熱砂の拳 -ミラクル・フィスト リヤドを行く 2 -

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■モンスターがリヤド・シーズンと破格の契約 2

ファイサル・ビン・バンダル王子に面会する井上尚弥と大橋会長
※左から:ファイサル・ビン・バンダル・ビン・スルタン王子,おそらく通訳の方,モンスター,大橋会長

今回の契約について、あのティモシー・ブラッドリーがチャチャを入れたと報じられている。何でも、「クレイジー。そこまで高額じゃない」とか何とか言ったらしい。

「あれれ・・・?」

ティモシーさん、貴方は確か大のモンスター・ファンで、推し活してたんじゃなかったっけ?。という訳で、まずは原典を探す。やはり、ご本人がどんな風に喋っているのか、実際を見てみないと正確な判断はできない。

口調と言うか物腰と言うか、ニュアンスを実感することが大事。「ノーノーノー、そんな金額は有り得ない。ナオヤは確かに凄い。モンスターだよ。でもS・バンタムだろ?。法外過ぎる!」なのか、「いや、そいつは違うな。オレが聞いたのはそんな金額じゃないぜ」なのか。

ESPNやインタビューをよくやるボクシング専門チャンネルから確認したが、そこには無し。ならばと飛んだのが「ProBox TV」。あった。

◎youtube公式/ProBoxTV
INOUE INKS DEAL WITH TURKI | ProBoxTV
2024年11月5日


◎ProBoxTV公式サイト/Talk Show(要アカウント登録・ログイン)
INOUE INKS DEAL WITH TURKI
https://my.proboxtv.com/videos/1730751627621_ts241104_1

※ProBoxTVについては、以下の過去記事を参照いただけると有り難い
◎過去記事:KO負けのヴェナードが脳出血(本人は再起を明言) /本命不在が続くフェザー級戦線 - L・A・ロペス vs A・レオ レビュー 5 -
2024年9月17日
https://keisbox.online/archives/26763520.html


勿論、youtubeで視聴。いきなりティム様が登場。いつもの早口で、しかし落ち着いた表情でしっかり話す。

「次はグッドマンだ。そいつを突破したらナカタニとやろう。グズグズしてる暇は無い。間違いなく、日本で最大のファイトになる。」

レギュラーメンバーのクリス・アルジェリ(元WBO J・ウェルター級王者/解説者として活躍中)とポーリー・マリナッジ(元IBF J・ウェルター級・WBAウェルター級王者/アナリスト兼解説者として定着)に、ゲストのブラッドリー(元WBOJ・ウェルター,同ウェルター級王者)を交えた鼎談形式。


そしてブラッドリーだが、確かに「1,900万ドルは馬鹿げている。完全な間違いだ。($19 million is absurd that number is completely false.)」と言っている。

「彼らは(既に)ビジネス・パートナーだと言っていい(一緒に仕事をしている)。つまり、トゥルキとリヤド・シーズンは、(井上尚弥のような大物を確保する為に)金を掴ませておきたいんだ。(They're working together in a sense. But I mean when you, Turki and Riyadh Season want to throw you all that type of money.)」

「俺はインサイダーなんだ。信じて欲しい。絶対に誤報だ。俺とは直接関係ないから、正確な金額を言うつもりはないが、そこまでの額じゃない。1,900万ドルはクレイジーだ。(I'm an Insider, trust me. It's completely false. It wasn't that much money, it was however, I'm not going to give you the exact number how much was. Because not of my business, What a $19 million is crazy.)」


映像を見て納得した。非常識な契約だと口を極めて批判しまくっているとか、モンスターを特段クサしているとかではなかった。声の大きさとトーンも至ってノーマル。「事実を教えたいだけ」との印象。

「クレイジー」の部分がボクシング・メディアに切り取られて、オーバーに伝えられただけだろう。「在米youtubeボクシング記者」の中にはモンスター・アンチもそれなりにいて、彼らはきっと喜んだと思う。

「自分はインサイドにいる。」と述べているが、あらためて断るまでもなく、最激戦区の中量級を2階級制覇した元王者はトップランクと近い。ESPNから依頼された解説の仕事も、長年に渡るアラムとの良好な関係があったればこそ。

具体的な契約金額も含めて、ブラッドリーに知り得る内情の一端(全部?)をリークしたトップランクの関係者が、どのポジションにいる人物なのかにもよるけれど、相応の確度を持った内容であることは容易に想像が付く。


無論のこと、「1,900万ドル」と報じた記者たちにも取材源が存在する。それはトップランクとサウジ側の関係者であり、どちらとも親しい第三者であり、「○○に近いところから聞いたんだけど、この金額に間違いはない・・?」などと、機会を見つけてトゥルキ氏やアラム,エディ・ハーンらに直接裏を取りに行く場合も有るだろう。

事実確認を目的にした電話インタビューのプロポーザルは、きっと大橋会長も受けていたのでは。

何処の関係者でもない、無名かつ在野の一マニアに過ぎない拙ブログ管理人は、「1,900万ドル」は事実に相違無し」と確信している。

その理由は、本記事冒頭に掲載した写真。サウジ入りしたモンスターと大橋会長を、王子が自宅に招いているからだ。

総勢1万5千人と言われるサウジ王族の中で、権力を握り継承を続けるサウード家(一族は約2千人)の王子が、晩餐会をセットして遠来のモンスターを歓待してくれている。これは重要な意味を持つ。

握手をする井上尚弥(左)とサウード家の王子(右)

一部国内スポーツ紙は、この人物をムハンマド・ビン・ファイサル・アル・サウード(Mohammad bin Faisal Al Saud)王子と報じているが、この方は「ファイサル王」と呼ばれる第三代ファイサル・ビン・アブドゥルアズィーズ・アル・サウード国王(1906年4月14日~1975年3月25日)の実子で、2017年に逝去している。

7代目となるサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ現国王(1935年12月31日~)は、初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード(1876年~1953年11月9日没)の25番目(!)の男子。

同じ名前を順番を入れ替えて使いまわし(失礼)する為、サウジの王族に縁と関心が薄い日本人には、そもそも分かり難いこと夥しく、いずれにしても、取材時の確認ミスである可能性が高い。

写真を見る限り、「eスポーツ連盟(SEF:Saudi Esports Federation)」のチェアマンで、「国際eスポーツ連盟(IESF:International Esports Federation)」の会長を兼務するファイサル・ビン・バンダル・ビン・スルタン・アル・サウード(Faisal bin Bandar bin Sultan Al-Saud)王子で間違いないのではないかと思う。

◎HRH Prince Faisal bin Bandar bin Sultan
2024年8月25日/New Global Sport Conference

◎関連URL
<1>SEF BOARD
https://saudiesports.sa/board-members
<2>IESF:Board Members
https://iesf.org/board-members/

いずれの紹介ページにも、「HRH(His/Her Royal Highness:殿下)」の敬称を付けた上で、プリンス(Prince)と記載されている。

エンターテイメント振興の旗を振るムハンマド・ビン・サルマーン(Mohammad bin Salman Al Saud)皇太子への拝謁なら、何処からも異論や文句は出なかったと思う。

しかしながら、公の施設ではなく私有する邸宅のどこかだったとしても、次期国王直々のお招きとなると、晩餐会ではなく短時間の謁見でも、これはもう国賓待遇になってしまう。皇太子とのダイレクトな面会が難しいのは当然で、こればかりは致し方が無い。


だがしかし、ブラッドリーの注目すべき発言は、「1,900万ドルはクレイジー」ではなく他にある。6分34秒付近からのブラッドリーに要注意。

「リヤド・シーズンは様々なスポーツに関わっているが、バスケットボールとアメリカン・フットボールには手を着けられていない。おそらくだが、機構側が彼(トゥルキ氏)を警戒してるんだろう。(Riyadh season is involved in just about every sports. They haven't gotten involved in basketball, yet football, American football, you know. I think those entities are trying to keep him away.)」

「だが、サッカーは勿論のこと、競馬,ナスカー(NASCAR:市販車レースの最高峰),ゴルフに卓球等々、既に取り組んでいるものもたくさんある。(But I mean as far as soccer goes as far as horse racing goes NASCAR I mean golf I mean table tennis I mean there's so much.)」

「彼らは、サウジアラビアをあらゆるスポーツのメッカにするつもりなんだ。リヤド・シーズン(のスポーツ・イベント)全体から見れば、ボクシングはほんの一部に過ぎない。(They want Saudi Arabia to be the Mecca of all sports that's what they're trying to do boxing intended a small sector of what Riyadh season is really about.)」


確かに仰る通り。ブラッドリーは良く勉強している。今やESPNのメイン・コメンテーターと言ってもいい活躍ぶりは、日々の地道な努力の賜物と称するべきか。

しょっぱなに、まだ手の着いていない「バスケットボールとアメフト」を挙げているが、ここはアメリカの象徴でもある「4大(NHLを除く)+人気スポーツ」に置き換えると分かり易い。「いや、MLBが抜けてるぞ」とツッコミが入りそうだが、実は野球はもう始まっている。

推進の主体は、クリケット委員会が設立母体となったUAE(アラブ首長国連邦)で、MLB人気が比較的高いとされるインドとパキスタンの2ヶ国が加わり、「ベースボール・ユナイテッド」と名付けたプロ・リーグを結成。

オランダ出身の元メジャーリーガーらをスカウトして、チーム編成が進んでいると昨年1月か2月頃に報じられ、11月24日と25日にお披露目のオールスター戦が行われている。昨季限りでNPBを引退した、元ベイスターズの平田真吾投手(パキスタンのチームに所属)が第2戦に登板して話題になった。

◎Baseball United Showcase 2023
2024年1月26日/Baseball United


当然の流れ(?)で、サウジも「ベースボール・ユナイテッド」への参加を決めている。どこまでチーム作りが出来ているのかはわからないけれど、インドとパキスタンがそれぞれ1チーム,本体のUAE×2チームに、サウジが発足させる予定の5チームが参戦する。

レギュラーシーズンの幕開けは来秋と伝えられていたが、以下の通り、8月1日に日程がリリースされた。

(1)1stシーズン:2025年10月23日開幕
(2)参加チーム:ムンバイ・コブラス(インド),カラチ・モナークス(パキスタン),アラビア・ウルブズ(UAE/ドバイ),ミッドイースト・ファルコンズ(UAE/アブダビ),サウジアラビア発足予定(リヤド)の5チーム
(3)リーグ戦:2025年10月23日~2025年11月23日まで/33試合
(4)カップ戦:2026年2月22日~2025年3月1日まで/(総当りトーナメント)

※BASEBALL UNITED ANNOUNCES DATES FOR FIRST FULL SEASON AND INAUGURAL BASEBALL UNITED CUP
2024年8月1日/Baseball United
https://baseballunited.com/news/baseball-united-announces-dates-first-full-season-inaugural-baseball-united-cup

