け。
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7.ライト級(A・C):カルロス・テオ・クルス(ドミニカ)
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8.J・ライト級:
WBA:小林弘(中村)→はく奪・空位
WBC:空位→レネ・バリエントス(比)/69年2月ルーベン・ナバロ(米)との決定戦・15回判定勝ち
※WBCは小林が初防衛戦で引き分けたバリエントスとの再戦を通告。WBAも2位ハイメ・バラダレス(エクアドル)との対戦を義務付けしており、JBCがWBCの単独王座認定を国内承認しておらず、WBAのみを正当の世界王座と認める国内状況だった為(海外での挑戦・防衛戦の履行は可能)、中村会長はWBCの通告を拒否。小林はWBCからはく奪処分を受ける。
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9.フェザー級:
WBA:ラウル・ロハス(米)/68年3月エンリケ・ヒギンス(コロンビア)との決定戦・15回判定勝ち
WBC:ホセ・レグラ(スペイン/キューバ)
※V9を達成したビセンテ・サルディバル(メキシコ)が返上・引退(67年10月)。後継王者の決定を巡ってA・Cが分裂。WBA王者ロハスは68年9月の初防衛戦で西城に15回判定負け。関光徳(新和)との初代王者決定戦に露骨な地元裁定で勝利したハワード・ウィンストン(英)も、68年7月の初防衛戦で亡命キューバ人レグラに5回TKO負け。
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10.バンタム級(A・C):ライオネル・ローズ(豪)→ルーベン・オリバレス(メキシコ)
※68年8月のV4戦でローズがオリバレスに5回KO負け
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11.フライ級
WBA:空位→海老原博幸(金平/協栄)/69年3月ホセ・セベリノ(ブラジル)との決定戦・15回判定勝ち
WBC:チャチャイ・チオノイ(タイ)
※65年~66年にかけて、ノンタイトルでの連敗と指名戦の延期を理由に、WBAが時の王者サルバトーレ・ブルニ(伊)をはく奪処分にした際、WBCに加盟した欧州(EBU)と英国が反発。WBAは高山勝義との決定戦(66年3月)に勝利したオラシオ・アカバリョ(亜)を認定。WBCはブルニを継続承認していち早く分裂。統一戦が行われないまま今日に至る。
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11階級中半数を超える6階級は、現在で言うところの統一王者が承認され、ヘビー級は70年2月に統一戦が挙行され、WBCとNYSACから認定を受けるスモーキン・ジョーが、WBA王者エリスに5回KO勝ち。71年3月、復活したアリとの「世紀の一戦」へと歩みを進める。

1968年当時、議長(会長)の職にあったハスティアノ・モンタノ(フィリピンのコミッショナーを兼務)は、自国のホープだったペドロ・アディグとレネ・バリエントスに王座を獲らせる為、持てる政治力をフルに駆使した。

王国アメリカで冷遇され、トップレベルのスタークラスが参戦したがらないJ・ウェルターとJ・ライトに的を絞り、正統8階級から弾かれがちな東洋圏と欧州勢に、メキシコを中心とした中量級以下の中南米勢を優遇する。

当初はWBC単独認定の世界タイトルを認めていなかったJBCも、ファイティング原田の3階級制覇を後押しする為、有り得ない謀略で敗れたジョニー・ファメション(豪)との再戦を契機にWBCの国内承認に踏み切り、沼田も日本国内でのバリエントス挑戦が叶う。


日本のマスメディアは、米・英を中心とした正統8階級偏重とジュニア・クラスへの不当に低い評価について口をつぐみ、取材も行って来なかった。中量級のJ・ウェルター級を重量級と称して、米国籍の藤猛を「日本人初の重量級世界王者」と持て囃す。

特に王国アメリカによるジュニア・クラスへの差別は、エロルデや小林,沼田らの歴史的評価と価値には何の関係も無いと言いたいところではあるが、やはり小さからぬ影響があったと認めねばならない。


※Part 7 へ


”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 2 -

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”見えざる意思”は動いたのか / - P・タドゥラン vs 銀次郎 2 レビュー Part 2 -

■5月24日/インテックス大阪5号館,大阪市住之江区/IBF世界M・フライ級タイトルマッチ12回戦
王者 ペドロ・タドゥラン(比) 判定12R(2-1) 前王者/IBF4位 重岡銀次郎(日/ワタナベ)

勝者タドゥランが告げられた瞬間、国家演奏の時のように左胸に手を当てて天を仰ぐ銀次郎

意識が未だに戻らない重岡銀次郎の容態も含めて、どんな具合に記事を書けば良いのか、様々思い悩む間にも容赦なく時間は過ぎて行く。

Part 1の記事中、リベンジを期すチーム銀次郎のタドゥラン対策について、ほぼ計画通り、狙い通りに機能していたと書いた。次の一点を含めて。

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ただ1点、前戦の教訓を活かし切れなかった事象を除いては・・・。現代アメリカのレフェリングの問題点として、検証の必要性に言及しておくべきかもしれず、詳しくは後述する。
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あらかじめお断りしておきたい。この記事を書くことによって、重岡銀次郎が見舞われた悲劇の原因を発見したかのように騒ぎ、そうだと決め付ける意図は毛頭ありません。

そしてこれもまた当然ながら、第1戦と第2戦の主審を務めたスティーブ・ウィリスとチャーリー・フィッチ(いずれも米/ニューヨーク州)両審判、ペドロ・タドゥラン本人、両軍のコーナーを束ねたカルロス・ペニャロサ(王者陣営),町田主計(まちだ・ちから)両チーフ・トレーナー等々、誰か特定の個人(と両陣営を支えるスタッフの面々)に、重大事故の責任をなすりつける意思もまったくない。

また、タイトルマッチを承認したIBF、試合を公式戦として認定した上で運営全般を所管したJBC、2名の主審を派遣したニューヨーク州アスレチック・コミッション(NYSAC)等々、今回の興行に関わった特定の組織に対して、「あなた方が定めた試合ルールが間違っていた。だからこの深刻な事故を招いたのだ」と、明確な医学的根拠を示すことができないにも関わらず、一方的に非難・批判を浴びせるものでもない。


では、「前戦の教訓を活かし切れなかった唯一の事象」とは何か。それは、「ホールディングで相手の動きを止めた状態での加撃」である。

昨年7月末~8月の頭にかけて、第1戦のレビューを書いた。その中で第9ラウンドに発生した場面を例に上げて「極めて危険な状況」だと指摘した。

加えてノーチェックのまま静止しようともしない主審スティーブ・ウィリスについて、「何というボンクラぶりだろう。」と批判した。さらに、「こんなレフェリーを、二度と呼んではいけない。」と続けている。

第1戦・第9ラウンドに発生した問題の場面

文章の走り過ぎを恥じつつも、当該記事に書き連ねた文面を転載しておこう。

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上体を折った低い位置から銀次郎が出そうとした左と、タドゥランが打ち下ろす右が交錯して、そのまま抱え合った状態で固定されると、強靭なフィジカル・パワーで銀次郎をロープに押し込んだタドゥランは、空いている左の拳を思い切り、連続で6発も銀次郎の顔面に打ち込む。

銀次郎も思い出したように右の拳を上げて防ごうとしたが、もう間に合わない。あろうことか、主審ウィリスはただ見ているだけ。6発殴ったところでようやく間に入った。何というボンクラぶりだろう。

【画像】

潰れた右眼にも当たった筈である。背筋が凍るとはまさにこの事だ。「お前はいったい、何をチェックしていたんだ!」と、ウィリスを怒鳴りつけたい衝動にかられる。
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「2試合の主審に事故の責任を負わせようという気は一切無い」とのお断りにウソ偽りはないけれど、同時に第1戦と第2戦を担当した2名のレフェリーに対して、「何故この危険な行為・状況を見過ごすのか?」との疑念(と怒りに近い感情)を禁じ得ないのも事実。

ただし、今読み返すとやはり文章が走り過ぎていたと思う。なおかつ最も重要な指摘が抜けている。「ホールディングで相手の動きを止めた状態での加撃」は、ルール上反則に該当するということ。

身が縮む思いだが、よりにもよって、けっして欠いてはならない「反則」への言及を忘れてしまうとは・・・!