記念すべきファースト・シーズンの結果次第ということになるが、チーム数の拡大と同時に裾野を拡げて行く為にも、メジャー(ロースターに入れないAAAの中堅を含め)を中心としたメキシコ,ドミニカ,プエルトリコ,ベネズエラなどの北中米諸国,NPB,韓国,台湾のピークを過ぎたベテラン選手と、現場を離れた指導者,元選手に対する需要は高くならざるを得ず、スカウト活動が活発になるのは自明の理で、既に契約する選手がいるオランダ、イタリアに、元阪神の名ショートで85年の日本一を率いた吉田義男が指導したフランス,中国も重要な供給源になりそうだ。

「グローバル・アンバサダー戦略」はこちらでもやっていて、プロジェクトの設立母体でもあるクリケット界から、引退したパキスタンのスーパースター,ショアイブ・アクタールが三顧の礼を持って招かれ、MLBからもアルバード・プホルズ(実働22年/通算703本塁打・3384安打/打率:296)が招聘された。いずれも契約の金額は明らかにされていない。


モータースポーツの立ち上げにもまい進していて、2021年の暮れにジッダ(ジェッダ)にあるサーキットでF1グランプリを初めて開催し、2022年以降毎年3月に行っている他、WRC(世界ラリー選手権)がリヤド・シーズンと向こう10年の契約を交わし、かつてヨルダンで実施された「中東ラウンド」が復活すると、大きなニュースになったのが今年6月。

2025年は年明け早々の1月23日にモンテカルロで激走の火蓋を切り、スウェーデン,ケニア,カナリア諸島,ポルトガル,イタリア,ギリシャを転戦。

7月にはエストニアとフィンランドを回り、8~9月に南米(パラグアイ・チリ)を走った後、昨年から始まった「セントラル・ヨーロピアン・ラリー」が、オクトーバー・フェスト(世界的に有名なビール祭り)で盛り上がる独・オーストリアとチェコで行われる。

そして11月に日本(昨年と今年=本日より開催=に引き続き愛知と岐阜で開催)を駆け抜け、リヤド・シーズン真っ只中のサウジで大団円を迎えるというスケジュール。


フロリダに本拠を置く「ナスカー(NASCAR)」も、サウジでのレース開催に向けて具体的な話し合いに入っている。最終的な合意には至っていないとのことだが、サウジは「キディヤ(Qiddiya City)」と名付けられた巨大リゾートに建設中のサーキット(キディア・スピードパーク:2027~28年開業予定)にF1の開催を移す計画で、「ナスカー(NASCAR)」も同じ場所での開催を基本に協議中。

◎How Qiddiya City's F1 Track will "Push the Boundaries" of Racing
2024年5月21日/Autosport


◎World First Gaming & Esport District
2023年12月15日/Qiddiya


このプロジェクトを推進するのも、サウード家が牛耳る政府系の投資会社(PIF:Public Investment Fund)で、既に数百億ドルを投じているとされる。全体の計画の中で、ボクシング(とUFC,プロレス)が「ほんの一部に過ぎない」とのブラッドリーの指摘はまったく正しい。

「幾ら潤沢なオイル・マネーでも、天井知らずの予算である訳がなく、日本のボクシング・マーケットの規模は、当たり前だがアメリカの足下にも及ばない。いくら大スターの井上だからと言っても、軽量級の日本人に、そこまでの価値を認めるとは思えない。」

「実際に確認した金額は、報道よりもずっと少なかった。これは事実だ。俺を信じろ。」

とまあ、ブラッドリーの言いたいことも理解はできる。しかし、エンターテイメント産業の勃興に費やす予算は不明で、どこまで膨らむのか予測もつかない。だからこそ「1,900万ドルはむしろ安い買い物」だと、逆の見方も十分に成り立つ。

さらに、大枚を投じてモンスターを押さえる理由と目的は、ボクシング・セクターの活性化だけではない。


※Part 3 へ


リング誌が身売り /新たなオーナーはリヤド・シーズン - ”Bible of Boxing”に何が起きた? -

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■リング誌が身売り/ゴールデン・ボーイによる時世は17年で幕

リング誌オフィシャルサイトトップページのスクリーンショット:2024年11月10日現在工事中

ちょうど3日前のことだった。P4Pランキングを確認しようと思い、ブックマークからリンクを開くと「404エラー(Page Not Found)」になる。キャッシュの強制クリアをやり、何度かやり直したが駄目で、トップページにアクセスすると上のページが・・・。

気が付いたのが7日だったというだけで、何時工事中になったのかはわからない。すぐに公式Xを確認すると、「New Era Coming Soon(新時代の幕開け・近日公開)」の文字が目に飛び込んできた。

◎リング誌公式X
https://x.com/ringmagazine


11月7日付けで、「Today marks a new era for the Ring Magazine. Stay tuned!(本日より、リング誌は新しい時代を迎える。乞うご期待!)」と書かれた短いポストもあり、さらにその下には、まったく同じ内容のポストが続く。

何と、リヤド・シーズンを牽引するトゥルキ・アルシャイフ長官(サウジ政府エンテーテイメント庁)の公式Xではないか。



「えっ!? サウジの国家プロジェクトに身売り・・・?」

流石に驚いた。英語版のWikiは(10日現在)更新されておらず、Boxrecのリング誌に関する記事にも加筆・変更は無し。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ring_(magazine)
https://boxrec.com/wiki/index.php/The_Ring_Magazine

早速ググってみると、以下に挙げる記事が見つかる。

<1>Brunch Boxing
Brunch Boxing Exclusive: Oscar De La Hoya Sells The Ring To Turki Alalshikh
2024年11月6日/マシュー・ブラウン(Matthew Brown)
https://www.brunchboxing.com/post/brunch-boxing-exclusive-oscar-de-la-hoya-sells-the-ring-to-turki-alalshikh

<2>THE BOXING TRIBUNE
2024年11月6日/ポール・マグノ(Paul Magno)
https://theboxingtribune.com/ring-magazine-is-sold-to-saudi-arabia-why-this-happened-and-why-it-matters/

<3>BOXING NEWS 24/7
Turki Alalshikh Buys Ring Magazine
2024年11月7日/ジェームズ・スレーター(James Slater)
https://www.boxing247.com/boxing-news/turki-alalshikh-buys-ring-magazine/283759
Turki Alalshikh Buys Ring Magazine

<4>Bad Left Hook
Turki Alalshikh reportedly purchases Ring Magazine
2024年11月7日/パトリック・スタムバーグ(Patrick Stumberg)
https://www.badlefthook.com/2024/11/7/24290348/turki-alalshikh-reportedly-purchases-ring-magazine-boxing-news-2024


やはりと言うべきか、悲観(否定)的な論調が目に付く。

ボクシング興行を手掛ける「Pro Box TV」が「Boxing Scene」を買収した時(今年2月)も、「ボクシング・ジャーナリズムの危機」を煽る記事が散見されたが、それほど大きなハレーションは起きていない。

リング誌とは歴史と権威がまるで違うし、「Pro Box TV」はフロリダにオフィスがあり、経営者のゲイリー・ジョーンズもアメリカ人だ。

しかし、王国アメリカが誇るリング誌は、「Bible of Boxing」を自他共に認める老舗の専門誌(2022年12月以降:印刷媒体の発刊終了/オンライン販売のみ)で、アメリカのボクシング・ファンに取って、ランキング(階級別)と言えば、何は無くともまずはリング誌。

”ミスター・ボクシング”と呼ばれた創始者ナット・フライシャーが言い出しっぺのパウンド・フォー・パウンド・ランキングは勿論、ファイター・オブ・ジ・イヤー等の年間表彰に至るまで、在米ファンと関係者がリング誌に寄せる信頼は深く厚い。

もはやランキング(世界タイトルへの挑戦資格=優先順込みの実力評価)の体を為さない、主要4団体の目に余る堕落ぶりが、リング誌ランキングの重要性と権威にさらなる箔を与え続けてきた。

そのリング誌が、中東サウジのオイル・マネーに買われてしまったのである。


かつてバブル華やかなりし80年代末、「ジャパン・バッシング」なる造語が世の中を席巻した。インフレによる景気の後退に苦しみ、徐々に追い詰められて行く70年代を経たアメリカの国家と人々は、高度経済成長を背景に世界第2位の経済大国にのし上り、巨額の対米貿易黒字を上げ続ける日本を心の底から憎み始めたかに見えた。

ホワイトハウスの真ん前で、トヨタの車や東芝,ソニーのテレビとラジカセをハンマーで叩き壊す映像と写真が世界中に喧伝され、三菱地所によるロックフェラー・センターの買収(1989年10月)に続き、コロンビア・ピクチャーズがソニーに吸収(1989年11月)されると、アメリカの怒りは頂点に達し、日章旗を燃やす過激なパフォーマンスもまかり通った。

この間、東芝機械の「ココム違反(1987年:ソ連技術機械輸入公団との取引を問題視された)」摘発、「スーパー301条の可決(1988年:日本に対する輸入関税の大幅引き上げ)」等が行われ、環境ロビイストの反捕鯨キャンペーンが一気に激化したのも、確かこの頃だった筈。

日本との貿易摩擦を太平洋戦争になぞらえる経済学者と評論家が現れ、軋轢の対象は車と家電だけで済む筈がなく、当然のように農産物に拡大(アメリカは世界最大規模の農業大国でもある)。当時の反日キャンペーンの凄まじさは、中・韓も真っ青になる勢いだった。

Boxing Insiders
左から:リッチ・マロッタ(著名なキャスター),デラ・ホーヤ,トゥルキ・アルシャイフ,”石の拳”ロベルト・デュラン,エディ・ハーン

オイルマネーへの依存が日々増すばかりの在米ボクシング関係者(とりわけプロモーター)に、サウジと事を構える余裕は無い。「ボクシング版サウジ・バッシング」が巻き起こる恐れは皆無で、大概の要求は呑まざるを得なくなる。

けれども、大切な仕事の幾つかを失うであろう記者と筋金入りのファンは、今後もリング誌が発表を続ける月例ランキングとP4Pランキングを目を皿のようにして凝視し、「ここがおかしい、あそこもおかしい」と突つき出すのではないか。

年間表彰も含めたボード・メンバーの変動、プレビュー&レビューを始めとする記事の書き手や内容にも、容赦のない厳しいチェックが入るに違いない。

リヤド・シーズン(サウジアラビア政府総合エンターテイメント庁)にリング誌の経営権を売り渡したオスカー・デラ・ホーヤは、目の中に入れても痛くない掌中の珠,ヴァージル・オルティズを、凋落傾向が見え始めたテレンス・クロフォードに一刻も早くぶつけたい。オルティズにクロフォードを食わせて、P4Pファイターとしての地位を奪う。その一心が丸見えである。


◎His Excellency Turki Alalshikh On Canelo Position, Crawford vs. Ortiz & More
2024/年8月15日/DAZN Boxing


◎TURKI ALALSHIKH MEETS VERGIL ORTIZ
2024/年8月11日/クリスティーナ・ラミレス(Kristyna Ramirez)


デラ・ホーヤが2007年にリング誌を買い取った時も、年季の入った記者とファンの反発は激しかった。積極果敢な引き抜き工作を展開して、ゴールデン・ボーイ・プロモーションズは急拡大の真っ最中。50名を超えるチャンピオン&ランカー・クラスを従えて、3~4年の短期間で全米最大規模のプロモーションに成長。

リング誌のランキングが、GBPの支配下選手に有利に操作されるのではないか。GBPに忖度した恣意的な記事が増えるに決まっている等々、門外漢の日本の一ファンから見れば、被害妄想か八つ当たりに感じられるほどだった。

「MMAにおけるUFCを目指す。」

寡占化への野心を隠さないデラ・ホーヤは、前人未到の6階級制覇達成に労を尽くしたボブ・アラムを筆頭に、全米各地のプロモーターとも対立。パッキャオとドネアに仕掛けた引き抜き工作をきっかけに、GBPとトップランクは訴訟合戦を繰り返し、両者の関係は「冷戦」と呼ばれるほど悪化した。

そして自身の現役時代を振り返りつつ、統一王座の防衛戦で主要4団体に支払う承認料に頭を悩ませ、コスト削減にまい進するデラ・ホーヤ。

2002年に編集長に復帰したナイジェル・コリンズ(2度目)が、主要4団体の乱脈なチャンピオンシップの運用にモノを申す格好で復活させたリング誌認定王座を、主要4団体の上位に位置づける目論見を手厳しく批判された事もあり、「リング誌の編集方針にはけっして介入しない」と声明を出さざるを得なくなる。

GBPによる買収を契機にコリンズは自ら職を辞して、考えを一にする仲間たちと、新たなランキング・ボード「TBRB(Transnational Boxing Rankings Board)」を立ち上げた。

やはり興行を手掛ける側は、メディアとの距離について常にセンシティブでなければならない。報道された内容と事実に齟齬があり、止むを得ず影響力を行使せざるを得ない場合でも、余程のことがない限り、慎重かつ抑制的であるべきだと思う。

在米ファンと関係者のこうしたハレーションには理由がある。思い出したくもない悪い記憶、悪夢と言い換えてもいい。1977年に勃発した、大規模なボクシング・トーナメントに関わる不正の発覚だった。


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◎1977年の一大スキャンダル(Ring Magazine Scandal)

創始者ナット・フライシャーが1972年に亡くなった後、経営を引き継いだ娘婿ナット・ルーべの下で、リング誌は赤字を垂れ流し続けた。建て直しを焦ったルーべは、ドン・キングの姦計にまんまと絡め取られてしまう。

ABCのバックアップを取り付けたキングが、1977年に実施したトーナメント(United States Boxing Championships Series:全米ボクシング選手権シリーズ)において、八百長を含む様々な疑惑が指摘・追求され、記者たちの懸命な取材の過程で、リング誌による一部参加選手の戦績捏造と、同誌のランキング作成・更新に関わる不正な操作が発覚。”Bible of Boxing”はスキャンダルに塗れる。

建国200周年を迎えた1976年、低迷を続ける経済(貿易赤字の拡大+年末にはGNPの実質成長率がマイナスに転じる)とは裏腹に、全米各地で催されたパレードの効用もあって、祝賀気分が盛り上がっていた。

2年前にアフリカのキンシャサで奇跡的な復活を遂げたモハメッド・アリが、衛星中継(商業利用が本格稼動)にクローズド・サーキットを組み合わせた新たなビジネス・モデルの確立に貢献。桁の違う巨額の報酬を実現する。

スポーツの経済的基盤を根底から作り変える一大革命が進む只中、モントリオールで行われた夏季五輪でも、シュガー・レイ・レナードとスピンクス兄弟ら5名が金メダルの栄冠に輝き、映画「ロッキー(第1作)」が大ヒットを飛ばすなど、ボクシング界も活況を呈してはいた。

アリ vs ノートン第3戦のプレス・カンファレンス(1976年9月13日)
※旧ヤンキー・スタジアムで行われたアリ vs ノートン第3戦の会見(1976年9月13日:N.Y.市庁舎前)/トラッシュトークを仕掛けるアリとノートンの間に入って分けているのがニューヨーク市長のエイブラハム・ビーム

映画「ロッキー」

この流れを逃すまいと、機を見るに敏なキングが「全階級でアメリカのチャンピオンを決める大会」を思いつく。

無理と分かり切っている世界王者とトップランカー・クラスの参戦はハナから眼中に無く、大手プロモーションがけっして手を付けようとしない、ローカル・ランクの中~上位の無名選手を中心に声をかけつつ、ラリー・ホームズ(ヘビー級)やフランキー・バルタザール(J・ライト級)といった、支配下に収めたリアルな王者候補に、フロイド・メイウェザー・シニアやソウル・マンビー(後のWBC J・ウェルター級王者)、ミネソタの元ホワイト・ホープ(白人ヘビー級)スコット・ルドーといった、”スターになれない中堅の実力者”を適度にまぶす。

そしてキングは、トーナメントに参加するボクサーをハンドリングするマネージャーのうち2名と結託し、特定の選手(11名が確認されている)に有利な仕掛け、お得意(?)の「判定の操作(審判の買収)」をやらかしただけでなく、リング誌に働きかけて階級別ランキングに押し込み、さらに偽りの戦果をレコードに付け加えさせた。

しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。トーナメント中のある試合の判定に対して、ファンと関係者の猛烈な批判が巻き起こり、「絶対におかしい。何かある。」と感じた何名かの記者が取材を開始。

ニューヨーク在住の売れないライターだったマルコム・ゴードンと、このトーナメントを最初から怪しいと感じていたABCスポーツのプロデューサー,アレックス・ワラウが、疑惑追及の中心的な役割を果たして行く。

実力に見合わない高いゲタを履かそうとしても、物事には自ずと限度がある。無理に無理を重ねた細工は、必ずどこかで露見・破綻してしまう。ジョージ・フォアマン,ドゥウェイン・ボビックらとの対戦経験を持つルドーも、不当な判定で敗退に追い込まれた1人で、禁を破って(?)告発に打って出る。

「キングは特定の選手に勝たせる為に不正を仕組んだ。負けにされることを事前に知らされ、実際その通りになった。立場の弱いマネージャーたちは、キングに報酬のキックバック(リベート)を強要されていた。」

ドン・キングとスコット・ルドー(1980年)
※ドン・キングとスコット・ルドー/写真は1980年にルドーがラリー・ホームズ(WBC王者になっていた)に挑戦した時のもの

不正疑惑がいよいよ真実味を増す中、キングのアイディアに乗って150万ドル(当時のレートでおよそ4億2千万円/1ドル:280円前後)を拠出し、中継を行ったABCがトーナメントからの撤退を表明。その後、プロボクシングの中継そのものから手を引く。

欧米では、八百長を始めとするスポーツの様々な不正に対して、捜査機関と司法による事実の解明と罰則(刑事罰を含む)を科す法体系が整備されている。各州の独立性を重んじるアメリカの場合、州をまたがる事件にはFBIが出張って捜査を行う。

本件でもFBIが動き、ランキングの水増しと戦績の改ざんを行ったのは、リング誌のランキング・ボードを束ねる副編集長(複数いるうちの1人)のジョニー・オルトだと判明。11人の選手に対して、オルトは1976年の半ば頃から徐々に改ざんを進めていたとされる。

ルーべと他の幹部社員は不正を真っ向から否定したが、「やってもいない試合が戦績に追加され、分不相応なランキングが与えられているのに、ズブの素人じゃないんだから気付かない訳がない」と誰もが考える。

リング誌への見返りは、70,000ドル(約2千万円弱)とABCのネットワークを使った広告だったという。フライシャーが亡くなる10年ほど前(60年代初め頃)から、同誌の発行部数は減少が続き、増え続ける赤字を解消する目処が立つ気配も無し。ABCのアドバタイズに飛びつきたくなる気持ちは、理解の範疇ではある。

だとしても、リスクの大きさに対する認識が甘過ぎた。けっして許されない改ざんではあるが、八百長に直接手を下していた訳ではなく、オルトがリング誌とボクシング界から追放されたのは当然にしても、刑事罰での訴追対象にならずに済んだのは不幸中の幸い。

そしてキングは、いざという時に追及の手が自らに及ばぬよう、周到に計画を練っている。フロリダ沖に停泊する米空母や海軍兵学校のキャンパス、刑務所内にある矯正施設等々、各州アスレチック・コミッションの管轄外となる場所を会場に選び、文書・録音・録画などの証拠は絶対に残さない。

トカゲの尻尾として切られる部下たちへの手当ても、抜かり無く済ませていたらしく、判定に関わる八百長疑惑は立証には至らず、キング自身もごく短期間のサスペンドを受けたのみで、事実上の無罪放免となる。結局、刑事罰で有罪になった関係者は1人もいなかった。


火の手が上がった直後に「不正は無い」と言い切ったルーべと、「トーナメントは正しく運営されている」と断じたニューヨーク州アスレチック・コミッションのジェームズ・ファーリー(コミッショナー)の2人が、道義的責任を取らざるを得なくなって辞任に追い込まれる。

ボクシング業界内とファンの信用を失ったルーべは、記者出身のデイヴ・ドゥビュッシャーのグループに経営権を譲渡。1979年に表舞台から去り、気鋭のジャーナリスト兼ヒストリアンのバート・シュガーが編集長として乗り込み、あの手この手で経営の改善に尽力したが、100万ドルを超える負債をどうすることもできず志半ばで退任。

1989年に4代目の経営者となったスタンレー・ウェストン(2006年殿堂入り)は、リング誌をG.C.(ゴーイング・コンサーン)に指定。1984年にシュガーの後任を託されたランディ・ゴードン(後のニューヨーク州コミッショナー)だけでなく、高給を得ていた役員幹部を一掃し、ナイジェル・コリンズを編集長に据えて経営の刷新に成功。現在に至っている。


スタッフ全員が体制の変更を聞かされたのは9月中だったとされ、トゥルキ氏は2022年の暮れに止めた印刷媒体を復活させる方針らしく、現編集長のダグ・フィッシャーを留任させ、その任に当たらせるという。

ただし、ここまでリング誌を支えてきたベテラン記者陣は解散となり、フィッシャーは新たな予算の枠内で、新たなチーム編成を余儀なくされる。アンソン・ウェインライト、ライアン・ソンガリア、クリフ・ロルド、フランシスコ・サラザールらお馴染みの顔ぶれも、新しいオフィスから姿を消す模様。


天に召されて40余年。雲間から眼光鋭い視線を下界に向けて、ミスター・ボクシングは何を思うのだろう。

左:ナット・フライシャー(1965年)/右:創刊号の表紙(1922年2月)
※左:ナット・フライシャー(1965年)/右:創刊号表紙(1922年2月)


※”シンデレラ・マン”,ジム・ブラドックを破り載冠したジョー・ルイスにベルトを贈呈するフライシャー(1937年)