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◎JBCルールとWBCルールにおける反則とみなす行為の規定

では、本当に反則に該当するのか。まずは、試合を所管したJBCルールを見てみよう。JBCはルールブックを有料で販売している為、公式サイト上にPDF化されたファイルをアップロードしていない。

西日本協会の公式サイトに全文ではないが掲載されており、幸いなことに反則の規定も含まれている。

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【第28章 ダウンおよびファウル】
第89条 次の各項をファウルとし、これを禁ずる。
11 リング・コーナー又はロープに相手を押さえ付けること及び一方の手で相手を押さえながら片方の手で加撃すること。
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西日本協会公式サイトの掲載
JBCルールが定める反則に該当する行為(西日本協会公式サイトより)-2

JBCルール「第28章-第89条」の規定は、もう長らく変わっていない。WBAは2000年代に入って以降、いつの総会で改訂されたのかはよくわからないが、反則に該当する行為を箇条書きにした部分をカットしてしまった。

タドゥラン vs 銀次郎戦に懸けられたベルトは、周知の通りIBFである。困ったことに、WBAの内部機関(事実上の下部組織)として発足したWBCの後に続き、WBAから分裂を繰り返したIBFとWBOの後発2団体も、WBAに倣った訳ではないだろうが、反則に該当する行為を明文化していない。


WBCを除く3団体が個別具体的に反則を明文化しない理由に進む前に、主要4団体中唯一規定しているWBCルールを見てみよう。公式サイト上にPDF化した公式ドキュメント(各種ルール)をまとめてアップしてあり、大変分かり易く有り難い。

「WBCチャンピオンシップの為の統合ルール(WBC Synthesized Rules for Championship Fights)」と題された公式文書中、16番目の項目として「ファウル」に関する具体的な項目が記述されている。

RULES WBC OFFICIAL DOCUMENTS
WBC Synthesized Rules for Championship Fights
WBCルールにおけるファウル規定

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16. Holding the opponent’s head or body with one hand while hitting with the other.
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日本式に言えば「第16条の第16項」となるのだろうか。内容をそのまま直訳すると、「片手で相手の頭や体を押さえながら、もう一方の手で打つ。」となり、「リング・コーナー又はロープに」という附帯条件有無の別はあるにせよ、禁止される行為そのものはJBCルールと変わらない。

第1戦・第9ラウンドのケースは、タドゥランが打ち込んだ右をかわしざまに銀次郎が両腕でその右をキャッチする格好となり、フィジカル・パワーに優るタドゥランがそのままの態勢で銀次郎をロープ際まで押し込み、ガラ空きになった銀次郎の顔面を自由になる左腕で何発も殴るというもの。

「一方の手で相手を押さえながら(JBC)/片手で相手の頭や体を押さえながら(WBC)」という状態とまったくイコールではないと、へ理屈をこねくり回すこともできる。

がしかし、この規定によって防止したい危険な状況とは、「正当な打撃以外の方法で相手を無防備な状態に追い込み殴る,殴り続ける」ということに他ならない。どのような手段(組み付く・腕を絡める・その両方等)を用いるにせよ、「正当な打撃」に該当しなければ反則とみなす。


第2戦-第5R終了間際に起きた問題の場面

今回の第2戦、第1戦の第9ラウンドと同じ危険な場面は、第5ラウンドの終了間際に訪れた。第1戦のウィリスと同様、主審フィッチは銀次郎を押さえつけて殴るタドゥランを静止しようとしていない。

拙ブログ管理人には、もはや理解の外としか言いようがないけれど、第2戦の問題はこの場面に止まらない。第1戦との違い、本質的な問題点については章を改めて検証する。


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◎IBFルールの問題点

「相手を押さえながらの加撃」について明文化していないIBFは、同様に規定の無いWBA,WBOに比べると、開催地を所管する地元コミッションとの連携について、あれこれと記している。

はっきり「尊重すべし」とまでは書かれていないが、IBFルールとその方針を優先し過ぎることがないよう、地元コミッションとの協調関係に配慮した文面であることは間違いない。

IBF Bout Rules (Effective 10-19-2015)
https://www.ibf-usba-boxing.com/wp-content/uploads/BoutRules.pdf

<1>カットが発生した場合の対応(2頁)
故意による反則によって一方の選手がカットした場合、レフェリーは「故意であることを」をジャッジ,コミッショナー(地元コミッションから現場に派遣された代表者)、IBFから派遣された立会人(スーパーバイザー)に伝える。

<2>偶発的な反則によって試合が続行不可となった場合(3頁)
原因となった反則について、レフェリーは「偶発的な事故(故意ではない)であること」を、コミッショナー(地元コミッションから現場に派遣された代表者)、IBFから派遣された立会人(スーパーバイザー)に伝える。

<3>薬物と刺激物の使用に関する規定(3頁末尾~4頁)
試合中に選手が摂取できるものは、地元コミッションが許可した水又はスポーツドリンクに限る。

<4>アンチ・ドーピングに関する規定(4頁)
ドーピング検査の実施は原則試合(直)後の実施を義務付けているが、地元コミッションの要請(規定)により、試合(直)前に行うこともできる。
採取した検体は所定の容器(改ざん防止措置済み)を使用し、対象となる2名の選手ごとにA検体とB検体とに分けて保管した上、地元コミッションが指定する検査機関に提出する。
A検体に陽性反応が確認された場合、すべての関係者に通知し、対象の選手が希望した場合、上述した検査機関においてB検体の検査を実施する。

<5>総則及び規制(5頁)
ジャッジが採点を記すスコアカードは、毎ラウンド終了後に回収して、コミッショナー(地元コミッションから現場に派遣された代表者)と、IBFから派遣された立会人(スーパーバイザー)が集計を行う。

<6>IBF立会人(スーパーバイザー)に対する指示確認事項(8頁)
立会人は試合会場に到着次第、速やかにプロモーター,地元コミッショナー(地元コミッションから現場に派遣された代表者)と連絡を取ること。
地元コミッショナー,又は地元コミッションから現場に派遣された代表者とともに、公式計量を行うこと。

◎IBFルール 反則に関する規定(1頁末尾~2頁)
IBFルール/反則規定

という具合で、試合を所管する地元コミッションの果たす役割が大きいのは当たり前で、IBFに限らず、認定団体が承認する世界戦と地域タイトルマッチは、何から何まで認定団体のルールで運営される訳ではない。

特に世界最大のボクシング・マーケットを誇る米本土は、年間に行われる興行数もダントツに多く、チャンピオンシップの承認料を経営基盤とする認定団体に取って、アメリカは最高最大のお得意様になる。

ボクシングに限らずあらゆるスポーツは、「1国1コミッション」が大原則になるが、各州の独立性を重んじるアメリカでは、「開催地を所管する各州ルール」が認定団体のルールより優先され、認定団体もこれを受け入れるしかない。


そんなアメリカでさえ、世界戦や地域タイトル戦の運営ルールが州ごとに異なることへの異議、主要4団体が独自に定めるそれぞれのルールとの整合性に関する問題意識、アマチュアと同じく、「1国・1コミッション制度」のデファクト・スタンダードに従うべしとする声等々、「統一コミッション」の必要性を説く人たちはいた。