フライシャーと歴史的名王者たち
※画像左(1957年/左から):ホーガン・”キッド”・バッシー(NBAフェザー級王者/ナイジェリア初の世界王者),フライシャー,シュガー・レイ・ロビンソン(4度目のミドル級王座返り咲き)
※画像右(1941年):チャーキー・ライト(ニューヨーク州公認フェザー級王者)にベルトを贈呈するフライシャー

熱砂の拳 -ミラクル・フィスト リヤドを行く 1 -

カテゴリ:
■モンスターがリヤド・シーズンと破格の契約 1



既報の通り、我らがリアル・モンスターがリヤドに降り立った。総額30億円の契約が大きく喧伝され、海の向こうからは、「馬鹿げている。そんな高額じゃない」と冷や水をかける異論が飛び出すなど、当然ボクシング界限定ではあるが、国際的な規模で話のネタになっている。

報道によれば、契約の概要は以下の通り。

(1)スポンサーシップ契約の締結
(2)意義・目的:サウジアラビアと日本の外交関係樹立70周年(2025年)を記念するとともに両国のスポーツ分野を通じたアンバサダー的な役割を期待
(3)トランクス広告:今後使用する試合用トランクスの正面ベルトラインに「リヤド・シーズン」のロゴを掲載
※12月24日のサム・グッドマン戦~契約満了まで(契約期間:未発表)
(4)試合契約は結んでいない(含まれていない模様)
(5)来年超特大のサプライズを用意(!)
※井上陣営にとって最適のタイミングで発表予定(乞うご期待)

◎参考サイト
サウジアラビア総合娯楽庁(リヤド・シーズン)が井上尚弥選手との歴史的契約を締結!
~サウジアラビアと日本の友好関係樹立70周年を祝し、スポーツパートナーシップを発表~
2024年11月4日/PR TIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000031.000077175.html


◎現地で行われた調印式
井上尚弥、サウジアラビアで“推定30億円”の大型契約を締結 2025年のビッグサプライズも予告「彼は史上最強のファイター」
2024年11月6日/oricon
https://www.youtube.com/watch?v=65QLIa0jKgY


「2025年度中のメガ・サプライズ」も含めて、契約の中身がすべて明らかにされた訳ではないが、主に日本国内における「リヤド・シーズン」の広告塔。それが、我らがモンスターに与えられた使命になる。

1,900万ドル($19 million:現在のレートで約29億円)と報じられた契約金(?)は、手っ取り早く言うと「看板料」だが、(推定)30億円を法外と見るか妥当と見るか、はたまた「安い」と断じるかは人それぞれ。


サウジ当局とモンスターの接近は昨年来報じられていたし、タパレス戦の直後の会見で、大橋会長が冗談交じりにではあるが、「サウジアラビアも考えています。はっきりは決まってませんが、選択肢にはあります。」と含みを持たせている。

また、幾つかの在米専門サイトも、サウジ行きに関する見通しに言及した記事をアップ。今年の3試合について、何処で誰とやるのか占っていた。

トップランクも大橋会長に足並みを揃えるように、本件に関して公式サイトのNewsページで報じていたが、今年7月にはリヤド・シーズンとのパートナーシップ締結を正式にリリース済み。規定の路線と表して間違いない。

Hangler_Monster
※左から:ボブ・アラム,モンスター,大橋会長(タパレス戦)

◎井上尚弥の今後 サウジアラビア開催を大橋会長否定せず 相手はネリ、アフマダリエフら視野
2023年12月27日/デイリースポーツ【公式】


◎関連記事:トップランク公式他
<1>THE NIGHTMARE ON CHRISTMAS EVE: NAOYA INOUE TO DEFEND UNDISPUTED SUPER BANTAMWEIGHT CROWN AGAINST SAM GOODMAN DECEMBER 24 AT TOKYO’S ARIAKE ARENA LIVE ON ESPN+
2024年10月24日/Top Rank
https://www.toprank.com/all-news/the-nightmare-on-christmas-eve-naoya-inoue-to-defend-undisputed-super-bantamweight-crown-against-sam-goodman-december-24-at-tokyos-ariake-arena-live-on-espn/
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<2>RIYADH SEASON AND TOP RANK AGREE ON OFFICIAL PARTNERSHIP
2024年7月22日/Top Rank
https://www.toprank.com/all-news/riyadh-season-and-top-rank-agree-on-official-partnership/
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<3>Year-End Combo: Saudi money, Inoue gets the last word
2023年12月22日/15rounds.com(Norm Frauenheim)
https://www.15rounds.com/2023/12/22/year-end-combo-saudi-money-inoue-gets-the-last-word/?print=print
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<4>Team Inoue Eyes Tokyo Dome, Saudi Arabia As Hosting Locations For Planned Three-Fight 2024 Campaign
2023年12月28日/Boxing Scene(Jake Donovan)
https://www.boxingscene.com/team-inoue-eyes-tokyo-dome-saudi-arabia-hosting-locations-planned-three-fight-2024-campaign--180335
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決定的だったのは、先月24日の出来事である。サウジのエンターテイメント産業振興を双肩に担うトゥルキ・アルシャイフ氏(英語:Turki bin Abdul Mohsen Al-Sheikh/詳細は次章にて)が突如来日。滞在先の自室にモンスターを招き、記念撮影の画像を自身の公式Xにポストしていた。

◎@Turki_alalshikh 公式X/10月24日



そしてリヤド・シーズンのロゴと聞いて、パっとすぐに思い浮かぶのは、以下に掲載するシンボルマークだろう。

<1>縦使い


<2>横使い



上で紹介したPR TIMESの記事にも掲載されているが、既にトランクスのデザイン見本も出来上がっている。でも、当たり前過ぎて面白くないなと思い、勝手に見本を作ってみた。ボクシングのトランクス用にいかがだろうか。

「いや、全然普通だけど。どこが面白いの?」

「・・・お呼びでない・・・こりゃまた失礼しました・・・(古過ぎ)」

リヤド・シーズンのロゴを表示したトランクス見本
左:各種の記事で掲載・公開されている見本
右:拙ブログ管理人案(知らんがな・・・)


冗談はさておき、井上尚弥が着用するトランクスのベルトラインと言えば、実父の真吾トレーナーが興した「明成塗装(家業)」のロゴが懐かしい。ジェイミー・マクドネルへの挑戦を目前に控えた2018年5月、NTTとの契約を公表した後は、ベルトラインの「明成塗装」の下に「ひかりTV」のロゴが貼られた。

そして、WBSSの初陣となったファン・C・パジャーノ戦から、ラスベガス・デビューを鮮やかなKOで飾ったジェイソン・モロニー戦まで、2017年に誕生した待望の第一子(長男)、明波(あきは)君の二文字を大きく掲載。

ラスベガスでの2連戦となったマイケル・ダスマリナス戦以降は、GGG(トリプル・ジー)ならぬ「AAA(トリプル・エー)」が代名詞に。いずれも女の子の為名前は非公開だが、第二子(2019年)と第三子(2021年)も「A」から始まるらしく、「AAA」の由来とされている。

井上尚弥:トランクスの広告等の変遷
※画像/左から:M・タパレス戦(2023年12月26日/KO10R),ドネア第2戦(2022年6月7日/TKO2R),M・ダスマリナス戦(2021年6月19日/TKO3R),ドネア第1戦(2019年11月7日/UD12R/WBSS Final),J・マクドネル戦(2018年5月25日/TKO1R)

圧巻のボディショットをこれでもかと見せ付けたダスマリナス戦に続き、ディフェンス一辺倒に閉じこもるムエタイの猛者を倒しあぐねて、「俺ってパンチ無いのかなって・・・」と試合後の会見で取材陣の笑いを誘ったアラン・ディパエン戦の2試合は、アルファベット「A」の下末尾左側を、カイゼル髭のように跳ね上げた書体だった。

正直なところ、「う~ん・・・」と首を傾げざるを得ないデザインで、「どうにかならんか」と勝手に心配していたが、ドネアとのリマッチに合わせてシンプルなゴシック系に変わり一安心。ピシっと締まってカッコ良くなった。

「たかが書体、されど書体。」

強くてカッコいいチャンピオンが身に着けるものには、すべからくカッコいいデザインが欠かせない。

モンスターの稀有なボクシングを支え続ける、ファミリーの堅い結束の象徴とも言うべき「AAA(トリプル・エー)」だけに、リヤド・シーズンのロゴにその場所を譲っても、何処かにしっかり存在する筈だ。

例えば、ベルトラインの背面。「チャンスに向けて背中を強く押し、ピンチを迎えた時にはガッチリ支える防衛ラインに(後者はまず必要無いか・・・)」という意味も込めて、これはもう決まりでしょう。そして、左右両サイドを腰から大腿にかけて伸びるライン上に、縦並びに「A」を3つ。

嗚呼、考え出すともう止まらん・・・。


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本当に冗談は程々にして、さらに追記。リヤド・シーズンのボクシング・アンバサダーは、我らがモンスターだけではない。既に報じられているのは、テレンス・クロフォードとアンソニー・ジョシュアの2人。

ウズベク中量級の雄,イスラエル(イズライル)・マドリモフに競り勝ち(?)、154ポンドの2団体(WBA・WBO:決定戦)を制しはしたものの、冴えないパフォーマンスへの評価は芳しいものとは言えず、栄えある4階級制覇にケチが付いた格好のクロフォード。

リング誌のP4Pランキングも3位に据え置きとなって、5月6日の更新でモンスターに追い落とされた1位への復帰は成らなかった(10月14日の更新も変動無し)。

サイズのディス・アドバンテージが露となり、急に年齢(37歳)の影響を取り沙汰され出す。拙ブログもプレビューで年齢の問題には触れたが、ボクシング・ビジネスの常とは言え気の毒な気もする。プロである以上、内容と結果を問われるのは致し方のないことではあるけれども。


8月3日にロサンゼルスのBMOスタジアム(旧ロサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ:2万2千人収容のサッカースタジアム)で行われたS・ウェルター級タイトルマッチは、リヤド・シーズンが主催する初の海外イベントと銘打って行われ、リングに張られたキャンバスには、特大サイズのロゴがプリントされていた。

ただし、トランクスへのロゴ掲載は無し。クロフォードとの合意については、トゥルキ氏が6月13日付けの公式Xにポスト済み。モンスターのような、包括的なスポンサー契約ではない場合も有り得るし、条件の詳細は未だ交渉中なのかもしれない。

拡大サイズ

Terence Crawford vs Israil Madrimov

◎関連URL
<1>2024年6月13日/Turki Alalshikh 公式X
We welcome World Boxing Champion Terence Crawford as an Ambassador for #RiyadhSeason to promote global events.
https://x.com/Turki_alalshikh/status/1801226827857342869

<2>HE TURKI ALALSHIKH ANNOUNCES RIYADH SEASON TO HOST FIRST OVERSEAS EVENT IN LA AS CRAWFORD FACES MADRIMOV FOR WORLD 154 TITLES
APRIL 24 2024/Matchroom
https://www.matchroomboxing.com/news/he-turki-alalshikh-announces-riyadh-season-to-host-first-overseas-event-in-los-angeles-as-crawford-takes-on-madrimov-for-world-super-welterweight-titles/


クロフォードから2週間遅れの6月27日、アンバサダー就任が伝えられたジョシュアもまた、「リヤド・シーズンによる海外イベント第2弾」となったダニエル・デュボア戦(9月21日/ロンドン)で、リングのキャンバスやコーナーカバー、その他のイルミネーションには「リヤド・シーズン」のロゴとタイトルが盛大に使われていたが、トレードマークとなった純白のトランクスにロゴは無かった。

ジョシュアのトランクス(デュボア戦)

ジョシュア vs デュボア戦のキャンバス(左)とコーナーカバー(右)

96,000人(!)の大観衆が見つめるウェンブリー・スタジアム(フットボールの聖地)で、ショッキングなKO負けを喫してトゥルキ氏とハーンを愕然とさせたジョシュアだが、2人のハンドラーは傷心の元王者にして金メダリストを、早くもデュボアとの再戦に煽り立てている。

トゥルキ氏はハーンに対して、来年2月22日(サウジ開催?)を提示したとのことだが、ジョシュアの準備が間に合う筈がないとの見立てが大勢の様子。

◎Anthony Joshua's next fight date revealed by Eddie Hearn with Brit set to pass up chance for immediate Daniel Dubois rematch
By SPENCER MORGAN
2024年11月7日/Daily Mail
https://www.dailymail.co.uk/sport/boxing/article-14053485/Anthony-Joshuas-fight-date-revealed-Eddie-Hearn-Brit-set-pass-chance-immediate-Daniel-Dubois-rematch.html

ちなみに、ジョシュアのベルトライン背面のロゴ「Gisada(ジサダ)」は、スポンサー契約を結んでいるスイスの香水ブランド。米英のトップボクサーの場合、ベルトラインの正面にはファーストネームかニックネーム、背面にはファミリーネームをあしらうケースを多く見受ける。

タイソン・フューリーなら、正面は「Gipsy King」で背面にFuty」だし、なかなかスポンサーに恵まれない(?)クロフォードは、正面・背面ともファミリーネームの「Crawford」がもっぱら。

2度のリヤド登場に際して、自身のロゴ(独特のデザイン)を大きく強調して、ベルトラインがほとんど無いトランクスを使用していたワイルダーも、以前は太いベルトラインのポピュラー(現代)なトランクスを使い、「Wilder」と太い文字を入れていた。


それから、リング誌やESPNでお馴染みのマイク・コッピンガーが、クロフォードと一緒にヘビー級ホープのジャレッド・アンダーソン(米)と、イングランド期待のミドル級,ハムザ・シーラズ(シェーラズ/英)の2人にもオファーされたとXに投稿していたが、これは流石にフライングが過ぎたようだ。

引退の意向を漏らしたワイルダーに続いて、痛恨のストップで4敗目を喫したジョシュアにも限界説が公然と囁かれる中、ヘビー級のスターが何としても欲しいのは良く分かる。

しかし、8月3日のクロフォード vs マドリモフ戦のアンダーに出場したアンダーソンは、スコットランドを拠点に活動するコンゴ人,マーティン・バコーレ(21勝1敗/16KO)によもやの5回KO負け。

クルーザー級の元WBC王者イルンガ・マカブ(2019年以降ドン・キング傘下)を兄に持つバコーレをバックアップするのは、新興勢力BOXXERを率いる若きプロモーター,ベンジャミン・シャローム。名前(アラビア語ではサラーム)と風貌から容易に推察できるが、弱冠30歳の敏腕シャロームは、既にトゥルキ氏と良好な関係を築いている。

がしかし、32歳のバコーレに多くを望み過ぎるのは厳しい。幸いにもアンダーソンは24歳と若く、”ビッグ・ベイビー”を手掛けるトップランクは、性急なリマッチではなく、地元ヒューストンでの地道な巻き返しを図るのでは・・・?。


アミル・カーンと同様、パキスタンに出自を持つムスリムのシーラズ(21連勝17KO)は、アマで一定の戦果を残してフランク・ウォーレンの眼に止まり、クィーンズベリー・プロモーションズのハンドリングでプロ入り。

6月1日の「マッチルーム vs クィーンズベリー」対抗戦にも出場。キングダム・アリーナでテキサスの新星オースティン・ウィリアムズ(米/16連勝11KO)を11回TKOに屠り、WBCシルバー王座のV3に成功。無敗同士のプロスペクト対決を制して、9月21日のウェンブリーにも姿を現し、マッチルームが推す33歳の黒人サウスポー,タイラー・デニー(ウェスト・ミッドランズ出身)を2ラウンドで瞬殺。

空位の欧州(EBU)王座を獲得して、2年前に得た英連邦との2冠を達成し、残る英国王座(BBBofC British)を射止めれば、発祥国のトップクラスが世界に雄飛する為の三種の神器が揃う。3本のベルトを手中にすれば、リヤド・シーズンのアンバサダーもより現実味を増す。

現英国王者ブラッド・ポールス(19勝1敗1分け/11KO)は、同じクィーンズベリーの支配下にあり、ウォーレンの決断次第にはなるが、世界へのチケットを懸けた勝負は意外に早く訪れるかもしれない。

◎2024年6月13日/Mike Coppinger 公式X
https://x.com/MikeCoppinger/status/1801234833873506539
Turki Alalshikh announced one-year Riyadh Season ambassador agreements with Terence Crawford, Jared Anderson and Hamzah Sheeraz.

トゥルキ氏のポストに貼り付けられていたプレスリリース(画像)を拡大して確認したが、やはりアンダーソンとシーラズ(シェーラズ,シェラーズ,シラーズ等カナ表記は様々)の名前は無い。アンダーソンに関しては、バコーレ戦の結果次第だった可能性もあるけれど。

クロフォードとの合意を報じるプレスリリース(画像)

◎2024年6月13日/Turki Alalshikh 公式X
We welcome World Boxing Champion Terence Crawford as an Ambassador for #RiyadhSeason to promote global events.
https://x.com/Turki_alalshikh/status/1801226827857342869


Part 2 へ



命あるうちに - 袴田さんの無罪が確定 8 -

カテゴリ:
■検察は控訴を断念するも・・・ - Chapter 8


※年10月18日/Daiichi-TV news
【袴田さん無罪確定】静岡県警本部長が殺人事件被害者の遺族に直接謝罪

先週の木曜から金曜にかけて、被害者のご遺族(お孫さん)が静岡県警を訪れ、津田隆好本部長が真犯人を逮捕できず、事件の真相解明ができなかったことを謝罪したと報じられた。

主にyoutubeやXを媒体として、被害に遭われた橋本(元)専務一家のご長女(故人)を真犯人とする説が流布されており、心痛を訴えたご遺族に対して、「(訴えがあった場合は)厳正に対処・対応する」と回答したとのこと。

あらためて触れるまでもないが、「被害者一家の長女真犯人説」には何1つ証拠がない。あくまで類推に過ぎないのに、あたかも真犯人だと断定するようなサムネとタイトルを用意して、再生回数稼ぎに走る連中の多さに辟易とするが、中にはネットメディアまで同様の行為に及んでいて呆れるばかり。

こういう表現は極力避けたいところではあるが、「再生回数乞食」とは良く言ったものだ。「インプレ(ッション)ゾンビ」とか「インプレ(稼ぎ)乞食」なんて言葉もあったけれど、ボクシング関係の動画配信にも酷いものが少なくないし、ユーチューバーとして著名になった元日本王者が配信する動画の中にも、杜撰でいい加減な情報に基くものや、事実と異なるものがあったりする。

「表現の自由」≠「何でも好き勝手に言ったり書いたりできる」

他山の石として、十二分に気を付けたいと心する次第。


それにしても、この県警本部長には本当に感心しない。表情と言葉に真実味が感じられないのは、検察と警察幹部の会見や談話に付き物のセオリーではあるものの、血の通わないこと夥しい。しかも、自からご遺族のお宅に伺うのではなく、検察庁舎に来庁して貰っている。

県警が所有する幹部用の高級車と、警護のパトカーをゾロゾロ引き連れずとも、本部長が数名のお付きを乗せて、自家用車でご遺族を訪問することぐらいできるだろうに。


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◎「袴田事件」とボクシング界の主な動き - 波紋を呼んだドキュメンタリー



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<4>静岡県警捜査一課 元巡査部長(取材当時66歳)


高杉が追った4人目の捜査関係者は、県警捜査一課の元巡査部長。「5点の衣類」に次ぐ捏造の主役とも言うべき、警察が実施した「裏木戸の通り抜け実験」で袴田さん役を演じた。

警察が捏造した証拠の数々は、拷問紛いの取調べで袴田さんに強要した自白に合わせて偽装する必要があり、勢い辻褄が合わくなって行く。穴だらけで突っ込みどころが満載なのだが、県警捜査一課の袴田さん起訴・立件への執念は空恐ろしいほどで、証拠の改ざんは自ずとエスカレートの度合いを増す。

「こんな杜撰な証拠で裁判が行われたということ事態が信じられないし、これで死刑判決を出すなんて・・・。法律に携わる者の1人として、心の底から怒りを覚えます。証拠資料を見直す度に、もう腹が立ってしょうがない。」

極めて長期に及んだ第1次再審請求審の最中(おそらく90年代半ば頃?)だったと記憶するが、現弁護団事務局長の小川秀世主任弁護人が、何かの会見かインタビューだったか、憤りを露にしていたことを思い出す。

「今すぐ無罪にして、袴田さんを自由にしなきゃいけないんですよ!。」

憤ると言っても、口調はどこまでも穏やかなのが小川弁護士らしかったけれど、「この事件から絶対に離れることができない。自分自身を駆り立てる強い動機になった」と真情を明かにしていたが、どうにもやり切れない悔しさ、国家権力によって個人の尊厳と自由に徹底的に踏みにじられたことへの憤懣が滲み出ていた。


凶行に及んだ袴田さんの逃走経路とされた「橋本家の裏木戸」も、テレビ番組でこの事件に関する捏造疑惑が採り上げられる都度、「5点の衣類」とともに何がしかの言及が行われることが多い。

では「橋本家の裏木戸」とは、そもそもどういったものなのか。判決に基く犯行の状況とともにまとめてみる。

◎裏木戸
(1)左右2枚の木製の扉(観音開き)
(2)戸の上下に留め金が掛かっている(鍵ではなく指で開けられる)
(3)戸の中央にかんぬき有り(犯行時:放火により焼けて折れていた)
(4)下の留め金のみ外されていた
(5)上の留め金は掛かっていた
(6)袴田さん:留め金が外された戸の下部をめくるように開けてその隙間を通り抜けて出入り

<1>裏木戸(全体図)

◎画像の拡大サイズを見る
画像左:裏木戸(全体図)
画像右:1998年当時の画像
※1998年当時の写真:TVドキュメンタリー「映像’90「死刑囚の手紙」(1998年11月15日放送/製作:MBS)」より