「1国・1コミッション」でなければオリンピックに参加できないアマチュア・ボクシングは、「州の独立性」を乗り越えて、全米を統括する組織「USA Boxing」を運営できている。アマにできることを、なぜプロはできないのかという次第。

90年代末~2000年代初頭、大のボクシング狂でもあったジョン・マケインが中心になって尽力・推進した、いわゆる「モハメッド・アリ法」を制定する際、各州コミッションの上部統合組織として「ABC(Association of Boxing Commissions)」を立ち上げ、さらには各州ルールの上に位置付ける「米国統一ルール(Unified Boxing Rules:ユニファイド・ルール)」も策定する。

なおかつ「ユニファイド・ルール」の実際は、コモンセンスとして定着したプロボクシングのルールについて、そのアウトラインをざっと取りまとめたに過ぎず、具体的な採点基準(拙ブログ管理人は重大な欠陥だと考えている)を明示せず、反則行為に関する列挙も無し。

◎Unified Boxing Rules - Association of Boxing Commissions
https://www.abcboxing.com/unified-rules-boxing/


「ABC」に対する各州コミッションの反発は想像以上に根強く、自ずと「上部統合組織」には成り得ず、有体に申し上げれば、主な役割は「ユニファイド・ルールの管理と更新」のみと表してもあながち間違いとも言い切れない。

そんなだから、スーパーや暫定を乱発するWBAに対して、「ABC」が主体となり、「本来世界王者は各階級に1人であるべき」との主張に基づき、「同一階級に複数の世界王者を常設する異常事態を解消せよ」と提言を行い、「できなければWBAを全米から締め出す」と脅しをかけた時には驚いた。

慌てたWBAは暫定王座の解消に動いたが、ほとぼりが冷めたと考えたのか、性懲りも無く「暫定王座の並立」をまたぞろやらかしている。「2~3年でもいいから、WBAを米本土から締め出してくれ」と本気でそう思う。


IBF設立のそもそもの動機は、WBA内部の権力闘争だった(1968年のWBC独立とまったく同じ)。中南米に握られたWBAの実権を王国アメリカに取り戻すべく、長期化するベネズエラのヒルベルト・メンドサ会長を追い落とそうとした旧NBAの残党が、1983年の会長選挙で推したロバート・リーが僅少差で落選した為、そのままリーを担いで分派独立に踏み切った。

1983年の発足以来、IBFの本部はニュージャージー州内に置かれ続けている。設立の経緯からみても、他の3団体に比して、「地元(全米各州)コミッションとの連携協調」にことさら留意するのは自明の理。

ならば、ウィリス&フィッチのレフェリー2名と、重責を託されたベン・ケイティ(ケイルティ/豪),ジョージ・マルティネス(カナダ)の両立会人は、JBCルールを承知した上で「ルール上の問題とすべき状況」を放置したのか、あるいはJBCルールへの理解も尊重も無かったのか。

ことに第2戦に臨席したマルティネスは、IBF本部でチャンピオンシップ・コミッティのチェアマンを務める大幹部の1人でもあり、開催地を所管するJBCとの密な連携を、より一層求められる立場にある。

数十年に1人出るか出ないかという、リアルなモンスターの出現で一時的に沸き返ってはいるが、ナオヤ・イノウエが現役を退くまでの泡沫(うたかた)の夢でしかない。

ボクシングが斜陽産業であることは紛れもない事実で、米日両国のマーケット規模は比ぶべくもなく、何だかんだと言ってみたところで、彼らが尊重・遵守すべき対象はあくまで米本土。極東の島国(のルールなど)知ったこっちゃない・・・ということなのか。


その答えは、いずれも否。何が悪いと言って、JBCの忌むべき官僚的な体質こそが諸悪の根源であり、拙ブログ管理人が書き記さねばと考えた今回の問題も、JBCの「事なかれ主義」が大きく影響している。


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◎何が起きても他人事?-主体性と責任感がまったく見えないJBC

日本国内で重大事故が繰り返される中、遂に世界タイトルマッチのリングでも起きてしまった。しかし、ルールの違いについて余りにも無頓着な、あえて申せば無責任な姿勢と体制は変わる気配すらない。

怒りと衝動に任せて、「JBCの日和見主義,事なかれ主義に起因する」と書きたいところなれど、それでは文章が走り過ぎた第1戦のレビューと同じ禍根を残してしまう。

こと世界戦に関する限り、JBCは自ら定めた国内ルールを易々と放棄する。WBAとWBCが分裂した60年代末~2013年3月までの間、日本国内で行われたWBAとWBCの世界戦について、JBCは「WBAとWBCのルールで運営される」との姿勢を変えずに来た。

四半世紀以上に渡って「存在しないもの」として扱い、見てみぬフリを決め込み続けた後発2団体への加盟・参加を表明した2013年4月以降は、IBFとWBOがそこに加わる。

突発(偶発)的なトラブルやアクシデントが起きると、「今回はWBAルールで運営されていますので・・・」などと臆面もなく話し、堂々とエクスキューズに使う。その一方で、試合開始時に「コミッショナー宣言」を執り行い、「世界タイトルマッチであることを認める」と公言。終了後のリング上では、「(世界王者として認める)認定証の授与」を行ってきた。

典型的なご都合主義、日和見主義と断じざるを得ない。

2023年に萩原実氏(東京ドーム顧問→JBC理事長→コミッショナー)が就任して以降、この恒例行事は行われなくなったけれど、「世界戦として認める」と世界に向けて言い放ちながら、各認定団体のルールとJBCルールの整合性は一切考えない。

相対的に海外の選手たちより真面目で、減量の失敗(体重オーバー)はほとんどゼロに近く、ドーピング違反に至っては長きに渡り皆無だった。

「日本のボクサーに限って・・・」

「何か起きたら、その時考える。起きてから考えればいい。」


思い返すのもいまいましい、亀田一家の国内復帰容認と安河内剛事務局長の復職騒動、井岡一翔のドーピング違反を巡って露呈した、杜撰かつお粗末過ぎて話にならないJBCの管理体制も、同じ根っこから派生した悪しき事例。

ルイス・ネリーの悪質なドーピング違反が発覚した山中慎介と第1戦の公式結果(ネリーの4回TKO勝ち)を、ノーコンテストに改めなかったことも含めて(米欧のコミッションにおいてはNCへの変更が必須・常識)、一時が万事である。

ニューヨークとネバダ,カリフォルニアの3州並みに、自らのルールと立場を認定団体に対して強く主張しろと言うつもりはないが、試合ルールに限らず、すべての運用について責任を持つ矜持無くして、コミッションもへったくれもないだろう。


ルールの違いがレフェリングとスコアリングに影響する可能性を、どうして考えようとしないのか。

「レフェリーがチェックしない限り反則ではない=チェックされなければどんな状況であったとしてもセーフ」では無い筈だ。誤審が一切無いなら話は別だが、レフェリー&ジャッジも人間である以上必ず間違う。

主要4団体すべてへの加盟・承認に踏み切ってから、早くも12年が経った。いい加減「認定団体のルールで・・・」との言い訳は止めにして、「日本版ユニファイド・ルール」を策定すべきだと思う。

「米国統一ルール」をベースに、反則の規定から明確な採点基準まで含めて追加し、ついでにオープンスコア(WBC独自ルール:4及び8ラウンド終了後に途中採点を公開する)もやってしまえばいい。

日本国内で開催される世界戦と地域王座戦は、すべて「日本版ユニファイド・ルール」で運営する。英訳したルールを主要4団体と米本土の主要な州コミッション、BBBofC(英国のコミッション)に送付し、真に国際的規模の統一ルール策定を呼びかけてはどうか。