<2>留め金
留め金
※図(出典):「袴田事件 冤罪の構造-死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った」(高杉晋吾著/合同出版/2014年7月10日)

専務宅の裏木戸は、専務宅内の土間から正面出入り口に面する表通りに直結しており、袴田さんを含む工場の敷地内にある社宅(寮)住まいの従業員だけでなく、通いの人たちも含めて日常的に通り抜けしていた。

工場の従業員なら、誰もが留め金を指で外して裏木戸を開けられる。袴田さんがわざわざ下だけ外して、敢えて通行を困難にする理由がない。この点については、後段(※)でさらに説明を加えておく。


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■警察による通り抜け実験:証拠として提出された写真×3枚

◎写真の拡大サイズを見る
写真1(左):実験用に警察が復元した裏木戸
写真2(中):通り抜ける元巡査部長-1
写真3(右):通り抜ける元巡査部長-2


◎捏造された警察実験
これも様々な報道や特集番組で繰り返し触れられてきたことだが、2枚目と3枚目の証拠写真には、肝心要とも言うべき上の留め金が写っていない。実験そのものが、袴田さんの有罪を立証する為に行われた警察による捏だと、弁護団と「救う会」を含む支援者は延々訴え続けてきた。

警察が提出した実験の証拠写真で確認できるように、2枚の裏木戸の間にできる隙間は非常に狭い。警察の証拠写真では、小太りの大人の男性1人が、ぎりぎり(無理やり)通り抜けている。

千歩も万歩も譲って、仮にどうにかこうにか人が通り抜けできたとしよう。では、放火する為に持ち込んだとされる混合油(ガソリン+潤滑油)を入れた「8キロ(リットル)サイズの蓋付きポリ樽(※後段:「犯行の状況」参照)」はどうなのだろう。

横幅が15~16センチ程度の石油缶(4リットル)はともかく、直径が25~26センチあるポリ樽を、上の留め金が掛かったままの裏木戸を通せたのか。

1審の判決文を読むと、この点には言及が無い。弁護側も特に問題視はしていなかったようで、人が1人通れれば、ポリ樽も一緒に通るとの見解に落ち着いたと思われる。

現場から発見されたのは石油缶のみで、ポリ樽は見つからなかった。なおかつ、味噌を入れる為に工場の通路脇置かれていたというポリ樽は、数の増減について確認が取れていない。本当に袴田さんが持ち出したのかどうか、証明はできていない。

□8リットルのポリ樽(例:通販サイト商品ページへのリンク)
※直径:26.5センチ/高さ:24センチ
https://store.shopping.yahoo.co.jp/kohnan-eshop/4522831463992.html?sc_e=afvc_shp_2327384

留め金を含む裏木戸の上部分を除外した警察実験写真
※留め金を含む裏木戸の上部分がカットされている

①弁護団・支援者反証実験 ②検証の為に警察が復元した裏木戸(赤い枠の四角形が上の留め金) ③下の留め金だけ外して裏木戸を開けようとした状態の図示
写真①弁護団と支援者による反証実験
※袴田さんと似た背格好の大人の男性が通り抜けようとしたら上の留め金が外れて吹っ飛んだ
写真②検証の為に警察が復元した裏木戸(赤い枠の四角形が上の留め金)
写真③下の留め金だけ外して裏木戸を開けようとした状態の図示
※図(出典):「袴田事件 冤罪の構造-死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った」(高杉晋吾著/合同出版/2014年7月10日)

弁護団と支援者たちによる反証実験も行われており、警察の主張を根底から覆す(常識的に考えて妥当な)結果となった。さらに、画像解析の専門家に依頼した検証結果も出ていて、これについては後述する。

◎弁護団による実験
上の留め金を懸けたまま扉を開ける



上の留め金を懸けたまま扉を開けると、人が通れるだけの隙間が開く前に上の留め金が吹っ飛ぶか、画像のように、裏木戸の木版ごと千切れるように請われてしまう。この画像は、1998年11月15日に放送されたMBS制作によるドキュメンタリー「映像’90「死刑囚の手紙」」に収録された、弁護団による実験から説ブログ管理人が画像化したもの。




留め金への細工2
※NNNドキュメントより(手持ちの録画ビデオが劣化してしまい画像化して拡大するとほぼ判別不能になってしまう)

上の留め金が2ヶ所(2個)付いているのは理由があって、警察実験の写真の1枚目を拡大して、目を凝らしてよく見ると、留め金の少し下に穴が4ヶ所確認できた為である。弁護団の調査により、この穴の位置が、焼け残った本物の裏木戸にあった上の留め金の位置と合致した。つまり、警察の実験が偽装・捏造であることを、図らずも警察自らが証明していたという次第。

ところが、東京高裁はまたもやこうした捏造を証明する証拠の数々を無視。静岡地検による上告を認めて、静岡地裁に赴任した裁判長が中心となって遂に認めた再審開始決定を棄却してしまう。最高裁も東京高検に倣い、真実と人の道に真っ向から反する冷酷極まりない決定を下すかと思いきや、差し戻しとなって再審の請求審は延命することに。

NNNドキュメントでは、「弁護団による裏木戸の実験は名物になっている」旨のナレーションが入っていて、繰り返し実施されていた。高杉が集大成として2014年に出版した「袴田事件・冤罪の構造: 死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った (2014年6月20日/合同出版 )」には、1991年に東洋大学工学部で行われた再現検証実験の写真が掲載されている。


高杉は、松本に続いてこの巡査部長の自宅を訪問。疑問を率直にぶつけている。

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◎高杉のインタビュー
<1>袴田さん役の元巡査部長(1回目:夜間の訪問)


巡査部長:「ま、僕がやったから・・、僕がやってみたら、開いた(通り抜けられた)ってことだけどね・・」

高杉:「ううん・・(?)」

巡査部長:「ただ、工作はしてないってことです。」

高杉:「う-ん・・(?)」

巡査部長:「やってないんだから(やや大きな声で)・・」

高杉:「う-ん・・(?)」

巡査部長:「実際にやってないんだから・・僕・・、僕自身は、何にも動揺はしない。」

高杉:「う-ん・・(?)」

巡査部長:「一番知っているのは僕ですから。裁判所より僕が知ってますから・・」

高杉:「・・」

巡査部長:「ねっ(やや大きな声で)」

高杉:「・・」

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高杉はまた、松本久次郎元警部(事件の捜査主任)に、非人道的かつ自白を強要した取り調べについてインタビューを行った際、裏木戸の実験についても確認していた。袴田さんに有利な、取調べの録音を含めた600余点の重要証拠が非開示だった為、余裕で白(しら)を切っている。



松本:「うん、そん中が、実験して通れたもんで間違いないんだな。うん。」

高杉:「はあ、はあ・・その、実験そのものが・・」

松本:「(高杉を遮り)そらあね、(上の留め金が掛かったまま通り抜けるのは)ちょっと大変だなあというアレ(疑問)があったもんで、はたしてそれじゃ、通れるかわからんって言って(と聞こえる)、実験をしただからね・・」


※Chapter 9 へ


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◎犯行の状況
(1)犯行日時:1966(昭和41)年6月30日午前1時過ぎ頃
※午前1時20分~1時45分の25分間程度と推定される
(2)犯行目的:家族(母と息子/妻とは離婚)と住むアパートを借りる費用の強奪(金品目的)
(3)犯行着衣1(当初):パジャマ
(4)犯行着衣2(変更):「5点の衣類」+合羽(凶器のくり小刀を隠す為)
(5)凶器:刃渡り12センチのくり小刀
(6)侵入経路:専務宅裏口の立ち木に登り屋根伝いに中庭に降りて宅内に侵入
(7)犯行:殺害
1)専務(41才/柔道の有段者で大柄)を格闘の末に刺殺(ご遺体:裏木戸に続く土間で発見)
2)夫人(39才)と長男(14才)を刺殺
3)次女(17才)を刺殺(肋骨を切断して肺と心臓を貫通/背骨付近の胸骨に達する刺傷有り)
※専務以外3名のご遺体:母屋で発見
※4名のご遺体に総数47ヶ所(致命傷/深い傷:5ヶ所)の刺し傷を負わせて殺害(or 瀕死の重傷)
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(8)専務宅の押入れに保管された売上金3袋を強奪(金品目的)
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■袴田さんの供述に基く侵入経路と方法
(9)東海道線の防護柵を乗り越えて隣家の庭に降りる
1)防護柵:高さ1メートル55センチ
2)枕木を利用
3)防護柵には4本の有刺鉄線が張られていた
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(10)専務宅裏口右手に立つ木(専務宅の屋根に接している)を登り専務宅の屋根に乗り移る
(11)さらに専務宅中庭に面した土蔵の屋根に乗り移る
(12)土蔵の屋根のひさしから水道の鉄管伝いに中庭に降りる
(13)中庭に面した勉強部屋のガラス戸(15センチ程開いていた)を開けて侵入した
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■脱出方法:裏木戸を使用
【裏木戸通り抜け(1回目)】
(14)裏木戸をくぐり抜け線路を渡って工場に帰着
1)「5点の衣類」を脱いでパジャマに着替える
2)工場の石油缶から「8キロ(リットル)入りの蓋付きポリ樽」に5.5リットルを入れ替えた混合油(ガソリン+潤滑油)と石油缶(4リットル)を持ち出す
※専務のご遺体付近に4リットル用のブリキ製石油缶が放置(中身:1/10程度残存)
※ポリ樽は現場から発見されていない(検察及び裁判所:放火により溶解したと判断)
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【裏木戸通り抜け(2回目)】
(15)(14)と同様(逆)の経路で専務宅に戻る
(16)刺殺(or 瀕死の重傷)した4名にそれぞれ混合油をかけてマッチで放火
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【裏木戸通り抜け(3回目)】
(17)裏木戸から逃走


◎画像の拡大サイズを見る
図①(左):現場付近の見取り図(弁護団作成リーフレットに一部補足を追加)
図②(右):専務宅見取り図(捜査資料に一部補足を追加)


判決文によれば、事件当夜、殺人と放火の過程で、袴田さんは3回この裏木戸を通ったことになっている。

柔道の有段者で大柄な専務を格闘の末に殺害した上、夫人,長男,次女を含む在宅のご家族4名を刺殺し、問題の裏木戸を使って工場と専務宅を3度も往復した。犯行に要した時間は僅か25分間程度。

時代劇の忍者さながらの侵入方法も含めて、果たして25分で本当にできるものなのか。当たり前の話だが、すべてのプロボクサーが、アクション俳優も真っ青のアクロバットをこなせる訳ではない。

当該ドキュメンタリーの中で、郡司信夫は「運動神経に優れた選手だった」と追懐しており、いわゆるムーヴィング・センスには恵まれていたと想像される。それでも、線路を渡って有刺鉄線を巻いた高さ1.55メートルの防護策を乗り越え、専務宅裏口の木をよじ登って屋根に上がるまでに、10分近くは経ってしまうのではないか。


この時専務宅正面出入り口のシャッターは開いていて、何の苦もなく通れる状況だった。そして正面入り口を右折して通りを歩けば、地域の人々が毎日行き来する「横砂踏み切り」があり、わざわざ裏木戸を使う必要がない。

横砂踏み切り
※横砂踏み切り/左:1966年当時|右:現在

警察と警察はこの矛盾について、人が異常な犯行に及んだ場合、理屈に合わない一見すると不可思議な行動を取ることが多いともっともらしい説明を行っている。そして、それこそが犯人しか知り得ない「秘密の暴露」に当たると続けた。

だが、冷静になって考えてみて欲しい。シャッターが開いていた正面出入り口から侵入して犯行に及び、同じ正面出入り口から逃走したと想像するのが、常識的で筋の通る推論だと思うのだが・・・。


そして袴田さんの体格だが、現役生活は1959(昭和34)年11月16日のデビュー戦から1961(昭和36)年8月24日のラスト・ファイトまでの、おそよ1年9ヶ月(満年齢で23~25歳まで)。この短い期間に31戦(!)をこなして、16勝(1KO)11敗2分け2Exの戦績を残している。

デビュー戦を125ポンド(約56.7キロ)のフェザー級で戦い、2戦目は117ポンド(約53キロ)のバンタム級。周知の通り、袴田さんの最高位は日本フェザー級6位だが、エキシビジョンを除く29試合中、フェザー級リミット(126ポンド/57.15キロ上限)内でのファイトは9試合ある。

有名な「年間19試合」は、2年目の昭和35年。4ラウンズのエキジビション(ノーヘッドギア・KO決着以外は無判定)を1つ挟んで、14勝(1KO)をマークした(4敗1分け)。

現存するボクシングの記録に、袴田さんの身長を探し出すのは困難な状況で、正確な数値はわからない。ただ、動画配信のサービスが軌道に乗った2007~08年以降の映像資料は非常に数が多く、現在閲覧できるものも豊富にあり、仮釈放された2014年以降に出席したボクシング・イベントの映像を見ると、おおよその見当はつく。

以下の画像は、仮釈放直後の2014年5月19日(ボクシングの日:「世界チャンピオン会」の発足と白井義男の世界王座奪取を記念してJPBAが母体となって2010年に制定)に、後楽園ホールの興行に兼ねて行われた支援イベントで、大場政夫のライバルでもあった花形進会長(元WBAフライ級王者)から花束を受け取る場面。

仮釈放後に初参加したボクシング・イベントでの花束贈呈(2014年5月19日後楽園ホール)
※左から:ひで子さん,袴田さん,花形会長,大橋会長(右後方)

花形会長の身長は公称161センチで、リベンジを許した大場との再戦(WBA王座挑戦/15回0-2判定負け)や、5度目のチャレンジで遂に大願を成就したチャチャイ(大場の死後空位の王座を獲得)への挑戦、判定を巡って議論が噴出したエルビト・サラバリア(比)との2連戦(いずれも僅差の15回1-2判定負け)における予備検診でも、同じくらいの数値だったと記憶する。

ちなみに、花形会長の後ろで微笑んでいる大橋秀行会長は、現役時代の公称が164センチ。最軽量のミニマム~L・フライ級では十分に大きい部類だった。

画像を見ると袴田さんはかなり小さく感じられるが、人の身長は年齢を増すごとに縮んで行く。早い人は40歳代で背が縮み始めて、個人差はあるが70歳を超えると加速するらしい。男性の場合、40~70歳までの間に平均で約3センチ程度、同じく40~80歳までの40年間では、平均5センチ程度縮むという。

大雑把に画像から判断すると、2014年5月19日時点で満78歳だった袴田さん(1936年3月10日生まれ)は、150センチ台の後半ぐらいだろうか。40歳を超えてから概ね5センチ身長が縮んだと推定される為、大人になってからの身長は160センチ台前半~半ばと推計できる。

ざっと165センチのタッパと仮定して、現役時代のウェイトはおおよそ53~57キロの間(計量の数値:事実)。休み無く連戦していたので、年間2~3試合を戦う現代のプロボクサーのように、大幅に体重を増やすほどのオフはない。

事件が発生した1966(昭和41)年6月30日当時、30歳を迎えた袴田さんは、現役を退いてから約5年を経過していた。本格的なトレーニングから離れて5年経った身体は、果たしてどのくらい衰えていただろうか。


所属していた不二拳から紹介され、清水市内のキャバレーでボーイとして働き出した袴田さんは、真面目で裏表の無い仕事ぶりを評価され、キャバレーに酒を卸していた酒屋のご主人から、1963(昭和38)年8月にバーの経営を任される。翌9月にホステスの女性と結婚して、獄中からの手紙に再三登場する息子さんをもうけた。

キャバレー時代に親しくしていた同僚の妻,渡邉昭子さん(90歳になられてご存命)は、袴田さんを支え続けた重要な支援者の1人だが、文字通り家族ぐるみで親交を深めた2歳しか違わない渡邉さんを「母さん」と呼び、渡邉さんは袴田さんを「おなかちゃん」と呼んでいた。

仮釈放後の映像や報道写真でお馴染みになった袴田さんのお腹は、引退してから2年後の1963年には、早くもぽっこり膨らんでいたのである。


藤原組時代の船木優勝(優治)と対戦する為に初来日した”石の拳”ロベルト・デュランの変わり果てた姿を見て、多くの格闘技ファンが「まともに戦える筈がない」と絶望感を露にした。

ところがどっこい、でっぷりと肥えた”石の拳”の足が、本番のリング上でスイスイ動く。見た目とのギャップに驚いた格闘技ファンは「動けるデブ」と酷評したが、年季の入ったボクシング・ファンなら、現役 or 引退後に限らず、短時間ならお腹が出てもスピーディに動くことができるボクサーが少なくないことをよく知っている。

だとしても、酒場での夜間勤務の影響で、袴田さんの身体は相当にナマっていたと思われ、忍者のような侵入方法もさることながら、柔道の心得を持ち大柄だったとされる専務(41歳の男盛り)を、手間隙かけず速やかに殴り倒すことが可能だったのかどうか。

専務の具体的な体格もわからないけれど、1964年の東京オリンピックで正式競技として採用された当時の階級は、重量級(80キロ~),中量級(~80キロ),軽量級(~68キロ)の3つしかなかった。

初開催の体重別競技にありがちな事柄ではあるが、仮に専務を中量級だったと仮定すると、身長は推測のしようもないが、体重は68~80キロの間になる。

調書では激しく格闘したことになっているが、ボクシングと格闘技の熱心なファンは、「激しい格闘」との表現から、果たしてどのくらいの時間を思い描くだろう。

木工用の小さく華奢な小刀で4人もの人を殺め、夜中の1時を過ぎても、数分置きに上下線が行き交う線路(道路から40センチの高さ)を乗り越え、工場に戻って血染めの着衣からパジャマに着替えて、8リットルのポリ樽と4リットルの石油缶を持ち込んだと、警察と検察,そして静岡地裁は断定した。

以下に現場の見取り図を掲載して、後は次章にて。


※Chapter 9 へ


命あるうちに - 袴田さんの無罪が確定 7 -

カテゴリ:
■検察は控訴を断念するも・・・ - Chapter 7


※2024年10月10日 /テレビ静岡ニュース
「無罪になった袴田さんを犯人視している」弁護団が怒りあらわ 控訴断念の検事総長談話を猛批判

検察の内向きに過ぎる意識と体制、傲岸不遜なまでに高過ぎるプライド、謝ったら死ぬ病に付ける薬は無い。それが結論。行き着く先ということのようだ。

「持ちつ持たれつ」の関係だった筈の裁判所が、掌を返して検察の痛いところを本気で突いたから、頭に血が上って正気を失った幹部連中が、史上初の女性検事総長に命じて、言わずもがなの余計な一言を喋らせてしまったと、要するにそういう低次元な顛末である。

以下にご紹介するABEMAの番組内で、痴漢冤罪事件を扱った映画「それでもボクはやってない(2007年1月公開)」の取材過程で「袴田事件」を知り、以来20年以上も追って来たという周防正行監督が述べている通り。

◎【謝罪なし】袴田さん無罪確定も…検事総長は異例の談話 「“証拠ねつ造”の言葉が検察官を刺激」“本当は怖い”日本の司法|ABEMA的ニュースショー
2024年10月14日/ABEMAニュース


後追いで出張ってきた警察庁の露木康浩長官と、止せばいいのに、またまたしゃしゃり出てきた牧原法相(元弁護士)も、検察幹部が捻り出した陳腐な言い訳を録音テープのごとくリピートして、三重四重に恥を上塗りする木偶の坊ぶりを発揮する。

「法的地位が不安定な状況に置かれてきたことに思いを致し・・・」

いけしゃあしゃあと、何を寝惚けたことを抜かしているのか?。デッチ上げの証拠で凶悪犯に仕立て上げられた袴田さんは、60年近い年月を殺人犯として生きなければならなかった。1980(昭和55)年12月12日に死刑が確定してから、2014(平成26)年3月27日に(仮)釈放されるまでの33年間は、「今日は俺の番か・・」と、刑の執行に怯えながら朝を迎える毎日だった。

48年近くに及んだ拘置によって重度の拘禁症状を発症した袴田さんは、妄想と現実の狭間を彷徨うところまで追い込まれる。拘禁症状の悪化が確認されてからでも、既に30余年を経過。袴田さんは生きながら殺されたも同然で、警察と検察に裁判所・・・すわなち日本の司法制度によって、一度しかない人生を完全に奪われたのである。


「何が何でも袴田を落とせ!」

特捜本部で捜査に当たった現場の刑事と警官の中には、被害者一家に強い恨みを抱く、外部(従業員ではなく)の複数犯説を主張する人たちもいたとされるが、当時の静岡県警は袴田さん1人に狙いを定めて、他の可能性をすべて自ら否定・封印した。

控訴の取り下げについて、「再審を担当した検察官ら(報道ベース:おそらく地検と高検の誰か)」が専務一家のご遺族と面会し、説明と謝罪をしたと報じられたが、ご遺族から取り下げの理由について問われると、検事総長の談話を読み上げたというから恐れ入る。ご遺族が納得できないのは当たり前で、無念と憤懣もまた察して余りがある。

殺人罪で起訴されなければならないのは、むざむざ真犯人を見逃した警察と検察であり、有罪判決に関わったすべての裁判官も、道義上は同罪と言わねばならない。

◎袴田巌さん無罪確定で検察が遺族と面会し謝罪
2024年10月12日/静岡NEWS WEB(NHK)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20241012/3030025763.html

ここまできたら、ひで子さんは検察と警察の謝罪を受けるべきではないのではないか。まったく心のこもらない、血の通わない上辺だけの空疎な言い訳を並べ立てて、とりあえず頭を下げて終わりにする。

どうせメディアは、検察幹部が頭を下げているところだけを切り取って、ニュースで繰り返し流すのが精一杯。新聞も「検察が袴田さんに謝罪」という見出しを躍らせ、一件落着のムード醸成に一役も二役も買って、検察と警察に貸しを作っておく。所詮はその程度でしかない。