次章では、第1戦と第2戦を担当したレフェリーにライセンスを認可した、ニューヨーク州アスレチック・コミッション等のルールを確認したい。


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◎タドゥラン(28歳)/前日計量:104.5ポンド(47.4キロ)
※当日計量:114.9ポンド(52.1キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
(4回目でパス/1回目:52.4キロ,30分後2回目:52.3キロ,+100分後3回目:52.25キロ)
元IBF M・フライ級王者(V2)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分け
世界戦:7戦3勝(2KO)3敗1分け
アマ通算:約100戦(勝敗を含む詳細不明)
身長:163センチ,リーチ:164センチ
血圧:137/102
脈拍:56/分
体温:36.1℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


◎銀次郎(25歳)/前日計量:104.9ポンド(47.6キロ)
※当日計量:114.2ポンド(51.8キロ)/IBF独自ルール(リミット:105ポンド+10ポンドのリバウンド制限)
現在の世界ランク:IBF4位/WBO10位
戦績:14戦11勝(9KO)2敗1NC
世界戦:6戦3勝(3KO)2敗1NC
アマ通算:57戦56勝(17RSC)1敗
2017年インターハイ優勝
2016年インターハイ優勝
2017年第71回国体優勝
2016年第27回高校選抜優勝
2015年第26回高校選抜優勝
※階級:ピン級
U15全国大会5年連続優勝(小学5年~中学3年)
熊本開新高校
身長:153センチ,リーチ:156センチ
血圧:125/70
脈拍:62/分
体温:36.6℃
※計量時の検診データ
左ボクサーファイター


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■オフィシャル

主審:チャーリー・フィッチ(米/ニューヨーク州)

副審:2-1で王者タドゥランを支持
ジル・コー(比):115-113
デイヴ・ブラスロウ(米/メリーランド州):113-115
中村勝彦(日/JBC):118-110

立会人(スーパーバイザー):ジョージ・マルティネス(カナダ/チャンピオンシップ・コミッティ委員長)


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神々の階級に挑む 2 / - B・ノーマン・Jr. vs 佐々木尽 プレビュー -

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■6月19日/大田区総合体育館/WBO世界ウェルター級タイトルマッチ12回戦
王者 ブライアン・ノーマン・Jr.(米) vs WBO2位 佐々木尽(日/八王子中屋)


◎ファイナル・プレッサー(フル)
https://www.youtube.com/watch?v=mNZ455_63KE

ガッツ石松と畑山隆則が頂点に立ち、東洋(OPBF圏内)のボクサーとして史上初めて世界王者経験者を破った門田新一を輩出したライト級(小堀佑介を加えれば3名)、ミドル級には竹原慎二&村田諒太の2王者と、1930年代にニューヨークで活躍し、同州公認王者となったセフェリアノ・ガルシア(比)が出現した。

がしかし・・・

日本はもとより、OPBF圏のボクサーが永らく近づくことすらできなかった、神々の中の神の階級、それがウェルター級である。

ジャック・デンプシーとともに、ローリング・トゥエンティの人気を二分した”トイ・ブルドッグ”ミッキー・ウォーカー、3階級同時制覇のヘンリー・アームストロング、神の中の神,シュガー・レイ・ロビンソン、キューバが誇る史上最高水準に達した天才の1人キッド・ギャビラン、ギャビランに憧れてメキシコへ亡命、P4Pキング的存在として70年代前半に君臨した”マンテキーヤ”ホセ・ナポレス、日本にもやって来た”顎割り男”ホセ・ピピノ・クェバス。

モハメッド・アリという巨大な太陽が沈んだ80年代、マイク・タイソンの登場まで世界のボクシング界を牽引したシュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズ、ライト級から上げてきた”石の拳”ロベルト・デュラン、そのレナードとハーンズが口火を切り、本格的に多階級時代へと突入した90年代をヒートアップさせたティト・トリニダード,オスカー・デラ・ホーヤ,アイク・クォーティ,パーネル・ウィテカー,フリオ・C・チャベスの四つ巴ならぬ五つ巴を経て、フロイド・メイウェザー・Jr.による不毛な支配体制が敷かれた。

自ら”マネー”を名乗り、ラスベガスのMGMグランドを常打ち小屋として、やりたい放題の限りを尽くしたPPVセールスキングの首をかき切ってくれるであろう、唯一無二の存在としてクローズアップされ、センセーショナルなアメリカン・ドリームを手中にしたマニー・パッキャオの奇跡が訪れる。

150年に及ぶ近代ボクシングの歴史上、147ポンドの頂点に立った東洋人は、マニー・”パックマン”・パッキャオただ1人。


そして1921(大正12)年12月25日、開祖渡辺勇次郎の手によって、東京下目黒の権之助坂(ごんのすけざか)に、日本最初とされる本格的なボクシング・ジム,日本拳闘倶楽部が設立されてから100年余り、遥か高みのウェルター級に挑んだ日本人ボクサーは、この100年間にたった4人しかいない。

<1>辻本章次(ヨネクラ)日本ウェルター級王者(V12)
1976年10月27日/実践倫理会館(金沢)
ピピノ・クェバス(メキシコ) 6回KO 辻本
WBAタイトルマッチ15回戦

<2>龍反町(野口)東洋ウェルター級王者(V11)
1978年2月11日/ラスベガス・ヒルトン
カルロス・パロミノ(メキシコ) 7回 龍
WBCタイトルマッチ15回戦

<3>尾崎富士雄(帝拳)
1988年2月5日/アトランティックシティ
マーロン・スターリング(米) 12回3-0判定 尾崎
WBAタイトルマッチ12回戦

<4>尾崎富士雄(帝拳)
1989年12月10日/後楽園ホール
マーク・ブリーランド(米) 4回TKO 尾崎

<5>佐々木基樹(帝拳)
2009年10月3日/ドネツィク(ウクライナ)
ヴァチェスラフ・センチェンコ(ウクライナ) 12回3-0判定 佐々木
WBAレギュラータイトルマッチ12回戦
※スーパー王者アントニオ・マルガリート(メキシコ)


奇しくも、同じ性を持つ佐々木基樹がドネツィク(ドネツク/ウクライナの恒久的な平和を祈るのみ)に渡り、トニー・マルガリートのおこぼれ(失礼)を頂戴したセンチェンコに完封されてから早や16年。

米国史上最強の呼び声も高い、栄光に輝く1984年ロス五輪代表チームの一員として、見事ウェルター級の金メダルを獲ったブリーランドが、なんと後楽園ホールのリングに登って以来、実に36年もの時を経て、世界ウェルター級王者の肩書きを持つトップボクサーが来日。

ナチュラル・タイミングの強烈無比な左フックを武器に、世界ランクの上位に付けた23歳の和製スラッガーの挑戦を受ける。


率直に申し上げれば、WBO2位(WBA・IBF4位,WBC5位:挑戦が決まった時点)の肩書きは、今現在の佐々木尽にはいささか荷が重い。半ば無理やり履かせられた(?)下駄は、天狗のそれとタメを張りそうな高さかも・・・。

武漢ウィルスの猛威に晒されていた2021年10月、体重を超過した上、ワンサイドに打ち込まれた挙句、11回でストップされた屈辱の平岡アンディ(大橋)戦を終えた後、JBCの規約に従いウェルター級へと増量。

豊嶋亮太(帝拳),小原佳太(三迫),ジョー・ノイナイ(比)をノックアウトし、メキシコでナチョ・ベリスタインの指導を受け、逆輸入の帰国を果たして日本王者となった坂井祥紀(横浜光)に明白な3-0判定勝ち。少なくとも、国内ウェルター級のトップに位置しているのは間違いない。