ヘマをやらかしたお前らで何とか始末を着けろという訳で、頭を下げに出てくるのも、東京高検のトップ辺りが関の山だろう。それに、彼奴らが袴田さんの自宅まで来るならまだしも、90歳を過ぎたひで子さんと、足腰が弱って階段の上り下りにも難儀をするようになった袴田さんを、静岡地裁はおろか、平然と東京まで呼びつけかねない連中なのだ。

裁判所が証拠の捏造を認定した判決が確定していることから、日額上限12,500円の刑事補償だけでなく、弁護団は国家賠償請求にも言及している。支援団体との結束を緩めることなく、少なくとも国家賠償が認められるまでは、検察がひで子さんに直接コンタクトを取らないよう、徹底的にガードを固めてくれると良いのだが・・・。


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◎「袴田事件」とボクシング界の主な動き - 波紋を呼んだドキュメンタリー



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<3>静岡県警捜査一課 松本久次郎元警部(取材当時73歳)
落としの松本

県警本部の威信を背負い、主任として「袴田事件」の捜査に当たった松本が、例を見ない大規模な(+杜撰極まりない)捏造を主導した主要人物の1人であることは、議論の余地を許さないところだと確信する。

本事件で松本が果たした役割は、「二俣事件(ふたまたじけん)」や「島田事件」における昭和の拷問王(冤罪王)こと紅林麻雄(県警の元エース)そのものと断じても差支えがなく、そうした意味において「紅林の再来」と呼ぶに相応しい。

しかし同時に、ここまで無茶苦茶な謀(はかりごと)を松本の一存でやり切れるとは到底考えられず、捜査一課単独でも難しいのは勿論、「二俣事件」で紅林の違法な捜査手法を内部告発した山崎兵八元刑事が指摘した通り、静岡県警に染み付いた体質かつ総意だったと理解する以外に無いと思われる。


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◎松本が直接関わったとされる捏造:「共布(ともぬの:「5点の衣類」に含まれるズボンの切れ端)」

1967(昭和42)年8月31日(逮捕から約1年後)に、出荷作業中の従業員が味噌タンクの中で見つけた「5点の衣類」からは、それが袴田さんの持ち物であることを証明する指紋は採取されていない。

昭和30~40年代の犯罪捜査にDNA鑑定は存在せず、指紋こそが犯(個)人を特定する最大の物証だった。従って、いくら血に染まった衣類が都合良く出て来たとは言え、血液型の鑑定は行われるにしても、それだけでは袴田さんを犯人と断定することができない。

袴田さんの実家にある箪笥の中から出て来た、「5点の衣類」に含まれるズボンとまったく同じ材質と色の切れ端(丈詰めの為に裁断された布切れ)が、「5点の衣類」を袴田さんと関連付ける唯一の証拠になる。ズボンと切れ端それぞれの切断面については、縫製・繊維・染色に関する照合が行われて一致することが確認されている。

◎「5点の衣類」
<1>上着(鼠色のスポーツシャツ
<2>緑色のブリーフ(※)
<3>白い半袖のシャツ(下着)
<4>白のステテコ
<5>ズボン(鉄紺色)

5点の衣類

発見時の「5点の衣類」
※味噌タンク内で発見された「5点の衣類」/麻袋(南京袋)に入った状態で見つかる

問題の衣類から検出された血液型は「A型・B型・AB型」の3種類で、肋骨を切断されて肺と心臓を貫き、刺し傷が背骨にまで達していた次女の「O型」は、どうした訳か検出されていない。

白色の半袖シャツの右肩部分と緑色のブリーフ(※)に残された血痕がB型で、袴田さんと同じだった。

◎被害者の血液型
橋本専務(41歳):A型
橋本夫人(39歳):B型
長男(14歳):AB型
次女(17歳):O型
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※袴田さん:B型

橋本さんのご一家は、被害に遭われた4名の血液型が「ABO型」のすべてを網羅する。「5点の衣類」に付着した血痕の血液型から、どの型が検出されても「被害者と一致」してしまう。この偶然が、袴田さんを犯人に仕立て上げる「絶好のチャンス」に成り得ると、特捜本部が捏造へと猛進する動機になったと思えてならない。

Chapter 3で記したように、静岡県下では紅林元警部補らによる冤罪事件が続き、県警は丸潰れになった面子の回復に必死だった。これ以上の不祥事発生は絶対にあってはならず、凶悪事件の真犯人逮捕と速やかな解決も待った無し。身から出た錆以外の何物でもないとは言え、切羽詰まった苦しい状況にあったことは間違いない。

しかしこのままでは、十中八九、袴田さんは証拠不十分で無罪になる。無理を押して高裁へ上訴しても、有罪に持ち込む為には新たな物証が必要不可欠となり、できなければ地裁の判決が支持されてしまう。

無罪判決が出る前に起訴を取り下げる手段もあるが、いずれにしても、自白は一体何だったのかという話にならざるを得ない。20日間に渡って清水署内で袴田さんを締め上げ、トイレにも行かせず強制的に犯行を認めさせた非人道的な取り調べが槍玉に上がる。

清水署はもとより、県警幹部の誰かが首を差し出さしたぐらいでは、マスコミと世間の批判は収まらない公算が大。

誤認逮捕に対するマスコミの轟々たる非難を浴びながら、振り出しに戻って一から捜査をやり直さざるえを得ないが、事件発生から1年以上が経過する中、袴田さん以外の可能性を捜査からすべて排除した結果、他に被疑者はいない。

警察と検察のリークをそのまま報道して、袴田さんへの容赦ない糾弾を続けたマスコミも、一気に掌を返して、紅林元警部補が主導した冤罪事件を蒸し返す。


「後戻りはできない」

ABOの血液型はどれでも良く(血液型だけでは完全に個人を特定できない)、凶器のくり小刀と現場から指紋が見つかっていなかったことが、「血染めの衣類(血液の付着だけでいい)」をでっち上げるには却って好都合だと、特捜本部をいよいよ狂わせる。「文句の付けようがない決定的な証拠の捏造」という狂気へと駆り立て、暴走させてしまったと考えないと辻褄が合わない。

白い半袖シャツ(下着)の右肩付近と、緑色のブリーフ(※)に付いたB型の血液を、「被害者と揉み合う過程で怪我をして出血した」とする警察と検察の主張通り、地裁も袴田さんのものと認定したが、袴田さんの右肩には血痕に合致する場所に傷は無く、血痕の位置に符合する傷の有無は緑色のブリーフ(※)も同様だった。


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◎実家の再捜索と「共布(ともぬの)」の発見

袴田巌さんの再審を求める会」の平野雄三代表が、1993(平成5)年に「共布(ともぬの)」を発見した岩田竹治警部補から、直に捜索の経緯を聞いている。岩田元警部補によると、捜索は「5点の衣類」の発見から10日以上経った9月12日に行われ、岩田を含む2名が袴田さんの実家に向かったという。

岩田らが指示された捜索の目的は、「5点の衣類」のズボンに付けていたであろうベルトと、指紋を隠す為に着用していた手袋(被害者家族の返り血がベットリ付いている筈)の発見であり、岩田らに「共布(ともぬの)」に関する認識はない。

そして袴田さんの実家に2人が到着すると、宅内には先着していた松本がいて、「箪笥の中を調べてみろ」と後着の2人に指示をしたという。

言われた通りに岩田が箪笥の引き出しを開けると、すぐに「共布」が見つかった。そしてそれを見た松本は、「(味噌タンクから見つかった)ズボンの切れ端に間違いない」と”直ちに断定”。

ベテランの腕利き刑事だけが持つ直観力と言うべきか、一瞥しただけで「これだ!」と断定できてしまう、人間離れした松本の眼力にはまったく恐れ入る。繊維や切断面の分析まで、瞬時に肉眼でできるらしい。

箪笥から発見された共布(ともぬの)
※実家の箪笥から発見された「共布(ともぬの)」

捜索に立ち会った袴田さんの母親ともさんに任意提出の許可を取ると、本来の目的であった「ベルトと手袋」の捜索は早々に打ち切り。「5点の衣類」が袴田さんのものであると証明できる、有罪を立証する為には不可欠かつ決定的な追加の物証を特捜本部は入手した。

母親のともさんは、箪笥の引き出しにそんな物が入っているとは夢にも思わない。被害者となった橋本専務一家の葬儀に、逮捕される前の袴田さんも参列しているが、その時着けていた喪章は、「共布」が見つかった同じ箪笥に保管されていたそうで、「共布」は9月12日の捜索時に初めて見た、それまではただの一度も見ていないと、ともさんは法廷で述べている。


問題の味噌タンクと同様、袴田さんの実家も事件発生当初に捜索を終えていて、証拠の類は見つかっていない。味噌タンクを最初に確認した捜査員は、後にメディアの取材を受けて「何も無かった。見落としは考えられない」と明言している。

◎事件直後の現場検証で味噌タンクを調べた捜査員のインタビュー
<1>【袴田事件】元捜査員が証言「衣類なかった」発生時にタンク捜索に参加 1年後発見に驚き「あり得るのか」
2023年3月15日/テレビ静岡ニュース


<2>“袴田事件”元捜査員 自宅ドアを閉ざし何も語らず 静岡地裁は証拠ねつ造を認定し再審無罪
2024年9月27日/テレビ静岡ニュース


<3>【袴田事件】事件から57年元捜査員の証言 当時みそタンクに5点の衣類が「なかったことは間違いない」
2023年7月6日/静岡朝日テレビニース
※テレビ静岡の取材とは異なる捜査員と思われる


<4>“袴田事件”元捜査員 自宅ドアを閉ざし何も語らず 静岡地裁は証拠ねつ造を認定し再審無罪
2024年9月27日/静岡朝日テレビニース



驚くべきは「共布」発見の翌日、9月13日に予定の無かった公判が緊急に開かれたこと。担当検察官が地裁に申し入れたのが、捜索前日の9月11日。12日に「共布」が見つかり、13日の冒頭陳述において、袴田さんが自供した筈の「パジャマ」から、1年以上も経ってから突然見つかった「5点の衣類」へと、犯行時の着衣を正式に変更した。

おかしな点はまだある。「共布」発見の経緯に関する調書の証人として、引き出しを開けて発見した岩田ではなく、松本の名前が記載されていたというのだ。

家宅捜索を指示された岩田ら2名は、そもそも松本の先着も聞かされていない。捜査主任の松本が自分たちより先に家に上がり込んでいるのを見て、岩田はまずそれに驚いている。そして松本から「探せ」と言われた箪笥の中から、すぐに「共布」が見つかり、捜索の前日に検察官が申請していた翌13日の公判で証拠の訂正・・・。手回しが良過ぎて絶句するしかない。

静岡県警と地検が一蓮托生のグルであることに、もはや疑いを差し挟む余地は無いと思われるが、事ここに至っては「地裁も・・・じゃないの?」と、誰もが想像を膨らませずにはいられない筈である。


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