◎トップランク公式のプロモーション映像



ただし、リアルなワールド・クラスとの対戦は未だに無し。平岡に敗れる8ヶ月前、2021年2月11日に代々木の国立第一で行われたチャリティ興行「LEGEND」にも出場したが、アマの第一人者で東京五輪代表に決まった岡澤セオンと対峙。

公開スパーリング(ノーヘッドギア)形式の3分×3ラウンズ、ほぼ空転させられ続けた佐々木の姿を、コアなファンは忘れていない。平岡と岡澤は、ともにガーナ人を父(平岡:ガーナ系米国人)に持つ黒人とのハーフで、長い手足と俊敏な反応に恵まれている。

岡澤は同じ年(2021年)の10月、まさに佐々木が平岡にいいところなく敗れた同じ月に、ベオグラードで開催された世界選手権に派遣されると、衝撃的なKOデビューを飾り、”ネクスト・モンスター”の本命に躍り出た坪井智也(フライ級代表)とともに、日本史上初の金メダル(ウェルター級)を獲得。


あれから4年が経ち、佐々木もそれ相応の経験を積み、国内トップに相応しい実績を残しているとは言え、「流石に早過ぎやしないか・・・」との不安ばかりが目に付く。

自慢の左フックも、遮二無二に前に出て叩き込む場面が多く、デビュー当時に冴え渡った相手を引き出して合わせるカウンター、”ナチュラル・タイミングの左フック”は鳴りを潜めた感が拭えない。

最大の懸念はディフェンスの甘さ。とにかくジャブを貰い過ぎる。ファイタータイプなのに、ほとんど頭を振らない現代流。ジャブやショートのコンビネーションを被弾した際、ノーガードで挑発する悪い癖も修正され切っておらず、「ボコられて終わり」との口さがない声が上がるのも無理のないところではある。


さぞかし開いたに違いないと思った直前のオッズは、意外にも接近(?)していた、極めて高いポテンシャルを認められつつも、いわゆるビッグネームとの対戦が無いことに加えて、ジャロン・エニス(米)との統一戦回避の問題も影響しているようだ。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>FanDuel
ノーマン:-650(約1.15倍)
佐々木:+410(5.1倍)

<2>betway
ノーマン:-500(1.2倍)
佐々木:+375(4.75倍)

<3>ウィリアム・ヒル
ノーマン:1/5(1.2倍)
佐々木:7/2(4.5倍)
ドロー:16/1(17倍)

<4>Sky Sports
ノーマン:1/4(1.25倍)
佐々木:17/4(5.25倍)
ドロー:25/1(26倍)

◎公開練習
<1>ノーマン
https://www.youtube.com/watch?v=Gd_SZed4BP8

<2>佐々木
https://www.youtube.com/watch?v=N7feDBcGWek


南部ジョージア州にある、人口2万5千人に満たない小さな街で生まれ育った王者は、大のボクシング・フリークだった父にジムへ連れていかれ、そのままアマチュアの競技生活に入り、ユース&ジュニア限定ながらも優れた戦績を残した。

もともとアマのメダルには関心が薄く、プロでの成功を第一の目標に掲げていた親子は、2018年1月にメキシコで初陣を飾る。当時ノーマンは17歳で、18歳以上でないとプロのライセンス取得が難しくなった米本土ではなく、あえてメキシコでのデビューを選択。

同年11月に18歳の誕生日を迎えたが、翌2019年4月までメキシコで13試合を戦い、その後ホームのジョージア州を中心にしたローカル興行で修行を継続。順調に白星を重ねた親子は、2022年に実績のあるマネージメント(Fighters First Management)と契約。

その年の瀬には、トップランクの傘下に加わることを正式に公表。御大ボブ・アラムは、腹心の1人でマッチメイクを担当してきたジョリーン・ミゾーネ女史をチームに送り込み、マネージャーとしてチームを率いるブライアン・シニアをサポート。チーフトレーナーのバイロン・オグスルビーを軸に、安定的な体制を維持・構築してきた。


出世試合となったのは、やはり昨年5月のWBO暫定王座決定戦。サンディエゴ出身のランク1位ジョバンニ(ジオヴァニ)・サンティリャンに前半ややリードを許すも、中盤以降右の強打を決めてペースを握り、8回に決定的なダメージを与えると、10回に強烈な左アッパーでフィニッシュ。

◎試合映像:ノーマン vs サンティリャン


◎トップランク公式のプロモーション映像
<1>ノーマン


印象的なKOで暫定のベルトを巻いたノーマンは、S・ウェルターに転じたテレンス・クロフォードの後継王者に昇格。

「ダックした」と批判を浴びたエニスとの統一戦について、今をときめく”ブーツ”をハンドルするエディ・ハーンが語るところによると、「170万ドルのオファーを蹴られた。彼らは220万ドルを要求してきたんだ!。考えられない!」とご立腹。

ブライアン・シニアも負けずに応戦。「安く見積もられた。しかもエディは、スパーリングでジャロンが私の息子を圧倒した、ボディで倒したと公言している。これは事実ではないし、侮辱以外のなにものでもない」と猛反発。

事実として、ブライアン・ジュニアの物語が始まったきっかけは、エニスやエイマンタス・スタニオニス、ジャーボンティ・ディヴィスらとのスパーリング・セッションだった。高評価を得たブライアン・ジュニアは、最激戦区のプロスペクトとして認知を受ける。これがあったからこそ、トップランクも食指を伸ばした。


エニスに「ボディでダウンを奪われ圧倒された」説が事実か否かについては、今1つ判然としない。そういう場面があったとしても不思議ではないし、この手の伝聞に尾ひれが付くのはよくあること。

また、商品価値に取り返しのつかない傷がつきかねないハイリスクなマッチアップについて、法外な要求を突きつけるのも、欧米の交渉では常套手段。いずれにしても、「佐々木の圧倒的不利」との見立ては変わりようがない。

昨年10月、日本と縁の深いイスマエル・サラス(キューバの代表チームを率いた名トレーナー/タイと日本で多くの世界王者を育成/井岡一翔も愛弟子の1人)がラスベガスに開いたジムに赴き、3週間に及ぶスパーリング合宿を経験した佐々木は、帰国後のインタビューで次のように述べている。

「(中量級における)日本と世界の一番の違いはスピード。パワーと技術も確かに差はあるけど、一番の問題はスピード。でも、充分にやれそうな手応えは掴んだ。」


佐々木が実感した「スピードの差」は、80年代以降、ライト~J・ミドルで世界に挑む邦人選手に致命的な結果をもたらしてきた。佐々木の着眼はまったく正しい。そして佐々木のスピードが、OPBF圏内ではトップレベルにあることも事実。

しかしその佐々木が、平岡と岡澤を追い詰めることができなかった。3分×3ラウンズしか時間が無かった岡澤はともかく、11ラウンズを戦い惨敗に終わった平岡戦は、減量の失敗による精神的なショックを考慮したとしても、「技術的な欠陥」と映ってしまう。

ノーマンのボクシングにもまだまだ粗はあるし、攻撃に際して生じるディフェンスの隙もそれなりにある。佐々木が右の捨てパンチ(空振り)を上手く囮に使い、ノーマンに大き目の右を降らせて、そこにショートの左フックを鋭く打ち込めたら、何かが起こる確率はゼロとは言い切れない。

あれやこれやと繰言を書き連ね、余計な取り越し苦労で心身をすり減らしながら、日本では稀なウェルター級タイトルマッチを恐る恐る観戦する哀れなマニアは、佐々木の善戦よりも、まずは無事な帰還を願うのみ。


◎B・ノーマン・Jr.(24歳)/前日計量:146.8ポンド(66.6キロ)
WBOウェルター級王者(V1)
戦績:29戦27勝(21KO)2NC
アマ戦績:140勝22敗
2016年全米ジュニアオリンピック優勝(ウェルター級)
身長:173センチ,リーチ:183センチ
※計量時の検診
血圧:124/83
脈拍:69/分
体温:35.8℃
右ボクサーファイター


◎佐々木(23歳)/前日計量:146.8ポンド(66.6キロ)
戦績:21戦19勝(17KO)1敗1分け
アマ戦績:1勝3敗
八王子拓真高校
2016年度第9回U-15全国大会中学男子66キロ級優勝
身長:174センチ,リーチ:176センチ
※計量時の検診
血圧:135/88
脈拍:84/分
体温:36.1℃
好戦的な右ボクサーファイター


◎前日計量


◎前日計量(フル)
https://www.youtube.com/watch?v=3RRVpeO41j4


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■オフィシャル

主審:グスターボ・トーマス(亜)

副審:
ロビン・テーラー(米/ニューヨーク州)
リシャール・ブルアン(カナダ)
飯田徹也(日/JBC)

立会人(スーパーバイザー):ヘスアン・レティシア(亜/WBO副会長/WBOラテンアメリカ会長)


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■主なアンダーカード

タイのタノンサック・シムシーが、クリスチャン・アラネタ(比)とIBF J・フライ級を争う決定戦(矢吹正道が返上)に、大橋ジムからプロ入りしたウェルター級の強打者,田中空(近い将来の世界挑戦を見据える)が、WBOアジア・パシフィック王座の決定戦に出場する。
※大変失礼しました。正しくは、OPBF王座決定戦でした。お詫びして訂正いたします。

そして、ベテランの域に入って久しい阿部麗也(KG大和)は、空位となった日本フェザー級の後継王座をかけて、金子ジム期待の大久祐哉と対決。かつて保持していたベルトの奪還と、離脱を余儀なくされた世界戦線への捲土重来を期す。

全日本選手権優勝の実績を持ち、昨年6月にB級(6回戦)デビュー後、3連勝(全KO)を維持する大橋蓮(名古屋出身/享栄高校→東京農大)が、4戦目で初の8回戦(A級)に進む。

そして注目すべきは、村田諒太の後継者と目された東京五輪代表、森脇唯人のデビュー戦。昨年8月プロ転向を表明し、米本土のプロモーション(具体的な相手は非開示)との直接契約を目指すとしたが交渉は不首尾に終わり、高校時代(私立駿台学園→法政大)から通っていたワールドスポーツに所属。国内でのデビューに漕ぎ着けた。

村田と竹原を越える188センチの長身(リーチ:190センチ)に恵まれ、日本人離れした柔軟性とフットワークも併せ持つ逸材が、どんなキャリアを歩むのか。大橋・本田両会長を通じたトップランクとの関係も含めて、とにかく目が離せない。


※2016年度第9回U-15全国大会
田中空(中3/60キロ級),堤麗斗(中2/57.5キロ級),富岡浩介(中2/47.5キロ級),原田周大(中3/47.5キロ級),藤田時輝(中3/45キロ級),髙見亨介(中2/42.5キロ級),横山葵海(中3/47.5キロ級),丸元大五郎(40キロ級),藤田海翔(中1/40キロ級),尾崎優日(中2/35キロ級),及川美来(小学女子50キロ級),吉田彩花(中学女子37.5キロ級),仲田幸希七(中学女子42.5キロ級),篠原光(中学女子52.5キロ級),古川のどか(中学女子66キロ級),鈴木美結(少5女子37.5キロ級),河合里衣(小学男子45キロ級),片渕龍太(小6男子42.5キロ級)等々、錚々たる顔ぶれが揃った。

神々の階級に挑む 1 /「虎と戦うわけじゃない」 - A・クルス vs 三代大訓 プレビュー Part 2 -

カテゴリ:
■6月14日/MSGシアター,N.Y./IBF世界ライト級挑戦者決定12回戦
IBF3位 アンディ・クルス(キューバ) vs IBF5位 三代大訓(横浜光)

アンディ・クルス/右:三代大訓

◎東京五輪の覇者に集まる高過ぎる期待と不安
武漢ウィルス禍による甚大な被害を受け、1年遅れの開催となったオリンピックで、米国期待のキィショーン・ディヴィス(プロ・デビュー済み)を4-1のポイントで破り、見事金メダルの栄誉に輝いたアンディ・クルスは、米ロ及び旧ソ連を形成した旧共産圏とともに、アマの頂点を競い続けるキューバが輩出した新たな異能・異才。

2年おきに開催される世界選手権でも、2017年~2021年まで3大会連続で金メダルを獲っている他、パン・アメリカン・ゲームズや中米カリブ大会、パン・アメリカン選手権等々、出場した国際大会のほとんどで優勝している。

「出ると負け」ならぬ「出れば金」状態なのだが、キューバの国内選手権でも2016~2019年まで、L・ウェルター級で4連覇。我が国の柔道と同様、キューバにおけるボクシングは、「五輪と世界選手権のメダルより、ナショナル・チームに入る方が大変」と言われるほど競争が激しい。

申告されたアマチュア・レコードは、149戦140勝9敗。200~300戦の猛者がゾロゾロいるアマのトップクラスの中では、むしろ少ない部類に入る。ジュニア・ユースの時代から、突出した才能と将来性を認められていたということか。


黒人特有の高い身体能力(特に敏捷性)に依存した、異常なまでに発達した反応&反射が最大の特徴で、2000年シドニー~2008年北京までの8年間、2分×4ラウンド制を背景にアマの世界を席巻した”タッチ&ラン”を基本に、「打たせずに触れる」ボクシングを貫く。

ざっくりと言ってしまえば、ギジェルモ・リゴンドウと同じ方向性。ただし、ディフェンス第一主義に凝り固まり過ぎてしまい、プロモーターとファンの支持を失ったリゴンドウを反面教師にしたのか、プロ転向後のクルスは意識的に攻撃性を増している。

その分不用意な被弾がまったく無い訳ではないが、重大なトラブルに見舞われることもなく、2023年7月、長谷川穂積と繰り広げたWBCフェザー級王座決定戦での激しいバトルが懐かしい、37歳になったファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)をワンサイドの10回3-0判定に下し、首尾良く初陣をまとめ上げて以降、ここまで5戦全勝(2KO)を維持継続中。


史上最速となるプロ2戦目での世界奪取を目論んだロマチェンコも、初戦でいきなり10ラウンズを戦っているが、挑戦する以上世界ランキングに入らなければならず、ボブ・アラム率いるトップランクはWBOの下位ランカーを調達して、ローカル・タイトルを獲らせている。

実父バリー・ハーンから興行会社を引き継ぎ、短期間で英国最大のプロモーションにリ・ビルドしたエディ・ハーンは、必ずしもアラムに倣った訳ではないだろうが、ブルゴスとのデビュー戦にIBFのインターナショナル・タイトルを用意。

2~4戦目までの3試合すべてを防衛戦にして、承認料と引き換えにランク・アップを図り、直近(今年1月)の5戦目では、またまたWBAがデッチ上げた「コンチネンタル・ラテン・アメリカ」なるベルトも獲らせた。

◎直近の試合映像
A・クルス 10回3-0判定(98-92×2,99-91) オマール・サルシド(メキシコ)
2025年1月25日/コスモポリタン・ラスベガス



やや近めの中間距離で駆け引きを続けたら、三代にまず勝ち目は無い。得意のジャブを当てる事自体が難しく、空転させられるのがオチ。ならば一気に距離を潰して、密着したまま白兵戦に持ち込めるのか言えば、それもまた容易ならざる展開。

シャクールになぶりものにされた吉野修一郎、テオフィモ・ロペスに対する善戦と、フェリックス・ヴェルデホから挙げた大金星(9回TKO勝ち)がウソのように、ロマチェンコに蹂躙された中谷正義の悪夢が二重写しになって蘇る。

サイズのアドバンテージを頼りに、思い切って遠めのミドルレンジをベースラインにしつつ、無理に当てる必要はないから、前後左右の動きを止めずに軽めかつショートのジャブ&ワンツーを突き続けて、焦れたクルスが出て来るのを待ち、1発勝負の右カウンターに懸ける手も無くはない。

クルスの反射&反応のスピードは確かに図抜けているけれど、ボディワークとブロック&カバーの腕前は、ニコリノ・ローチェ,パーネル・ウィテカー,ウィルフレド・ベニテス,ロベルト・デュランら、史上に名高いディフェンス・マスターたちの水準には届かず、まったく手も足も出ない最悪のシナリオを回避できる可能性はある。

手厳しいブーイングを浴びることになりかねないが・・・。


戦前のオッズは、当然大差で金メダリストを支持。ただし、想像していた程の開きはない。まだ6戦目で底が見えていない、見せてくれていないとの杞憂(?)、経験値に対する懸念に加えて、プロとしての説得力にイマイチ欠けるとの主張も一部にはある。

□主要ブックメイカーのオッズ
<1>FanDuel
A・クルス:1600(約1.06倍)
三代:+660(7.6倍)

<2>betway
A・クルス:-1408(約1.07倍)
三代:+750(8.5倍)

<3>ウィリアム・ヒル
A・クルス:1/14(約1.07倍)
三代:13/2(7.5倍)
ドロー:20/1(21倍)

<4>Sky Sports
A・クルス:1/10(1.1倍)
三代:10/1(11倍)
ドロー:28/1(29倍)


「巧い。凄い。だけれども・・・」という訳だ。

無尽蔵のスタミナで膨大な手数を出し続け、一瞬たりとも止まることなく、イナズマのように速く鋭いステップで大胆に出はいりを繰り返しながら、相手を圧倒してギブアップに追い込むロマチェンコのような強さとは明らかに違う。

「そりゃ違うよ。だって、クルスはロマじゃない。求める方が間違っている。」

その通り。公称175センチのタッパは、実際のところもうちょっと低そう。リゴンドウが見せた呆れるほどの接近戦回避は、破滅的な打たれ脆さゆえの止むを得ない対策でもあったのだが、「ひょっとしたら、同じ理由がクルスにもあるのでは?」といぶかる者もいる。

◎ファイナル・プレス・カンファレンス(フル映像)
2025年6月12日/マッチルーム公式
https://www.youtube.com/watch?v=F4JW9cZVlYU

◎ySM Sporys による直前のインタビュー



あくまでプロ5戦の現在地における、まったく個人的な見解でしかないけれど、9割方の確率で三代は勝てないと思うし、4本に分かれたライト級のベルトのうち、クルスならどれか1つは必ず獲れる筈だが、スーパースタークラスに登り詰めることができるかと問われたら、そこは躊躇せざるを得ない。

プロの世界チャンピオンになれないまま、キャリアを終えたメダリストもたくさんいる。ヤン・バルテルミーとイェフゲン・キトロフは、天才の評価を得ていたにもかかわらず、修行段階で大きくつまづきメインを張ることすらできなかった。

三代が勝機を見い出すのは極めて難しく、客観的かつ冷静に戦力と素質の差を見つめれば、良くやったとしても一方的大差の判定負け。中盤~後半にかけてのストップも想定の範囲内になってしまう。


◎クルス(29歳)/前日計量:135ポンド
戦績:5戦全勝(2KO)
アマ通算:140勝9敗
■2020年東京五輪ライト級金メダル
■世界選手権
2021年ベオグラード(セルビア)金メダル
2019年エカテリンブルグ(ロシア)金メダル
2017年ハンブルク(独)金メダル
※階級:いずれもL・ウェルター級
2015年ドーハ(カタール)バンタム級ベスト8敗退
※銅メダルを獲得したドミトリー・アサナウ(ベラルーシ)に0-3ポイント負け
■ユース・ジュニア世界選手権
2012年ユース(イェレバン/アルメニア)L・フライ級ベスト8敗退
※決勝でアフマダリエフを破って金メダルを獲得したル・ビン(中国/プロ:4勝2敗と苦戦中)に13-16で惜敗
■パンアメリカン・ゲームズ
2019年リマ(ペルー)L・ウェルター級金メダル
2015年トロント(カナダ)バンタム級金メダル
■セントラル・アメリカン&カリビアン・ゲームズ(中央アメリカ・カリブ海競技大会)
2018年バランキージャ(コロンビア)L・ウェルター級金メダル
■パンアメリカン選手権
2017年(テグシガルパ/ホンジュラス)L・ウェルター級金メダル
■2024年キューバ vs フランス対抗戦(ヴァラデロ/キューバ)
五輪2大会(2016リオ・2020東京)連続銀メダルのソフィアン・ウーミア(プロ:6戦全勝3KO)に0-3ポイント負け(L・ウェルター級)
■キューバ国内選手権
2016年~2019年まで4年連続優勝(L・ウェルター級)
2014年バンタム級準優勝
※決勝でロベイシー・ラミレスにポイント負け
身長:175センチ
右ボクサー


◎三代(30歳)/前日計量:134.6ポンド
前日本ライト級王者(V2/返上),元OPBF S・フェザー級王者(V4/返上)
戦績:19戦17勝(6KO)1敗1分け
アマ通算:57戦41勝(4RSC・KO)16敗
松江工業高→中央大(主将)
2012年度インターハイ(北信越かがやき総体・新潟市体育館)/ライト級ベスト8
※優勝した李健太(り・ごんて/大阪朝鮮高級学校/現日本S・ライト級王者)にポイント負け
身長:177(179)センチ
※()内:Boxrecの身体データ訂正・更新済み
右ボクサーファイター

◎前日計量


◎前日計量(フル)
https://www.youtube.com/watch?v=56qb2Wot3sg


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□リング・オフィシャル:未発表


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◎試合映像:アマ時代
<1>東京五輪ライト級決勝
A・クルス 4-1 K・ディヴィス
2021年8月8日/両国国技館


金メダルを得てガッツポーズ/東京五輪表彰式

<2>2019年パン・アメリカン・ゲームズ L・ウェルター級決勝
A・クルス 4-1 K・ディヴィス
2019年8月2日/リマ(ペルー)
https://www.youtube.com/watch?v=AGw8MbU6qmk

<3>2017年世界選手権L・ウェルター級決勝
A・クルス 5-0 イクボルヨン・ホルダロフ(ウズベキスタン)
2017年9月2日/ハンブルク(独)
https://www.youtube.com/watch?v=do1KjvnOy-w

<4>2015年パン・アメリカン・ゲームズ バンタム級決勝
A・クルス 3-0 エクトル・ルイス・ガルシア(ドミニカ)
2015年6月8日/トロント(カナダ)
※ガルシア:元WBA S・フェザー級王者(ラモント・ローチに大善戦して再評価)



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◎メイン及び主なアンダーカード

IBF J・ウェルター級王座に就いたリチャードソン・ヒッチンズ(27歳/19戦全勝7KO)が、元統一ライト級王者ジョージ・カンボソス・Jr.(豪)の挑戦を受ける。

ラッセル3兄弟の三男,ゲイリー・アントワンとリオ五輪代表の座(L・ウェルター級)を争い敗れた後、ルーツのハイチ国籍で代表権を獲得。リオの本番でまたもやゲイリー・アントワンとぶつかり惜敗し、無念の帰国を余儀なくされた後、マッチルームUSAと契約してプロ転向。

昨年6月の初挑戦(空位のWBC S・ライト級王座を懸けてA・プエリョに1-2判定負け)に失敗したゲイリー・アントワンを横目で睨みながら、半年遅れてIBF王座に挑んだヒッチンズは、王者リアム・パロ(豪)に首尾良く2-1判定勝ち。140ポンドの赤いベルトを巻く。

同じスプリット・ディシジョンでも、勝ちと負けはイコールで天国と地獄。しかしゲイリー・アントワンもさるもの。今年3月1日、ブルックリンの新名所バークレイズ・センターで行われたジャーボンティ・デイヴィス vs ラモント・ローチのセミ格で、メキシコの攻めダルマ,イサック・クルス相手に番狂わせを起こしたホセ・バレンズエラを大差の3-0判定に退けてWBAの王座に就いた。

ゲイリー・アントワンへの雪辱は勿論、WBC王者プエリョ(プエジョ),WBO王者テオフィモとの統一戦を視野に入れ、何としても負けられない初防衛戦に迎えた挑戦者は、ライト級の元統一王者で、140ポンドに鞍替えしたカンボソス。

世界中をアっと言わせたロマチェンコ攻略の直後、上から目線で粗っぽく攻め急ぐテオフィモから先制のダウンを奪い、しつこいインファイトに巻き込んでWBCを除く3本のベルト(+リング誌王座)を手中にしたまでは良かったものの、初防衛戦でデヴィン・ヘイニーに中~大差の0-3判定負け。ダイレクトリマッチもワンサイドの0-3判定で落としたカンボソスは、マネージャーとのトラブルが訴訟沙汰に発展。

無冠となった2023年は、7月のマイナー団体IBO王座戦のみで終わり、判定を巡って紛糾するオマケまで付く。昨年も5月のロマチェンコ戦(空位のIBF王座決定戦=絶対王者のラスト・ファイトとなる)1試合だけ。試合枯れが続いた。

直前の賭け率は、1対8~10と大きく差が開いている。2021年11月のテオフィモ戦以来、すっきりとした勝利から長らく遠ざかり、今年3月の140ポンド初戦(シドニーで24歳の中堅に12回3-0判定勝ち)でも、何の工夫も無く真っ直ぐ入って被弾を許す悪癖は手付かずのまま。

公称ではカンボソスより5センチ背が低い筈のローカル選手よりも、明らかに一回り以上小さく体格差が目立った。イマイチ冴えないパフォーマンスでファンを満足させるには至らず。

気が付けば年齢も31歳。階級アップによるコンディショニングへの影響も、プラスに働いているとまでは言い難く、「ピークアウトしてしまったのでは?」と、地元ファンの間からも寂しい声が聞かれ出したカンボソスの現状を思えば、これもまた致し方のないところ。

直前のオッズは、概ね1対8~9のワンサイドで黒人チャンプに傾く。

良くも悪くもアマチュア臭さの抜けないヒッチンズを、テオフィモ(175センチを公称しているがカンボソスより少し低かった)同様、得意のタフ&ラフに持ち込んでプレスをかけ続けられれば面白くなるけれど、クリンチワークで接近戦を殺され、後退のステップを詰め切れないと、ジャブ,ワンツーのタッチでポイントを奪われ続けて大差の判定を失いそう。

(おそらくは)良くて170センチそこそこのカンボソス(リーチ:175センチ)にとって、178センチ(リーチ:188センチ)を公称するヒッチンズとのサイズの違いは、文字通り「階級の壁」となって眼前に立ちはだかるだろう。


「無敗のまま10勝してプロボクシングのキャリアを終える」と話す42歳のウェルター級8回戦ボーイ、パブロ・バルデスは、ニューヨーク生まれのドミニカ系移民。麻薬の密売に関わった罪で、2010年~2018年まで8年間服役。うち半分の4年を独房で過ごしたという。

刑務所の更正プログラムでボクシングを選び、トレーニングを続けたバルデスは、出所後の2018年7月にプロデビュー。マブダチ(?)のエドガー・バーランガとのスパーで腕を磨き、武漢ウィルス禍の休止を挟んで積み上げた戦績は、10戦9勝(8KO)1NC。目標にしていた10戦全勝無敗での引退は叶わなかったが、ゴールの10勝目を懸けて8回戦のリングに上がる。

対戦相手のセサール・ディアスは32歳のペルー人で、こちらも9勝(4KO)1敗と戦績はいい。自身初となる米本土登場が殿堂MSG。5千人収容のサブアリーナとは言え、地域限定の遅れてやって来たニューカマーから、内容の伴った勝利を奪うことができれば、”ネクスト・ワン”への道も開ける。

42歳の元受刑者が掲げるもう1つの目標、「ローカルタイトルのチャンピオン」には辿り着けていないが、無事に10回目の勝利をマークしたあかつきには、前言通り永遠にグローブを脱ぐのか、ローカル王座挑戦への可能性を探るのか。エディ・ハーンがGOサインを出しさえすれば、主要4団体のどこでも何かしらのベルトを用意してくれるだろうが・・・。

オーストラリアに出現したヘビー級ホープ,テレモアナ・テレモアナ(27歳)は、198センチ+260~270ポンドの巨漢選手。7戦全勝全KOの余勢を駆って、いよいよ初渡米。同じく9連勝中(6KO)のニューヨーカー,アリーム・ホイットフィールド(35歳/183センチ+230~240ポンド)との6回戦でご機嫌を伺う。


2023年の世界選手権(タシケント/ウズベキスタン)で、復活したL・ミドル級の銅メダルを獲得したインド期待のニシャント・デヴ(24歳/プロ:1勝1KO)が、殿堂MSGで2戦目のリングに上がる。185センチのタッパに恵まれた長身サウスポーは、今年1月25日のラスベガス興行(コスモポリタン/ディエゴ・パチェコとアンディ・クルスがWメイン)でプロの初陣を飾ったばかり。

弱冠二十歳のS・フェザー級ホープ,ザクィン・モーゼス(175センチ/3勝2KO/サウスポー)が、プロ4戦目にして殿堂MSGに進出。全米選手権を3度制したシャクール・スティーヴンソンの従兄弟には、早くも130~135ポンドの2階級制覇への期待が懸かっている。

エディ・ハーンが売り出しに力を入れる18歳のアダム・マカ(英)が、いよいよプロデビュー戦に臨む。ユース&ジュニアで5度の全英選手権優勝(アマ時代の戦績を含めて年度・階級等の詳細は不明)を誇り、欧州選手権でも活躍したというマカは、アルバニア移民の家に生を受け、将来の世界チャンピオンを目指して幼い頃からボクシングに打ち込んできた。

試し斬りの生贄として調達されたのは、ラファエル・カスティーリョ(カスティージョ)という36歳になる無名のニューヨーカー。2勝(1KO)6敗(Boxrecの記載が正確なら)のレコード以上に、身長157センチの小兵が心配の種。レコード載る6戦は、バンタム級×2試合+S・バンタム×4試合。

十中八九3分以内に終わらせる目論みだろうが、1秒でも早くフィニッシュしようと雑に攻め込むと、思わぬ1発を貰ってたたらを踏み、デビュー戦を大失敗したロベイシー・ラミレス(キューバ)のテツを踏みかねない。4回戦はあっという間に終わってしまう。期待の大きさと殿堂MSGの雰囲気に呑まれないよう、メンタルのコントロールが重要になる。

公称175センチの右の本格派は、プロの初陣にバンタム級を選択。「118,122,126ポンドの3階級制覇は確実。何の問題もない。体格的にはライト級まで狙える。5階級制覇も夢じゃない」とほくそ笑むハーンの視線の先には、我らがモンスターの後ろ姿がくっきりと映っているに違いない。

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